« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

キングスクロス駅のレンガ積み

日本で最も有名なロンドンの駅といえば、断然『キングスクロス駅』だろう。
そう、あのハリー・ポッターに出て来るホグワーツ特急の始発駅だ。

Platform_9_and_threequartersただし、列車が出るのは9番線と10番線の間にある9と3/4番線という実際には見えないホーム。
それが本物のキングスクロス駅に再現されているのだからすごい。
ほら、ちゃんと「9と3/4番線」のプレートが付けられている。
この中央部分をポッターたちは通り抜けるんだね。
こういうところが英国ジョークらしくて楽しい。

写真を見ると、味のある煉瓦(レンガ)造りになっている。
それなら当然レンガはイギリス積みなんだろうと思ったら……
あれ、何か変 ?(゚_。)?(。_゚)?

Brick_france【A:フランス積み】
上の写真のAの部分はフランス積み。
フランス(フランドル)積みというのは、一段にレンガの長手と小口とを交互に積む。
日本では明治初期に採用された一番古いタイプで富岡製糸場なんかがそう。

Brick_nagate【B:長手積み】
その下のBの部分、今度は長手積みになっている。
長手積みは、レンガの長手方向だけを千鳥(ジグザグ)に積む方式だ。
普通、思い当たるのはこのタイプだろう。
実際、素人が積むのはたいていこれになるよね。

Brick_gb【C:イギリス積み】
そしてやっと現れた、これが本場イギリスのイギリス積み。
一番下のCの部分にあたる。
イギリス積みは一段を長手だけで積むと次の段は逆に短い小口だけで積む。
赤レンガ倉庫なんかがこれ。

【結論】
イギリスのレンガだからといって、必ずしもイギリス積みじゃあない。

なんだ、イギリス人は日本人みたいにちゃんとしてないんだな。
「レンガ、欲しい?」
「レンガはヤレンガ、岩ならイーワ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

畑に残る戦闘機燃料庫

--住宅地に残る戦闘機燃料庫から続く--

花野井の燃料庫跡からクルマで数分の所に来た。

Shuusui_11
新興住宅の端にある階段を上ると、上には一面の畑。
ネギがおいしそう。
いや、そのさらに向こう。
なんか妙な物体が見えないか。

Shuusui_12
ほ~ら
右はハクサイなのに左はキャベツだ。
じゃなくて、まるで砲門が並んでいるようなこの奇妙な光景。
いったい、これは何?

Shuusui_13
実はこの地下にも燃料庫があり、これはそのガス抜きの管だった。
Shuusui_00
『秋水』はロケット戦闘機だったので、従来の燃料以外に劇薬の酸化剤が使われたという。
そこで安全確保のため換気口を供えた燃料庫が必要とされたんだね。
しかし畑とのコントラストがなんとも異様。

それにしても畑では邪魔だろうにこんなのが戦後60年以上を経てまだ撤去されずにあるなんて。
地中ではよほど頑丈に据えられているんだろう、見てみたいものだ。
試しに管の中を覗いたら、モグラと眼が合った。


【戦争遺構】
富津岬・軍事施設跡はこちら
茂原の掩体壕はこちら
州ノ崎の試射場跡はこちら
府中の米軍通信基地跡はこちら
丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
大月の監聴音壕はこちら
サイパン帰りの戦車はこちら
焼夷弾と戦った墓石はこちら
野島公園の掩体壕はこちら
横須賀の砲台山はこちら
砲弾を抱えた狛犬の神社はこちら
かもめ団地の試射場はこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

住宅地に残る戦闘機燃料庫

千葉県柏市、ここにはかつて陸軍の飛行場があった。

Shuusui_01
いまはすっかり住宅街になった花野井の一角に、こんな奇妙なコンクリートの遺跡が残されている。
すぐ隣には『柏ビレジ交番』があるが、もちろんこの異様物体の警備のためではない。

Shuusui_02
入口に廻ると、コンクリートですっかり塞がれた上、さらに鉄パイプで厳重に封鎖されている。
これはいったい何なのだろう?

