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2011年10月

百体の観音像が立ち並ぶ風景

百体もの観音像が立ち並ぶという噂を聞き、勝浦の『仏国土観音』(ぶっこくどかんのん)という所を訪ねた。
まさか、あのマリア観音像のようなものではあるまいな。

Bukkokudo_01
大多喜街道から案内に沿って細い脇道を入っていく。
着いた。
正面が『仏国土観音さま』だ。
昭和61年に建てられたものというからさほど歴史のある所ではないが、「ボケ除け」にご利益があるというのだから、これはお参りしとかなくちゃならん。

なお、右の大石には「念ずれば花ひらく」と、彫ってある。
仏教詩人である坂村真民の有名な言葉だね。


Bukkokudo_04
そしてここにズラリとあるのが噂の観音像百体。
緩やかな傾斜の参道両側に、ギッシリと立ち並んでいる。
一体一体には通し番号が振られていて、正確に百体あった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

みんな同じような形に見えるけれど、実は指や顔、また布のしわの寄りかたなどが微妙に違うんだな。
ただ、きれいに供えられたお花がみんな造花だったのはゾウカと思うが。


Bukkokudo_03
観音さまの傍らには『印度仏蹟霊砂霊岩霊土』と書かれたケースがあった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
中には小石や砂や並んでいて、それぞれ「印度ブッタガヤ尼蓮禅河霊砂」などと難しい言葉が書かれている。
どうやら仏教霊地の貴重な石や砂が納められているらしい。
ちなみに、甲子園の土は…… なかった。

なお、ガラスに映り込んでしまったのは心霊写真なんかではなく、たなぼたさまという有り難~いお釈迦様だ。
間違っても石を投げたりしてはいけない。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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世にも珍しい『天井抜けトンネル』

これは地図で見た、房総のあるトンネル部分。

Tenjyo_tunnel_map1
一見、二つのトンネルが連続しているように思えるが、そうじゃない。
赤い矢印の所がポイント。

Tenjyo_tunnel_map2
トンネルが二つなら、地図ではこう表記される筈だから。
この違い、わかりますか?

トンネルなら入口は「)」、また出口は「(」で表される。
ところが上の地図のトンネルの内側部分二つはそうなっていないものね。
じゃあ、これってどういうこと?

それでは実際に現地に行ってみよう。
あなたは大変な光景を目撃することになる。

Tenjyo_tunnel_01
これがそのトンネルだ。
今は南側から見ている。
場所は千葉県市原市の山の中。
『市原市民の森』近くの林道を分け入ったところになる。

Tenjyo_tunnel_02
今度は逆に北側から見た。
そう、ここは元々一つのトンネルなのに、真ん中部分の天井がないのだ。
それで、地図にはあんな表記がされることになる。

Tenjyo_tunnel_04
これが脇からトンネルの上部に登って見下ろしたところ。
壁の部分をみると、二つの独立したトンネルなのではなくて、繋がっているのだということがわかるね。
砂岩が多い房総のトンネルは、よく上部が崩れることがあるから、これもそうしたものの一つなのかも知れない。

それにしても探索していた小一時間、クルマはおろか、人っ子一人通るものはなし。
聞こえるのは遠くで鳥がさえずる不気味な音だけ。
これでも首都圏か。


下からみたよくわかる動画はこちら
                

上からみたよくわかる動画はこちら
                

出口の見えないトンネルはこちら
通れないトンネルはこちら
水のトンネルはこちら
大人だって怖いトンネルはこちら
旧笹子トンネルはこちら
大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
明治・大正・昭和・平成トンネルはこちら
富津のロウソク・トンネルはこちら
富津の背高のっぽトンネルはこちら
茂原の背高のっぽトンネルはこちら
長南町の三角トンネルはこちら
市原市の四角トンネルはこちら
市原市の五角トンネルはこちら
藤野市の卵形トンネルはこちら
埋もれた山伏隧道はこちら
市原のフニャトンネルはこちら
君津の急傾斜トンネルはこちら
日本一短いトンネルはこちら
松姫湖の水没トンネルはこちら
横須賀の背高のっぽトンネルはこちら
横須賀のトンネル交差点はこちら

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ニイタカヤマノボレ(検見川送信所跡)

千葉市の静かな住宅街の中に、それはある。
住宅地なのに、この一角だけが開発から取り残されたように伸びた雑草に覆われた状態。
それにしても、この古ぼけた建物は何だ?

