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2011年8月

卵形トンネルはどうだ

以前、千葉で三角四角、そして五角形のトンネルを見つけたけれど、今度は山梨で卵形のトンネルを発見。
場所は藤野市の県道522号線。
中央線藤野駅のすぐ北側に位置し、今は上に中央道も通っている。

Sawai_01

全長298mで、名称は沢井隧道。
昭和18年、藤野駅開業に伴い、それまで藤野坂と呼ばれる峠を越えていた北側の沢井地区から甲州街道へ抜ける道の整備が求められ、翌19年に着工した。
(いまわれわれはこうしたトンネルのような公共事業資金は税金で賄うというのが常識だけど、当時沢井地区の人々は峠の茶屋の所有権を売却して建設資金に充てたそうだ)

しかし峠を抜けるのは難工事で、完成まで実に12年も掛かっている。
でもこのトンネルの開通により、藤野から五日市やも八王子へも容易に行けるようになったそうだ。

え 卵形じゃないって?
卵形なのは反対側だもん。Yajirushi4sss

Sawai_02

ほら、こちら側はみごとな卵形でしょ。
入口と出口でこれだけ形が違うトンネルも珍しいけれど、内部が段々になって狭くなっているのでさらに要注意だ。
もちろん内部でクルマのすれ違いはできないので先入車優先の交互通行になっている。

バスのような大型が通る際には歩行者は壁にへばりつくように避けなければならず、服が汚れてしまうんだとか。
そのため地域では再三トンネルの拡幅を要望しているそうだけど、このご時世でなかなか実現していない。

Sankaku_02ss

Shikaku_02ss

Gokaku_02ss

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中央道に戦艦ヤマトを見た!

ここは中央道、談合坂SAから東京方面にしばらく行った所。
前に記事にした、高速廃道のすぐ先だ。

(撮影は跨道橋から)
Gunkan_01

生憎の天気で霞んでしまっているけれど、正面町並みの向こうに何やら大きな影が見えないか?
(マウスを置くと画像が切り替わります)

そう、どう見てもこれは巨大軍艦。
こんな上野原市の街中に、まさか『戦艦ヤマト』が遭難した?
それともクロネコヤマト配送中…… ?(゚_。)?(。_゚)?

.
.
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実はこれ、神社の森と鉄塔がたまたま重なり合って軍艦に見えたもの。
その真相はNTTの鉄塔と牛倉神社の杜なのでした。

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安産祈願『河内の大石』

清水の町から南アルプス(赤石山脈)に向かって登っていく。
河内という小さな集落を抜け、さらに村はずれまで行くと、左手に突然大きな石が現れる。

Kawachi_01
その名も「河内の大石」といい、全体が大石神社として地元で崇(あが)められている。

この石は元々ここからさらに1.6キロほど先、真富士山の中腹にあったそうだ。
ところが江戸時代に起きた「安政東海地震」で、ここまで割れることもなくゴロゴロと落ちてきたのだという。
先の東日本大震災が日本における観測史上最大のマグニチュード9.0というが、この安政東海地震も8.9だったと推定されているというから相当なものだ。

Kawachi_02
案内板にある石由来記によれば、この大石は日本一の安産石なんだとか。
というのも、狭い山あいの小径をこの大石がきれいに降りてきたことから、それを産道に例えたもの。
ふむ、だから安産の象徴なのか。
実際、安産祈願の絵馬がたくさん納められていた。

Kawachi_03
周囲をぐるりと廻ることができるが、一周60m。
石の高さはなんと19mもある。
(石の左端部分が眠そうなライオンの顔に見えたりして)

え 比べるものがないから大きさが実感できない?
それじゃ、昔の写真を重ねたから、映っている人の大きさと比べてみて。
 (マウスを置くと画像が切り替わります)

ぐるりと一周したよくわかる動画はこちら
                

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ブランド薬師のぶらん堂

これは長野市北部浅川という地域の地図。
みごとなループとS字を描いて登っていくのは県道506号線。
長野市から戸隠に至る山の中の県道だ。

Brand_map1
(Mapion)
でも、ここで見て欲しいのは道路ではなくその左手にある「ブランド薬師」という神社。
ちゃんと鳥居のマークがあるから神社なんだろうけど、ブランド薬師って?
?(゚_。)?(。_゚)?

