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2011年4月

四百年前のノミの音(4)【宇佐美石丁場の場合】

今度は一つ一つ石を切り出した、山の石切場を探検だ。
ここは伊豆・宇佐美の洞の入という所にある石丁場跡。
ここやさらに奥のナコウ山からも多くの石が切り出されて江戸に運ばれたという。

Izuishi_31
烏川の支流に掛かる砂防ダムの脇を登っていく。
登り口には「江戸城石丁場遺跡」と彫られた石碑が据えられている。
ここはハイキングコースが整備されていて、実際ハイカーも多いのだけれど、結論から言えば築城石の数はあまり多くない。
(同じ熱海でも続編に出て来る下多賀の中張窪石丁場のほうはすごい)


Izuishi_32
なんということのない石のようだけど、左下に菱形に囲まれた刻印が見えるね。
割れてしまったのかも知れないけれど、この程度の石では刻印するほどのものじゃない?


Izuishi_33
こちらの石には右肩の部分に石を割ったノミの跡が見える。
また下部には「田」の字に見える刻印がある。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Izuishi_34
この石にも下の方に三角形の刻印があるね。
でももっと探したら、より明瞭な「静岡県の刻印」が見つかった。(>_<)
静岡県の刻印もやっぱり「田」の字かあ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Izuishi_35
伊豆ではないけれど、実は小田原の箱根湯本近くにも石切場跡が見つかっている。
林道工事をした時に発見された「早川石丁場」というもので、これはそこの一つ。
手前上部にノミの跡があるし、右上部にはやはり丸で囲んだ刻印があるでしょ。
このすぐ上部が有名な箱根一夜城の史跡だけど、この石は一夜城のためではなく江戸城のために切り出されたものという。

(さらに続く)

(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら
(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら
(3)【室岩洞石丁場の場合】はこちら
(5)【下多賀石丁場の場合】はこちら

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四百年前のノミの音(3)【室岩洞石丁場の場合】

ここは西伊豆にある大規模な石丁場跡、「室岩洞」。
ここも江戸時代から昭和の初めまで築城石を切り出していたそうな。

Izuishi_21
切り出されたのは伊豆石と呼ばれる凝灰岩。
ここは松崎町が観光地として整備しているので誰でも安心して入ることができる。
構造上、もちろん奥は真っ暗だけれど、ちゃんと照明も灯いている。
8時半から17時の間。
ただ自動なので、時間が来て途中で消えたらビビルだろうな。

Izuishi_22
中はまるで迷路のごとく複雑に掘り進められている。
ここも『垣根掘り』と呼ばれる横方向の堀り方だが、規模はすこぶる大きい。
清水が湧き、一部にはプールのように水が溜まった所もあるが、排水の管理もきちんとされている。


Izuishi_23
見学路は全部で180mほど。
さらに奥に進むと外からの光が差し込むところが見える。
別の出口?
これは行くっきゃない。


Izuishi_24
抜け出ると、入江の上。
突然、視野は開けた。
ここは「払い場」と呼ばれる所で、ここから縄を使って石を下まで降ろしたんだそうだ。
そして直接「千石船」に積み、遠路江戸まで海上輸送したのだという。
ここ西伊豆からだと、熱海・伊東から運ぶのに比べ、さらに100キロ以上も遠くなり、当然それだけ危険も増すことになる。

(さらに続く)

(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら
(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら
(4)【宇佐美石丁場の場合】はこちら

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四百年前のノミの音(2)【修善寺石丁場の場合】

伊豆・築城石の石丁場(石切場)には、大規模な岩盤から直接切り出した所と、石の多い山から切り降ろした所とがある。
ここは修善寺温泉外れにある紙谷という部落で、ここには大規模な石丁場の跡が見られる。

Izuishi_11
この写真でそれと気が付きますか?
電柱の左奥、正面の樹々の間がそれ。
普通の民家の奥、家の間を入っていくとたどり着く。
ただし繋がれたワン公に怪訝な顔をされながら。
伊豆市のサイトに掲載された記事で知ったものだけど、事前に教員委員会に場所を教えてもらってなかったら、おそらく自分では見つけられなかったことだろう。


Izuishi_12
背後は高い山なので、地下水なのだろうか雨でもないのに終始滝のように大量の水が落ちていて難儀する。
そのため奥には入れなかったけれど、実際にはかなり奥行きがある。
なおここは岩盤を横に掘っていく『垣根掘り』という掘り方なんだそうだ。

