横須賀・剣崎の探照灯庫跡
ここは三浦半島の東側先端、剣崎というところ。
浦賀水道の入口にあたり、昔から首都防衛の要衝だった。
古来は剱崎と書いたから「つるぎざき」だと思うけれど、最近は「けんざき」と言う若者が多くなってしまった。
道は舗装されているものの行き止まりが多くてわかりにくい上に、軽トラがやっとという道幅で難儀させられる。
ま、もともと農道なので文句は言えないけど。
左手の畑は一面すべて三浦名物・大根の葉っぱで覆われている。おいしそ。
さて真正面の丘の上、こんもりした樹々の陰に妙な構造物がひっそりと佇んでいるのが見えるだろうか。
すっかり蔦が絡んでいい感じになったこのコンクリート製の建物には、しかし扉もなく奥行きの浅い小部屋が設けられているだけ。
どうやらコンクリートで塞がれてしまったようだ。
今はもう何ら当時の状況を窺わせる面影もみられないが、実はこれ旧陸軍の探照灯庫だった。
正確には『陸軍東京湾要塞剣崎砲台大浦探照灯格納庫』と言ったらしい。
傍らには『防衛庁』の石標柱が残り、ここが今でも国の管理地であることを主張している。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
海側になる裏側は、ただの小山に見えるよう擬装されているのが興味深い。
うん?
でも探照灯は何のため?
敵機を照射するため。
それは何のため?
敵機を砲撃するため。
それならあの砲台山と同様、探照灯の近くに砲台がある筈だ。
それを探してみよう。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
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