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2011年5月

丹沢に散った戦闘機の影

オイ沢探検と同じ日、あるモノが見たくてキュウハ沢という所を訪ねていた。
東丹沢はヒルの名所なので、なるべく回数を避けたかったからね。

Quha_01
車止めから先は、ひたすら登るばかりの林道を行く。
傾斜はキツイが、路面はいいのでここはもちろんチャリの出番。
なに、これで行きは40分、帰りは10分だ。(^.^)v


Quha_02
とはいえ、脇の沢を見上げると、こんな大岩が。
こんなのに見舞われたら、チャリもろとも谷底行きのお陀仏だ。

林道終点にチャリを止め、あとは沢沿いに遡行する。
いくつかの大堰堤を乗り越えると……


Quha_03
見えた!
これが今回の目的、墜落した戦闘機のエンジンだ。
右の杭は慰霊の墓標。
60年以上経った今でもお供えの絶えることがない。

このエンジンの素性にはいくつもの説があるが、信頼できるのは旧陸軍4式戦闘機『疾風』(はやて)のエンジンというもの。
疾風は旧中島飛行機が最後に送り出した高速重戦闘機で、「帝国陸軍の新鋭戦闘機」と言われた名機。
なお中島飛行機が今のスバル(富士重工業)の前身だというのは知っているよね。


Quha_04
クルマなら到底考えられない、空冷複式18気筒エンジン。
正式名を『誉ハ-45』と呼ぶそうだ。
星形9気筒のエンジンが2段重ねになっているんだね。
ピストンが失われ、コンロッドまで飛び出してしまっているのが物悲しい。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Quha_06
実はこのキュウハ沢の上流に、さらにもう一基エンジンが埋もれていたという。
もちろん探索してみたけれど、残念ながらすでに落石に埋もれてしまったらしく、どうしても見つけることはできなかった。
(ネットでもここ数年に確認された写真は見当たらない)

周囲の状況がよくわかる動画はこちら
                

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ケシ栽培の痕跡ケシた?

Hakamaonigeshiホームセンターで買ったポピーが、なんと違法なケシだったそうだ。
「オリエンタルポピー」として販売されたものが、実は「ハカマオニゲシ」という麻薬取締法違反の植物だったんだとか。
漢字で書くと、「袴鬼芥子」。
なんか、名前だけでも悪そ。

福島県の園芸業者が海外から鑑賞用のケシとして仕入れたもので、すでに19都県の94店舗に2349鉢も出回ったって。
驚いたね。

でも、警察が調べようとしたものの、園芸業者の所在地は福島県南相馬市内。
福島原発問題で立ち入り禁止地区のため、犯罪の捜査もできないそうだ。
皮肉だね。

これで「ケシ栽培の痕跡ケシた?」

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「お誕生会」、楽しそう

僕なんかもういい歳だから誕生日が来てもうれしくなんかないけれど、政治家さんは違うみたいね。

Birthday1民主党の渡部恒三最高顧問(79歳)と小沢一郎元代表(69歳)の「合同誕生会」が永田町で開かれ、国会議員が160人も出席したそうだ。
ニコニコしちゃって、ほんと楽しそう。
この二人、この間まで喧嘩してた癖にね。

でも、渡部さんといえば福島県で、小沢さんは岩手県選出の議員。
いま地元の東北の人が苦しんでいる時に、よく自分のお誕生会なんて。
でも、そんなに繊細じゃ、そもそも政治家なんてできないか。

小沢さん: 「会津、誰だ?」
     「渡部さんか。誕生日、岩手くれ」とかね。

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通れないんですけど

こんなとこに駐めたら通れないじゃん!!
いくらなんでも長すぎるだろう。
自分のサイズを考えなさい。


全長12m (普通のクルマは5m弱)
フォード社製
名物がほうとうだから……

リムジンはこのドライブインの所有で、食事客には中を見せてくれるよ。
だから、内部の写真はありませんが。 (~_~;;