いかん。侵入者の挙動に不審を感じた犬が吠え始めた。Dog_s


Izuishi_13
見よ、このスケールを。
江戸時代から昭和初期まで掘っていたようなので、最後は機械での作業だったのだろう、切り跡がダイナミックだ。
ほんとはもっと探検したかったのだけれど、なんせこのワン公、仕事熱心なもので……
(~_~;;Dog_s2

(さらに続く)

(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら
(3)【室岩洞石丁場の場合】はこちら

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四百年前のノミの音(1)【伊豆海岸放置の場合】

伊豆・築城石探索のきっかけは、この「ぼなき石」からだった。
赤沢の廃ループ橋を探索に行った時に見たもので、旧下田街道(135号線)の大川地区に残されている。

Izuishi_01
「残されて」というのは、江戸城築城のために切り出したものの、江戸まで運ばれることなく、結局この地に置かれたままになってしまっているからだ。
碑文によれば、「ぼなき」というのは「暮泣き」と書き、急な山から石を切り出すという作業に、人夫がつらくて毎夕泣いたからこの名が付いたという。

石の横を見ると、何やら紋様のあるのがわかる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
これは「二つ雁」というもので、安芸国・広島藩の大名・福島正則の家紋なんだそうだ。
つまり、これは安芸(あき)の石工が切り出した石。
つらくて毎夕泣いたのでは、夜もさぞ長かったろう。
だから「安芸の夜長」と言うのか。


Izuishi_03
一方こちらは熱海・上多賀にある「千人石」。
国道からは目立たないが、135号線沿いの公園の一角にある。
やはり江戸城築城のため切り出した石で、千人もの人足で引っ張らなければ動かせなかったためこの名が付けられたという。
しかし船に積む際、海中に落としたということで放置され、後世引き上げられここに保存されているものだ。
実際クレーンもレールもない時代、船に積むまでの作業はたいへんなものだったろう。


Izuishi_04
これも伊豆多賀にある、通称「多賀石」。
同じく135号線沿いの、こちらはコンビニ駐車場の脇に保存されている。
この石には刻印でなく、「羽柴右近」と大名の名前が彫り込まれているのが特徴だ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
羽柴右近は信濃川中島藩主、のち美作(現在の岡山県)津山藩の初代藩主になった大名だ。


Izuishi_07b
さらに伊豆半島を下った城ヶ崎近く富戸海岸には、岸に打ち棄てられたままの巨石がある。
石そのものに刻印はみられないが、この石には割るためのノミの跡が鮮明に残っているのが道路からも確認できる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

このように古来、伊豆は江戸築城石の供給所だった。
しかしいま伊豆でこうして見られるのは、みな放棄されたもの。
途中で割れてしまったケースもあるが、いったん落としたりすると損傷がなくとも打ち棄てられた。
なぜなら、縁起が悪いから。
当時はこれだけでお家断絶の立派な理由になったという。

(続く)

(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら

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金田久美子選手が涙のツアー初優勝

Golf_flag女子ゴルフ金田久美子選手がプロ3年目で涙のツアー初優勝を遂げたね。
わずか8歳で世界ジュニアに優勝。
小学生時代からプロツアーでも活躍し、天才少女と言われた金田久美子選手だけど、プロに転向してからはずっと苦戦が続いていたんだね。

おめでとう。
前日までは1-2位共に韓国選手がリードしていて、皮肉にもあの張本勲さんから『喝!』を入れられていたんだから、日本人選手が優勝して良かった。

でも、今朝のスポーツ新聞の見出しってどうなの。

キンクミ初V 5差を大逆転』だって。

金田久美子だから「キンクミ」なの?
じゃあ、もしも金田珠美選手だったら、「キンタ○」じゃん。(~_~;;
ちゃんと見出しにそう書いてよね。

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岩壁に込めた祈り 大仙山の磨崖仏

伊豆北部の函南町、大仙山という所に個人が作った巨大な磨崖仏がある。

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一番左端の山がその磨崖仏がある、「大仙山」。
高そうに見えるけど、標高はわずか167メートル。
しかし小なりとはいえ、山ごとすべて個人の所有だというのだからすごい。
麓は「畑毛温泉」という知る人ぞ知る小さな旅館街になっている。


Daisenzan_02
私有地だけど解放されていて、誰でも自由に入ることができる。
とはいえ、駐車場からはかなりの急なつづら折りを喘ぎながら登っていかなければならない。
すると、山中に立派なお堂が現れた。
正式名を「正夢観音堂」と言う。
これらもすべてこの山の所有者である個人(地元の篤志家)が生涯を掛けて建てたものなんだって。
すごいね。


Daisenzan_05
こちらは丘の上に建つ見晴らしの良い鐘楼台。
「仏の顔も三度まで」と言うけれど、なぜか「鐘つきは二度まで」と注意が書いてあった。
私ウソはつくけど鐘つかない。