よく生臭坊主が「檀家の金を流用して外車やブランド品を買い集めた」なんて話は聞くけれど、最初から神社の名前に「ブランド薬師」と名付けるなんて、相当開き直ったヤツだ。
きっとグッチヴィトンシャネルなんかを大量に隠しているに違いない。
ここは一つ、懲らしめに行かなくては。

Brand01
入口に着いた。
ふむ、確かに「ブランド薬師」と書いてある。
神社はこの上だ。
ただ、ここに面しているのはループの県道とは異なる別の細い道で人通りなどまったくない。
鳥居には蜘蛛の巣が掛かっているし、ずいぶんな所だな。


Brand02
実はここからさらに険しい山道を嫌ほど登らされる。
周囲はヤブばかりで、とても公園なんて雰囲気じゃないし……
「こんな山奥で、何がブランドだよ……」

やがて上の地図のA地点に来た。

Brand03
標高約600m。
ここは小さな展望台になっていて、長野市街が一望できる。
彼方に白く輝くのは長野五輪でスピードスケートの舞台となったMウェーブだね。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
そう、あれからもう13年も経った。
岡崎朋美選手、元気かな。

Brand04
垂直距離で150mほども登り詰め、やっと神社のお堂が見えた。
ひえ~
この写真じゃわかりにくいけれど、メチャクチャ険しい所にあるじゃん。


Brand05
半分は自然の岩肌をそのまま使って建てられている。
正式名を「八櫛神社」ということがわかった。
(地図のB地点)
大きな石の中に祠を彫り込み、石像のご神体が祀られている。


Brand06
お堂から外を見渡せば、遙か下にS字になった県道が見下ろせる。

で、どこにブランド品は隠してあるの?
グッチは? ヴィトンは? シャネルは?

実はここ、まだ平安時代の大同2年(802年)に建てられたという古い由緒ある神社。
断崖のような急傾斜地に張り付くように建っているのだが、信州善光寺道からも見えるので古来から有名だったそうな。
菅原真澄の記した『来目路濃橋』には、「断崖のとても高い所に、不落(ふらん)堂がある。飛騨の工らが一夜の間に柱一本で建てたお堂で、薬師仏を安置している」とある。
歌川広重の浮世絵にも描かれているというし、井出道貞が書いた『信濃奇勝録』にも「ぶらん堂」として記されている。
      
Brand_pic
 (国会図書館所蔵)
絵だから誇張はあるんだろうけれど、すごい立地だね。
その謂われは、落ちそうで落ちないお堂なので「不落堂」(ふらく堂)。
それがやがて「ふらん堂」→「ぶらん堂」となり、「ぶらんど薬師」として定着したものという。
一方、風が吹くとお堂がぶらぶら揺れたから、と解説する書物もある。
いずれにせよ、後世になってカタカナにされ「ブランド薬師」と表記されたため、ブランド品のブランドと間違える輩を生んだらしい(→僕だ)。

Brand07
これは帰りがけに下から見上げたところ。
どうだい、すごいでしょ。
『信濃奇勝録』の絵ほどじゃないけれど、かなりヤバイのは事実だ。
今でこそコンクリートの柱で補強されているが、本体は昔のように木造のまま。
なんせ、床板の隙間から崖下が見えるんだから怖い。

Brand08
お堂からループ橋が見えたのだから、ループ橋からもお堂は見える筈。
下ってからクルマを廻し、遠方から望むとこんな感じだった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
このシチュエーションを見てからもう一度お堂に行くのは……
辞退しておく。


近くから撮影したよくわかる動画はこちら
                

遠くから撮影したよくわからない動画はこちら
                

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やがて温泉かも!? 「瓜割清水」

長野市の善光寺周辺は扇状地のため、古来生活用水の確保が難しかったという。
そのため、周辺の数少ない清水は江戸時代から大切にされてきたそうだ。

この湧き水もそうした「善光寺七清水」の一つ。
その名も「瓜割清水(うりわりしみず)」という。
名前の謂われは「瓜が割れるほど冷たいから」というもの。
なんでも水があんまり冷たかったため、浸けておいた瓜が割れてしまったいう逸話があるそうな。

記録的猛暑の今年の日本、こりゃあ、行ってみなくては。
(今週は涼しいけどね)

Uriwari_shimizu
長野市と白馬村を結ぶ旧鬼無里街道沿いの諏訪神社参道脇にひっそりと佇む。
古来旅人が喉の渇きを癒したということだが、現場はとんでもなく狭い山道。
超わかりにくい場所で、下校中の地元中学生に聞いても知らない辺鄙な所だった。
(変なおじさんに尋ねられて、警戒したのかも。
そのあと走って遠ざかっていったものな)

上部はりんご畑になっていて、後方には頼朝山がそびえている。
水温はだいたい12度程度。
確かに冷たくておいしかったけれど、でも12度じゃ瓜が割れることはないよな、というのが正直な感想。