Kemigawa_01
実はこれ、旧逓信省の検見川送信所(けみがわそうしんじょ)の跡。
外国通信を目的とした施設で、日本で初めて短波による標準電波を送信した由緒ある歴史的施設なのだ。
中学校用地として市に払い下げられたが、保存運動が持ち上がってこのままになっている。


Kemigawa_02
縦長窓を配置するなど独特のデザインが高い評価を受けていたというが、残念ながら内部を破壊するなどの不法行為が続いたため、このように窓という窓は鉄板で塞がれてしまった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
(中央の赤い鉄板部分の窓)

Kemigawa_03
ドイツ建築を学び、のちに東京中央郵便局等も作った逓信省技師の吉田鉄郎の設計だが今は本館が残るのみ。
建物のほとんどすべての角が曲面になっている。
今はこの出入り口くらいしかそのデザインの片鱗を窺うことができないのは惜しい。


Kemigawa_04
それでもこの給水塔にはその面影が残されているね。
柱がすべて柔らかいアール曲面になっているのがわかるでしょ。

また諸説あるものの、ここは有名な真珠湾攻撃の「新高山登れ1208」が送信されたと伝えられる場所の一つでもある。
新高山とは当時の日本の最高峰とされた現:台湾の玉山(3,952m)のこと。
「ニイタカヤマノボレ ひとふたまるはち」と読み、12月8日の午前0時を期して攻撃開始という意味だった。
ちなみに戦争が回避されて攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」だったとか。

筑波山、晴れれば良かったのに……
日本のそうした悲しい過ちを伝える建物でもある。

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富里にスイカUFOを見た

富士山大月に続いて今度は富里にUFOが現れた。
って、もう誰も信じてないか。

さっそく富里に向かう。
この日の千葉は朝から深い霧に包まれていた。

Suika_01
まだクルマの少ない東関東自動車道もこの通り。
そう、まるでこの先現れるUFO襲来の危機を暗示するかのように。


Suika_02
そして……

出た~!

森じゃない、その向こう。
ほら、森の樹々の向こうに緑色の丸いUFOが隠れてる。
気をつけろ。
プレデターが飛び出してきて、みんな襲われるぞ!!


Suika_03
なんてね。
富里はスイカ生産量全国2位だもの。
UFOだってスイカ型なのさ。

実はここ、千葉ガスの富里供給所というところ。
このガスタンク(正式にはガスホルダー)は平成12年に『しろみず』という北九州の専門メーカーが建設したものなんだけど、富里のご当地カラーということでスイカ柄が採用された訳。
直径は33mもあって、同じスイカ産地の熊本にあるスイカ柄ガスタンク(直径17m)を抜いて堂々日本一の規模なんだそうだ。

ボク、おなかすいたみたい
パパ、おなかスイカみたい

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大月の山にUFOが

富士山に続いて今度は大月の山にUFOが現れた。

Nec_01
ほーらね。
これがUFOでなければ宇宙戦艦だ。


「NEC」って書いてある?
バレたか。
目がいいんだね。


Nec_02
実はこれ、山梨日本電気の大月工場という所。
知らなかったけれど、昭和61年の完成ということで意外に古い。
光導波路とかいう光通信デバイスなるものを作っているらしい。
よくわからんが。

完成当時、当時の徳仁親王殿下が来社されたそうだ。
「徳仁って誰だ」って?
失礼な、愛子ちゃんとこのパパだよ。
この間、運動会に来てたでしょ。

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もしも井戸からお酒が出たら……

昔、成田空港に向かう時、最後の腹ごしらえは東関道・酒々井PAの立ち食いうどんだった。
空港のレストランなんて、お洒落だけど高くて馬鹿らしいからね。
ただ酒々井PAも今は拡大されてスタバなんかが並び、そんなのどかな雰囲気はなくなってしまったけど。

その酒々井町(しすいまち)、かねがね変わった名前だと思ってた。
調べたら、この町名は「親孝行息子の井戸から酒が湧いた」という酒の井戸の伝説に由来するものらしい。
しかも、その井戸が2年前に再建されたというのだ。
これは行ってみるしかない。
だって、もしかしたらタダで
酒が飲める~♪酒が飲める~♪酒が飲める~ぞ♪
だものね。