Daisenzan_03
険しくなった道をさらに進むと、岩肌の中腹に巨大な仏画が現れた。
これが目的の磨崖仏だ。
現場はかなり足元が悪いので、参拝用に鉄骨の足場が組まれている。
高さ5m以上はありそう。
よくぞこんな所に……



Daisenzan_04

これが大仙山の磨崖仏、ありがたい「薬師如来尊像」の全景だ。
見れば丁寧に彩色されている。
岩肌の割れ目からは草が生え、今はすっかり苔むしてしまったけれど、当時はずいぶん美しく鮮やかだったんだろう。
(拡大します)


周囲の状況もよくわかる動画はこちら
                

・伊賀古道の磨崖仏こちら
・京都・童仙房の磨崖仏こちら
・房総・岩谷堂の磨崖仏こちら
・初瀬街道の磨崖仏こちら

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スーちゃん……、人生80年の時代なのに

駐日フランス大使のフィリップロオールさんが、日本の原発事故について言及。
「建設・運転・廃炉まで約80年、これはちょうど人間の平均寿命と同じ」と説明したそうだ。

Candiesそう、いまや人生80年の時代。
それなのに、スーちゃんはまだ55歳なのに逝っちゃったのね。
かねて治療を続けていた乳ガンによるものという。
日本のガン治療なんて、ずいぶんと進んでいると思ったけれど、やっぱり命を救うことができなかったんだ。

それにつけてもご主人の風貌が気に掛かる。
(失礼ながら)スーちゃんの父親が会見しているのかと思ったけれど、ご主人だったんだね。
ああ見えて、歳はスーちゃんよりもわずか一つ上なだけなんだって。

さらに、聞いたところ彼(小達一男さん)はあの夏目雅子さんの実のお兄さんだというじゃないか。
可哀想に。
神様って、ほんとうに公平?

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「低レベル」、だから心配なの

Fukushima_gp国民がみんな心配している福島原発の放射能漏れだけど、総理官邸は「低レベルだから心配ない」って。
官邸ばかりでなく、原子力保安院も「低レベルだから心配ない」
東電の担当者も「低レベルだから心配ない」
専門家と言われる学者まで「低レベルだから心配ない」
みんな、口を揃えて「低レベルだから心配ない」

ほんと?
だってこれまで人類が誰も経験したことのないような事態が始まっているんでしょ。
大丈夫なの?
国民は、放射能でなくあなた方が「低レベル」だから心配なのかも。

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オイ沢鉱山の坑道跡

丹沢・宮ケ瀬湖の一角。
やまびこ大橋の近くの無名の沢に、まだほとんど知られていない坑道跡があるとの情報で訪ねてみた。

Oisawa_01
宮ケ瀬湖は中津川をせき止めてできた人工湖。
神奈川県民・水道の大切な水がめだ。
ここは整備された宮ケ瀬湖畔園地で、彼方に見えるのは「水の郷大つり橋」という。
ここに限らず、宮ケ瀬湖の湖畔には桜の樹が多い。


Oisawa_02
振り返った上は県道64号線。
橋がこんなに高いのは、万一の満水時には水位がここらへんまで上がる可能性もあるからだ。
実際、歩きながらGPSを見たら、表示では湖の中を歩いてた。(>_<)

Oisawa_03
突然現れたのは、「まむし注意」の看板。
東丹沢なのでヒルには注意をして来たけれど、マムシかよ。
なに、マムシが出たら、自慢のヘッデンで照らしてやるっ。
どうだ、マムシ~だろ。


Oisawa_04
それでもここならクマの心配はないし、沢の上流は穏やかな渓相で、気分が和む。
まるで上高地を散策しているよう?
ちなみに国土地理院の地図では「オイ沢」だけど、地元では「及沢」と表記されている。


Oisawa_05
本流から離れ、いよいよ目的のオイ沢を遡っていくと……
見えた! あの穴が目指す坑道だ。
入口は自然石のようだけど、迫力のある形をしていてテンション上がる。Yajirushi2sss
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Oisawa_06
内部は真っ直ぐに相当長く続いていて、かなりの規模であることが窺われる。
でも下にはかなりの水が流れ続けている上に、虫がたくさん飛んでいてテンション下がる。Yajirushi4sss
水の少ない今の時期でこれだもの、雨の頃は到底入れまい。
じゃあ、今なら入れ?
やだ。
虫、キライだもの。


いろいろ調べたけれど、ここの鉱山の情報が見つからず、何を掘っていたのかもわかりません。
どなたか、この鉱山の謂われをご存じでしたら教えてください。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                


