六本木ヒルズ森タワーでの自動回転ドアの死亡事故は、その後会社の上層部がこれまでの事故をすべて承知していたとかで、さらに非難の声が高まってきている。
とにかく森ビル、三和シャッター、共にその業界の一流会社ということで、メディアにとっても十分に叩き甲斐があるものらしい。
確かに、両社の責任のなすり合いは見苦しいし、赤外線センサーの感度を弱くしたなど、六本木ヒルズ側に責任を問われる部分があることは100%否めない。
でも待ってよ。
今回のはたしかに痛ましく、悲しい事故であるけれど、被害者にとって天災という訳ではないのでは?
たまたま今日の新聞には、しっかり固定されていなかったスーパーの大型パラソルが風で飛び、女性の頭を直撃して死亡したという事故が報じられている。
これなどは、被害者にとってまったく防ぎようがないものだし、責任があるとは思えない。つまり天災のようなものだ。
また、いまや大三菱を揺るがす大きな問題となってしまった、大型トレーラーの脱輪死亡事故だってそうだ。
普通に歩道を歩いていた親子が、後ろから巨大タイヤが襲ってくるとは全く予想できる筈もない。
これでは天災だろう。
ところが、今回の六本木ヒルズの事故では、まず回転ドアに飛び込もうとしたのは自分の意志。ドアが向こうから襲ってきた訳ではない。
得てして、こうした年代の子供(特に男児)は、突然思わぬ行動に出たりするが、それをコントロールするのはやはりまず親でなければならない。
実際問題、この回転ドア部分には『お子さんは親が手を引いて』との注意書きもあったのだ。
赤外線センサーは、万一そうした危険な飛び込みがあった場合に働かせようとしたものだから、それが機能しなからといって、それが直接今回の死亡の原因ではない。
何より、あの回転ドアというのはわれわれだって身構えてしまう『乗り物』だよね。大人ならそれは当然わかっていた筈。
誰かが「回転ドアとは建物の外と中とを結ぶ電車のようなもの。乗り降りには危険が伴って当たり前」と言っていた。まさにその通りだと思う。
自分が子供の頃、ひょんな行動に出れば常に母親に叱られた。
でも、大きな通りを歩く時には、必ず母は自らをクルマの側にして、そして子供の手を離さなかったものだ。
被害者のかたの心中を察すると、たいへんきつい言葉になってしまうのだけれど、子供を守ってあげられるのは、いつでもまず親なのだ。
森ビルや三和シャッター側に確かに今回過失はあったけれど、彼らはでも殺人事件の加害者ではない。
そうしたことを考えれば、少年の通夜の晩、弔問に訪れた森ビルの森社長らを受付で追い返し、お線香すらも上げさせなかったというのは、やり過ぎというものだろう。
逆に遺族側が非難されるべき行為だったのではないかと思ってしまう。
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