伊豆山中に眠るマリア観音像(後編)
(前編はこちら)
そもそも霊験あらたかなお寺さん。
並んだ観音像がみな背を向けているというのはどう考えても理に適わない。
観音像もお堂もみな下側(南)を向いているのだから、たとえ今は激ヤブとはいえ、むしろ下の方に手掛かりがあるのではないか。
そう確信したことで、再び地形図とにらめっこ。
(ガーミン:日本登山地図より)
すると、高度差はかなりあるものの、大きく迂回すればマリア観音像の位置の下側に回れることがわかった。
地図上の赤い線は、この段階で自分がたどったGPS経路の跡。
左から来て、赤い「マリア観音上」のポイントに到着(前編ね)。
そこから右に大きく迂回して南側に回り、今度は白い「マリア観音下」の位置に達した訳だ。
すると……
見つけた!
お堂の上にあったものと同じマリア観音像が、夏なら見つけにくかったであろう道端にひっそりと佇んでいるではないか。
さらにその横には明らかに参道と思われる苔むした石段がある。
間違いない!
そう、これが本来の参道だったのだ。
これはもうお参りするしかない。
ところが上がるにつれ、石段は強烈なヤブに覆われていく。
しかも上に行くにしたがって、それは鬱蒼とした腰の強いタケヤブとなり、素手ではくぐり抜けることも困難なほどに。
情けないことだが、ここではいったん撤退だ。
日を改め、また下側から再挑戦。
今度は、ナタとノコギリも持参しての完璧装備だ。
ヤブ、何するものぞ。
もっともこんな時に職務質問でもされたら、いくら人相が良い自分とはいえ、言い逃れは容易ではなさそうだが。
ヤブを懸命に掻き分け古びた石段を登っていくと、右手奥に何やら文字の書いてある白い木札が落ちているのが見つかった。
近寄って見てみると
『日蓮大聖人 第七百遠忌?碑
伊豆山本門寺建立地 昭和五十五年庚申十二月』
と、読める。
なるほど。
そんなに古い施設ではないとは思っていたけれど、昭和五十五年に建てられたものだったのか。
それなら建立からまだ、たかだか30年ほど。
それでこんなにも荒れ果て、自然に埋もれてしまうものなのだろうか。
残った最後の激ヤブをやっとくぐり抜け、ついに再び今度は下側からお堂の前に出た。
やった!
解明。
これこそが本来の『マリア観音像・参道』だったのだ。
なお動画モードで進んだので、お堂直下のヤブとの格闘写真はなし。
それでもこの猛烈なヤブの雰囲気は、下の動画を見てもらえばわかってもらえるだろう。
冬でこれだから、夏だったらあきらめていたに違いない。
ヤブヘビ、苦手だし。
実際に歩いた位置関係のよくわかる動画はこちら
↓
なお、並んだマリア観音像の数はまことしやかに言われたような13体なんかではなく、倒れたものも含め全部で16体だった。
その他、お堂の横に2体、下の参道入口に1体、これもたぶん『対』になっていたと思われるので、結局のところおそらく総計20体のマリア観音像が祀られていたのだろう。
これだけのマリア観音像を祀っていながら、なぜこんな短い期間に廃寺となってしまったのだろうか。
今となっては、お釈迦様でもご存知あるまい。
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コメント
こんばんは。
「日蓮聖宗」関係でしたか...檀家さんが付かないと、開いたところでも、さっさと閉めてしまいますから。それにしても、慈母観音とは珍しい取り合わせですね。
廃屋シリーズも、力が入ってきましたネ。
投稿: chiponeko | 2011.04.01 19:00
chiponeko さん
このお寺さん、近くに人家がない訳ではないのですが、尋ねても誰も一様に「知らない。見たことない」ばかり。
もしかして、何か曰く付きで、みんな忘れようとしてる?
ヤブの中に妙なものを発見したりしないで良かった。
それとも……
この廃寺がかつてほんとに宗教法人だったのなら、すでにその権利がどこかに譲渡されて巨額脱税に使われているのかも。
こうやって勝手な憶測に走るのも、脳のボケ防止にはいいのだ。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.04.02 07:34
どうやら惑リサーチ(?)によると、昭和45年頃から突如起こった水子供養ブームに少し遅れて乗ろうと作られた?怪しい寺かもしれないようです。1年前に同じ場所を探検しパンフレットでそれを確認した人がいます。昭和55年(1980)~昭和60年(1985)の5年間は「営業」していたようです。「宗教法人名簿」を確認すればさらに詳しいことがわかると思うのですが、静岡県の名簿はネットで公開はされてなく、国会図書館あたりで確認するしかないようです。 以上(なかなか難題で面白かったです 笑)
参考:
http://npn.co.jp/article/detail/09887635/
http://blogs.yahoo.co.jp/ruinsrider/33615331.html
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-220.php
投稿: 惑 | 2011.04.03 09:18
さすが惑さん。
詳しく調べていただいて感謝します。m(_._)m
1年前に探索したという人も、下の参道までは行けなかったようですね。
水子供養ブームなんてあったんですか。
昭和45年なんて、僕はまだ子どもだったから…… ウソ
(別件で伊豆のキリシタン大名のことにも関心を持っていたため)
マリア観音像だと信じたので、最初は「伊豆山中の隠れキリシタン?」なんて心を躍らせたんですが、由緒あるどころかずいぶんと薄っぺらな宗教法人だったようですね。
でも、探索自体はスリルがあって、不気味でとても楽しかったです。
調査も、国会図書館に行くほどの「勇気」はないし、僕には『惑リサーチ』という強い味方があるのでもう十分であります。
さてと、次は……
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.04.03 10:29