長くするのもフォードフォドにね。
補導される。

再訪記事こちら

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地下に眠る旧証券会社の大金庫

富士五湖の中でも最大の広さを誇るのが山中湖。
学生時代、合宿を重ねた所で、最終日には湖を1周(14キロ)するマラソン大会が恒例だった。

今はリゾートで賑わうその湖畔の一角、平野地区に旧三洋証券が建てた、「山中湖洗心寮」がある。
しかし同社は約13年前に経営破綻、この巨大な研修施設はいま全体が廃墟となってしまった。

Senshin_01
どう見ても、まるでUFOのような半円ドーム型の建築物。
実はこれが堅牢な構造の巨大地下金庫だというのだから驚きだ。
正式名を「先人の碑」と言ったらしい。
天頂部は濡れているのではなく、磨かれた御影石の輝き。


Senshin_02
ぐるりと廻ると、目立たないが内部への入口があるのがわかる。
入口の扉はすでに完全に抜けてしまっていて、容易に通り抜けることができる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Senshin_04
天井に明かり取りのある狭い通路を左に曲がると、巨大金庫の最初の扉が現れる。
落書きや貼り紙のあるのが残念。
もう施錠はされていないので容易に開けることができるが、金庫の扉ってこんなに重いものなのか。


Senshin_05
扉を開けばさらにもう一つ。
最初のに負けないくらい頑丈な二つ目の扉。
これも解放されていて、奥まで見えている。


Senshin_08
見よ!
これが証券会社の金庫の中だ。
正面に見える青いのが懐かしい三洋証券のマーク。
他に並んでいるのはかつて吸収合併した江口證券や大一呉証券のマークということらしい。
Lupin_s
残念ながら、内部にはもう金塊も札束もないけどね。
ルパンに先を越されたみたい。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                


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駒橋発電所落合水路橋

ここは山梨県都留市、中央道・都留インターの近く。
桂川の支流で、やがて相模湖へと流れていく朝日川を下流から見渡している。

Ochiai_01
そこに歴史を感じさせる、煉瓦造りの立派なアーチ橋が架かっている。
朝日川の本流を3連アーチで跨ぎ、さらにその東(左)側に4連のアーチがある全部で7連というみごとなもの。


Ochiai_02
これは橋を潜った反対側から。
橋脚上部まで貫通させたピラスター(壁面より浮き出した装飾用の柱)やアーチ中央の壁面に付けられた飾りピラスターが特徴という。
明治40年に完成したもので、いまは国の登録有形文化財に指定されている貴重な建築物なのだ。


Ochiai_03
本流の脇、一段高くなった端には他とは形状の異なるもう一つのアーチ。
こちらを流れる水は灌漑用水だ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


で、橋の上を渡るのはいったい何だと思う?

Ochiai_04

実は、上も

つまりここは3系統の水の立体交差になっているという訳。
猿橋近くの水路橋と同じく、川の上では富士山の雪解け水が激しい勢いで流れていた。

正式名を「駒橋発電所落合水路橋」といい、東京電力の前身・当時の東京電燈株式会社が建設した。
(長さ56m、幅員8.5m、勾配1/2400)。
元々東京で使う電力を賄うため、駒橋の水力発電所で使う用水を供給するための水路橋として架けられたんだけれど、現在駒橋で作られた電気は東京でなく地元山梨県に供給されている。
それでもこの橋が東電の現役であることに変わりない。
いま原発事故のせいで肩身の狭い東電だけど、微力ながらその東電をこの橋は今も支え続けているんだね。

「橋はどっち?」
「アーッチ!」

桂川・水路の旅はこちら

【橋】
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「まめかま」って

かまぼこって、大きさがいろいろあるんだね。
さらには正月値段なんていうのもあるし。
たとえばかまぼこといえば最大手の「○文」。
普段は190gの大きさで240円。
これが正月仕様になると200gに大きくなるのはいいけれど、同時に価格は300円になる。
これって、実質値上げ(本来なら252円の筈)だものな。

その「紀○」のかまぼこにも小型版があった。
90g(140円)、「姫かま」という名前だって。

メーカーは違うけれど、同じ90gの大きさのかまぼこを見つけた。

Kamaboko名前が、「まめかま」だって。
「まめ」というほど小さくはないような。
ちょっと小さいだけなんだから、しいて言うなら「ちいかま」?