玄倉鉱山跡はこちら
渋沢鉱山跡はこちら
坂口鉱山跡はこちら
坂口鉱山跡パート2はこちら
東沢鉱山跡はこちら
日影沢鉱山跡はこちら
麓金山跡はこちら
玄倉鉱山跡パート2はこちら
山田鉱山跡はこちら
奥沢鉱山跡はこちら
富栖鉱山跡はこちら
須玉(増富)鉱山跡はこちら
川尻鉱山跡はこちら
梓山鉱山跡はこちら
大仁鉱山跡はこちら
明神鉱山跡はこちら
・持倉鉱山跡はこちら
・峰之沢鉱山跡はこちら
・湯ヶ島鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら
・伊豆天城鉱山跡はこちら
・寝姿山鉱山跡はこちら
・矢筈山鉱山跡はこちら
・縄地鉱山跡はこちら
・茂倉鉱山跡はこちら

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義援という名の勘違い

今回の東日本大震災への援助は国内だけでなく世界各国から寄せられているようだけど、ここに来て義援金の配り方、使われ方なんかについてもいろいろと議論が沸いてきているらしい。

「義援金」って書くと、なんか「義に感じて援助するお金」という雰囲気だけど、違うよね。
ギエンは本来「義捐」であって、この「捐」というのは「捨てること」「損をする」という意味だ。
つまり「義捐金」というのは出したら終わり。
捨てたものと思いなせえ。
捨てたお金の使われ方にまで、指図したり、文句を言ったりするなんて、所詮筋違いというものだ。

Sekijyujiさらに、日本赤十字社とユニセフの違いも浮き彫りされてきたようだ。
どちらも医療や保健が対象分野だけれど、日赤なら主に今回のような国内の災害救援活動に多く寄付金が当てられる。
でもユニセフというのは世界の恵まれない子ども達を救うのが目的だから、日本ユニセフ協会に寄付してもその多く(最大75%)が米国のユニセフ本部に送られて、世界の子どもに配られるようになっている。
つまり協会が「日本の避難所の子どもよりコソボの子どものほうが恵まれない」と考えればお金はそっちに行く訳だ。

加えて言えば、同じユニセフ親善大使と言われるけれど、黒柳徹子さんとアグネス・チャンでは立場が全然違うんだよね。
知ってた?

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日本企業も捨てたもんじゃない

今回の東日本大震災では、苦しい状況にあっても日本の被災者が冷静で秩序を失わなかったと海外で称賛されてたね。
もちろん日本にだって中にはATMを狙うような不心得者もいたらしいけど、そう言われるとうれしい。

さらに最近では日本の企業も褒められているらしい。

例えば世界トップのシェアを誇るルネサス・エレクトニクスが被災してフラッシュマイコンが不足した中、トヨタやホンダ、ニッサンらは部品調達で抜け駆けしたりしないよう申し合わせたとか。
みんな自動車生産に支障が出て困っている時だからこその紳士協定だ。

Seitetsushoまた製鉄メーカーも新日鉄釜石や住金鹿島など、それぞれに大きな被害を受けたんだけど、両社ばかりかJFEらも加わって互いにやりくりし援助をし助け合っているんだそうだ。

外紙によれば、こうした激動時は、やりようによっては大儲けのチャンスであるにも関わらず、日本にはそうした行動に走ろうとする会社がみられない、というもの。
ふーむ、ほんとならうれしいじゃないか。
みんなライバルなのに、企業も紳士なんだね。

がんばろう ニッポン!Ani_buta_hatafuri


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『ニフティ 25周年』なんだって

このブログ(ココログ)はニフティのものを使っている。
パソコン通信の時代からニフティ(NIFTY-Serve)だったので、ホームページもそう。
そのニフティが、今年25周年なんだってさ。

Nifty

ここにいま特設サイトが設けられていて、その中の「パソコン通信復活」というところをクリックすると、昔の1200bpsのような気分が味わえる。
(IDとPWはエンター)
あの頃は、フォーラム巡回したりRT(リアルタイム会議)なんかやると、通信代がトンでもないことになっちゃったんだよね。

試しに「go fmotor4」って入れたら、当時のままのメニューが出たので驚いた。
しかもちゃんと、「7.SYSOP 宛メール」もあったこと。
怖いけれど、そっとクリックしてみた。
まさか、これでまた自分にメールなんて来ないよね。

当時フォーラムのSYSOPやっていて、一番怖かったのがこの「SYSOP 宛メール」だった。
朝つないだ時、これがあると気分が萎えたもの。
「SYSOP 宛メール」なんて、会員から間違いの指摘や文句を言われることはあっても、褒められることなんてまずなかったからね。
でも、懐かしい。