Sakenoi_01
場所は酒々井町内の『円福院』というお寺さんの境内にある。
クルマなんか入れない路地の先だから、歩いていくしかない。


Sakenoi_02
右側に立つのが古来から伝わる『酒の井の碑』
竹の柵に囲まれた部分が、再建された『酒の井』だ。
左手の高札にあるボタンを押すと、説明と共にお酒が湧き出るそうだ。
(酒の井の伝説はマウスを置くとみられます)

Sakenoi_03
これがお酒が出るという井戸。
真ん中の石の部分から湧き出して来るよ。
ちゃんとお酒の匂いがするとのことだったけど、何もしなかった。
へん、どうせ花粉性だい。

それにしても、岐阜の養老の滝も実際には普通の水だった。
酒の井も結局、水じゃんか。
もう、訴えてやる~☆


実際にボタンを押してみたよくわかる動画はこちら
                

立体岩屋の岩谷堂はこちら
千曲・大雲寺はこちら。・
長野・布引観音(釈尊寺)はこちら
富津・薬王寺はこちら
平塚・乗蓮寺はこちら
都留・田原神社はこちら

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田毎の月・「姨捨の棚田」

古来、田毎の月として知られ、浮世絵にも描かれた月の名所「姨捨(おばすて)の棚田」に寄った。

Obasute_04
と言っても、最初から目的にしていた訳ではなく途中で立ち寄っただけなので画角が悪いのはご容赦。
時間があればもっと良い撮影ポイントを見つけられた筈なんだけどね。

姨捨の棚田は、千曲川を見下ろす斜面に広がっている。
標高は500m前後。
江戸時代中頃から明治時代初期にかけて開田され、全部で1500枚以上もあるというから、ここは「棚田」とはいうけれどよく言う「千枚田」とは称さない。


Obasute_01
コスモスと刈り取られた棚田はミスマッチ?
でも、共に秋らしい風物でしょ。
他の千枚田と違って、ここは全体に傾斜が緩やかだ。


Obasute_02
はるか眼下に広がるのは善光寺平。
そして、周囲の山々とでかたちづくる景観が評価され、平成11年棚田としては全国で初めて国の名勝に指定されたんだそうだ。

秋だねえ。
田を吹く風が秋の色。
秋田は秋田の風が吹く

鴨川市大山千枚田はこちら
新城市四谷千枚田はこちら

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まだ元気です、『ミッキー広場』

木更津の『ミッキー広場
近くを通る予定があったので、約1年ぶりに再訪してみた。
実は、設置者には悪いけど、まだ存続しているのか心配だったから。

だって、なにしろここは明らかに例の有名キャラクターを模したもの。
いくら同郷(千葉県)のよしみとはいえ、あのネズミーランドが赦してくれないんじゃないか。
だから、再び目にするまではまだあるかどうか半信半疑だった訳。


Mickey_01
あった。
健在でしたね。
それともまだ本家にはバレていないのか。


Mickey_02
例により、竹林に立てかけられた脚立に乗って撮影。
芝の育ちもよく、去年より立派になった感じ。


Mickey_03
しかし竹クン、また一段と太く育ったな。
そういえば、千葉県は竹が名産。
上総中野駅前の名物『竹トイレ』を思い出した。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Mickey_05
でも
道の駅『とみざわ』の竹の子は公衆電話。
トイレと間違えないでね。

ミッキー広場の真実こちら

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そりゃ、やっぱり身曾岐神社だよね>ゆず

ブログをやっていると、ある日突然特定の記事にアクセスが集中して驚くことがある。
今朝は、この身曾岐神社だ。
いったい何があったんだろうと思ってニュースを見たら、これだったんだね。

 人気グループゆずの北川悠仁が20日、フリーアナウンサーの高島彩と、山梨県身曾岐神社で挙式を行い、横浜で入籍したことを発表した。

そうだったんだ。
そりゃあ、自分Y_kitagawa_sがオーナーで、母親が教主なんだから、身曾岐神社で挙式するよね。
おめでとう。
でも、母親って、この場合はどのポジションなんだ?
神職? それともやはり新郎の母親 (゚_。)?(。_゚)?

