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大仁金山に残るインクライン(前編)

伊豆の下田街道、大仁を走っていると、車内から巨大な鉱山跡を見ることができる。
昔からの名所で、正式名は「帝國産金興業・大仁鉱山」
かつては左の写真のような姿だったことを覚えている。

Ouhito_00   Ouhito_01
残念ながら、数年前に完全に建物は解体され、今では右の写真のようにコンクリートの土台だけになってしまった。
前から存在は知っていたけれど、こんなのどうせ最近の鉱山だと思っていた。
ところが調べたてみたら、大仁金山の発見は古く天正年間まで遡ることがわかった。
天正といえば、織田信長の時代。
ということは、武田金山と同時期……。
それなら行かなくては……


Ouhito_03
この金山が一番盛んだったのは慶長年間、江戸幕府金山奉行・大久保長安の時代だったそうだ。
しか昭和18年に金山整理令が発布されたことにより、金の採掘は中止に。
その後上記・帝國産金興業が鉱区を買い取り、昭和45年に閉山されるまでもっぱら珪酸鉱の採掘が行われたそうだ。
だからこうしていま残るのは、その当時の遺構ということになる。


Ouhito_02
一通り探索し、ふと脇の草やぶに目をやると……
うん?
レールが見える。
これって、もしかしてインクライン?
よし、探ってみよう。
(インクラインとは急傾斜をレールを使って資材を上げ下ろしするシステム。傾斜鉄道と訳される。
ちなみに語源はラテン語で、言葉としては
インク+ラインと思いがちだが、イン+クラインが正しい)

レールに沿って上り詰めるが、やがて急傾斜に行き場をなくし進退を極める。
止むを得ん、いったん「転戦」という名の撤退だ。


Ouhito_04b
下に降り、日なたぼっこをしていた地元のネコちゃんに聞いたところ、「こっちからは行けないよ」とのこと。
そうか、作戦変更だ。
(後編に続く)

下の景色がよくわかる動画はこちら
                

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コメント

こんばんは。
ねこさんと会話が出来る管理人さんは凄い。

投稿: chiponeko | 2011.06.01 22:01

chiponeko さん

はい、ウチのピーがおしゃべりだったもので。
でも伊豆のネコちゃんは静岡弁が入っていて、ちょっと聞きづらかったであります。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.06.02 05:21

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