しかし帰ってから調べて納得した。
80年ほど前の記録では、清水は今より4度も低かったというのだ。
なるほど。
昔はもっとずっと冷たかったんだ。

それにしてもわずか80年で4度も上昇?
こんな所にも地球温暖化の影響が表れているのだろうか。
それならあと800年経ったら40度も高くなる計算。
そしたら温泉じゃん。
瓜がまた割れてしまう。

Onsen_2「温泉出るかな~」
「湧く湧くするな~」

それまで待てない。

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水商売って、難しい

Beat_takeshi昨夜の報道番組で、あのビートたけし氏が良いこと言っていた。
いわく、「他県からの電力購入禁止」だって。
まさに正論じゃないか。
そもそも国が日本の電気政策にこれだけ介入、全国わずか10社で賄うような独占システムを造り上げたのは、「電気が国民生活に不可欠のものだから」という大義を御旗にしてたから。

へ~え
水道料金はみんな市町村単位じゃないか。
水は国民生活に不可欠じゃないの?
電気より、水のほうがよほど大切だい。
誰だって水がなければ数日で死んでしまうけれど、電気なんかなくても平気さ。

ところが水は小さな市町村単位で工面して、それぞれ独自の料金で給水する。
だからその水道料金の地域格差料金たるや、地域によって天と地ほども差がある。
同じ日本で暮らしているのに、こんな馬鹿な話はないよね。

(水道は条件が複雑で公平に比較するのが難しいけど、口径別料金体系はメーター口径20㎜、用途別料金体系では家事用で計算。
平均的な使用量である24立方メートルだと……)

一番安いのは群馬県みなかみ町の「1,008円
一番高いのは兵庫県家島町の「10,080円
字面は良く似てるけど、金額は実に10倍だよ!!(゚_゚)

そもそも今回の原発事故があるまでは、われわれ不覚にも東京の電気が福島県で作られていたなんて知らなかった。
ましてや、地元の福島県民がその電気を使えなかっただなんて。
水を他の町から買えないようにするくらいなら、電気だってたけちゃんが言うように他県から買えないようにすべきだ。
そうすればみんな、もっと水や電気に対する根本意識が変わるだろう。

だいたい、政治家は知らないのかね。
水商売って、難しいんだぞ。
Jyaguchi

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なでしこリーグ選抜&監督がエライ!

Ani_soccer_nadeshikoW杯を制した『なでしこジャパン』への盛り上がりは増すばかりだね。
昨夜はその壮行試合となる「なでしこジャパン」vs「なでしこリーグ選抜」が行われた。
今朝の新聞の見出しには「日本が3―2で勝ち、9月のロンドン五輪アジア最終予選に向けて弾みをつけた」ってあるけど、ほんとにそうか?

例えば男子のように、「日本代表」vs「Jリーグ選抜」なら話はわかる。
Jリーグには有力な海外選手も多数いて、日本代表(日本国籍に限る)を外してもまだまだ強いチームが作れるからね。

でも、日本の女子はどう?
「なでしこジャパン」って、基本「なでしこリーグ」から上位選手を選抜したようなチームだ。
つまり「なでしこリーグ」から一番いい選手で1軍を取ったことになる。
しかも代表選手は21人と、ほぼ2チーム分。
ということは、さらに2軍にあたる選手も代表チームが取ったことなる。

Nadeshikoそして、その残った選手でやっと作ったのが今回の「なでしこリーグ選抜」ということだろう。
そんなチーム(失礼)にW杯世界一の日本代表チームが3-2って。
これ、いわゆる辛勝というヤツじゃん。
こんなんじゃ、決して弾みなんかついたって言えないよね。

だから今回の試合では、「なでしこリーグ選抜」の指揮を執った星川敬監督が一番エライ!
自身のチーム『INAC神戸』からなんと7人もの選手を「供出」させられながら、残りモンで日本代表を相手に大健闘したんだもの。
もしもロンドン五輪で日本代表「なでしこジャパン」が金メダル獲れたなら、おじさんは銀メダルを「なでしこリーグ選抜」と星川敬監督にあげよう。

え クルマ?
クルマは…… ナイディ。

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長電の警笛響く、村山橋

須坂市と長野市とは千曲川で隔てられている。
それを結ぶ橋の一つが、この「村山橋」だ。
現在の橋は二代目で、平成21年11月から運行が供用されたばかり。
(Googleにもまだ映ってない)

Murayamabashi01
すごい立派な橋だね。
右が上り車線用、左が下り車線用。
同じような橋が二つ並んでいるけれど、左のほうがなんか幅が広いと思わないか?