あ ダメだ。
チーかま」といったら、チーズ入りのかまぼこがもうあるものな。
そうか、ネーミングを先に取られて取られてしまったのか。
難しいんだな。

カマボコを噛まん僕

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もう一つの忘れ去られたロープウェイ(2)

ロープウェイを休止に追い込んだ二つの橋を渡り、ほぼ逆コの字の形をたどって対岸の駅に渡ってみる。

(C)Google Map
Okutama_map2
こちらには奥多摩三山の最高峰である人気の山、三頭山(みとうさん:1,528m)への登山口がある。

Okutama_kanban南岸を右(東)へとさらに進めば秋川へと抜ける、奥多摩周遊道路。
連続する急なカーブがウリで、かつてローリング族のメッカだった。
若い頃、これを見に行ったら自分がバイクで転倒し、血だらけで家まで帰ったことがある。(~_~;;

だって道路際にはこんな看板。
病院に収容されるまで2時間て (゚_゚)
(*なお地元のためにはヘリポートがあります。
  そこは東京ですから……
)


Okutama_09
もう閉鎖された料金所際からすっかり苔むした階段を上ると、3階建て「三頭山駅」の建物が現れた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Okutama_11
まずは階下に潜り込むと、こちらにも大きなプーリーやワイヤーが、今にも動き出しそうにスタンバイしている。
いったん外に出、あらためて本来の出入り口から中に入ると、今度は改札口がそのまま残されていた。
かつてはここに親子連れが喜々として行列したんだろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Okutama_07
ホームに出ると、川野駅にあったのと同じ型のすすけたゴンドラがあった。
こちらの搬器には三頭山から名付けられたと思われる「みとう号」という文字が書かれていた。


Okutama_12
定員36人というゴンドラに試しに乗ってみる。
大きく揺れて、一瞬あせった。
これごと落ちたのでは話にならん。
前方の窓からさらに視線をやると、ワイヤーを支える高架柱が正面に見えた。
ほら、今にもロープウェイが対岸へ動き出しそうじゃないか。


Okutama_08
建物外部に取り付けられた危なっかしい階段を上がり、屋上に出てみた。
はるか湖水の先、ケーブルの向こうに先ほどの川野駅が樹々の間に隠れている。

撮影位置が高いので対岸の駅はこちらと比べずいぶん低いように感じられるが、実際の高低差はほとんど同じ。
(正確には0.65m差)
これはロープウェイとしては珍しい、極めて小さな高度差ということになる。
あるいはこうしたことも観光ロープウェイとしての魅力を損なっていたのかも知れない。

季節柄、茶色く干上がった湖面もまた廃棄されたこのロープウェイの無念さを助長しているようだった。
撤去されないままに朽ちていくロープウェイ。
これもまた悲しい。
(終わり)

・伊豆熱海の廃ロープウェイこちら
・千曲市の廃ロープウェイこちら
・籠坂スキー場の廃リフトこちら

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もう一つの忘れ去られたロープウェイ(1)

東京と山梨とにまたがる奥多摩湖は、小河内(おごうち)ダムにより多摩川の流れが堰き止められてできた人造湖。

Okutama_14
東京都民の貴重な水源であると同時に、豊かな自然が残る首都圏の行楽地として親しまれている所。
現在は秩父多摩甲斐国立公園の一角を構成している景勝地でもある。


Okutama_13
その一角、土産物屋さんが立ち並ぶ川野という地区の岬を遠くから見ると、何やら大きな鉄塔のようなものが見えないか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
うん? 怪しい臭いがする。
行ってみよう。


Okutama_01
湖畔道路沿いの土産物屋さん脇から奥へと入り、急坂を登り詰める。
すると狭い運動場の奥に、何やら曰くありげな古い建物が現れた。
(現在は立ち入り禁止になっています)


Okutama_02
まずは階段を降りてみる。
建物の地下には大きなプーリーやワイヤー等が、強固な造りのコンクリートに支えられて設置されているのがわかる。
ここは何?