『栄光の架橋』聞きながら……


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千曲川岩鼻の岩壁に残された旧洞門

長野市と上田市とを結んだ県道77号線。
昔北国街道と呼ばれたこの部分はいま国道18号線のバイパスに昇格し、県内の物流と観光とを支えている。

Iwahana_01
見えているのは『岩鼻』という千曲川随一の難所。
右岸の崖を下塩尻岩鼻(しもしおじりいわはな)、左岸の切り立った110mの断崖を半過岩鼻(はんかいわはな)と呼んで区別される。
地質学的にも違うしね。
いずれも千曲川の激流が岩肌を削って作ったもので、最近はフリークライミングの舞台にもされているらしい。

土手で見えないが、その向こう側に千曲川が流れている。
かつて前田の殿様(加賀)は、この難所を無事通過すると安否を伝えるためお国に飛脚を走らせたほどだったという。
写真中央を左右に走っているのが国道の新しいバイパスで、左端に見えるトンネルで今はこの難所を通過している訳だ。


Iwahana_02
バイパスの下を潜り抜け河原側に廻ってみると、岩鼻の岩肌に大きな穴が見える。
これも氾濫した千曲川が造り上げたものという。
今よりも河床の位置が高かった訳だ。

ちょうどその下にかつて使われていた道路の建造部が姿をみせている。
すごい所を通っていたんだな。
旧道は岩肌を穿った片洞門だったことがわかる。
岩は角閃石ひん岩というもので、エジプトなんかによくあるタイプらしい。
もしかして、ピラミッドにも使われた?

しかしこの難所では崩落が繰り返され、危険な状態が解消しないことから新たに上記の岩鼻トンネルが計画され平成18年に完工。
これに伴い、洞門のほうは放棄されることとなった。
そこがいまどうなっているか、見てみよう。


Iwahana_03
これが放棄され、雑草の住み処となってしまった旧洞門の内部だ。
今は高く伸びた雑草に覆い尽くされ、近寄ることすら妨げられる。
洞門の造りはずいぶん頑丈そうに思えるけれど、それでも各所に亀裂があるのが素人目にもわかる。
やっぱりこのまま残すことは無理だったんだろうな。
長い間頑張りました。
もう廃道にしていいですか?
ハイ、ドウぞ。

草をかき分け歩いてみたよくわかる動画はこちら
                

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赤いべべ着たお地蔵さん

Ojizosama_01

立ってる場所は凄いけど、小さな可愛いお地蔵さま。

Ojizosama_02

そう
お地蔵さまには『まる』が似合う。

信州・布引観音にて

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牛にひかれて『布引観音』さん

布引観音(釈尊寺)は、小諸にある天台宗の名刹だ。
行基が創建というその観音堂は、険しい断崖絶壁の中腹にある。

Nunobiki_01
実は「牛にひかれて善光寺」伝説の舞台となった所。

Nunobiki_05登る途中には善光寺まで通じるという穴もあって、実際善光寺が火災にあった時にはそこから煙が出たとも伝えられている。
また「牛岩」と名付けられた大岩もあったが、どう見ても牛には見えなかったので撮らなかった (>_<)

なお、牛に化身して、強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音様が最上部のお堂には祀られている。


Nunobiki_02
下からここまで来るのでさえ、厳しい道を20分ほども登らされるのだが、上がってきてもこんな感じ。
さらにこの洞窟のような所をくぐり抜けていくと……


Nunobiki_03
着いた。
まるであのブランド薬師のようなシチュエーションだ。
お堂の中にある観音堂宮殿は国の重要文化財に指定されている。

そしてここもお堂の下を覗くと……
あの、支える柱がだいぶ傷んできているようなんですけどぅ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

こんな険しい所を苦労して登ってきたのに、上に着いたら駐車場があった。
なんだよ、ちゃんと道があったんじゃないか。

立体岩屋の岩谷堂はこちら
千曲・大雲寺はこちら。・
酒々井・円福院はこちら
富津・薬王寺はこちら
平塚・乗蓮寺はこちら
都留・田原神社はこちら

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はかなく消えた善光寺白馬電鉄の遺構

長野市から白馬村へとつなぐ国道406号線。
善光寺さんを過ぎると、道は裾花川沿いに高台を走るようになる。
そして平成16年、建設費40億円という巨費を掛けて建設された、これが茂菅大橋。


