無念なり、馬隠しの伝説『波賀城』
兵庫県宍粟市波賀町にある『波賀城』。
山陽・姫路と山陰・鳥取を結ぶ街道の要衝に建つ。
地元の有力者・芳賀氏が立てたものというが、築城年代が不明というほど古いらしい。
(鎌倉時代?)
城の遠景と復元された門構え (いずれも拡大します)
下の道から見上げた、はるかなる城の遠景。
クルマのなかった昔は、ここまで上がるのタイヘンだったろうな。
正門脇の小窓には訪問者のための芳名帳が。
昼過ぎなのに、僕がこの日最初の訪問者だった。(~_~;;
波賀城と特徴ある石垣組み
500mもの高さに建つだけあって、城からの眺めは絶景だ。
城の風格は有名な姫路城にだって負けないでしょ?
負けるか……
ここの石垣の隅角は、他の多くの名城とは異なり直角ではなく鈍角になっている。
『しのぎ角』と呼ばれるもので、古い石垣構築法の特徴なんだそうだ。
さてこの城には『馬隠しの伝説』というのが伝わる。
その昔、波賀城主・芳賀七郎は素晴らしい馬を飼っていた。
この名馬は走らせれば飛ぶが如くで、一日にして京へ行けるほどと讃えられた。
ところがこの噂が都まで届き、その名馬を献上せよとの命令を下されることに。
七郎は馬を惜しんでそれに従わなかったため、都から討伐の軍が。
馬を山の洞窟の穴に隠し戦ったものの、善戦叶わず力尽きて全滅してしまう。
七郎は討ち死にする前に名馬を解き放き、最後を飾ったんだとさ。
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コメント
たなぼたさん、おはようございます
波賀城主・芳賀七郎のお話、感動しました。しかも全滅する前にウマを解き放った、というのは立派です。
でも・・・、よく似た(そこそこの)偽物を献上する、ということは出来なかったものか、と、凡人の悲しさ、思ってしまいます。中国では、「そちらの国一番の美女を差し出せ」と皇帝から言われて、「こんなもんでいいだろ」とそこそこの美人を代わりに出そうとして、お化粧や衣装で飾っているうちに本当に一番の美女になってしまった、という話を高校の漢文の授業で習ったような・・・^_^;
それが楊貴妃のことだかどうかは不明ですが、ま、中国は昔も今も変わってませんね(^^ゞ
日本人の潔さに感銘しました。いいお話を有り難うございます。
投稿: poohpapa | 2010.10.05 10:16
すんません、「馬を差し出せ」と言ったのも日本人でした^_^;
投稿: poohpapa | 2010.10.05 11:04
poohpapa さん
ありゃ
また日本人と中国人の話になってしまいましたね。
そういうつもりではなかったんですが。
でも昨日、山東省で行われたサッカーU―19のアジア選手権で、国歌斉唱中に日本国旗を奪い取られたというニュース。
ほんと、こんな国に国際試合をやる資格はないですね。
誤った歴史教育をするからこういう若者、いや馬鹿者が造られる。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2010.10.05 11:08