Okutama_03
再び階段を戻り、1階の部分に出てみると、駅名の標板があった。
それによればここは「川野駅」。
脇にはロープウェイ設置の標板が掲げられている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

ここは1961年(昭和36年)小河内観光開発という会社によって建設された「奥多摩湖ロープウェイ」というものなんだね。
対岸まで湖上を渡る全長600m。
奥多摩湖上遊覧、登山客の利便等を目的として作られ、翌年から営業が始められたという。
当時のキャッチフレーズは「日本で唯一・湖上を渡るロープウェイ」というものだったそうだ。


Okutama_04
なるほど前方に目を向ければ、白と朱色に塗り分けられた1台のゴンドラがまだホームに佇んだまま。
車体には「くもとり号」と書いてある。
雲取とは奥多摩にある、東京都の最高峰(2,017m)雲取山のことだろう。


(C)Google Map
Okutama_map_2
航空写真の赤い線がロープウェイ跡。
上が川野駅になる。

当時、左の2本の橋はまだなかったので、対岸に渡るには大きく迂回して、有名なドラム缶橋を渡るしかなかったのだが、このロープウェイの開通により90分掛かっていたものがわずか20分に短縮されたという。
(現在水位低下のため、ドラム缶橋は一時撤去されています)

時折りしも日本は東京オリンピックの開催を控えた高度経済成長期。
加えて槇有恒隊長率いる日本山岳会によるヒマラヤのマナスル初登頂の快挙もあり、空前の登山ブームが訪れていた時代で、ここも観光客や登山客でずいぶんと賑わったそうだ。

しかし営業開始後わずか数年で湖上を横断する2本の橋が架設される。
これにより自動車やバスで簡単に対岸まで通行が可能になったため、ロープウェイの乗客は当然激減。
開通からわずか4年後、営業不振により「冬季休業」という名目で一時休止されると、結局そのまま再び稼働されることはなく今に至っているのだという。

では、その「憎っくき」橋を渡り、対岸の駅に行ってみよう。
(続く)

後編はこちら

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ありがとうの広告 台湾へ

Taiwan今回の東日本大震災では日本の被災者に各国から大きな援助が寄せられた。
これに対し日本政府は 震災から1か月経った4月11日、菅総理名で米国、中国、韓国などの大手7紙に震災支援感謝の有料広告を出したんだね。
ところがその中に世界で最大の支援額を送ってくれた台湾は入っていなかった。
例により、(台湾を独立国として認めない)中国に配慮したからなんだと。

その時点での各国の支援額は(政府は公表していないものの)、新聞によれば赤十字を中心に米国は約90億円、韓国は約16億円、中国は約3億円あまりとのこと。(3月末)
ところがその時すでに、台湾からは100億円を突破していたという。
これってすごい!!
だって日本の人口が約1億3000万人なのに対し、台湾の人口はわずかに2300万人。
平均月収だって日本よりずっと低い13万円だというんだもの。

台湾赤十字が1回目の義援金を日本に送ったのは4月6日のこと。
ところがその時送ったのがすでに集まった全額ではなかったため、「義援金全額を早く日本に送れ!」とか、「被災地では困っているのだからすぐ届けて欲しくて募金したのに」などと非難の声が巻き上がったそうだ。
ありがたいことだね。
その台湾からの義援金、今では160億円にも達しているとか。

それで日本でも「台湾にもお礼が言いたい」ということでネットから運動が始まり、資金を集めて「大きな愛に感謝します」「私たちは永遠に友達です」という台湾への感謝広告を5月3日付で台湾大手紙『聯合報』と『自由時報』に掲載したそうだ。
いい話。
こういう好ましい関係、いつまでも続けていきたいね。

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悲しいお知らせ

       2

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          訃    報           
                           
                     平成23年5月10日
                             
 悲しいお知らせをしなくてはなりません。
 わが家のねこちゃん ピーが、本日未明に永眠いたしました。
 天寿を全うしたと受け止めています。(18歳11か月)
 生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。  
                             