Zenpaku_02
うん?
橋の下に何か、古い橋脚のようなものが見えるぞ。
これは下に降りてみなくては……。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

これはなんだ?
なんてね。
もちろん調べた上で訪ねているんだけど。


Zenpaku_07
これは昭和11年に一部開業した長野-北城間36kmを結ぶ善光寺白馬電鉄(通称善白)の橋脚だ。
しかし太平洋戦争のあおりを受け、昭和18年には政府から「戦時下の不要不急線」として営業休止を指示される。
そして理不尽にも全線の施設撤去を命令されてしまったのだ。
レールなど鉄類はすべて供出という浮き目に遭う。


Zenpaku_06
それでも石なら残っている。
橋脚から500mほど歩くと、旧茂菅駅の名残が現れた。
中央の石段部分が、かつて茂菅駅のホームだった所だ。
しかし現在でも総人口270人という小さな茂菅の部落。
はたして何人の人がこのホームの上で電車を待ったんだろう。


Zenpaku_04
茂菅を過ぎると地形は険しくなり、トンネルが連続する。
これが1号トンネル。
もちろん立ち入り禁止だから、良い子は入らない。


Zenpaku_03
1号トンネルからの道は旧線路跡が今もそのまま道路として残っている。
こののどかな道がそれだ。


Mosuge_01
途中で現れたこの遺構。
一瞬、色めき立ったがこの穴じゃ電車は通れない。
実はこれ、明治31年この地に長野県初のダム発電所が作られた記念の史跡。
東京に遅れること20数年だったそうだ。


Zenpaku_05
そしていま辿れる善白電鉄最後の遺構。
それがこの2号トンネル。
隙間からカメラを入れると彼方に出口の明かりが見える。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
ただここにもレールはもちろん、犬釘一本すら鉄類など残されてはいない。

そしてこれより先は崩壊が激しい上に、後年路線部分に裾花ダムが建設されてしまったから進めない。
はかなく消えた、善白電鉄の遺構。
いくら戦争のためとはいえ、たった6年で終わりなんて。


妻科駅へ着けば裾花川が寄り添って対岸に白岩を露はしている。
左手に長野電燈の里島発電所を見て茂菅駅に着くと唐沢鉱泉があり第一のトンネルを潜る。
やがて電鉄の夢見る鉄道としてトンネルの天井は高い。
第二トンネルの手前にすぐ有名な裾花川松島の景勝を見、そして第三、第四トンネルを貫く二条のレールは煤煙禍のないカーの中から未来を示唆するかの如く光り輝いている。

【昭和11年11月23日付 信濃毎日新聞】


【鉄道遺構リスト】
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遊んでます、幸助&福助

おかげさまで順調に育っています、幸助(左)&福助(右)。

Kf_111014

こんな具合に遊んでる。
片手でカメラ、片手でじゃらして撮影した動画はこちら
(の首輪が幸助、の首輪が福助) Yajirushi4sss


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青木ヶ原樹海の中で…… 見た!!

今年7年ぶりに出現した赤池からさらに国道139号線を南下。
旧上九一色村と言われた辺りになると、もう両側は深い樹海。
そう、ここは通称『青木ヶ原』と呼ばれるところ。
『自殺の名所』なんて、不名誉な言われ方をされるのが常だ。

そこにあえて踏み入ってみる。

Jukai_01
昼でもあまり太陽光線の届かない鬱蒼とした暗い樹林の中。
湿気が多く、至る所に苔(こけ)が密集している。

あれ?
これって、もしかして石が人工的に積まれてないか。

Jukai_02
さらに進むと、それはさらに厚くなり、より高さを増す。
すでに2m以上はあるだろう。

そう、実はこれは『信玄石塁』と呼ばれるもの。
かつてこの辺りには甲斐と駿河を結ぶ『中道往還』と言われる道が走っていたそうな。
駿河からは海産物が、甲斐からは竹細工などが運ばれたという。
しかしいざ戦となれば、道は他国から攻め入られるルートになる。
そこで武田信玄が防衛のためこうして樹海の中に石塁を築いたんだね。
トータル2キロほどもあるというが、まだ自殺するつもりはないので早々に退散した。
だって樹海の中を歩いていると、方向感覚がなくなるんだもの。

