日露戦争・凱旋紀念門
今となっては夢のような話だけれど、日本はあの大国ロシアに勝ったことがある。
明治時代、無謀にも当時の帝国ロシアと渡り合い、みごと勝利を収めたんだね。
「日露の戦争、大勝利~♪
まだうら若き、父と母~♪」
なんて、知らないか。
大国相手の勝利に酔いしれた日本は、当時あちこちに凱旋門を建築して帰国した戦士を迎え入れたそうだ。
でも、いま残っているのは全国に二つだけとか。
その一つ、浜松市の『日露戦争・凱旋紀念門』を訪ねてみた。
(もう一つは鹿児島県姶良市)
場所は浜松市北部の引佐(いなさ)町というところ。
今でこそ浜松市の一部だが、静岡県北部の山の中、とても小さい静かな田舎町。
当時はこんな田舎にまで凱旋門が造られたんだね。
引佐の凱旋門は、この地にある六所神社参道の入口に築かれている。
(平成14年に国の登録有形文化財に指定された)
日露戦争は明治38年に終了、この凱旋門は翌39年3月に建立された。
石造柱脚の上に煉瓦造の柱が立ち上がり、同じく煉瓦造の欠円アーチを挟み込んでいる。
柱の上部にみられる鋸歯飾(ノコ歯かざり)というのが特徴的だ。
(マウスを置くと画像がアップします)
煉瓦の積み方はフランス積みになっている。
石柱には戦没者の所属・階級と名前がズラリと彫られている。
勝ったとはいえ、日露戦争で犠牲者になったのは日本全体で約8万5千人にも達したとか。
こんな小さな村からも、これだけ多くの犠牲者を出したんだね。
「看護手」なんていう人もあることから推理すると、この部隊は攻撃時ではなく陣地を砲撃されてしまったんだろうか。
こうした尊い犠牲の上に今の日本があるんだね。
合掌。
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