桂川・水路の旅(8)
【鹿留(ししどめ)発電所】
桂川・水路の旅(7)から続く。
水路の水が再び地上に姿を現すのは分岐から5キロも離れたところだった。
鹿留(ししどめ)発電所。
しかしこの「鹿」は、あの動物の鹿ではなく「四至」が転じたものらしい。
広辞苑によれば、四至(しいし)は「田地・所有地などの境界」ということ。
実際、ここは鹿留川・大沢川・桂川の合流点であることから納得がいく。
つまり、ここでを探しても無駄なんだな。
急傾斜の水路は山の上の鹿留発電所・上部貯水槽に繋がっている。
ただこの水は本流のものではなく、余水路というもの。
つまり発電に使う以上の余った水を水管ではなく水路で下の桂川まで流しているんだね。
(マウスを置くと拡大します)
ほんとうの水路は下の画像に斜めに写っているもので、発電用の水は山から巨大な水管を下り、左下の鹿留発電所・本屋へと送られている。
(上部貯水槽への道は封鎖されていて確かめることができなかった)
(日本土木学会図書館蔵)
上の写真が完成当時、下が現在のほぼ同じ位置からの遠景。
撮影していたら近くで農作業をしていたおじさんが、「水管の両脇は桜並木。
昔は花見でたいそう賑わったものだが、その桜もほとんど枯れてしまって……」と残念そうに話してくれた。
ソメイヨシノの寿命は普通60年程度というものな。
鹿留発電所は1914年(大正3年)の完成でまもなく100年になる。
最大出力は18,400KW。
桂川水系8所中3番目で、最初の忍野に比べ実に23倍という規模になった。
(手前の建物は発電所のものではありません)
さらにぐるっと廻って水管の脇、鹿留発電所の建物が見える位置にやって来た。
(日本土木学会図書館蔵)
1923年(大正12年)に起きた関東大震災襲来の被害はこの鹿留発電所も例外でなく、発電所の建屋本体が大きな損害を受けた。
再建された現在の建物は最初の雰囲気をよく継承して修復されていることが窺える。
最大4本あったとされる水管も次々と撤去され、いま見られるのは1本だけ。
水管は撤去されたけれど、両脇に残されたままの土台がもの悲しさを訴えている。
ごめんね。
お国の政策は水力発電から原子力というものに移行しちゃったんだ。
ここの標高、約570m。
山中湖からもう410m下ってきた。
--桂川・水路の旅(9)に続く--
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