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ニイタカヤマノボレ(検見川送信所跡)

千葉市の静かな住宅街の中に、それはある。
住宅地なのに、この一角だけが開発から取り残されたように伸びた雑草に覆われた状態。
それにしても、この古ぼけた建物は何だ?

Kemigawa_01
実はこれ、旧逓信省の検見川送信所(けみがわそうしんじょ)の跡。
外国通信を目的とした施設で、日本で初めて短波による標準電波を送信した由緒ある歴史的施設なのだ。
中学校用地として市に払い下げられたが、保存運動が持ち上がってこのままになっている。


Kemigawa_02
縦長窓を配置するなど独特のデザインが高い評価を受けていたというが、残念ながら内部を破壊するなどの不法行為が続いたため、このように窓という窓は鉄板で塞がれてしまった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
(中央の赤い鉄板部分の窓)

Kemigawa_03
ドイツ建築を学び、のちに東京中央郵便局等も作った逓信省技師の吉田鉄郎の設計だが今は本館が残るのみ。
建物のほとんどすべての角が曲面になっている。
今はこの出入り口くらいしかそのデザインの片鱗を窺うことができないのは惜しい。


Kemigawa_04
それでもこの給水塔にはその面影が残されているね。
柱がすべて柔らかいアール曲面になっているのがわかるでしょ。

また諸説あるものの、ここは有名な真珠湾攻撃の「新高山登れ1208」が送信されたと伝えられる場所の一つでもある。
新高山とは当時の日本の最高峰とされた現:台湾の玉山(3,952m)のこと。
「ニイタカヤマノボレ ひとふたまるはち」と読み、12月8日の午前0時を期して攻撃開始という意味だった。
ちなみに戦争が回避されて攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」だったとか。

筑波山、晴れれば良かったのに……
日本のそうした悲しい過ちを伝える建物でもある。

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コメント

おはようございます

あの太平洋戦争が、ここから発信された暗号から始まってるんですね。もっとも、何かで読みましたが、アメリカは「ニイタカヤマノボレ」の暗号をアッサリ解読していた、ともいいますね。だとすると、バレバレの暗号だったのでしょうかね。

こういう歴史的な建造物は、ここまで破壊されてから保存するのでは間に合いませんね。もっと早くに行政が手を打っていれば、と残念です。

悪ガキどもが、この建物の意味など考えずに、「ただの廃墟で格好の遊び場」として荒らしてしまった結果なんでしょう。

ところで、逓信省技師の吉田鉄郎さん、というのは、元々は建築家ではなかったのでしょうか?

これだけの(センスの良い)設計をするためには建築に関する知識や技術を専門的に学んでなければ不可能、と思えるのですが・・・。

投稿: poohpapa | 2011.10.28 07:55

poohpapa さん
おはようございます。

吉田鉄郎は東京帝大建築学科を出ていて逓信省では実に多くの建物を手掛けていますが、専門の建築家という訳ではなかったようです。
でも、あの「日本美の再発見」のブルーノ・タウトが吉田の作品を讃えたというから建築の才能があったんでしょうね。

(いまだにpoohpapa さんとこコメントできません (>_<)

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.10.28 08:55

<<(いまだにpoohpapa さんとこコメントできません (>_<)

すみませんです、他の方からはコメントが入っているので不思議ですね。

あ、くれぐれも「拒否」にはしてませんので^_^;

投稿: poohpapa | 2011.10.28 09:15

逓信省の建築ライバルだった山田守設計の浄水場がうちのそばにはあるのです。元々山田の方が曲線形は得意だったみたいですね。あれも近い将来なくなりそう…。

投稿: 山おばさん | 2011.10.28 12:39

山おばさんさん

山田守設計の浄水場というと、川崎の長沢浄水場ですね。
お近くなんですか。
あそこはたしか、「ギレンス」履いたバルタン星人に乗っ取られたんじゃなかったかしら。
(゜_x)バキッ☆

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.10.28 13:31

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