Murayamabashi02
左の橋を覗いてみると2車線の車道、幅広い歩道に加え、さらに柵の外には線路が見える。
かつて大正時代に造られた古い村山橋も二つの橋が並行し、その一方には鉄道が走っていた。
実はこれには歴史的経緯があるのだ。

当時長野市に合併計画が起きたとき、地元の吉田町がその条件として長野鉄道の敷設を要望したという。
ところが千曲川を渡る鉄道橋の架設には巨額資金が掛かる。
(大正時代に100万円。これは長電の資本金のなんと半分!!)
そこで妥協案として、道路橋と併用することにより長電の鉄橋を実現させたという訳。
これにより、長電の負担は当初計画の4割で済んだそうだ。
(残りの6割は長野県が負担)


Murayamabashi03
ほら、噂してたら長野電鉄の電車が来ましたよ。
柵から身を乗り出して撮影してたら、後ろから警笛が鳴らされた。
わかったよ、だって電車とれぇんだもん。
写真、撮れ~んじゃん。

この2000系電車、来年の春には引退しちゃうんだって。
55年間のお務め、ご苦労さまでした。


【橋リスト】
・その名も粋なり『恋路橋』はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・須坂の渡れない橋はこちら
・世にも怖~い冠着橋はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・未成の天津ループ橋はこちら
・明治・土木の誇り、汐止橋はこちら
・桂川・水路の旅はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・モダンなアーチ・新矢柄橋はこちら
・自殺防止の鏡渡橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら
・崩落橋梁・旧鹿行大橋はこちら
・甲斐・信濃の旧国界橋はこちら
・レールの旧春木川橋はこちら
・第二東名・新富士川橋はこちら

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マスコミまた大罪 『スマホ』って何よ

インターネット検索最大手のグーグルが携帯ハードメーカーであるモトローラ・モビリティを約1兆円という巨額で買収することになったそうだ。
ま、いまのところスマートフォンなんて自分には縁のないことなので、別にアップルでもグーグルでも構わない。

関心を持ったのはこれを報道する各メディアの見出しだ。

グーグル、スマホ自社生産へ』だって。
でも、スマホって何よ?
もしかしてこれ、スマートフォン(Smartphone)のこと?
スマートフォンを略すのなら、「スマホ」じゃなくて「スマフォ」なんじゃないの。

そもそもメディアには大きな前科があるんだ。
見出しにも書いた、「マスコミ」という奴。
これの元は言わずと知れた「マスコミュニケーション」(Mass Communication)だろう。
ところがメディア自らがこれを「マスコミ」と略したことでアウト。
これを略すなら、当然「マスコミュ」だった筈。

こんないい加減なことをメディアがしたことにより、子どもたちまで「コミュニケーション」ではなく、「コミニュケーション」だと誤って覚えてしまったんじゃないか。
確かに「シミュレーション」が「シュミレーション」と誤用されるのと同様、日本人には「ミュ」というのが言い難いということもあるのかもね。

Usagi
でも、「マスコミ」より「マスコミュ」のほうが絶対可愛いぞ。
ギャルに愛されたいなら、今からでも遅くない。
「マスコミ」を「マスコミュ」に改めるべし!

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須坂(8)「旧高甫農村図書館」

須坂探訪の最後は高甫という所。
扇状地として拓けたここ須坂市では南の外れに位置している。

小学校の裏に控え目に建つこの牧歌的な平屋は、「旧高甫農村図書館」
Takaho01
元々は、高甫小学校の父兄が子どもたちのために作った「高甫文庫」が母体。
昭和になり、小学校の隣にこの建物を建てて「高甫農村図書館」として独立させ、生徒だけではなく村民も自由に利用できるようにしたものという。

時あたかも世界大恐慌、製糸業で栄えた須坂には厳しい時代であった筈。
それでも父兄がお金を出し合って建てたというのがすごい。
さすが、教育県として名高い長野だけのことはある。

なお近くには、大陸文化を伝える「八丁鎧塚古墳」という積石塚もある。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
積石塚としては、その内容と規模において日本最大級だそうな。
鎧塚といってもパティシエじゃないからスイーツは出て来ないよ。

この高甫小学校が進歩的なのは、この写真でもわかる。
       
Takaho02
どうだい、田舎の学校と侮るなかれ。
学校脇の信号は、都会同様ちゃんとスクランブル交差点になっているんだぞ。
これならここの生徒は渋谷に行っても何ら動じることはないだろう。
(ただしばらくいたものの、残念ながら一人も渡る人は見なかったけど)

結論:100点!
(交差点をこう採点)


【須坂】
須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
須坂(4)「浮世橋」はこちら
須坂(5)「渡れない橋」はこちら
須坂(6)「阿阿の狛犬」はこちら
須坂(7)「旧上高井郡役所」はこちら

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須坂(7)「旧上高井郡役所」

立派な建物でしょ。

Kamitakai
ちょっと見、ドイツ旅行の時の写真といっても通じそうじゃない?

