四百年前のノミの音(6)【大川石丁場の場合】
最後は再び伊豆・大川に。
ぼなき石を切り出したとみられる、海と反対の山側を探れば、何か痕跡が見つかるかも。
ということで原点に戻り、一番最初に出て来た「ぼなき石」の裏山を探ってみた。
しかしここは今ただの雑木山で、宇佐美や下多賀とは違い、あったとしてもまったく人の手が加えられた跡のない、未整備な所。
もちろん案内板もなければ、道すらもまったくない。
適当にアタリを付けてヤブを掻き分けていくと、現れたのはまたポンコツ車。
石を探しにきたのに……
ストーンとテンション下がる。
滝にしろ、鉱山にしろ、何を探索しても必ずこうしたポンコツ車が顔を出す。
これは古いマークⅡだと思うけれど、まあこうして屋根がないというのは珍しい。
ちょっと見、まるでオープンカーのようだもの。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
ひさかたぶりの来訪者に、ポンコツ車は何か訴えたげだったけど、相手にせず目的の山を登る。
すると、あるある。
予想通り、山には良さそうな巨石がゴロゴロしているではないか。テンション上がる。
さっそく見つけた。
みごと鮮明に残る、石割用のノミの跡(矢穴)だ。
なぜ、途中で止めちゃったのかねえ。
これは割られた後に放置された石。
こちらも右上に大きなノミ跡が見える。
さらに見渡せば、あちこちの石に刻印が見つかった。
ただ石肌にもよるんだろうけど、状態が悪く薄れていて判別が難しい。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
一番鮮明だったのがこれ。
伝えられる所では、これまた下の「ぼなき石」同様、福島正則の刻印ということだ。
三角の中の十字は「クルス(クロス:十字架)」で、福島正則がキリシタンの理解者であったからと言われている。
(正則の妻子はキリスト教の洗礼を受けている)
そういえば福島正則の刻印は名古屋城の石垣にも見つかっている。
こんなにあちこちで苦労させられたのに、結局お家は取り潰し。
大名の時代って、非情なんだな。
ふと振り返れば、はるか相模湾を隔てて伊豆大島が遠望された。
かつての石工たちも、こうした眺めを見て故郷に思いを馳せたのだろうか。
空の碧、海の青もまた悲しからずや。
(これで終わり)
(1)【伊豆海岸放置の場合】はこちら。
(2)【修善寺石丁場の場合】はこちら。
(3)【室岩洞石丁場の場合】はこちら。
(4)【宇佐美石丁場の場合】はこちら。
(5)【下多賀石丁場の場合】はこちら。
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コメント
伊豆各地の石丁場の探索、見ごたえがありました。私もこちらに来て、大平山に登って初めて知ったのですが、あとナコウ山と離山のみ。こんなにあるとは知りませんでした。
ナコウ山名の由来は、重労働に耐え、故郷を偲んで泣いたとの説があるそうですが、今は静かな山中、当時に思いを馳せ歩いていると感慨一入でした。
投稿: せいざん | 2011.05.02 16:25
せいざんさん
ありがとうございます。
ナコウ山の名前にもやっぱり悲しい理由があったんですね。
とにかく、あんな時代にあんな過酷な作業。
さぞつらかったであろうことは容易に想像がつきました。
今度皇居に行ったら、石垣の見方が変わるかも。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.02 16:59