中央線遺構・旧線と放置車両
立場川橋からさらに隣(東京寄り)の信濃境駅まできた。
いったんなんとなく合流した(埋め立てられ、痕跡が残っていない)新旧中央線だが、ここで再び分岐する。
写真には写っていないが、県道の左側には現在の中央線が走っている。
で道路の右側、一見なんということのない林に見えるけれど、ケヤキの樹の右手にわずかな窪みが続いているのがわかるだろうか。
これもまた分岐した旧中央線の線路跡なのだ。
線路跡を歩いていくと、コンクリートが打たれた法面には鉄道のレールがそのまま補強材として打ち込まれているのがわかる。
勿体ない……。
さらに足元をみれば、明らかに枕木の物と目される切れ端が転がっている。
(これ、買うと高いんだよね)
そして突然現れたレールには、白く塗られた本物の電車が!
なんて……
これは中央線のものではなく、富士山麓電気鉄道(現在の富士急行)が昭和31年に投入した当時の新鋭車両『モハ3100型』という車両。
正確には『モハ3101』と『モハ3102』
(昭和31年製作の01号車と02号車だから)
(マウスを置くと画像が切り替わります)
これは日本車輛という所で作られた、全4両のうちの最初の2両。
(あとの2両は昭和46年に起きた脱線転覆死亡事故により毀損)
引退後、地元「とんねるの里」という店が喫茶用に静態保存したものだが、もう現在は使われることなく放置されたままになっている。
でも、「とんねるの里」って?
電車からさらに東京方面に向けて歩くと、その「とんねる」が姿を現した。
明治37年竣功、旧中央線のもので、銘板はないが「池生隧道」というらしい。
ここも昭和58年に新線に切り替えられ廃止となった。
これまた明治のトンネルらしい重厚な石造りが誇らしげだ。
坑門の脇には「47」と数字が書かれた木製プレートが掲げられている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
東京から数え、すでに47番目のトンネルという意味らしい。
中央線が難工事だったことを窺わせるね。
抜けて散る 中山道の 道険し
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