 なお勝手ながら御香典、ご供花ご供物の儀は        
 故ピーの遺志により謹んでご辞退申し上げます。    
 長い間可愛がっていただき、ありがとうございました。
   
                    ピーちゃんの身元引受人
                             
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峠のトラック・オブジェ(3)【GMC】

1台目のトラックがあった白沢峠から笠取山方向に向かって、笹に覆われた斎木林道をさらに小一時間ほど歩く。
今はもうクルマが通ることはないが、道幅はそれなりに確保されている。

Shirosawa_11
道の中央の深い溝は、最初雨水が流れた跡だと思ったが、実はモトクロス・バイクが付けた轍(わだち)だった。
つい最近まで、柳沢峠からここまでバイクが入ることができたのだ。
林道歩きには慣れた筈の自分が、溝と轍(わだち)を間違えるなんて……
わだちバカよね~♪


Shirosawa_16
いくつかのアップダウンを越え、緩い左カーブを曲がるとそれは突然姿を現した。
同じようなトラックが、今度は道の路肩に半ば転落し掛かった形で残されている。


Shirosawa_12_2
やはり荷台はすでに樹木に取り込まれていた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
こちらも白沢峠のものと同じ型のフォードと書いてあったが、果たしてそうか?


Shirosawa_13
違うよね。
まずこちらはフロントウィンドーが2分割タイプのものになっている。


Shirosawa_15
車内を見ればメーターパネルも全然異なるし、シフトレバーの形状も違う。
ましてやこちらのハンドルは4本スポークだし、。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Shirosawa_14
車名はエンジン・フードを開けてすぐに判明した。
ロッカーカバーの中央にはっきり『GMC』の刻印があるではないか。
GMCは米ゼネラルモーターズ製ライト・トラックのブランド名。
少なくともこれで「2台目のフォード」というよく書かれたネット情報は間違いだったことになる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

結論:1台目はダッジ or フォード、2台目はGMC。
遠い異国の林道に放置されてその使命を終えたトラックたちよ、安らかに眠れ。
僕たちは、君らが戦後日本の復興に果たした役割を忘れない。
(終わり)

実際に歩いたよくわかる動画はこちら
             


(1)【予告編】はこちら
(2)【ダッジ】はこちら

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峠のトラック・オブジェ(2)【ダッジ】

Shirosawa_02
トラックが佇む場所は東京都と山梨県との境近く、標高約1500mの白沢峠という所。
ここはちょうど4方向からの交差点になるため、以前から奥多摩ハイカーの間ではこのトラックの存在は知られていた。

Shirosawa_04
道の名は斎木林道(さいきりんどう)。
終戦後、東京で不足した木材を伐採して運ぶため、この地(笠取山から柳沢峠)にトラック道が拓かれたのだが、開通させた人物の名前を取りこの名で呼ばれている。
ただこの場所がとりわけ幅広い草地となっているのは、防火帯として人工的に刈られているからだ。


Shirosawa_01
その真ん中で静かに佇んでいるのは、かつてここを何百回となく木材を運んで通過したであろう米軍払い下げの全輪駆動のトラック。
長いこと放置されているうちに、山桜の木が荷台を貫いて育ってしまった。
(実はそのの時期を狙って訪ねたのだが、麓ではとっくに散った桜が、残念ながらここではまだ蕾にすらなっていなかった)

このトラックの車名について、ネットではフォード(Ford)と紹介した記事がほとんど。
しかしエンブレムもコーションプレートもない。


Shirosawa_05
シャシーやエンジン番号等を詳細にチェックしてもフォード車であることを裏付けるものは何一つ見つけることができなかった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

該当する年代の写真を詳細に確認しても、外観の一致するものがない。
おそらくは、日本の自衛隊にもあるように、市販車ではなく軍仕様車として特別に開発納入されたものなのではないか。
実用一点張りと思えるこの頑丈なグリルがそれを連想させる。