実はこれ、須坂市の市内に保存される旧上高井郡役所。
大正6年に建築されたバロック風建築で、木造2階建て寄棟造り、瓦葺きとなっている。
洋風建築らしい上げ下げ窓で、薄緑色に塗られた外壁はドイツ下見という板張りの工法だそうだ。
正面の玄関車寄せ上にはテラス、その上部には切妻破風があるなどバロック様式の特徴を色濃く伝えている。
こういうのを大切に保存しているのがいいね。

でもこんなのが役所の建物じゃ、なんかヒゲを生やした怖~い役人が出てきそう。

え、ドイツ人が来た?
ちょっと、邪~魔ンなんですけど。


【須坂】
須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
須坂(4)「浮世橋」はこちら
須坂(5)「渡れない橋」はこちら
須坂(6)「阿阿の狛犬」はこちら

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須坂(6)阿吽じゃない「阿阿の狛犬」

須坂は神社の多い町だ。

Okuda01
このみごとな鐘楼は須坂藩8代藩主堀直郷によって建てられたもの。
元は浮世小路の入り口にあったものがここに移設されたという。
例により、太平洋戦争時に鐘は供出させられたが、平成になって寄進され復活したそうな。

で、目的の神社はこの「奥だ」。

Okuda02
だから名前を奥田神社という。
これも須坂藩主堀氏の霊を祀って建てられたもの。
それならなぜ堀神社でなく奥田神社かといえば、堀の姓は家老時代に主君から賜ったもので、本来の姓が奥田だったから。

ちなみに須坂藩主堀氏の江戸の邸宅は目白にあった。
知ってるでしょ、角栄さんち。
相続で半分になっちゃったけど、今はあの田中真紀子さんが住んでる所ね。


Okuda03
こちらは上記の神殿より古い、本殿のほう。
すぐ隣に位置している。
よく見ると、上とは狛犬が違うことに気が付かないか。
わかりにくいのでアップにした。


Okuda11 Okuda12
神社の狛犬はそもそも左右対。
「阿吽(あうん)の呼吸」と言うように、向かって右側が「阿」(あ)で、左側が「吽」(うん)になっている。
「阿」は生まれた時、最初に出す音で「あ」と口を開けて発声する様子。
一方、「吽」は死ぬ時、最後に出す音で「うん」と口を閉じて発声する様子。
二つ合わせて「世の中の始まりと終わり」を示しているのだという。
こちらはちゃんと口を閉じたものと開いたものが対になっているね。
これが普通。


Okuda13 Okuda14
でもこちらはどうか。
右のは定石通り「阿」で、ちゃんと口を開いている。
ところが左の狛犬も口を開いてしまっている。(゚_゚)
あれ、こちらも「阿」?
これじゃ「阿吽(あうん)の呼吸」ではなく、「阿阿(ああ)の呼吸」になっちゃうじゃないか。
息が止まらない……

「阿~阿」


現場で撮影したわかりにくい動画はこちら
                

【須坂】
須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
須坂(4)「浮世橋」はこちら
須坂(5)「渡れない橋」はこちら
須坂(7)「旧上高井郡役所」はこちら

【狛犬リスト】
・天津小湊「廃神社狛犬」はこちら
・横浜「砲弾を抱えた狛犬」はこちら
・南知多「おかっぱ頭の狛犬」はこちら

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須坂(5)「渡れない橋」

須坂は神社の多い町だ。

Taikobashi01
これは須坂銀座通りから墨坂神社に至る参道。
赤い大きな鳥居が中央に。
脇には古い石燈籠が整然と列を成している。
この参道、実は神社直前で県道に分断されていて、これは逆向きに撮影したところ。


Taikobashi02
で、県道を渡った神社の名は「墨坂神社・芝宮」
大和国榛原より墨坂神を遷祀したものという。
境内に入ると、樹齢5百年とも言われる一対のみごとな欅(ケヤキ)の大樹が目を引く。
でも見て欲しいのは、ちょうど2本のケヤキの樹に挟まれた石橋だ。


Taikobashi03
見よ! この急角度の傾斜。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
このみごとな太鼓橋は、安政6年(1859年)に建造されたものという。
大きな切り石を組み合わせてきれいなアーチを描いた姿は魅力的だけれど、その傾斜はあまりにも急だ。
これじゃ、滑り落ちて渡れないよ~☆

聞けば、これは神様が渡る橋。
つまり、人が渡る橋ではないんだそうだ。
なるほどね。
じゃあ、一休さんでも駄目だ。Ikkyusan_s_2


【須坂】
須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
須坂(4)「浮世橋」はこちら
須坂(6)「阿阿の狛犬」はこちら
須坂(7)「旧上高井郡役所」はこちら