その正体は航空機の燃料庫跡。
しかもロケット戦闘機のだ。
太平洋戦争末期、高度1万mで飛ぶ米『B29』迎撃のため、陸海軍共同で開発されたロケット戦闘機『秋水』(しゅうすい)のための燃料庫だったんだね。

Shuusui_03
上から見るとこんな感じ。
なぜか微妙に曲がっているのが印象的だ。

近くにあった柏飛行場で試験が予定されていたのでここに専用のロケット燃料庫が設置された訳だけど、試験飛行に失敗した『秋水』は結局実戦配備されることなく終戦を迎えた。
そして住宅街には似つかわしくない燃料庫が、こんな姿を今もさらしている。
次はもっと異様な姿を見に行こう。

--畑に残る戦闘機燃料庫に続く--

| | コメント (2) | トラックバック (0)

学校の花

すっかり寒くなって花の少ない時期になったけど、これ結構きれいでしょ。

Hana_01
フェンスの向こうは、地元の小学校。
そう、わが家の子供たちもかつてランドセル背負って通った所だ。
そのフェンスに沿ってずっときれいな青い花が咲いている。
わざわざ見に来る人もいるんだそうだ。

Hana_02
学童パトロールの途中で見掛けたもの。
花の名は……
教えてもらったけど忘れた。

夏にはヒマワリの花が並ぶところ。
しかしこの花の丈はかなりあるので、おそらく父兄が手を貸しているのだろう。

Hana_03
さらにルートのその先でいつも見掛けるベビーカー。
双子用のものはよく見るけれど、これは実に4人乗り!
車輪の構成もユニークだね。

このお宅、ほんとに4つ子ちゃんなんだろか。
タイヘンですね。
ウチなんか、2つ子の子猫だけでも一日振り回されているのに。

【追記】
「皇帝ダリア」でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

一国一城の主になった人

男であれば、「一国一城の主」というのは誰でもみる夢だろう。
そんな夢をほんとに叶えた人がいた。

ここは茨城県の稲敷市。
赤いレンガの西洋館からもほど近いところだ。

Tenshu_01
新興の住宅地の中、深い緑に囲まれた一角がある。
竹林の左手、どうみてもこれは普通の建物じゃないよね。
実はこれが個人が自宅の敷地内に建ててしまったお城。
正式名を『天守之櫓』(てんしゅのやぐら)という天守閣だ。

Tenshu_02
昭和58年に完成。
立派な石垣は6m、その上の建物は約10mもあるという。
天守は二層で、石垣内の階と合わせ木造3階建てとなっている。
屋根の鯱瓦は立派だけど、よく見るとススキが生えているよ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

なんでも戦争を体験したご主人が仲間の慰霊のために建てたんだとか。
別名『日本名城資料館』といい、一層は板張りの間で全国の城郭写真や模型、武具、資料などを展示。
二層は畳敷きの間で郷土の歴史・文化の紹介や客間などがあったというが、今は入れない。

なぜなら築城からわずか6年で城主が死去。
その後は後を継ぐ者もなく、お家断絶になってしまったからだ。
やはり個人で建てた、鹿島の竜宮城のような哀しい運命だね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『日本一短いトンネル』制覇!

ここは千葉県南房総市。
北から南方向を見ているので、右手の海が東京湾の浦賀水道になる。

Tomiura_01
湘南の烏帽子岩みたいな岩が象徴的だね。
見えているのは富浦海岸の法華崎という岬だ。
実はここに、ある日本一のものが映っている。

Tomiura_02
今度は逆に南側から、より近寄って撮影したもの。
上の写真では自動車も通れた道路だが、この部分はいまクルマ止めにより歩行者専用の遊歩道になっている。
その鉄骨が見える部分、実はここが日本一短いトンネルとされているところなのだ。

Tomiura_03
これがちょうどトンネル部分の真下から海に向かって撮影したところ。
鉄骨は別に岩を支えているのではなく、クルマの接触から岩を保護するのと同時に落石防止のネットを張るためのものだ。
なに、こんなんじゃトンネルとは言えないだろうって?

Tomiura_map2じゃあ、この地図を見てもらおう。

これはこの岬部分の地図を切り抜いたもの。
(一番上の写真と同じ方向。構成上、南北を逆にしています)
地図にはちゃんとトンネルマークが描かれているのがわかる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
つまり、侮るなかれ。
小なりといえど、これでも公式にトンネルと認められているということなのだ、

Tomiura_04
ちなみに上部から見るとこんな感じ。
トンネルの全長は1メートルもないかも。
こんなトンネルなら、照明がなくても怖くないぞ。


出口の見えないトンネルはこちら
市原の天井抜けトンネルはこちら
君津の急傾斜トンネルはこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

石棺に感動 長柄横穴群

トンネルの多い千葉県は同様に横穴式古墳が多い所でもある。
東日本では断然のトップで、実に累計1万7千個以上にもなるというのだから驚きだ。

Yokoana_n_04
その中の一つ、長柄(ながら)町にある『長柄横穴群』という所を訪ねた。
穏やかな林の奥に、よく見るといくつもの穴が並んでいる。
約1300年前に造られた古墳ということで、平成7年に国の文化財に指定された。
残念なのは、農家が貴重な古墳とは知らずに一部を物置として使ってしまったこととか。