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天空に消えた夢のロープウェイ(後編)

急傾斜のヤブを上り詰めると、突然人工的な2段の広場が現れた。

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ここだ!
地図の位置からみても、この平地こそがかつてのロープウェイ乗り場「サボテン公園駅」だった筈。
しかし、そこにはすでにすっかり育った若木の数々が。


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さらには、予想もしていなかった張られたままのテニス・ネット。
この林の中で、テニス!?
(マウスを置くと画像が切り替わります)

さらに周辺を歩き廻ったものの、もうロープウェイに関わるようなものは何も見つからず。
どうやらトンネル出口も含め、乗り場跡は完全に埋められ、さらにその後広場はテニスコートに転用されたということのようだ。

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しかし感傷に浸っていられないのは放置されたままのフェンス。
金網と絡み合ったまま若木がこれだけ伸びてしまったのだから、いったい放置されて何年が経つというのだろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

ミミズだって、オケラだって、木だってみんな生きてるんだ。
そりゃあ、木の方が後から生えてきたんだからしかたないけれど、こんなに食い込んでしまっては死活問題だろうに。
このまま放置されて、この先いったいどうなってしまうというのか。
誰か 放置つけて~Kyuta_2


すっかり姿を変えた駅跡周辺をそれでもなお探索していると、草むらの中に珍しいものが目についた。

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懐かし~
知ってる?『スカット』
昔明治乳業が販売していたもので、当時「スカッと飲もう スカット」というCMの炭酸飲料だ。

このビンは初期のタイプのもので、調べてみると発売されたのは1962年。
一方、このロープウェイが建設されたのが1963年。
つまり両者はほぼ年を同じくして誕生。
共に昭和を生き抜いた、いわば戦友どうしだったんだね。
そしていま、両者は同じように草むらに埋もれながら歳を重ね続けている。


Kurodake_135
コート近くに立つ送電線の鉄塔からは、遠く熱海の別荘街が望まれた。
おそらくはこの丘にあった筈の駅から、当時の乗客もこうして熱海の山々に目を投じたのだろう。

しかしかつて熱海の若き事業者が実現させた夢は、いまヤブの中で眠ったままだ。

                   (完結)

・天空に消えた夢のロープウェイ前編へ。
・天空に消えた夢のロープウェイ中編へ。

・奥多摩湖の廃ロープウェイこちら
・千曲市の廃ロープウェイこちら


【遺構リスト】
・福士川・芸術屋敷跡はこちら
・大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・トヨタの引込線跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・富津岬・軍事施設跡はこちら
・曾呂尋常小学校跡はこちら
・鹿島の竜宮城跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・伊豆・韮山のマリア観音像はこちら
・天空に消えた夢のロープウェイはこちら
・もう一つの忘れ去られたロープウェイはこちら
・地下に眠る旧証券会社の大金庫はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・南房総の桜花カタパルト跡はこちら
・追原廃村の跡はこちら
・佐倉・青菅分校の跡はこちら
・設楽・宇連分校の跡はこちら
・新潟・持倉鉱山の跡はこちら

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天空に消えた夢のロープウェイ(中編)

これは国土地理院により1976年頃撮影された玄岳周辺の航空写真。

Kurodake_map
左の道は伊豆スカイライン。
丸い形のドライブイン(玄岳駅)の右側に突き出たのがロープウェイのプラットホームで、赤く見える四角いのがゴンドラだと思いたいが、確信はない。
その頃もうロープウェイは休止していたとみられるし、ケーブルもすでになさそうだから。

さて、地図を確認してみると、下の乗り場跡と目される辺り、急傾斜な尾根だけどたしかに平地のような部分が窺われる。
そしてその尾根には遠回りだが上から林道が通じていて、案外広場のかなり近くまで行けそうなこともわかった。
よし、行ってみよう。

Kurodake_009
案の定、林道自体は一般車通行止めだったが、ここで用意したチャリに乗り換える。
しかし山道を数キロも頑張ったのに、荒れた林道は突然消えた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

ま、最後はどうせヤブ歩きになるのを覚悟していたものの、実際の現場は思いの外崩壊していて辿れそうな山道すらみつからない。
残念だが、方針変換だ。

止むなくまたクルマまで戻り、今度は県道を下って逆に乗り場のさらに下側まで移動。
この辺りの崖(県道法面)の上部に乗り場はあったと思われる。
そこは本来『熱海サボテン公園』(道路を挟んだ手前の側になる)の一角にあったことになっているが、ロープウェイと同じく会社自体がとうに経営破綻してしまっている。
そしてその後、この場所には『あたみ百万石』というホテルが建てられたものの、残念ながらそれすらもつい先頃閉じられて、今は管財人の看板が冷たく周囲を睥睨するばかり。
熱海の観光は厳しい。


