« 取り残された中央線遺構・立場川橋(2) | トップページ | 小海線大曲と忘れ去られた駒頭石(前編) »

中央線遺構・旧線と放置車両

立場川橋からさらに隣(東京寄り)の信濃境駅まできた。
いったんなんとなく合流した(埋め立てられ、痕跡が残っていない)新旧中央線だが、ここで再び分岐する。

9saro_01
写真には写っていないが、県道の左側には現在の中央線が走っている。
で道路の右側、一見なんということのない林に見えるけれど、ケヤキの樹の右手にわずかな窪みが続いているのがわかるだろうか。
これもまた分岐した旧中央線の線路跡なのだ。


9saro_03
線路跡を歩いていくと、コンクリートが打たれた法面には鉄道のレールがそのまま補強材として打ち込まれているのがわかる。
勿体ない……。


9saro_02
さらに足元をみれば、明らかに枕木の物と目される切れ端が転がっている。
(これ、買うと高いんだよね)


9saro_04
そして突然現れたレールには、白く塗られた本物の電車が!
なんて……
これは中央線のものではなく、富士山麓電気鉄道(現在の富士急行)が昭和31年に投入した当時の新鋭車両『モハ3100型』という車両。
正確には『モハ3101』と『モハ3102』
(昭和31年製作の01号車と02号車だから)
(マウスを置くと画像が切り替わります)

これは日本車輛という所で作られた、全4両のうちの最初の2両。
(あとの2両は昭和46年に起きた脱線転覆死亡事故により毀損)
引退後、地元「とんねるの里」という店が喫茶用に静態保存したものだが、もう現在は使われることなく放置されたままになっている。
でも、「とんねるの里」って?


9saro_05
電車からさらに東京方面に向けて歩くと、その「とんねる」が姿を現した。
明治37年竣功、旧中央線のもので、銘板はないが「池生隧道」というらしい。
ここも昭和58年に新線に切り替えられ廃止となった。


9saro_06
これまた明治のトンネルらしい重厚な石造りが誇らしげだ。
坑門の脇には「47」と数字が書かれた木製プレートが掲げられている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

東京から数え、すでに47番目のトンネルという意味らしい。
中央線が難工事だったことを窺わせるね。

抜けて散る 中山道の 道険し

【鉄道遺構リスト】
・東海道線・石部トンネル跡はこちら
・秘境尾盛駅探訪はこちら
・トヨタの引込線跡はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・小海線大曲と駒頭石はこちら
・中央線遺構・日野春駅給水塔はこちら
・中央線遺構・須玉九差路交差点はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・東京山手急行の遺構はこちら
・晴海線旧橋梁はこちら
・中央線遺構・旧深沢トンネルはこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル西口はこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル東口はこちら
・中央線遺構・旧笹子トンネルはこちら
・中央線遺構・旧天神山トンネルはこちら
・遠州鉄道奥山線・橋台はこちら
・旧武豊港駅・転車台はこちら
・夢破れた知多半島の未成駅はこちら
・軽便鉄道「オットのみち」はこちら
・小海線「川俣川鉄橋」はこちら
・谷峨駅の構内踏切はこちら
・未成の国鉄佐久間線はこちら

|

« 取り残された中央線遺構・立場川橋(2) | トップページ | 小海線大曲と忘れ去られた駒頭石(前編) »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

遺構」カテゴリの記事

トンネル」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 中央線遺構・旧線と放置車両:

« 取り残された中央線遺構・立場川橋(2) | トップページ | 小海線大曲と忘れ去られた駒頭石(前編) »