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峠のトラック・オブジェ(3)【GMC】

1台目のトラックがあった白沢峠から笠取山方向に向かって、笹に覆われた斎木林道をさらに小一時間ほど歩く。
今はもうクルマが通ることはないが、道幅はそれなりに確保されている。

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道の中央の深い溝は、最初雨水が流れた跡だと思ったが、実はモトクロス・バイクが付けた轍(わだち)だった。
つい最近まで、柳沢峠からここまでバイクが入ることができたのだ。
林道歩きには慣れた筈の自分が、溝と轍(わだち)を間違えるなんて……
わだちバカよね~♪


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いくつかのアップダウンを越え、緩い左カーブを曲がるとそれは突然姿を現した。
同じようなトラックが、今度は道の路肩に半ば転落し掛かった形で残されている。


Shirosawa_12_2
やはり荷台はすでに樹木に取り込まれていた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
こちらも白沢峠のものと同じ型のフォードと書いてあったが、果たしてそうか?


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違うよね。
まずこちらはフロントウィンドーが2分割タイプのものになっている。


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車内を見ればメーターパネルも全然異なるし、シフトレバーの形状も違う。
ましてやこちらのハンドルは4本スポークだし、。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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車名はエンジン・フードを開けてすぐに判明した。
ロッカーカバーの中央にはっきり『GMC』の刻印があるではないか。
GMCは米ゼネラルモーターズ製ライト・トラックのブランド名。
少なくともこれで「2台目のフォード」というよく書かれたネット情報は間違いだったことになる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

結論:1台目はダッジ or フォード、2台目はGMC。
遠い異国の林道に放置されてその使命を終えたトラックたちよ、安らかに眠れ。
僕たちは、君らが戦後日本の復興に果たした役割を忘れない。
(終わり)

実際に歩いたよくわかる動画はこちら
             


(1)【予告編】はこちら
(2)【ダッジ】はこちら

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コメント

おはようございます

この一連のシリーズ、感慨深く拝見しました。元自動車屋さんだったたなぼたさんの思いが伝わってきますね。

役割を終え異国で放置された自動車に「ご苦労様でした」と声を掛けたくなります。

できることなら最期が放置でなかったなら良かったのですが・・・。

投稿: poohpapa | 2011.05.08 07:36

poohpapa さん
ありがとうございます。

状況から推定すると昭和30年代には役割を終えたと思われるので、放置されてからもう50年近く経っている筈。
それでもこれだけしっかりしているのは、やはり最近の軟弱な若造(クルマですよ)とは違うという誇りかと。
古き、良き時代の名残りですね。

ただ僕が気になるのは、1台目のクルマの運転席のドア。
このいくつも開いた穴って、銃痕じゃないですよね。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.08 07:56

再び失礼します

あ、たしかに・・・、銃痕っぽいですね。だとすると、どこで受けたものか不明ですが、第二次大戦中から日本にあった車、ということでしょうか。いや、でも、日本の本土でアメリカと銃撃戦にはなってないと思うので、まだ動く車を米軍が他から持ってきたことになりますね。

口は利けませんが、歴史の証人と言えますね。ここまできたら、ここで静かに朽ちさせてあげたいものです。

投稿: poohpapa | 2011.05.08 08:06

poohpapa さん

クルマはもちろん戦争が終わってから日本に持ち込まれた筈ですから、戦争当時のものではないでしょう。
銃マニアではないので不確かですが、猟銃の銃痕なのでは?
クルマが放置されてから、猟師がいたずらに標的にしたのでは、と勝手に想像するのですが。

山に行くと、よく標識の鉄板に銃痕がみられます。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.08 09:11

30年前裂石から三窪高原を経て、白沢峠から秩父往還に下りたことがありますが、こんな車は無かったような。道幅も狭かった。少し先かもしれませんね。

廃墟でなく、廃車ですか。50年経つとこんなになるんですね。自然の前には・・・などと思うのですが、元車屋さんらしい目の付け所に感服です。

投稿: せいざん | 2011.05.08 16:10

せいざんさん
こちらにも登っているんですね。

白沢峠から秩父往還なら、ほんとトラックのすぐ近くから降りて行くことになります。
クルマはとても目立つので、見逃すことはないと思いますよ。
その頃はまだ放置されてなかったんでしょうか。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.08 16:39

又お邪魔致します。峠の標識だと三窪高原から来たら廃車は手前ですね。当時12月31日で雪だったのと、夕暮れが迫って急いでおり、気がつかなかったのかも知れません。標識もこんな立派なのでなかったです。道幅も林道というくらいですから狭く、後から防火帯として広げたのでしょう。曖昧な記憶でのコメント、すみませんでした。

投稿: せいざん | 2011.05.08 17:14

せいざんさん

>後から防火帯として広げたのでしょう。

それはあるかも知れませんね。
放置された当時から道がこんなに広ければ、何もクルマをど真ん中に止めるとは思えません。

三窪高原からだと、動画の最初の部分より右下の道から峠に出ることになるので、当時の道はクルマに向かってもっと右側にあったのでしょう。
またこの辺り熊笹の繁殖がすごいので、ちょっとクルマが脇にあって、夕暮れで道を急いでいた場合には見えづらかったかも知れません。

いろいろ推理を働かせることができて、かえって楽しかったです。(^.^)v

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.08 17:28

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