Yokoana_n_01
大小合わせ、ここだけで34基もあるそうな。
その中の一つを覗いてみよう。

線画が見つかったということで一部に保護されているものもあるが、多くはこのように出入り自由なのだから驚き。

Yokoana_n_02
見よ!
玄室(棺を納める部屋のことね)の内部にはみごとな石棺が2基並んでいる。
これまでいくつもこうした古墳に行ったけれど、中にこんな立派な石棺が残されているのを見たのは初めてだ。
まるでエジプトのPyramid_sピラミッド内部のようじゃないか。
だから古墳コーフンする。

Yokoana_y_01
たとえばこれは前に行った上田市の吉田原古墳。
普通の団地の中にある。
説明文にある玄室を確認してみたが、石が敷き詰められているだけの様子。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Yokoana_k_01
こちらは伊豆・函南町にある柏谷横穴群。
ここの玄室も内部はこの四角い溝が掘られていただけだった。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


【結論】
ここ長柄横穴群は素晴らしい。
まだあまり知られてないし、場所も超辺鄙な所だけれど、関心のある人なら必見であります。
ただ気掛かりなのは入口にあるこの立て札。
マムシに注意!!』だって。
でもまー、無視して大丈夫でしょう (^.^)v

| | コメント (0) | トラックバック (0)

え 洋服なの?、ブータン国王夫妻

Bhutan_fusai3国賓として来日していたブータンのワンチュク国王とペマ王妃が5日間の『新婚旅行』を終え、関西空港から帰国したね。
東日本大震災直後に100万ドルの義援金を送るなど、超親日国家であることを如実に示した今回の訪日は、日本でもブータンに親しみを覚える数を倍増させたことだろう。
被災地の慰霊だって、わざわざ国の高僧を同行させたというのだから本物だ。
(なんで受け入れる日本側が皇太子『夫妻』じゃないのかわからんが)

ブータンは同じ穏やかな仏教国民で、顔も日本人と似ているし、王妃は最高に魅力的。
男性用の「ゴ」、女性用の「キラ」と呼ばれる民族衣装も親しみ深いものだったしね。
ただ、国民には公的の場での着用を義務付けているというのに、関西空港では洋服姿。
これって、大丈夫なの?

Manisha_ss_3それはさておき、ブータンの仏教用具である『マニ車』がいま人気急上昇なんだって。
なんだそんなもの、前から僕は主張していたじゃないか。
オートマじゃクルマの魅力は引き出せない。
クルマはやっぱり『マニ車』だよ。

マニ車って、マニュアル車のことじゃないの?


| | コメント (0) | トラックバック (0)

天津小湊の廃神社と狛犬

千葉の天津小湊から山道を登った途中の、とある神社。
かなりさびれているようだ。
それでも入口には立派な狛犬が左右に並んでいる。

Ooyama_01 Ooyama_02
ちょっと前髪が伸び過ぎている感じはするけれど、強そう。
ちゃんと阿吽になっているしね。
(右が口を開いた「阿」、左が閉じた「吽」)

え 狛犬よりも、背後の様子が凄いことになっているって?
なんだ、そっちか。

Ooyama_03
まあ、確かに。
この神社、正式名を『大山祗大神』(おおやまつみおおかみ)という。
古来、戦いの神つまり武運長久を祈るものなんだそうだ。
だから狛犬も強そうなのかな。

Ooyama_04
しかし狛犬はともかく、ほんとに拝殿はボロボロ。
柱は斜めだし、壁は崩れて外が丸見え。
やけに明るいと思ったら、屋根まで抜けているしね。

Ooyama_05
それでも奥の本殿には灯明はあるし、お供えだってきちんと添えられている。
「明かり取りの天窓」も。
何より、神社で一番大切なお賽銭箱は健在である。
見ると榊(さかき)や紙垂(しで)など、まだ新しい。
こんな状態の神社でもちゃんと参拝者があるというのは驚きだ。

Ooyama_06
横を見れば、押し入れには神具ならぬ寝具も用意してあるし。
ど~お
神のご加護の元、一泊してみませんか。
ただ、雨が降ったら悲惨なことになると思うけど (>_<)


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

曾呂尋常小学校跡はこちら
鹿島の竜宮城跡はこちら
龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
伊豆・韮山のマリア観音像はこちら
追原廃村の跡はこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

追原廃村の大カエデ(君津)