Jukai_03乏しい太陽光のもと、苔の中からはこんなみごとなキノコが育っていた。
元気でしょ。
きっとあなた(の)より立派に違いない。

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悲運のお城・もう一つの五稜郭

長野県佐久市にある龍岡城。

Tatsuoka_01
龍岡藩の藩庁が置かれていたお城だ。
みごとな石垣とお堀が保存されている。
レンズが広角ということもあるけれど、石垣の角がかなりきつく見えないか。

Tatsuoka_02
こちらは別角度から。
堀を奥のほうまで見通すと、北海道のあの有名なお城の感じが思い出される。
そう、ここは日本第2の五稜郭なのだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

(拡大します)
正確には日本に二つある『五芒星形の西洋式城郭』のうちの一つ。
開明派だった領主・松平乗謨は、洋式築城での設計を幕府に届け出て許可を得る。
ただ、築城を開始した同じ年(元治元年:1864年)、函館の五稜郭のほうはすでに完成した。

この遅れが結局、龍岡城の命運を奪った。
こちらは築城途中に明治維新を迎え、ついに完成の暁をみることはなかったのだ。
上(南)の部分は未完成だし、函館のようにタワーもないので上部から全体を見ることもできない。
だから通常「五稜郭」といえば、もちろん函館のほうを指す。
こっちだって同じ五稜郭なのに……
不運なお城なのだ。

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4歳児の『911番』、母親の危機救う

アメリカのアイオワ州で、4歳児の機転が母親の危機を救ったそうだ。
なんでも突然目の前で母親が血糖値の低下により意識を失ったのを見て、まだ4歳のハイデン君は冷静にママの携帯電話で『911番』、救急車を手配したんだとか。

ハイデン君は「911に電話しないといけないと思ったんだ。
それでスーパーヒーローにならなきゃいけないと思ったんだ

母親は「この子は私の命を救ってくれた、私の小さなヒーローよ」と、手放しの喜び。


でも、救急とのやりとりを聞いていると面白い。
救急:「サイレンの音が聞こえる?

ハイデン君:「うん、悪いヤツらが来た」だって。
どんな教育?
ママは普段から警察や消防が嫌いだったのかな。

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世にも怖~い『冠着橋(かむりきばし)』

走っていて、橋やトンネルというのは誰にとっても心理的圧迫を感じるものだろう。
ましてやその幅がどんどん狭くなったら?
実はそんな橋が長野県にはある。


Kamuriki_01
日本一長い川、千曲川(信濃川の上流)に差し掛かった。
うん?
橋のたもとに信号がある。
なんか、地図のようなものも掲げてあるぞ。

Kamuriki_02
なんと橋の途中でに幅の異なる4つのゾーンが繋がっていることがわかる。

ここは『冠着橋(かむりきばし)』という橋で、これまで何回も修復が行われた結果、こんな世にも不思議な橋が出来上がってしまったそうだ。
それにしても、渡っている間に3回も幅が変わるなんて……。

(C)Google Map
Kamuriki_map
これはこの冠着橋を航空写真で見たところ。
橋が長いので感じにくいが、渡り初めと終わりとでは道幅が倍も違うことがわかるでしょ。

歩道はそのうち一番広い部分だけにしかない。
渡っていくうちになくなってしまう歩道って、どういうこと?
渡るのは命懸けじゃないか。


実際に渡ってみたよくわかる動画はこちら
(わかりやすくするために、広いほうの写真上側から渡っています)
                

【橋リスト】
・その名も粋なり『恋路橋』はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・須坂の渡れない橋はこちら
・長電の警笛が響く村山橋はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・未成の天津ループ橋はこちら
・明治・土木の誇り、汐止橋はこちら
・桂川・水路の旅はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・モダンなアーチ・新矢柄橋はこちら
・自殺防止の鏡渡橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら
・崩落橋梁・旧鹿行大橋はこちら
・甲斐・信濃の旧国界橋はこちら
・レールの旧春木川橋はこちら
・第二東名・新富士川橋はこちら