【橋リスト】
・その名も粋なり『恋路橋』はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・長電の警笛が響く村山橋はこちら
・世にも怖~い冠着橋はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・未成の天津ループ橋はこちら
・明治・土木の誇り、汐止橋はこちら
・桂川・水路の旅はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・モダンなアーチ・新矢柄橋はこちら
・自殺防止の鏡渡橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら
・崩落橋梁・旧鹿行大橋はこちら
・甲斐・信濃の旧国界橋はこちら
・レールの旧春木川橋はこちら
・第二東名・新富士川橋はこちら

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須坂(4)「浮世橋」

「浮き世」とは本来「憂き世」と書き、つらいことが多いこの世の中のことを指したもの。
それが江戸時代になると「はかない世の中であれば、せめて浮かれて暮らそう」ということで「遊里で遊ぶ」ことに意味が転化していったんだそうだ。

Ukiyo03
須坂で、「橋の向こうは 浮世の世界♪」と謳われた花街の名残がこの通り。
その名も「浮世小路」という。

その昔、生糸で繁栄したこの須坂では工場の主や商家の旦那衆がこの裏通りに夜ごと入り浸り、芸者衆の奏でる三味線の音色に酔いしれたそうな。
料理屋と湯屋は当時の名残りというが、3軒並んで繁盛したという料理屋はいま右奥の1軒だけ。
湯屋に至っては「君が湯」という看板が残るだけになった。


Ukiyo01

Ukiyo02s
ここは表通りから曲がってすぐの所だが、ここで小川を渡る橋の名前がその名も「浮世橋」
わずか1mほどの小橋だけれど、ここを渡ればもう別世界。
(小川はいまそれ自体が暗渠に。
また橋も当時のまま残っているのは親柱だけになった)

ほんの束の間、浮世の憂さから離れるため、何人の男がここを渡ったことか。
身上(しんしょう)を潰す親不孝者もいたんだろうね。

「親の心 こじらす」 (親不孝息子)


【須坂】
須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
須坂(5)「渡れない橋」はこちら
須坂(6)「阿阿の狛犬」はこちら
須坂(7)「旧上高井郡役所」はこちら


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須坂(3)「足軽長屋」

須坂の裏通りを歩いていたら、古びた二階建ての大きな家に行き当たった。

Nagaya01
ただのボロいアパートだと思った?
失礼な!
実はこれ、歴史的に由緒ある貴重な建物なのだ。

残念ながら1階部分は手前に増築されてしまっているが、元々は長方形の2階建てだった。
また2階部分が低く見えるのには理由がある。
冬の厚い雪に耐えるためというのが一つ。
そしてもう一つはこちらの方向にあった殿様の住まい(藩邸)を見下さないように、という配慮からなんだそうだ。


Nagaya02
Ani_bushi
そうここはかつて、須坂藩が建てた下級武士・足軽のための長屋だった家なのだ。
その素性を証明するのは、棟端にあるこの鬼瓦にある。
六角形の中に卍」の文字。
これは「亀甲卍」といって、江戸時代に14代、約250年に渡って須坂の地を治めた堀家の家紋なんだね。
(マウスを置くと堀家の紋所が見られます)

実は明治4年、新政府により廃藩置県が実施されたことで、江戸の藩邸にいた藩士がみんな知行地である須坂に帰って来た。
ところが突然のこととて住む家が足りない。
そのため、急いでいくつも作られた家の一つがこうした長屋なんだそうだ。

でも、長屋って……
なんか、名が嫌(や) (>_<)

須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(2)「塀のうちそと」はこちら
須坂(4)「浮世橋」はこちら
須坂(5)「渡れない橋」はこちら
須坂(6)「阿阿の狛犬」はこちら
須坂(7)「旧上高井郡役所」はこちら

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女子バレーの新ヒロイン、迫田さおり選手

国民栄誉賞の受賞が決まるなど、まだなでしこジャパンの余韻が冷めないけれど、今度は女子バレーが熱いね。

初戦で王者ブラジルには完敗を喫したものの、宿敵韓国を撃破。
昨日はドイツにもストレート勝ちして目下2勝1敗。

S_saoriうれしいのはそれが新しい選手によって支えられているからだ。
昨日の試合で両チーム通じ最多の20得点して勝利に貢献したのが新星・迫田さおり選手。
彼女、得意技がバックアタックというのがいいじゃないか。

どのスポーツでも日本女子は体格の劣勢が足を引っ張っている。
もちろんバレーボールだってネットの高さは同じだから身長はメチャクチャ大きな要素になる。
迫田選手の身長175cmは国際的に決して大きくないけれど、それでもバックアタックなら相対的にネットとの角度は緩くなるものな。
そして、それをカバーするのがあのしなやかなジャンプ力だ。
まだ23歳。魅力的だね。

