『空中都市マチュピチュ』の話2
インカ帝国の遺跡『マチュピチュ』というと、たいてい『空中都市・マチュピチュ』というような形容がされているのがお決まりだ。
たしかにいま普通にこの遺跡を訪ねるとしたら、ほとんどは、かつてのインカ帝国の首都だったクスコから、アウトバゴンという列車でウルバンバ川沿いに走り、アグエスカリエンテス(温泉の意)という山麓の駅から約600メートル上の遺跡まで、「ビンガムロード」という、この遺跡の発掘者、アメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムの名前を取った「いろは坂」みたいな坂道をバスで約20分間登って行くのが定番になっている。
ビンガム・ロード
つまり、遺跡下から急峻な山を登り詰めてやっとたどり着くために「空中都市」などと呼ばれているのだ。
たしかにこのルートならそんな印象は強い。
しかし、待ってよ。
インカの時代には、下から坂を登ってマチュピチュ遺跡に上がったのではないんだぞ。
集中豪雨でたびたび氾濫する川沿いの危険な道など、当時は使える筈もなかっただろう。
実はインカ帝国時代、『インカ道』と呼ばれる街道が国中を縦横に走っていて、今でもそれは各地に残っており、マチュピチュへは現在もそのインカ古道をたどってクスコから到着することができる。
そのインカ古道は、ウルバンバ川を見降ろす、はるか高い所を通っていくのだ。
途中、ウニャイワイナ遺跡やインティプンク遺跡を訪ねながら歩き続け、深い森を抜けると突然、遙か眼下に念願のマチュピチュが現れる。
そう、こここそがインカの信仰上重要な、町への入り口である『太陽の門』。
太陽の門から見下ろしたマチュピチュ
つまり、マチュピチュというのは山の上の空中都市ではなくて、峠道からグッと下った、山間(やまあい)の鞍部に築かれたむしろ低い位置の都市なのである。
実際、インカの首都クスコの標高が3,360メートル。
このクスコはすり鉢状になった盆地の町だから、ここから市外に出るにはどこに行くにしても必ず周辺の山を登っていかなくてはならない。
つまり、マチュピチュに行くには途中4,000メートルもの高さまで登り、それからどんどん下っていくことになるのだ。
そうして到着したマチュピチュの標高は、わずかに2,400メートルの高さでしかない。
これがインカ人にとって、どうして『空中都市』と言えるだろう。
つまりこれは現代の観光用キャッチフレーズなのである。
ところが学術書にもどうかするとそんな見出しがよくがあるんだよね。
きっと、出版社が入れてしまうのだろうけれど。
まあ、『空中楼閣』にならなくて良かったのかも。
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コメント
おはようございます。ピーちゃんさん、
インディ・ジョーンズみたい。
むぎゅっ!
投稿: メイリ | 2004.03.24 08:06