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お山の上の『猫神』さま

千曲市の北部、八幡という地区に禅宗の古刹がある。

Daiunji_01
お寺?
どう見ても、これはお城の石垣でしょ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
でも、実はこれが上記の大雲寺というお寺さん。
前には大きな池があり、蓮の花の名所でちょっと前なら満開だったらしい。

でも目的はこのお寺ではなく、背後にある里山。
お寺の脇から急坂を登っていく。

Daiunji_03
たかだか500mにも届かない小山だけど、登ればこんなに高度感がある。
後から知ったけど、「緑の季節は行くべきではない」だと。
だってヤブはすごいわ、蜘蛛の巣はすごいわ、ヘビまでいるわ……

Daiunji_04
尾根に出ると、小さな鳥居と祠が祀られている。
これが霊諍山(れいしょうざん)だ。
「諍」というのは「いさかい」だから、なんか信仰の舞台にはふさわしくない感じがするけれど、今から200年近くも前の天保時代に名付けられたというから何かそれなりの意味はあるんだろう。
信者の願果たしのお礼として奉納された石神・石仏が、全部でなんと110体も並んでいる。
もしかして、雑多な石仏さんたちが「いさかい」しているのかな。

Nekobutsu_01
今回の僕の目的はこの中の『猫神』さまだ。
対とは思えないから、たぶんもともとは別々だったんだろう。
でも今は二匹の『猫』が仲良く並んでいる。

Nekobutsu_02
海老蔵のように目を見開いたこっちの『猫神』さまは、なんと褌(フンドシ)を締め、マントを羽織っている。
信州の冬の寒さは厳しいから、せめてネコにもフンドシとマントを?
気持ちはわかるけど、でもおヘソを出していちゃねえ。
お腹壊すよ。

Nekobutsu_03
こちらは普通のおネコさん。
この辺りは昔から養蚕が盛んで、ネズミの被害に悩んでいた養蚕家はネコを頼りにしていたそうだ。
そのお礼にこうして『猫仏』さまを奉納したんだろうね。
ウチにも可愛い2匹のネコちゃんが来ました。
よろしくお守りください。
Ani_neko14 Ani_neko14

お山の上で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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わが家にニャンコがやって来た

昨日書いたように、わが家にニャンコがやって来た。
まだ1か月ちょっとのチビネコなのに、しっかり躾ができていて、食事もトイレもまったく心配ない。
とってもいい子たちだ。

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こちらが長男の『幸助』
体格が大きく、力持ち。

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こっちが次男の『福助』
ちょっと小さめでおとなしい。

Kf_111006_2
お食事タイム。
さっさと食べ終えた幸助に自分のお皿を奪われて、もの悲しげ(?)な福助。
これだから、ちゃんと見てあげてないと……。

満腹になれば兄弟揃って運動タイム。
そしていつの間にか、くっついてぐっすり……。
この繰り返し。
いつまでも子猫のままならいいのに。

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わが家にニャンコがやって来る

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今夜、わが家に天使がやって来る。
待望のニャンコ。
しかも2匹!
まだ1か月ちょっとのちびネコ。
先輩のピーちゃんは天国に逝ってしまったけれど、やっとその後輩が決まったことになる。

先日ノラ猫の保護や里親捜しをしている浦和キャッツという所の里親会に出掛け、引き受けることを決めたもの。
そろって捨てられていたのを保護されたということだが、実に良く似てる。

Kf_01s当初は一匹だけ引き取るつもりで出掛けたのだけれど、ケージにまだ小さな兄弟が不安そうにくっついているのを見たら離れ離れにするのが忍びなく、結局2匹共に引き取ることになっちゃった。
その後検診その他を済ませ、今夜やって来る予定。
それにしても献身的なこうした篤志家の活動には頭が下がる。

共に男の子。
名前は幸福になれるよう、『幸助』&『福助』と名付けた。
これからここにも度々登場すると思うので、よろしくネ!