君津市の山の中、苔むした石垣の上に印象的な大きな楓(カエデ)の樹がある。
しかしここに行くのは容易ではない。

拡大します
Oppara_01
樹齢何年になるのだろう。
この樹はある村のまさにシンボルだった。
しかしいまその村はなく、辿る道も荒廃した。
かつて、その村の名前は追原(おっぱら)と言った。

Oppara_02
その村に行くには、房総半島中央部を貫く県道81号線から離れ、この吊り橋を渡っていく。
場所はあのループ橋からさらに上った所だ。
吊り橋自体は結構な幅があって荷車程度なら通れそうだが、渡った先はすぐに狭い山道となるので事実上歩きでしか村に行くことはできない。

Oppara_03
途中、杉林の中に壊れ掛かった小屋が現れた。
しかしこれは林業のための作業小屋で、目的の廃村とは関係ない。
ちと不気味なので足早に通り過ぎる。

Oppara_04
さらに進むと小さな小川を渡る、丸木の橋。
しかし人々が住んでいた頃にはもっと頼りになる橋があった筈だ。
探ってみると、河原の石にはこんな穴を穿った痕跡が見つかった。
これこそ、当時架けられていた橋の杭穴の跡だろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Oppara_05
杉の木が生えた小高い台地部分に、石垣が現れた。
こんな山の中だけど、ここには確かに人の営みがあったことを石積みが主張している。
そう、こここそが消えた村、追原の入口。
最初のカエデの樹はこの奥にそびえている。

Oppara_06
人が暮らしていた証拠になる、井戸の跡がみつかった。
中を覗くととても深さがある。
そこには昔と変わらない、まだ清冽な水が蓄えられていた。
周辺に散在する石造りのものは、何かの建物の基礎部分だったようだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Oppara_08
住宅跡周辺を一通り探索したあとは、谷を渡りさらに奥へ向かってみた。
尾根に縋ると、そこに村の墓地が姿を現した。
かなりな規模の墓地で、墓石の数は数十にはなるのではないか。
村には往時、結構な数の人が住んでいたことが窺われた。

かつてこの脇を流れる七里川に水道水のためのダム建設計画が持ち上がった。
その追原ダムが完成すれば、この辺りは水没する予定だったのだという。
しかし結局ダム工事が始まることはなかった。
例により公共工事の見直しで、ダム建設計画自体が立ち消えになったのだ。
そして今は、廃墟になった村跡と、村の象徴だった一本のカエデの巨木だけが残り、往時の息吹きを伝えるだけ。
【一部記事を修正しました】

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

【遺構リスト】
福士川・芸術屋敷跡はこちら
大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
伊豆・廃ループ橋跡はこちら
旧稲又川橋跡はこちら
君津・廃橋跡はこちら
曾呂尋常小学校跡はこちら
鹿島の竜宮城跡はこちら
龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
伊豆・韮山のマリア観音像はこちら
天空に消えた夢のロープウェイはこちら
もう一つの忘れ去られたロープウェイはこちら
地下に眠る旧証券会社の大金庫はこちら

| | コメント (7) | トラックバック (0)

いつまで未成? 天津ループ橋

千葉の県道81号線は、房総半島を縦断する。
市原から鴨川までを結ぶもので、著名な景勝地・養老渓谷を通ることから『清澄養老ライン』として親しまれている。

Loop_02
海べりの安房天津から北上すると、やがて正面に立派なループ橋が姿を現した。
近くに波切不動尊のあるこの坂本地区は、突然狭い山道となり急カーブが連続する昔からの難所。
しかし山道を拡幅して改良するのも困難なことからこのループ橋が計画されたんだね。
房総では初のループ橋ということになる。

Loop_01
さらに上部から俯瞰してみた。
日本の優れた建築技術が窺える、素晴らしい眺めじゃないか。
「天津(あまつ)ループ橋」(仮称)と呼ばれている。
あれ?
でもよく見ると、未完成?

Loop_03
見れば工事用の巨大足場はまだ組まれたまま。
赤茶に錆びてしまっているし、柵で完全に仕切られて入ることもできない。
何より工事関係者の姿がまったくないものな。

Loop_04
見上げれば、橋の先だって途切れたままで繋がっていない。
Speed『スピード』かっつうの。
これじゃ、渡れないじゃん。

ここは1991年から接続道路などの付帯工事がスタート。
2001年からはいよいよループ橋本体の建設が始められたものの、なぜか工事は度々中断。
開始から実に20年も経っているのに今だ未完成のままなのだ。

