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追原廃村の大カエデ(君津)

君津市の山の中、苔むした石垣の上に印象的な大きな楓(カエデ)の樹がある。
しかしここに行くのは容易ではない。

拡大します
Oppara_01
樹齢何年になるのだろう。
この樹はある村のまさにシンボルだった。
しかしいまその村はなく、辿る道も荒廃した。
かつて、その村の名前は追原(おっぱら)と言った。

Oppara_02
その村に行くには、房総半島中央部を貫く県道81号線から離れ、この吊り橋を渡っていく。
場所はあのループ橋からさらに上った所だ。
吊り橋自体は結構な幅があって荷車程度なら通れそうだが、渡った先はすぐに狭い山道となるので事実上歩きでしか村に行くことはできない。

Oppara_03
途中、杉林の中に壊れ掛かった小屋が現れた。
しかしこれは林業のための作業小屋で、目的の廃村とは関係ない。
ちと不気味なので足早に通り過ぎる。

Oppara_04
さらに進むと小さな小川を渡る、丸木の橋。
しかし人々が住んでいた頃にはもっと頼りになる橋があった筈だ。
探ってみると、河原の石にはこんな穴を穿った痕跡が見つかった。
これこそ、当時架けられていた橋の杭穴の跡だろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Oppara_05
杉の木が生えた小高い台地部分に、石垣が現れた。
こんな山の中だけど、ここには確かに人の営みがあったことを石積みが主張している。
そう、こここそが消えた村、追原の入口。
最初のカエデの樹はこの奥にそびえている。

Oppara_06
人が暮らしていた証拠になる、井戸の跡がみつかった。
中を覗くととても深さがある。
そこには昔と変わらない、まだ清冽な水が蓄えられていた。
周辺に散在する石造りのものは、何かの建物の基礎部分だったようだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

Oppara_08
住宅跡周辺を一通り探索したあとは、谷を渡りさらに奥へ向かってみた。
尾根に縋ると、そこに村の墓地が姿を現した。
かなりな規模の墓地で、墓石の数は数十にはなるのではないか。
村には往時、結構な数の人が住んでいたことが窺われた。

かつてこの脇を流れる七里川に水道水のためのダム建設計画が持ち上がった。
その追原ダムが完成すれば、この辺りは水没する予定だったのだという。
しかし結局ダム工事が始まることはなかった。
例により公共工事の見直しで、ダム建設計画自体が立ち消えになったのだ。
そして今は、廃墟になった村跡と、村の象徴だった一本のカエデの巨木だけが残り、往時の息吹きを伝えるだけ。
【一部記事を修正しました】

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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コメント

深い話ですねえ〜think
おそらく丹沢ならすぐ見にいっちゃいそうな…。

投稿: 山おばさん | 2011.11.18 13:18

山おばさんさん

川崎からなら千葉はすぐじゃないですか。
って、クルマじゃないとやはり遠いか (~_~;;

廃村は不気味で怖くてとてもいいところですよ。
湿気が多く、夏ならヒルちゃんがたくさん歓迎してくれるそうです。
丹沢とおんなじじゃん。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.11.18 15:12

こんばんは。
誰も居なくなった集落...早川とか、鰍沢など県内至る所にあります。人の営みの痕跡、人が通ったであろう道後、ちょと寂しいですね。

投稿: chiponeko | 2011.11.19 20:58

chiponeko さん

そうなんです。
山梨ならいくつもあっても、千葉県はその地形や気象の関係から、廃村は他県に比べとても少ないのです。
またいろいろ調べて、山梨へも再訪したいですね。

(北精進ケ滝・落ち口、僕は尾根の彷徨で断念していますのでご健闘を祈っています)

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2011.11.20 05:13

追原の記事読ませて頂きました、元地元民です。記事中に「ダム建設の為に集団移転」と在りますがどこから得た情報でしょうか。行政誌や新聞、ネットでもその様な情報がココしかなくて驚いております。

追原は集団移転どころか3軒しか家がなく、往時にも10人程度でした。また1959年に最初の引越しが在ったのも過程のう事情からでその後10年掛けて全ての住民が七里川対岸の黄和田畑に移住しました、集団移転などの事実も在りません。

そもそも住居移転はメインルートだった吊橋が崩落した事が切っ掛けで時代も1959年~1960年代の話、ダム建設の初期提案は行政広報で1975年、一般認知は1980年代に入ってから。反対運動などが活発に成ってメディアに登場したのが1995年以降です、その中でなぜダム建設の話が全く無い30年前の住民が集団移転しなくてはいけないのか…などの矛盾点が気に成りました。

この場所は地元の人間からすると複雑な経緯があり、いい加減なデマを広められる事を嫌っています。かく言う私自身も他の地元民からこのサイトを教えて頂き、記事を読みました。

この場所を沢山の人に知って頂く、または訪れて頂く事はとても嬉しい事です。ですが憶測や勝手な思い込みでいい加減な事を書かれても当事者は良い気分では在りません、千葉県に関する記事を幾つか読みましたがその中にも事実と全く違う文章が散見出来ます。

せめてもう少し調べて記事にして頂ければ…、そこに住む人間や関わった人達の感情をご理解頂ければ幸いです。

投稿: 元地元民 | 2012.02.13 19:52

元地元民さん
コメントありがとうございます。

「ダム建設の為に集団移転」というのは、事前の下調べをしている時にネットの情報で得たものです。
いったん整理してしまったので、いま手元にないのでまた探してみます。

>この場所を沢山の人に知って頂く、または訪れて頂く事はとても嬉しい事です。

あの吊り橋はその後老朽のため渡橋禁止になってしまったのはご存じありませんか。
残念ながら、もうあの廃村に行く手立てはなくなったように思います。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.02.14 05:25

元地元民さん

いただいた情報を元に時系列を正確に辿ると、ダム建設の時点で失われるのは村そのものではなくすでに廃村だったということのようですね。
貴重な情報をありがとうございました。
感謝します。

それにしてもあんな自然豊かな所に744万トンという巨大ダムなんて。
実現しなくて幸いでした。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.02.14 07:45

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