一方、由来を調べていたところ、クロカン車の専門季刊誌である『Cross Country Vehicle誌』が有償で頒布したこのクルマの写真にダッジ(Dodge)と明記されていることがわかった。
同誌はすでに廃刊となっていて、その根拠を確認することは出来なかったものの、ここは専門誌の判断を信じてダッジとしておこう。(調査継続中)
ちなみにダッジはフォード社ではなく、ライバル・クライスラー社のブランドだ。


Shirosawa_06
見よ、この戦車のように力強い米国製トラックの頑健さを。
アメリカが強くたくましく、世界で最も輝いていた時代を、朽ちてなお彷彿とさせるではないか。


Shirosawa_07
運転席を覗くとメーターはボロボロになっていたが、3本スポークのハンドルはまだ辛うじてその原形を留めていた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
ダッシュパネルの左下に見えるのが予告編で紹介したUSN PROPERTYのプレートだ。

このクルマがアメリカの自動車工場で産声を上げた時、まさかその最期をこんな日本の山の中で終えるとは夢にも思わなかったに違いない。

実はもう1台のトラックがこの先にある。
今度はそっちに移動だ。
(続く)

実際に歩いたよくわかる動画はこちら
             

(1)【予告編】はこちら
(3)【GMC】はこちら

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峠のトラック・オブジェ(1)【予告編】

峠の草地に埋もれた、一台の古いボンネット型トラック。

Shirosawa_03
荷台には樹木が育ち、トラックはすでに赤さびの残骸になってしまっている。
このクルマの車名を表すものは、残念ながらない。

Shirosawa_01b
ただ左ハンドルのその錆びたダッシュボードには、『USN PROPERTY』のプレート。
つまりこのクルマがかつて米海軍所属だったことを示していた。
(続く)

(2)【ダッジ】はこちら
(3)【GMC】はこちら

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罰金3万円、ただし執行猶予3年……

Accident車同士の衝突事故で、過失傷害罪に問われた男性に、大阪地裁が「罰金3万円、執行猶予3年」の判決を言い渡したそうだ。

男性は警察に赤信号で交差点に入ったとされ、罰金40万円の略式命令を受けたものの納得せず、正式裁判に持ち込んだという。

裁判では男性の主張通り、相手の女性のほうが赤信号だったことが認定され、「警察に不適切な取り調べ手法があった」としてこの判決になったそうだけど、それなら無罪なんじゃないの。
だっていくら執行猶予付きとはいえ、有罪は有罪だものね。
3万円とか、40万円とか、罰金額の問題じゃないだろう。

そもそも高知・白バイ事故といい、警察の事故調査って、なんか信頼できん。
勝手に決め付けて、それを押しつけるけど、そういうのは「事故満足」というんだ。

ただ、もしも自分が同じような立場になった時、正式裁判まで持ち込めるだろうか。
温情判決とはいえ、裁判費用にいくら掛かったんだか。

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「Justice is done」

Binladenついにイスラム過激派の象徴だったウサマ・ビンラディンを死亡させたとアメリカのオバマ大統領が発表したね。
Justice is done」なんて、誇らしげだ。

驚いたのは、ビンラディンが時価百万ドル(ちょっと前なら1億円!)という豪邸に家族といたこと。
パキスタンで1億円はすごいでしょ。
すっかりアフガニスタン辺りの山岳地帯を転々としているんだと思ってた。

それにしてもビンラディンじゃなくて最近はビンラーディンって言うの?
アル・カイダだって、いつの間にかアル・カイーダになっていると思ったら、今度はアル・カーイダだとか。
新聞とテレビとでも違うし、はっきりしないねえ。
誰に聞けばいいんだ?
そだ
アル・カイダは友達の友達という人がいたから、聞いてみよ。
どこかに鳩山さんが友達の人いない?