  まさか、この廃ループ橋のようにならなきゃいいけどね。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

【橋】
その名も粋なり『恋路橋』はこちら
伊豆・廃ループ橋跡はこちら
旧稲又川橋跡はこちら
君津・廃橋跡はこちら
君津の変な橋はこちら
中央線遺構・立場川橋はこちら
ねずみの歩道橋はこちら
須坂の渡れない橋はこちら
長電の警笛が響く村山橋はこちら
世にも怖~い冠着橋はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きつ~い、千葉の急傾斜トンネル

ここは千葉県君津市の山の中。
房総特有の、地層露わな手掘りトンネルに差し掛かった。

Kyukeisha_01
げ~☆
右側の壁を見て。
クルマだからいいものの、すごい急傾斜の「上り坂」、
ここを歩いて登るのはタイヘンだ。

Kyukeisha_02
今度は逆側から撮影したところ。
当然のごとく、こちら側からは急な「下り坂」になるね。

なんて……
実はこれ、傾いた地層による錯覚。
実際は平らな道なのだ。
だいたい、トンネルをこんな急角度で掘らないものね。
まさか」と思った?

ほら、小泉さんも言ってたでしょ。
人生には、「上り坂」、「下り坂」、そして「まさか」の三つの坂があるって。
でもこの中に立つと、ほんとに人生が傾いている気がしてしまう。

出口の見えないトンネルはこちら
通れないトンネルはこちら
水のトンネルはこちら
大人だって怖いトンネルはこちら
旧笹子トンネルはこちら
大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
明治・大正・昭和・平成トンネルはこちら
富津のロウソク・トンネルはこちら
富津の背高のっぽトンネルはこちら
茂原の背高のっぽトンネルはこちら
長南町の三角トンネルはこちら
市原市の四角トンネルはこちら
市原市の五角トンネルはこちら
藤野市の卵形トンネルはこちら
埋もれた山伏隧道はこちら
市原の天井抜けトンネルはこちら
市原のフニャトンネルはこちら
横須賀の背高のっぽトンネルはこちら
横須賀のトンネル交差点はこちら

| | コメント (4) | トラックバック (0)

まるでドンキホーテ?……巨人軍の反乱劇

D_quixoteジャイアンツの来季コーチ人事をめぐって渡辺恒雄会長に反旗を翻した清武英利代表だけど、両者共に妙な沈黙を守ったままで進展がないのは不気味だね。
桃井オーナーにも見離され、目下、四面楚歌状態?
あくまでも組織の人間だから、おそらくクビは覚悟の上なんだろう。
でもこれじゃまるで風車を巨人だと思って挑んだドンキホーテじゃん。

だいたい、大王製紙の前会長みたいな創業者一族でもないのに、渡辺恒雄氏はなんであれだけ偉いんだ?
読売グループの絶対的総帥として、ワンマンで不条理なことを繰り返しているにもかかわらずこれまで誰も抵抗できなかったのにたいしたものだ。

ただ他の球団ならともかく、巨人では無理だったね。
だって前に「たかが選手」と斬り捨てた通り、あそこは巨人だもの。

軍隊なんだから、部隊長ふぜいが単身で反乱したところで 総大将 なんか屁とも感じていないだろうさ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

ルールを知らないバレーボール審判員

Ani_volleyballいま行われている「世界バレーW杯」
3位以内なら五輪出場権なんていいながら、序盤戦から格下に敗戦。
これじゃとても突破は無理だと思っていたけど、昨夜はなんと前回完敗した世界一のブラジルにストレート勝ちしちゃった。
これだからスポーツは面白い。

ところでタイトルの「ルールを知らないバレーボール審判員」は、別に今回の世界バレーのことじゃない。
ちょっとセンセーショナルなタイトルで気を引いただけ。
出処は新聞に出ていた投稿記事さ。

体育の試合で点数係をした高校生の姉が「バレーのルールがわからない」という。
「それでどうやってやったの?」
と妹が尋ねたら、
「喜んでいる方のチームに点を入れた」だって。

これ、意外と正解かもな。
他の競技でも使えるんじゃない>ルールに自信のないあなた

S_sakoda_sさて日本代表の眞鍋監督にはひとつ言っておかなくてはならないことがある。
お願いだから、迫田さおり選手を使ってくれ。
別に強要している訳じゃない。
ただ、監督に不幸が訪れるかも知れないから心配しているんだ。

使わないと……
今日タンスの角に小指をぶつけるかも。
たぶん、痛いぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

カタパルト跡と柿の木と(2)

--カタパルト跡と柿の木と(1)から続く--

三芳村の畑の一角。
里山の麓にひっそりとそれはあった。

Ouka_11
このコンクリートの堤防のようなものが人間爆弾『桜花』の発射カタパルト。
敵艦隊からの艦砲射撃を避けるため内陸部に作られたんだね。
カタパルトは前方の南方向を向いていて、当時はこれら先を遮る樹々はなかったものと思われる。