(写真はまだ先方でのもの。
診察室で不安そうな表情をしている)

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明神峠の忘れ去られた坑道跡

富士の明神峠にほとんど知られていない古い鉱山の跡があるという。
資料がほとんど見つからないので、とにかく行ってみるしかない。

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明神みちは山中湖と小山町とを結ぶ古い道。
探索の都合上、逆に山中湖のほうから峠を越えた。
富士にはやっぱり雪を被った姿が似合う。


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三国峠、さらに明神峠を越えて下ると彼方からエクゾーストノートが聞こえてきた。
懐かしい富士スピードウェイだ。
そろそろ国道を外れ、山の中に入らなくては。


Myoujin_03
本来、クルマも通れるはずの大野林道だったが、直前の台風の影響でこの始末。
まだ通行止めにはなっていなかったが、歩きにして良かった。
ボンヤリ運転していたら、転落だ。


Myoujin_04
鉱山の目標になる、廃屋が現れた。
おそるおそる、内部を覗いてみる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
冬は冷えるのだろう、小屋の真ん中には囲炉裏が据えられていた。
ここを拠点に採掘が行われていたのだろうか。
坑道はすぐ近くの筈だ。


Myoujin_06
さらに進むと首尾よく山側の陰に坑道の入口が顔を覗かせているのを見つけることができた。
左側は酒匂川の支流、須川でほぼ源流に近い。
坑道は入口からすぐ左右に分かれていた。
どちらも穴は丹沢に多くあるような、荒い手掘りのもの。
これも武田金山の一つなのかな。


Myoujin_07
持参のヘッデンで、奥を見通してみる。
いずれもかなり深くまで続いているようだ。
幸い虫やコウモリはいなかったけど、信玄の隠し軍資金も見当たらなかった。
見つけたら、のんびりこんな記事書いてないしね。


Myoujin_08
怖いのですぐ引き返す。
臆病なんじゃない。
また大きな余震があったら危ないからだい。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・玄倉鉱山跡はこちら
・渋沢鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡パート2はこちら
・東沢鉱山跡はこちら
・日影沢鉱山跡はこちら
・麓金山跡はこちら
・玄倉鉱山跡パート2はこちら
・山田鉱山跡はこちら
・奥沢鉱山跡はこちら
・富栖鉱山跡はこちら
・須玉(増富)鉱山跡はこちら
・川尻鉱山跡はこちら
・梓山鉱山跡はこちら
・オイ沢鉱山跡はこちら
・大仁鉱山跡はこちら
・持倉鉱山跡はこちら
・倉沢鉱山跡はこちら
・峰之沢鉱山跡はこちら
・湯ヶ島鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら
・伊豆天城鉱山跡はこちら
・寝姿山鉱山跡はこちら
・矢筈山鉱山跡はこちら
・縄地鉱山跡はこちら
・茂倉鉱山跡はこちら

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右も左も踏切だってば

ここは目白の住宅街。

Fumikiri_01
十字路だけど、変形なのでほぼY字路のよう。
さて、右行く? 左行く?
(右は進入禁止だっつうの)


Fumikiri_02

げ~

電車が来た~
どっちを向いても同じ西武線の踏切。
つまり『踏切の双生児や~☆』

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頼朝の『試し切り石』

道志みちの鳥屋の沢という所に頼朝伝説の一つ『試し切り石』という巨石がある。
(この辺りには源頼朝が鷹狩りに訪れたということで、他にもいろいろ伝説が残されている)


Tameshigiri_01
これが試し切り石。
かなり落ち葉に埋もれているが、実際にはかなり大きい。


Tameshigiri_02
道志川の上流「長又地区」で武道鍛錬にいそしんだ頼朝が、所持していた名刀を研ぎすまし近くにあった石に切り付けたところみごと真っ二つに切り裂かれたと伝えられている。

科学的に言えば……
これは石英閃緑岩というもので、方状節理があるのできれいな割れ方をするんだそうだ。
とはいえ、それでもほんとうに割るには固いイシが必要。


Kabutoiwa
こちらはほど近く、頼朝が兜を脱いで休んだとされる『兜岩』
石の形が兜に似ている?


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

ちなみに鉱物を割るには、ハンマーでこうぶつ

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ゴリラの鼻くそ

おみやげに最適」というけれど……

Gorilla
ゴリラの鼻くそ』って、いったいどこのお土産やねん。
上野動物園なのかと思っていたけど、調べたら北は旭川の旭山動物園から、南は沖縄ランドまで、全国津津浦浦。

ちなみにこれは佐久平PA(上信越自動車道)で見掛けたもの。
販売元のリストに長野県の動物園なんてないんだけどね。

もう こりゴリラ~☆

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