今週、今度はその舞台を韓国から日本に移す。
さあ、迫田さおり選手に注目だ。
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須坂(2) 「塀のうちそと」

蔵のまち須坂では市の公共施設なんかにも蔵造りになっているものが多く、興味深い。

Mayugura_sたとえばこれは、製糸業で栄えた須坂の歴史を後世に伝えるための「ふれあい館まゆぐら」という施設。
内部にはゆったりとした休憩スペースがあり、地元のボランティアがお茶の接待をしてくれるということだ。
優しいね。
ま、お酒は出ないようなので僕は遠慮したが。

とにかく須坂にはこうした魅力的な蔵造りの建物が随所にみられるのだからたまらない。


Nkeimusho01
駅から5分ほどの馬場町という所に来た。
道路から覗いてみると、広大な敷地の奥にここでもやはり蔵造りを模した建築物が窺える。
なまこ壁や石垣も見える。
ちょっと平面的な気もするが……

Nkeimusho02
さらに近寄ってみる。
下部は石垣ブロックの組み合わせ?
上部はモルタルに巧みな造作やペイントを施したもののようだ。
どうやら、上手に蔵造りを模したものらしい。
公共施設としてはなかなかお洒落な優れものでしょ。

で、ここは何?

【種明かし】
ヒントは塀の角に立つ、照明を兼ねた大きな監視カメラにある。
塀の中には誰がいるの?

そう、実はここは 刑務所

以前、安部譲二さんが「塀の中の懲りない面々」という人気小説を書いたけど、つまり「この塀」は、「その塀」なのだ。
だからおそらく塀の内側は足掛かりにならないよう、平滑になっているに違いない。
(見たことはないが)

ここ長野刑務所は以前善光寺の近くにあったものを、昭和35年須坂市の当地に移転した。
(長野市の跡地は北京五輪で聖火リレーのスタート地になったよね)
所内の作業場では、印刷や、洋裁、革や金属の加工なんかが行われているとか。
で、ここには今あのホリエモンが入所しているんだそうだ。
ホリエモンのツイッター 「ながの なう

彼は、この塀の内でいったいどんな作業をしているんだろう。
ここより北の刑務所には暖房設備があるそうなので、逆にいえばここが日本で一番寒い刑務所ということになる。
ホリエモン、大丈夫かな。
信州の冬は、芯まで凍みることだろう。

あまり長居して、中からお茶の誘いがあると困るので早々に塀を後にした。

「隣に塀が出来たんだって」
「囲い~」

須坂(1)「蔵のまち」はこちら
須坂(3)「足軽長屋」はこちら
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須坂(1)「蔵のまち」

長野県須坂は「蔵の町」である。
ここはかつて江戸時代、須坂藩主堀氏の館町(陣屋町)として、また大笹街道・追分の地として賑わった。
また明治からは製糸業が発展したため、今も多くの蔵造りの建物が残り、あるいは復元されている。

Kura01
これらは復元されたものだけれど、みごとだね。
手前のように通りに対して横向きなのが「平入り」(これは変形だけど)
奥のように通りに対して直角に向いているのが「妻入り」というそうな。
それが交互に建てられると、町並みはより美しく見えるんだって。


Kura02
こちらは製糸業で財を成した牧家の構え。平入りだね。
門や戸袋は総ケヤキ造りの本物だ。
二階建て平入り土蔵の母屋は違い棟で、重厚な段蛇腹が上部にみえる。
土台に使われている丸っぽい石はこの地方の特徴である「ぼたもち石」と呼ばれるものだ。


Kura03
ちょっと脇道に入れば、こんな魅力的な路地がある。
ここにもぼたもち石があるね。
ほら、今にも向こうから飛脚が走ってきそうじゃないか。Hikyaku_ss
ただここからではわかりにくいが、左手奥の建物は何か変?


Kura04
よく見ると……
もしかして、壁は白いペンキを塗ったトタン板のような。
(本格的な漆喰で塗り上げられた、上の写真右手の建物と比べるとわかる)
ま、その善意の努力には感謝しよう。


Kura05
ぼたもち石は本来何段にも重ねられていたそうだが、道路がかさ上げされたされたために見えなくなってしまったんだそうだ。
ぼたもち石の間には、巧みに配された雨樋が見える。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
こちらも重厚な石で造られているんだね。
インカの石組みほど精緻ではないけど、それで、いインカ?