またコンクリートにはレールを取り付けるための溝が規則正しく刻まれている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Ouka_13
残念ながら折れて下方を向いてしまっているが、これが逆方向から撮影した最前端部。
戦時下のこととて荒いコンクリートだけど、かなりの厚みが隠れている。

Ouka_14
背後の小山には格納庫として壕が掘られ、『桜花』を収納して敵機から隠すようにしていたそうだ。
しかし結局一機も発射することもなく終戦を迎える。
その後は直ちに米軍が訪れて、壕ごと爆破していったということだ。

その壕の跡にはいまもなお飲み物などが供えられていた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Ouka_16
カタパルト跡にはいつしか一本の柿の木が育ち、毎年照柿色の実をつけるようになった。
戦後60有余年……
いま柿の木は何想う。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

【戦争遺構】
富津岬・軍事施設跡はこちら
茂原の掩体壕はこちら
州ノ崎の試射場跡はこちら
府中の米軍通信基地跡はこちら
丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
柏の燃料庫跡はこちら
大月の監聴音壕はこちら
サイパン帰りの戦車はこちら
焼夷弾と戦った墓石はこちら
野島公園の掩体壕はこちら
横須賀の砲台山はこちら
砲弾を抱えた狛犬の神社はこちら
かもめ団地の試射場はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カタパルト跡と柿の木と(1)

ここは千葉県の三芳村(現・南房総市)にある知恩院という神社。

Ouka_01
無人の神社なのに、なかなか立派な山門だ。
これを潜り、さらに階段を上っていく。

Ouka_02
これが本堂。
でも目的はその左脇の資材置き場だ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
無造作に積まれた、この古ぼけたこの鉄骨のようなもの。
これが歴史の貴重な証言者だというのだ。

Ouka_03
というのもこれはただの鉄骨ではない。
列車のレールでもない。
実はこれ、太平洋戦争末期に日本軍が作った『桜花』発射のためのレール。
桜花といえば、鹿嶋の掩体壕にあったヤツだね。

Ouka_04
当時の写真を見てみよう。
機体は尾部に推進ロケットを装備した高速滑空機『桜花』
右下に見えるハシゴのようなものがカタパルト(発射装置)のレール。
この桜花には車輪の代わりに橇(そり)が取り付けてあり、このレールの凹部がガイドになって発射するようになっていた。

そして、その実際の発射台跡がこの近くにまだ残っているという。
さっそく見に行こう。

--カタパルト跡と柿の木と(2)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大戸の洗い越し

--東総元駅で運試しから続く--

前の記事では、この地図の東総元駅から右斜め下の夷隅川方向を撮影した。
川に囲まれた中央部分には結構な広さの畑があるのがわかるだろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Araikoshi_map_01
しかし三方を川に、残る一方も山林に囲まれているため、畑に行くには左下の総元小学校の方から伸びたたった一本の道で川を越えていくしかない。

Araikoshi_01ではこれからそこに行ってみよう。

手前に「一般車両通行禁止」と書かれた高札が立てられている。
なんでも、林道走り屋のライダーたちに知られて「洗車場」にされてしまい、農家に迷惑を掛けるので、地元の人以外は通れなくなってしまったんだとか。
うーん、残念。
歩いて行く。

道は急に下り、切り通しを抜ける。

Araikoshi_02
すると夷隅川に出た。
道はある。
でも、橋はない。

そう、ここはいわゆる沈下橋の一つなのだ。
その名も『大戸の洗い越し』という。
しかし同じ沈下橋でも、前に行った京都の恋路橋とは決定的に違う部分がある。
なぜなら、ここは普段から道が川の水の下にあるからだ。

Araikoshi_03
こうして撮影するとレンズのせいで幅があるように感じられるが、しかし実際には軽トラックがやっという道幅。
落ちてもさほど深くはないにせよ、毎日畑とを往復するにはかなりスリルがあることだろう。
い~な。渡りたい。

なお川の向こう側は再び急な登りとなって畑へと続いている。
(と思う……)
なぜなら行けなかったのでわからない。
唯一陸続きの右手山の方から迂回して行こうと試みたものの道はなく、猛烈なヤブに阻まれて畑までたどり着くことは叶わなかった。
残念。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東総元駅で運試し

千葉県はいすみ鉄道の東総元(ひがしふさもと)という駅に来た。

Higashifusamoto_01
手書きの駅標がいいね。
一日の平均乗車人員はわずかに10人とか。
もちろん無人駅だから、入場券なんか買うこともなく勝手に入ってきた。