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しかし、それでもまだ痕跡は見つかった。
この県道脇の土手中央部を注視して欲しい。
わずかにコンクリ状の建造物が見えないだろうか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
これはすでに葬り去られたトンネルの一部なのだ。

当時の資料によれば、実はこのトンネルこそがロープウェイ乗り場「サボテン公園駅」への入口。
乗客はここから百メートルほど地中を進み、そこからさらにエレベータで80mほど上昇して乗り場のある上部平地に出たとある。


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しかし残念ながらいまトンネルの入口部分は厳重に柵で囲まれている。
これは柵から身を乗り出し、覗き込んで撮影したところ。
中に入ってみたいけど、今ここは債権者の管理地でもあるし、県道からすぐ見える所で柵を乗り越えるというのは、さすがに善良な小心者には荷が重い。

トンネル侵入はあきらめ、上の広場を目指し、尾根を登ってみる。
かなり険しい尾根だけれど、送電線のメインテナンスのためなのかわずかな踏み跡はある。
目印のリボンがそれを示すが、目的地が違うので辿っていくと惑わされる。

Kurodake_113
登っていくと、こんなコンクリートの擁壁が現れた。
どれだけの年月を経たのだろうか、すでにすっかりと苔むしている。
山の中にこれだけの土台が必要だったのだから、相当な工事が行われた筈だ。
近い。
さあ、もう少し登ろう。


Kurodake_115_2
さらにヤブに目を凝らすとこんな大きな鉄骨の破片も現れた。
そう、間違いなくこの山にはかつて人の手が加えられた跡がある。
それこそが、目指す「サボテン公園駅」なのだ。

はるか先の玄岳に向かう夢のロープウェイ乗り場があった広場は、もうすぐの筈。

完結編へ続く。

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天空に消えた夢のロープウェイ(前編)

いかにも怪しげな物体だけれど、別にこれは特大帽子でもなければ、もちろん密かに地球に降り立ったUFOという訳でもない。
そんなことユーフォーがおかしい。

Kurodake_101
遠くて見難いが、実は看板には『地球環境&エネルギー資料館』と書いてある。
それがこの建物に付けられた最後の名前だった。
ただそれは2008年までのこと。
その後はずっと、不気味な廃墟でしかない。


Kurodake_107
実は晴れていればこれだけのロケーション。
標高7百メートルの尾根に建ち、右手には相模湾、左手にははるか駿河湾まで見渡せる。
その名を『玄岳ドライブイン』という、伊豆スカインライン沿いの大きなドライブインだったのだ。
(予告編で「Kurodake」が話題を呼んだけれど、字は黒岳ではなく玄岳が正解)
でもそのドライブインが営業していたのは2005年まで。
その後、NPOに譲渡されて『地球環境&エネルギー資料館』になった。


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もうすっかり荒れ果ててしまった建物の裏手に回ってみる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
すると何やらプラットフォームのような遺構のあることに気づく。
実はここにはかつて遙か下の熱海温泉とを結ぶ観光ロープウェイがあったのだ。
その名も『玄岳ロープウェイ』(熱海高原ロープウェイ)。
1963年に地元の大手物産店らの手により建設されたという。


Kurodake_105
ここから海沿いの熱海まで実に高度差数百メートル。
地図上の直線距離でも3キロ以上はあるが、途中支えたのはわずか2本の柱だけというのだからすごい。
安全索道という会社が架設したそのゴンドラは、当時世界最大121人乗りという巨大なものだったそうだ。
しかしわずか3年足らずで会社は資金繰りに行き詰まり、事業破綻。
その後債権者や旧従業員らの努力でロープウェイはいったん復活したものの、再度潰えたそうな。
そしてロープウェイ関連施設はすべて撤去されてしまったのだという。
下にはもう何も残ってないのだろうか。
見てみたい。


Kurodake_106
尾根に遮られて下の乗り場から直接玄岳を望むことはできないが、熱海新道の途中から遠望するとこんな感じで見える。
中央の「緑の帽子」が上の乗り場だった旧ドライブインだ。
途中からでもこれだけの景色。
上空からならさぞ素晴らしい展望のロープウェイだったんだろう。

それにしてもほんとにもう下の乗り場の痕跡はなくなってしまったのだろうか。
探しに行こう。

中編へ続く。

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天空に消えた夢のロープウェイ(予告編)

霧の彼方に現れた帽子のような怪しげな巨大物体。

Kurodake_101
(2011/02)

果たしてこれは……

明日・本編へと続く

(この探訪はある著名な観光地が舞台です。
 しかしいま同地は震災による旅行自粛で苦境に立たされているそうです。
  同地の活性化と、今回の被災地の早期復興を心から願っています)

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ロボットくん、出番です!