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ハ~スが咲いた ハ~スが咲いた~♪

町田・薬師池公園(ハス)が咲いたらしい。
花の時期が短いため毎年かなりの人出となり、市の広報紙によれば臨時バスの運行や架設トイレまで設置するという。
混雑を避けるため、まだ暗いうちに家を出た。
案の定、駐車場はもうクルマで一杯!


Lotus01
の筈が……
誰もいなかった。(~_~;;


Lotus03
でも、蓮の花は裏切らない。
夜が明ければ、ちゃんと咲く。
優雅な色合いで、きれいでしょ。

この蓮は「大賀ハス」と呼ばれるもの。
千葉県の検見川遺跡で発見された今から二千年も前の実から、蓮の権威であった植物学者の大賀博士が発芽に成功させたものという。
二千年前の人も同じ花を愛でたのかと思うと感慨深い。
古墳時代の人~ 聞こえますか~☆


Lotus04
これはまだつぼみも堅そう。
小学生くらいかな。

Lotus05
そろそろ色気も出てきた?
これは女子高生。

Lotus02
まぶしいほどの、女盛り。
でも、花の命は短いよ。

Lotus06
これは、もう熟女……
失礼!
中のシャワーヘッドのような所に蓮の実がなるんだよね。

ちなみに蓮の花言葉は「雄弁」だって。
さすが、蓮舫さんにピッタリじゃない。

蛙の声と共に撮影したよくわかる動画はこちら
                

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大臣が流した涙

Neko_namida国会で野党から辞任時期について責め立てられた海江田経済産業相が、思わず涙ぐんでしまって話題を呼んだね。
これについて菅総理夫人の伸子さんが、「私は涙を流すような人とは付き合えない」と語ったそうだ。

確かに一国のリーダーとしては、安易に人前で涙を流すようでは弱すぎて勤まらないというのかも知れない。
でもさらに伸子さんは菅総理に「あと少ししかないなら、何かやってくれなきゃ面白くない」なんて言ってるそうだ。(毎日新聞)

日本はいまタイヘンなんだ。
最後っ屁じゃあるまいし、面白いことなんか考えるより、菅総理には早く身を引いて欲しいのに。
あの菅さんを最後に諫められるのは伸子さんしかいないと内心期待していたんだけど、最近の彼女は何か違うみたい。

一国の総理にはもちろん強さが不可欠だけど、人の心の痛みがわかる優しさだって必要なんだ。
「自民党をぶっ壊す!」なんて強硬姿勢だったあの小泉さんだって、鹿児島の知覧陸軍航空基地を訪問して「特攻兵が書いた手紙」を読んだ時や、ブラジルを公式訪問した時には大変な苦労した移民者たちの歓迎に、思わず涙したことがある。

伸子さん
やがて幸福につながる涙だってあるんだよ。

Namida幸福の涙はこう拭く

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なに、放射能の心配で古米が急騰

Gohan稲わらばかりか、お米自体への放射能汚染が心配されて新米が敬遠。
いつもと逆に古米の価格が急騰しているんだそうだ。
新潟産コシヒカリなんか、震災前の1月と比べてもう5割近くも上昇しているとか。
これはつまり、日本人のライス・スタイルが変わったということか。

困ったね。
僕なんかいつも古米ばかりなのに、迷惑だ。
まさか、放射能問題が古米にまで影響してくるとはね。
そこまではコマイと思ってたよ。

これじゃ、いずれお餅の値段にも影響するんだろう。
あ~あ
餅ベーション下がる。Yajirushi4sss

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法律守らない法務大臣

日本では、法務大臣ですら法律を守らなくてもいいらしい。

S_eda死刑廃止論者だった千葉景子元法相が昨年7月最後の死刑執行サインをしてからもう1年。
その後民主党政権では3人も法務大臣に就任しているけれど、一度の死刑執行もない。
いまの江田法相なんて、かつて地裁の裁判官なのにそれですら死刑執行の署名を拒否したままだ。
いまや未執行の死刑確定者が121名まで増えた。

会見で江田法相は、
悩みながら勉強している最中で、悩んでいるときに、はい執行、ということには私の気持ちとしてはならない」
だと。

個人的信条で死刑に反対なのは自由だけど、それなら法務大臣なんかにならなければいい。
刑事訴訟法では、「死刑執行の命令は判決が確定してから6か月以内に行わなければならない」と明記されているんだからね。
法務大臣なのに、自ら法律を守らない訳?
大臣にはなっておいて、「ただいま勉強中だから、法律は守らない」なんて、そんな法務大臣はお断りだ。
死刑がいけないのなら、刑事訴訟法のほうを変えるのが国会議員の責務だろうに。

結局これは、法を守るうえでいろいろ誤りがあったということだね。

【教訓】

法ぼうに筆の誤り

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