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四百年前のノミの音(6)【大川石丁場の場合】

最後は再び伊豆・大川に。
ぼなき石を切り出したとみられる、海と反対の山側を探れば、何か痕跡が見つかるかも。
ということで原点に戻り、一番最初に出て来た「ぼなき石」の裏山を探ってみた。
しかしここは今ただの雑木山で、宇佐美や下多賀とは違い、あったとしてもまったく人の手が加えられた跡のない、未整備な所。
もちろん案内板もなければ、道すらもまったくない。

Izuishi_51
適当にアタリを付けてヤブを掻き分けていくと、現れたのはまたポンコツ車。
石を探しにきたのに……
ストーンとテンション下がる。Yajirushi4sss
滝にしろ、鉱山にしろ、何を探索しても必ずこうしたポンコツ車が顔を出す。
これは古いマークⅡだと思うけれど、まあこうして屋根がないというのは珍しい。
ちょっと見、まるでオープンカーのようだもの。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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ひさかたぶりの来訪者に、ポンコツ車は何か訴えたげだったけど、相手にせず目的の山を登る。
すると、あるある。
予想通り、山には良さそうな巨石がゴロゴロしているではないか。テンション上がる。Yajirushi2sss


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さっそく見つけた。
みごと鮮明に残る、石割用のノミの跡(矢穴)だ。
なぜ、途中で止めちゃったのかねえ。


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これは割られた後に放置された石。
こちらも右上に大きなノミ跡が見える。


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さらに見渡せば、あちこちの石に刻印が見つかった。
ただ石肌にもよるんだろうけど、状態が悪く薄れていて判別が難しい。
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一番鮮明だったのがこれ。
伝えられる所では、これまた下の「ぼなき石」同様、福島正則の刻印ということだ。
三角の中の十字は「クルス(クロス:十字架)」で、福島正則がキリシタンの理解者であったからと言われている。
(正則の妻子はキリスト教の洗礼を受けている)
そういえば福島正則の刻印は名古屋城の石垣にも見つかっている。
こんなにあちこちで苦労させられたのに、結局お家は取り潰し。
大名の時代って、非情なんだな。


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ふと振り返れば、はるか相模湾を隔てて伊豆大島が遠望された。
かつての石工たちも、こうした眺めを見て故郷に思いを馳せたのだろうか。
空の碧、海の青もまた悲しからずや。

(これで終わり)

(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら
(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら
(3)【室岩洞石丁場の場合】はこちら
(4)【宇佐美石丁場の場合】はこちら
(5)【下多賀石丁場の場合】はこちら

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四百年前のノミの音(5)【下多賀石丁場の場合】

今度は伊豆・下多賀にある石丁場跡。
宇佐美ほどではないにしても、石を見学するには十分な整備が施されている。
そして内容が濃い!

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正式名は「中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場」といい、熱海市立池田満寿夫記念館のすぐ上から山に入っていく。
佐藤陽子さんのご主人ね。

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道はすぐにこんな「快適」なものになり、テンション上がる。Yajirushi2sss


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ここでは山のあちこちに石を割るためのノミ跡(矢穴という)や鮮明な刻印の残った石たちを見つけることができる。
大きく良さそうな石だし、これだけ作業したのにどうして放置しちゃったんだろうね。
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この石には丸印に井の字(丼?)の刻印、さらに「の十一」と書いてあるということだ。
十一って……
たくさんの石をここで確保したんだろうね。


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こちらには鳥居のような印と、「慶長十九年」の刻印がみられる。
慶長十九年といえば、家康が君臨し始めた頃。
大坂冬の陣があった、まさに激動の年だ。


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135号線沿いの公園にあった「多賀石」と同じく、この石にも美作・津山藩の初代藩主「羽柴右近」の名前がくっきりと彫り込まれている。
ほんとこの人は印ではなく、フルネームを書くのが好きだったんだね。
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周囲を見渡して、ふと気が付いた。
もしかしてこの木、石の中から生えてない?
(マウスを置くと画像が切り替わります)
なんと、石割用に穿たれたノミ跡の隙間から、若木が伸びてしまったんだね。
矢穴の効能もよくわかる。
そのうち、石を真っ二つに割ってしまうのかも。
恐るべき生命力じゃないか。
よほど「キが強い」性格なんだろう。

(次が最終回)

(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら
(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら
(3)【室岩洞石丁場の場合】はこちら
(4)【宇佐美石丁場の場合】はこちら
(6)【大川石丁場の場合】はこちら

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