強烈な余震に見舞われてまた心配される東電の原発事故だけど、放射能累積の影響から作業できる人員がどんどん足りなくなっているらしい。

でも人間が近寄れない危険な場所、そういう所こそロボットの出番じゃないの。
それなのに伝えられるニュースでは、アメリカから、ドイツから、フランスから……
外国からのロボット援助の話ばかり。

お手上げ? (アシもロボットです)
Asimo
世界一なんて言われてきたわが国のロボット技術なのに、日本にはそういうロボットなかったのか。
受付嬢の代わりをする可愛い人間型ロボットなんかより、そういう危険作業をやってくれるロボットの開発の方を先にして欲しい。

これまで工場などいろいろな作業所で人の仕事を奪ってきたロボットくん。
今度は原発での危険な仕事を奪ってくれ。

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吉村昭さんにみる、生き方と死に方

Kounetsu_zuido吉村昭さんといえば、とても説得力のある歴史小説を書いた人。
僕も大好きで、「高熱隧道」とか、「漂流」とか、いくつもの作品に感銘させられた。
史実にこだわった綿密な取材で、作家としてのその徹底した生き方はまさに尊敬に値する。

でも今日書きたいのはその死に方だ。
吉村さんが惜しまれつつ「すいぞうガン」で亡くなったのは平成18年のこと。
ところが今日の新聞によれば、その最期は自らの尊厳で選んだ覚悟の死だったとのこと。
奥さんでやはり作家の津村節子さんが明らかにした。

病に倒れてからも「お見舞いなどで関係者に迷惑がかかる」と公表を拒み、延命治療も断って自宅での尊厳死を選んだそうだ。
尊厳死なんて簡単に言うけれど、実際にそういう状況になってしまうと死にたくても死なせてくれないのが現代の医療だろう。
吉村さんの場合は自宅だったので、自ら点滴の管を抜き、ついで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜いて、直後に看病していた長女に「死ぬよ」と告げたという。
果たしてそんなこと、自分にできるだろうか。

若い頃は「心中」だの「情死」なんていう言葉に憧れたけれど、これには相手がいないとできないことに気付いた。
自分も重篤な病気になったら延命治療は要らないと家族に言っているけれど、実際にそうなった時、医師は許してくれるんだろうか。
自動車事故なら簡単そうだけど、最近のクルマは安全になりすぎて、これまた容易には死なせてもくれない。
大好きな山で死ねたらいいとも思ったが、遺体が見つからないと生命保険の請求にも差し支えるし、捜索に人の手を煩わせたのでは結局他人にまで迷惑を掛けることになる。

吉村昭さん。
あらためてその生き方、そして死に方に敬意を表します。

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伊豆にそびえる巨大宗教施設

国難とも言える大災害に見舞われ、いずれ大規模な増税が必至になるんだろう。
ただ被害者救済や年金のためなら将来的に止むを得ないと思うけれど、気になることがあるんだよね。
それは、非課税になっている宗教法人というやつ。
もちろんほとんどはまともな宗教活動なんだろうけれど、金ピカに輝くお堂のお寺さんや、とてつもない大規模施設なんかを持つ宗教団体なんかみると、「ここから税金取れよ」とつい皮肉の一つも言いたくなってしまう。
孫さんを見習え!

これは伊豆にある、某巨大宗教の総本山。

Shinko_kyodan

すごいでしょ。
敷地面積60万坪。
入口からここにたどり着くまでだってタイヘンなんだ。
四重になっている切妻造の屋根は、四隅以外に柱のない体育館のような構造なんだとか。
いったい、いくら掛かったんだか。
とはいえ、勝手に撮影しちゃってすみません。m(_._)m

布教活動に不況下集う

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新幹線発祥の地

今朝の『遠くに行きたい』(読売テレビ)は、熊本が舞台だった。
東北大震災の影響もあって九州新幹線開通イベント等はなくなったけれど、登場したばかりの「つばめ」がさっそく紹介されていたね。
最近の新型車両は「はやぶさ」も「つばめ」もみんな格好いい。
でも、日本の新幹線といえばやっぱりあの青白の「0系」だろう。

そのお馴染み0系新幹線が、まさにトンネルから出て来た瞬間を撮りました。
すごい?

