おのおのがた、討ち入りでござる
今日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日。
日本人なら誰でも好きな、この討ち入り劇。
最後が全員切腹というのも、日本人好みの華を添える美談だなあ。
うん?
旧暦のことだから、正確には今日じゃないのか。
でも今日の東京は雪が降ってもおかしくないほど十分寒い。
実際に雪降る中で闘った浪士たちはエライよ。
侍は言った。
「寒ないっ!」
中でも最大の功労者は、討ち入りを指揮した筆頭家老の大石内蔵助その人なんだろう。
お家断絶となった後、廓などでの放蕩で世間を欺きながら苦節21か月、みごと主君の仇討ちを遂げたんだもの。
さすが、ご家老。
よくぞ、カロー死もせずに思いを遂げたものでござる。
もっとも赤穂浪士とはいっても、全員が赤穂の出身ではないらしい。
ほんとの赤穂出身者というのは半分くらいなんだとか。
許せ。
カーリングの「チーム青森」みたいなものじゃ。
「で、赤穂ってどう書くんだっけ?」
「あ こうか」
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コメント
時は元禄15年12月14日、時は七つ前、江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓。しかも一打ち二打ち三流れ…。…めざすは本所松坂町!吉良上野介の首一つ!
西暦1703年1月30日(正確には12月15日午前3時半すぎなので1月31日未明)の出来事だったそうでございます。ちなみに本所松阪町は今の両国三丁目、高輪の泉岳寺までは8.7kmを3時間近くかけて歩いてたどり着いたようです。
あ、こう長くなるとは思わずついくろうしながら調べてしまった。
投稿: 惑 | 2009.12.14 21:14
惑さん
なんだ、討ち入りはまだ1か月も先だったのか。
しかし、ありがたいことで……
みなさ~ん
何か、調べ物で困ったら、ここに有能なリサーチャーがいますよぉ。
調査料金は無料です。
(ただし、こちらに紹介料は必要)
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2009.12.15 05:21