新聞一面に「廃道」とは
廃道なんて所詮は日陰モノで、限られた一部のマニアだけが好むもの。
まさかその廃道が一流紙の一面を飾るなんて思いもよらなかった。
6月20日付け○売新聞。
この写真を見て欲しい。
↓
記事は千円高速がついに最終日を迎えたというものでこれはその写真の一部。
場所は中央道談合坂SA付近で、19日(日)の夕方撮影されたもの。
右はガラガラの下り線。
一方、最後の行楽を終えたマイカーで大渋滞しているのが左の上り線になる。
ここで見て欲しいのは、さらにその左上部。
ヤケに幅広い道路と、これに並行する2車線の道路が見えるだろう。
これ、実は高速道路が廃道となった跡。
つまり、昔の中央道なのだ。
(C)Google Map
これはこの辺りをGoogleの航空写真で見たもの。
左右に走るのが現在の高速・中央道。
左端が談合坂SA(サービスエリア)で、右方向が東京方面の上りになる。
下の変な模様はゴルフ場(オリムピックCC)だ。
中央道の上側に、これと並行するように二つのカーブを描く道が見える。
これが以前使われていた中央道の跡なんだね。
写真でわかるように、ここは二つのカーブが連続する線形だったのだが、事故多発区間であったため平成15年に一つの緩やかなカーブの新道に改良された。
鉄道(中央本線)の旧線跡はここまでたくさん見てきたけれど、高速道路の廃道がこうして鮮明に残っているのは珍しい。
振り返ってその分岐部分をアップするとこんな感じ。
こんな風だから、注意深く走っていれば今でも左手の旧道の存在に気がつく。
(でもドライバーは脇見しちゃダメ)
在りし日の、片側3車線の道路とグリーンベルトの跡がよくわかる。
こんなに幅広い道路跡が、実に1.5キロの長きに渡って放置されたままなのだ。
逆に東京方面の廃道部分を撮影したのがこれ。
この全体がもう使われなくなった高速道路の跡で、かつての6車線が窺われる。
左の2車線分は現役の県道として再利用されているが、通行するクルマはほとんどない。
右側の色あせた4車線分は放置されたままだ。
そのさらに右側の緑の向こう、かすかに見えているのが現在の中央道(8車線)ということになる。
しかし、これだけのスペースを無駄に放置しているのはいかにも勿体ない。
自動車ならジムカーナができるし、カートなら本格的なコースが造れる。
もしも住宅地に転用すれば……
ふむ、何戸できるのかわからん。(~_~;;
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 稲又川橋が消えた(2021.12.12)
- 「波の伊八」の飯縄寺(2021.06.08)
- 巨大鳥、千葉に飛来(2021.06.04)
- 南極で地震(2021.02.05)
- 移住したい国(2021.01.25)
「車」カテゴリの記事
- 広島の特攻トレーラー(2022.08.18)
- ガソリン、下がりますか?(2022.01.28)
- 『どこでもお風呂』は如何(2022.01.18)
- センチュリーからアルファードへ(2021.12.09)
- 転倒虫のはなし(2021.11.26)
「歴史」カテゴリの記事
- 鳴かぬなら、どうしましょ、ほととぎす(2023.04.23)
- 怪我の功名だったかも(2019.12.26)
- ツタンカーメン王の頭像、6億円也(2019.07.05)
- 『インカ神殿』再び(2017.12.28)
- 清水沢の百庚申(2017.12.22)
「遺構」カテゴリの記事
- 木造トラスが残る『旧落合橋』(2017.11.24)
- 【廃村】平清水集落(富士川町)(2017.07.12)
- 【廃橋】旧反場橋(西会津町)(2017.06.06)
- 【廃校】屋敷小学校(西会津町)(2017.05.22)
- 【遺構】奥川森林鉄道跡を歩く(後編)(2017.05.19)
コメント