丹沢に散った戦闘機の影
オイ沢探検と同じ日、あるモノが見たくてキュウハ沢という所を訪ねていた。
東丹沢はヒルの名所なので、なるべく回数を避けたかったからね。
車止めから先は、ひたすら登るばかりの林道を行く。
傾斜はキツイが、路面はいいのでここはもちろんチャリの出番。
なに、これで行きは40分、帰りは10分だ。(^.^)v
とはいえ、脇の沢を見上げると、こんな大岩が。
こんなのに見舞われたら、チャリもろとも谷底行きのお陀仏だ。
林道終点にチャリを止め、あとは沢沿いに遡行する。
いくつかの大堰堤を乗り越えると……
見えた!
これが今回の目的、墜落した戦闘機のエンジンだ。
右の杭は慰霊の墓標。
60年以上経った今でもお供えの絶えることがない。
このエンジンの素性にはいくつもの説があるが、信頼できるのは旧陸軍4式戦闘機『疾風』(はやて)のエンジンというもの。
疾風は旧中島飛行機が最後に送り出した高速重戦闘機で、「帝国陸軍の新鋭戦闘機」と言われた名機。
なお中島飛行機が今のスバル(富士重工業)の前身だというのは知っているよね。
クルマなら到底考えられない、空冷複式18気筒エンジン。
正式名を『誉ハ-45』と呼ぶそうだ。
星形9気筒のエンジンが2段重ねになっているんだね。
ピストンが失われ、コンロッドまで飛び出してしまっているのが物悲しい。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
実はこのキュウハ沢の上流に、さらにもう一基エンジンが埋もれていたという。
もちろん探索してみたけれど、残念ながらすでに落石に埋もれてしまったらしく、どうしても見つけることはできなかった。
(ネットでもここ数年に確認された写真は見当たらない)
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↓
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コメント
おはようございます。
蛭はいやですね~...なかなか物悲しい姿ですね。ヘッドは無く、シリンダーも朽ち果て。時の流れのかなたに忘れ去られていくようです。
機体は宮中で四散したのでしょうか???。
投稿: chiponeko | 2011.05.29 10:56
chiponeko さん
期待が墜落したのはもっと上流で、エンジンだけここまで移動させたと聞いています。
簡単に書きましたが、上流のエンジン探索にはロープが必要なほど険しくなります。
(滝が登れないもので (~_~;;)
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.05.29 12:31
これは海軍の銀河のエンジンです。厚木基地の飛行機で、山の頂きに墜ちた。
投稿: ヨタハチ | 2017.02.23 22:25
ヨタハチさん
初めまして。
エンジン形式については諸説あるようですね。
ご教示、ありがとうございました。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2017.02.24 07:48