Higashifusamoto_02
わかりにくいけど、待合所はおみくじの箱を模した六角形になっている。
そうそう、屋根の上に据えられているのも『大吉』の看板だし。
テレビ東京『TVチャンピオン』で大工王に輝いた人が、釘を使わないなど匠の技で施工したものだそうな。

壁に見える窓は桜の花がモチーフ。
ここは桜と菜の花が名物だからね。
待合室の中には縁台や、手回しのおみくじ器なんかも据え付けられている。

実際におみくじをやってみたよくわかる動画はこちら
                

ところでここには別におみくじを引きに来た訳じゃない。
一番上の写真をさらにアップにしてみた。
             
Higashifusamoto_03
手前に向けて流れるのは夷隅川(いすみがわ)。
千葉の川らしく、流れはここで急速に左手へと進路を変えている。
その奥の方、白波の立っている所。
そこにこれから行く。
そこであなたはタイヘンなものを目にすることになるのだ。

そのヒントはこの地図にも。
                  Yajirushi4sss
(C)Google Map

大きな地図で見る

大戸の洗い越し』に続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

復活優勝おめでとう>上田桃子選手

Neko_watage2007年の日本賞金女王を手土産にアメリカ・ツァーに挑みながら、結果が出せずに不振が続いていた上田桃子選手だけど、昨日のメジャー『ミズノクラシック』でみごと復活優勝を遂げたね。

日本にいた当時はしばしば記事にして応援していた桃子選手。
調べてみたら最後の記事がこれ
やっぱり4年も遠ざかっていたんだな。

さすがに優勝を決めたその瞬間からは涙、涙だったけど、今回プレー中はミスしてもいつもの仏頂面ではなく終始笑顔だった。
その心の余裕がまた幸運を呼ぶんだよ。
そう、笑顔が似合う。

桃子はやっぱりピーチピーチ~♪

| | コメント (2) | トラックバック (0)

鬼の石杖(後編)

--鬼の石杖(前編)から続く--

岩殿山の鬼が右手で投げたほうの石杖は、遠く笹子の地に突き刺さったのだという。
だいたい10キロは離れている。
腕力があるのはわかるけれど、ずいぶんノーコンだな。
鬼はきっと左利きだったんだろう。

Oniishi_04
石は中央本線の線路脇に刺さっているということなので、このガードを潜って上側からの探索に出る。

Toiletちなみに右側の緑の鉄骨で出来ているほうが上り線で、旧来のもの。
今だからいいが、下に隙間があるので昔こんなふうに線路を見上げていたらトイレのしぶきを浴びて散々な目に遭うところだ。
左の白いコンクリートのほうは後から複線化された下り線で、新しいもの。
こちらは下側も完全にカバーされている。
良かったね。

Oniishi_05
中央の信号機器が取り付けられた柱の脇にある、垂直に立った石がその鬼の石杖らしい。
ここでは『立石坂の立石』と呼ばれている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

しかしここはJR東日本の管轄区域内。
立ち入り禁止なのはもちろんだけど、天下の中央本線。
モタモタしていたらほんとに電車に跳ねられる。

Oniishi_06
やむなく今度は下側から土手を登ってきた。
どうやら石には何か彫ってあるようにも見えるのだけれど、急傾斜で近づけないうえに伸びた雑草が邪魔をする。
それにこれ以上線路際に顔を出すと、運転士に通報されそうなので諦めた。
残念。
君子、線路脇に近づかず』だ。

さて岩殿山の鬼はすぐに泣いた(鬼の目にもう涙)というし、鬼ヶ島の鬼はすぐに謝った(鬼がすまん)とか。
岩殿山の鬼退治を信じるか、鬼ヶ島の鬼退治を信じるかはあなた次第。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鬼の石杖(前編)

ここは山梨県の大月。

Oniishi_01
この岩肌がゴツゴツした山は、その名も『岩殿山』といい、ここには古くから桃太郎伝説の言い伝えが残されているという。
(岡山など、桃太郎のお話は全国にあるけどね)

昔々、岩殿山に悪い鬼が住んでいました。
鬼は里に出ては子供をさらったり、牛や馬を盗んで食べたりしたので、里人たちは大変困っていました。
 (中略)
桃太郎は成長し、悪い鬼を退治に行くことになりました。
途中、犬目で犬を、鳥沢で鳥、猿橋で猿を家来にし、桂川を渡って岩殿山に攻め入りました。
鬼は桃太郎の出現に驚いて、左手に持っていた石杖を投げつけたところ杖が地面に突き刺さり、大地震を起こしました。
 (以下略)

