須坂(3)「足軽長屋」
須坂の裏通りを歩いていたら、古びた二階建ての大きな家に行き当たった。
ただのボロいアパートだと思った?
失礼な!
実はこれ、歴史的に由緒ある貴重な建物なのだ。
残念ながら1階部分は手前に増築されてしまっているが、元々は長方形の2階建てだった。
また2階部分が低く見えるのには理由がある。
冬の厚い雪に耐えるためというのが一つ。
そしてもう一つはこちらの方向にあった殿様の住まい(藩邸)を見下さないように、という配慮からなんだそうだ。
そうここはかつて、須坂藩が建てた下級武士・足軽のための長屋だった家なのだ。
その素性を証明するのは、棟端にあるこの鬼瓦にある。
「六角形の中に卍」の文字。
これは「亀甲卍」といって、江戸時代に14代、約250年に渡って須坂の地を治めた堀家の家紋なんだね。
(マウスを置くと堀家の紋所が見られます)
実は明治4年、新政府により廃藩置県が実施されたことで、江戸の藩邸にいた藩士がみんな知行地である須坂に帰って来た。
ところが突然のこととて住む家が足りない。
そのため、急いでいくつも作られた家の一つがこうした長屋なんだそうだ。
でも、長屋って……
なんか、名が嫌(や) (>_<)
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コメント
こんばんは、須坂ですか。10年以上前に仕事で1年程通っていました。静かな街並みだったような思い出です...長野って物持ちがよいですね、山梨なら、とっくに無くなっていても可笑しか無い建物が残っていますね。
今年の夏は終わってしまいました...腰痛から始まり...秋に向かって完治有るのみです。
投稿: chiponeko | 2011.08.09 22:22
chiponeko さん
おはようございます。
須坂で仕事をされていたことがあるんですか。
そう、静かで趣のある素敵な町ですね。
ただ、自転車で廻ったんですが、全体に傾斜がある所なので結構きついかも。
何をするにも腰痛は厳しいですね。
お大事に。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.08.10 05:19