Shinkansen_03
なんてね。
こんな角度で撮れる筈もない。
そもそもその先にレールもないしね。

これはもちろんモニュメントで、東海道線・鴨宮駅前にあるもの。
東京オリンピックの年に開業した新幹線は、その2年前からここ鴨宮-綾瀬間で実車走行テストが行われていたんだそうだ。
だからここに「新幹線発祥の地」の記念碑がある訳。

Shinkansen_04

小さく見える記念碑だけど、実は大きくて石碑の部分だけで2m以上ある。
結構なサイズなので、逆に撮影には苦労させられるのだ。

ちなみに発祥の地ではあるけれど、この駅に新幹線は止まらない。
なんだ、カンシンセンな。(~_~;;

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伊豆山中に眠るマリア観音像(後編)

(前編はこちら)

そもそも霊験あらたかなお寺さん。
並んだ観音像がみな背を向けているというのはどう考えても理に適わない。
観音像もお堂もみな下側(南)を向いているのだから、たとえ今は激ヤブとはいえ、むしろ下の方に手掛かりがあるのではないか。
そう確信したことで、再び地形図とにらめっこ。

 (ガーミン:日本登山地図より)
Maria_map_2
すると、高度差はかなりあるものの、大きく迂回すればマリア観音像の位置の下側に回れることがわかった。
地図上の赤い線は、この段階で自分がたどったGPS経路の跡。
左から来て、赤い「マリア観音上」のポイントに到着(前編ね)。
そこから右に大きく迂回して南側に回り、今度は白い「マリア観音下」の位置に達した訳だ。


Maria_33
すると……
見つけた!
お堂の上にあったものと同じマリア観音像が、夏なら見つけにくかったであろう道端にひっそりと佇んでいるではないか。
さらにその横には明らかに参道と思われる苔むした石段がある。
間違いない!
そう、これが本来の参道だったのだ。


Maria_22
これはもうお参りするしかない。
ところが上がるにつれ、石段は強烈なヤブに覆われていく。
しかも上に行くにしたがって、それは鬱蒼とした腰の強いタケヤブとなり、素手ではくぐり抜けることも困難なほどに。
情けないことだが、ここではいったん撤退だ。


Maria_34_2
日を改め、また下側から再挑戦。
今度は、ナタとノコギリも持参しての完璧装備だ。
ヤブ、何するものぞ。
もっともこんな時に職務質問でもされたら、いくら人相が良い自分とはいえ、言い逃れは容易ではなさそうだが。

ヤブを懸命に掻き分け古びた石段を登っていくと、右手奥に何やら文字の書いてある白い木札が落ちているのが見つかった。
近寄って見てみると
『日蓮大聖人 第七百遠忌?碑
    伊豆山本門寺建立地 昭和五十五年庚申十二月』

と、読める。
なるほど。
そんなに古い施設ではないとは思っていたけれど、昭和五十五年に建てられたものだったのか。
それなら建立からまだ、たかだか30年ほど。
それでこんなにも荒れ果て、自然に埋もれてしまうものなのだろうか。


Maria_36
残った最後の激ヤブをやっとくぐり抜け、ついに再び今度は下側からお堂の前に出た。
やった!
解明。
これこそが本来の『マリア観音像・参道』だったのだ。


Maria_37
なお動画モードで進んだので、お堂直下のヤブとの格闘写真はなし。
それでもこの猛烈なヤブの雰囲気は、下の動画を見てもらえばわかってもらえるだろう。
冬でこれだから、夏だったらあきらめていたに違いない。
ヤブヘビ、苦手だし。

実際に歩いた位置関係のよくわかる動画はこちら
                

なお、並んだマリア観音像の数はまことしやかに言われたような13体なんかではなく、倒れたものも含め全部で16体だった。
その他、お堂の横に2体、下の参道入口に1体、これもたぶん『対』になっていたと思われるので、結局のところおそらく総計20体のマリア観音像が祀られていたのだろう。

これだけのマリア観音像を祀っていながら、なぜこんな短い期間に廃寺となってしまったのだろうか。
今となっては、お釈迦様でもご存知あるまい。


【遺構リスト】
・福士川・芸術屋敷跡はこちら
・大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・トヨタの引込線跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・富津岬・軍事施設跡はこちら
・曾呂尋常小学校跡はこちら
・鹿島の竜宮城跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・伊豆・韮山のマリア観音像はこちら
・天空に消えた夢のロープウェイはこちら
・もう一つの忘れ去られたロープウェイはこちら
・地下に眠る旧証券会社の大金庫はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・南房総の桜花カタパルト跡はこちら
・追原廃村の跡はこちら
・佐倉・青菅分校の跡はこちら
・設楽・宇連分校の跡はこちら
・新潟・持倉鉱山の跡はこちら

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