Oniishi_02
Oni_s
これが鬼が投げ、地面に突き刺さったという石杖だ。
場所は住宅脇の空き地のような所だが、案内板もあり一応保存されているらしい。

ちなみに犬目や鳥沢、猿橋というのはいずれも実際にある地名だし、この石が刺さって地震が起きたという所も『石動』(いしどう)という地名なのだから、お伽噺とはいえ良く出来ているじゃないか。

Oniishi_03
石の大きさは2m弱くらい。
どう見てもこの角度は自然な状態とは思えないし、実際に石は岩殿山のほうを向いているのだからみごとなもの。

ちなみにこの時、鬼は右手にも石を持っていて、それも投げたそうな。
じゃあ、そっちの石は、どこにあるんだ?
次はそれを探しに行こう。

鬼の石杖(後編)に続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三途の川を渡った話

三途の川を渡ってしまいました。
ま、どのみちいずれ渡るんだけどね。

Sanzunokawa
そもそも『三途』というのは「三つの方法」という意味。
つまり「川を渡る方法に三つの方法があったから」なんだそうだ。

(1)善人は橋を渡る
(2)軽い罪人は浅瀬を渡る
(3)重い罪人は深い難所を渡る

善人の僕はもちろん、ちゃんと橋で三途の川を渡ったに決まってる。
信じない?
おーし、証拠の動画を見せたろうじゃん。


橋を実際に渡ってみたよくわかる動画はこちら
                

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまどき『叙勲』なんてね

Kyokujitsu_daijusho今年も秋の叙勲者が発表された。
大震災や原発事故で「国難の事態」なんて言っておきながら、それでも勲章なんか授けているんだから日本は相変わらずお気楽な国。
「桐花大綬章」から「旭日大綬章」、「瑞宝大綬章」や「旭日重光章」……
職業軍人じゃあるまいし、いまどき勲章なんかぶら下げてうれしいか?

まあそれなりの「功績」があって受賞されるかたにケチをつけるつもりはないけれど、「突然、受賞の報を聞いて驚いた」なんていうコメントを聞くと白けてしまう。
だって関係団体から推薦を受けて受賞候補者リストに載ると、もう1年以上も前から本人や家族はもちろん親戚や交友関係まで事前調査が行われて、いわゆる反体制主義者なんかじゃないことの確認がしっかりと行われるんだぞ。
それなのに受賞の発表まで本人が知らないなんて、絶対にあり得ない。

だいたい文化勲章(大江健三郎とか)や国民栄誉賞(イチローとか)は辞退者が明らかにされるのに、このような叙勲では受賞者しか発表されないのも片手落ちだ。
叙勲を辞退した人の名前だって明らかにすべきだろう。

僕だって、断然辞退する!
え どうしても?
じゃあ、しかたない。
もらう……か

(゜_x) バキッ☆

| | コメント (2) | トラックバック (0)

田舎の駅とフニャトンネル

のどかな田舎の駅。

K_oukubo_stn
一見、北海道のローカル線のようじゃない?

Kominato_tetsudoこれでも首都圏。
千葉県は小湊鐵道の「上総大久保」(かずさおおくぼ)という駅だ。
もちろん現役で、一日20本近くも来るんだぞ!!

でも今回別に駅を見に来た訳じゃない。
この先にある、トンネルが目的なのだ。


Fnya_tunnel
これが目的のフニャトンネル。
ど~お。みごとなフニャぶりでしょ。
房総特有の地層がそうさせるんだね。
ごチソウさま。

ちなみに向こうの出口は普通の形。
実は以前にもここに来る時に通った筈なんだけど、その時は向こう側からだったので気付かなかったんだな。


出口の見えないトンネルはこちら
通れないトンネルはこちら
水のトンネルはこちら
大人だって怖いトンネルはこちら
旧笹子トンネルはこちら
大崩海岸・石部トンネル跡はこちら
明治・大正・昭和・平成トンネルはこちら
富津のロウソク・トンネルはこちら
富津の背高のっぽトンネルはこちら
茂原の背高のっぽトンネルはこちら
長南町の三角トンネルはこちら
市原市の四角トンネルはこちら
市原市の五角トンネルはこちら
藤野市の卵形トンネルはこちら
埋もれた山伏隧道はこちら
市原の天井抜けトンネルはこちら
君津の急傾斜トンネルはこちら
日本一短いトンネルはこちら
松姫湖の水没トンネルはこちら
横須賀の背高のっぽトンネルはこちら
横須賀のトンネル交差点はこちら

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »