« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月

桂川・水路の旅(8)

【鹿留(ししどめ)発電所】

桂川・水路の旅(7)から続く。

水路の水が再び地上に姿を現すのは分岐から5キロも離れたところだった。
鹿留(ししどめ)発電所。
しかしこの「鹿」は、あの動物の鹿ではなく「四至」が転じたものらしい。
広辞苑によれば、四至(しいし)は「田地・所有地などの境界」ということ。
実際、ここは鹿留川・大沢川・桂川の合流点であることから納得がいく。
つまり、ここでShika2_sを探しても無駄なんだな。

Shishidome_03

急傾斜の水路は山の上の鹿留発電所・上部貯水槽に繋がっている。
ただこの水は本流のものではなく、余水路というもの。
つまり発電に使う以上の余った水を水管ではなく水路で下の桂川まで流しているんだね。
(マウスを置くと拡大します)

ほんとうの水路は下の画像に斜めに写っているもので、発電用の水は山から巨大な水管を下り、左下の鹿留発電所・本屋へと送られている。
(上部貯水槽への道は封鎖されていて確かめることができなかった)

(日本土木学会図書館蔵)
Shishidome_old

Shishidome_new

上の写真が完成当時、下が現在のほぼ同じ位置からの遠景。
撮影していたら近くで農作業をしていたおじさんが、「水管の両脇は桜並木。
昔は花見でたいそう賑わったものだが、その桜もほとんど枯れてしまって……」と残念そうに話してくれた。
ソメイヨシノの寿命は普通60年程度というものな。
鹿留発電所は1914年(大正3年)の完成でまもなく100年になる。

最大出力は18,400KW。
桂川水系8所中3番目で、最初の忍野に比べ実に23倍という規模になった。
(手前の建物は発電所のものではありません)

さらにぐるっと廻って水管の脇、鹿留発電所の建物が見える位置にやって来た。

(日本土木学会図書館蔵)
Shishidome_06_old

Shishidome_06

1923年(大正12年)に起きた関東大震災襲来の被害はこの鹿留発電所も例外でなく、発電所の建屋本体が大きな損害を受けた。
再建された現在の建物は最初の雰囲気をよく継承して修復されていることが窺える。


Shishidome_07

最大4本あったとされる水管も次々と撤去され、いま見られるのは1本だけ。
水管は撤去されたけれど、両脇に残されたままの土台がもの悲しさを訴えている。
ごめんね。
お国の政策は水力発電から原子力というものに移行しちゃったんだ。

ここの標高、約570m。
山中湖からもう410m下ってきた。

--桂川・水路の旅(9)に続く--

| | コメント (2) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(7)

【天久保水路・落合平】

桂川・水路の旅(6)から続く。

富士吉田市で合流した忍野・鐘ヶ淵の両発電所を経た山中湖からの水、そしてうそぶき水路を経た河口湖からの水は、桂川の明見取水口から取り込まれ、都留に向けひたすら山の中をくぐり抜ける。
この辺りは山深くて航空写真も鮮明でなく、水路を確認することが難しい。
そして地図を眺めていて、一番怪しく感じられたのがここ。

Amakubo_01

大きな水管と、管理のためかしっかりした階段も見受けられた。
注意していれば、中央道からも見える所だ。
この上に何か手掛かりがありそうだ、探索してみよう。


Amakubo_02

階段の途中から振り返るとこんな感じ。
下の照明設備は西桂町・町民グラウンドのためのもので、そのさらに奥白く見えているのが中央道のフェンスだ。
ここからさらに荒れ地を登ってはみたものの、この水管はグラウンド設営により埋め立てた沢の水を通すためのようで東電水路とは無関係。
結局、上部には何も水路の手掛かりは見当たらなかった。
こういうのを徒労という。


Amakubo_03

再度地図を確認、また別の小さな沢の表記に当たりつけて登ってみた。
すると沢の上部は両岸が石垣で整備されている。
明らかに人工的な手が加えられたものだ。
しかもさらに上部は流れの底部がわざわざ新しいコンクリートで舗装されている。
怪しい。


Amakubo_04

ついに水路が見つかった。
山の上部に向けて撮影しているので、東電の水路は右から左へと横切っていることになる。
奥の石垣と手前の石垣のちょうど間が水路だが、この部分完全に暗渠になっている。
石垣の左手にある大きなバルブのようなものは、圧力を逃がすためのもののようだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Amakubo_05

左手を撮影した。
東電の看板もあるが、残念ながら水路は塞がれたまま山肌深く突入してしまっていた。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら


Shishidome_01

また別の沢を当たってみた。
(この時は真冬)雪を踏みしめ山道を登っていく。
地図と照らし合わせていろいろ探ったものの、ほとんどが地中トンネルで水路を見出せない。
やっと標識に到達した所はわずかな平地で、その名も『落合平』となっていた。


Shishidome_02

四角いコンクリート石版で覆われた部分が水路だが、すべて暗渠になっていて見えるのは苔むした冷たい石板の列ばかり。
すでに夕暮れ。
ふと北の方角に目をやれば、寿駅Kotobuki_01sが彼方に望まれる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

人里が恋しくなった。
山を下りよう。

--桂川・水路の旅(8)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(6)

【嘯(うそぶき)水路】

桂川・水路の旅(5)から続く。

河口湖からぐるりと廻り、富士吉田市の新倉(あらくら)という所にやってきた。
河口湖で取水した『東電・鹿留発電所・嘯(うそぶき)水路』の出口がここにある。


Usobuki_05

取水した河口湖はちょうど正面の山の向こう側。
水路正面の真っ白く見える滝のようなのがトンネルを潜って出てきた河口湖の水。
合流した下の川を嘯(うそぶき)川と言う。


Usobuki_06

見よ、この水量を。
この日はたまたま雨の後で特に多かったんだけど。
(マウスを置くと画像がアップします)
しっかりした石造りの出口部分が東電らしい味を出している。

急傾斜で落下していることもあってかなりの水音だった。
そのため一番上の写真には住宅の側に防音壁が作られているのが見えるだろう。
温泉旅館なら川の水音も風情なんだろうけど、ここでは騒音扱いだ。
水路のほうがこれらの住宅より先に作られた(大正7年)筈なんだけどね。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

水はさらに流れ、富士吉田市内で宮川を経て桂川となっていく。

Usobuki_07

ここが宮川に合流する部分なのだが、ここにも左右の岸に大掛かりな防音壁。
音を出す水は『冷たい仕打ち』を受けている。


Usobuki_08

手前が富士・鳴沢のほうから来た本来の流れで、向こう側から合流するのが河口湖から来た水路の水。
上の写真とは別の日の撮影なので共に水量が少ないが、それでも自然の川よりも水路のほう(向こう側)が確実に多いことがわかる。
ここで標高約800m。
河口湖から40m、山中湖からは180m下ったことになる。

--桂川・水路の旅(7)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(5)

【河口湖】

桂川・水路の旅(4)から続く。

突如、河口湖に来た。
前に(2)で桂川(相模川)の源は山中湖と書いたが、実はこれ正確ではない。
というのも、桂川には河口湖からも水が流れ込んでいるからだ。
それを確認してみよう。


Usobuki_01

山中湖と違って流れ出る河川を一つも持たない河口湖は、古来長雨が続くと水位が上がり、氾濫を繰り返していた。
湖畔のホテル等が水没、大きなニュースになったことを思い出す人も多いのでは。
右に見える水位ゲージをみると過去には最大3m以上も増水したことがわかる。
3mじゃ、津波級だ。


Usobuki_02

Horinukiそのため古くは江戸時代から灌漑の目的もあり富士吉田に水を抜く手掘りの掘抜(トンネル)が掘られていて、これを現代に伝える新倉掘抜史跡館が今も観光スポットとして河口湖畔にある。
それでも繰り返す氾濫を防ぐため、昭和になってからはさらに大掛かりな放水路が作られ恒常的に河口湖の水を桂川へと導くようにされたんだね。
一番左の石柱に彫られた『転禍為福』(災い転じて福と為す)という言葉に、氾濫に苦しんだ住民の心根が窺える。


Usobuki_03

遊覧船乗り場のすぐ脇、目立たない所に目指す桂川への東電水路入口はあった。
近くにはたくさんカップルや観光客が歩いているが、こんな所に目をやる者は誰もいない。


Usobuki_04

そして湖畔の道路を渡ると、反対側の道路下に水路の導水路口を見ることができる。
大正7年に竣工・通水した石造・鉄筋コンクリート造,長さ22m、幅23m。
正式名を『東電・鹿留発電所・嘯(うそぶき)水路呑口部』
全体が国の登録有形文化財になっている。
ここの標高約840m。
富士五湖で一番低い河口湖の水面は山中湖より140mも低い。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

次は山を抜け出た向こうの水路出口を見てみよう。

--桂川・水路の旅(6)に続く--

| | コメント (2) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(4)

【鐘ヶ淵発電所】

桂川・水路の旅(3)から続く。

忍野発電所の次は、鐘ヶ淵発電所へと送られる水路を探った。
前に書いたように、取水口は鐘ヶ淵、忍野の順だが、桂川はその後180度向きを変えているので下の発電所のほうは忍野、鐘ヶ淵の順番になる。

Kanegafuchi_01

ルート図から水路を探したものの、ずっと暗渠(地下トンネル)ばかりが続く。
雪が積もってわかりにくいが、向こうに続く正面の道のような部分の下が水路。
手前で横切っているのは東電水路の上を横断する自然水路のためのものだ。


Kanegafuchi_02

さらに辿っていくと、ついに水が地表に現れた。
標示は2号開渠となっていたが、1号は結局見当たらないまま。
水路は左方向へと流れ、発電所の上部水槽へと続いていく。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

2号開渠の動画はこちら


Kanegafuchi_04

これが下にある発電所へ送るための水を溜める鐘ヶ淵上部貯水槽。
発電所の規模(約3倍)に見合うように忍野のものよりはだいぶ大きくなった。

鐘ヶ淵発電所上部水槽の動画はこちら


Kanegafuchi_05

そして長い水管で下の鐘ヶ淵発電所へと水が送られる。
(これは山を下って下から撮影)
桂川2番目の発電所である鐘ヶ淵発電所は忍野と同じく大正11年の完成。
こちらは最大出力2,600KWとだいぶ大きくなった。(忍野は800KW)


Kanegafuchi_06

そして水力発電所にはかならず祀られている「水神さま」
昔の人は、自然の水を使わせてもらうことに感謝と畏敬の念を込めたんだろうね。
大掛かりな工事の無事を願う意味合いもあったのかも知れない。

発電所を抜けた水はすぐ下で桂川の本流に合流する。
この地点の桂川の標高約820m。山中湖から160m下った。

--桂川・水路の旅(5)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

迫田さおりの実力みたか

S_sakoda今朝、1年前の記事にアクセスが集まっていて驚いた。
女子バレーボールの迫田さおり選手の記事。
昨夜の対キューバ戦で大活躍したからなんだね。
いつも彼女をリザーブに留めている真鍋監督も、昨日の試合後は功労者の筆頭に迫田選手の名前を上げていたものな。
どうだ。
身長175センチながら最高到達点305センチの実力をみたか。

ところで日本のエースで『SAORI』が登録名の木村沙織選手。
キューバから可哀想なくらいサーブで狙い撃ちにされていたね。
おなじさおりでも迫田選手は後衛で輝くけれど、木村選手が後衛になると痛々しい。
バレーボールっていうのも、難しいもんなんだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(3)

【忍野発電所】

桂川・水路の旅(2)から続く。

これが忍野の取水口。

Oshino_02

取水池の堰から右に行くのが桂川本流の流れ。
一方ここで取水された水はすぐに暗渠(トンネル)になって手前方向に流れていく。


Oshino_07

取水口からすぐに山中を潜った水は、この忍野発電所・上部貯水槽で再び姿を現す。
(向こう側のアーチ部から)
この日は水量が少なかったが、多い場合には右方向から余水路を通って桂川に戻される。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Oshino_03

この急勾配で下る太い管が貯水槽から忍野発電所へと水を降下させる水管。
最上部で標高約920m。
水は一気に130mほどを駆け下って小屋の中のタービンを廻す。

下に見える建物が大正11年に完成の東京電力忍野発電所。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
山小屋程度にしか見えないのも当然で、最大出力800KWという桂川系で一番小規模のもの。
それでも下腹に響くモーターの低いうなり声が、休むことなく山あいにその存在を訴えていた。


Oshino_05

発電所を後にして桂川対岸の道路へ出た。
ふと振り返ると、向こう岸に何やら怪しいものが見えるではないか。
中央奥の部分に人工的な水の出口があるよね。
(マウスを置くとアップします)


Oshino_06

再び戻り、対岸のその辺りを探ってみた。
やはりこれが発電所の吐出口。
つまり忍野発電所で使った水を再び桂川に戻している部分なんだね。
ここの標高約860m。山中湖から120m下った。
次は鐘ヶ淵発電所だ。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

--桂川・水路の旅(4)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(2)

【山中湖】

桂川・水路の旅(1)から続く。

ということで、まずは桂川の源を探りにやってきた。
そもそも桂川というのは山梨県内の名前。
これが相模湖の上部で神奈川県に入ると相模川と名前を変え、平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぎ出る。
流路の総延長は109キロという大河川だ。

ちなみに河口付近では馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれるが、これは源頼朝の馬が川に暴れ入ったという故事が由来とされている。
だからもしも頼朝が牛に乗っていたら牛入川(ぎゅうにゅうがわ)になっていた、というのは昔バスガイドさんから聞いた話。


Yamanakako_01

その桂川の源流は山中湖となっている。
そもそも富士五湖で自然流出する河川を持つのはこの山中湖だけ。
なるほど西の池畔には源流であることを示す看板が立てられていた。
看板に「GO GO まりも」とあるのは、ここ山中湖が天然まりもの生育地南端だからなんだね。
ちなみに元の看板の文字は『みんなの手で美しく』で、その下は『山梨県』
哀しくも、年々残った文字の数が減っていく。


Yamanakako_02

山中湖水面の標高約980m。
冬季のことゆえ湖水中央はすでに凍りついている。
湖畔に追いやられた鳥たちは、すでに水鳥たちが浸入しないためのブイを越えてしまっている。
でも水路には入らないでね。
流されたら太平洋まで行っちゃうよ。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                


桂川の始めはこんなに整備された人工水路になっている。

Yamanakako_03

大河の源流としてはちょっと味気ない気はするけど。
ちなみにあの巨大地下金庫はすぐそばだ。


Yamanakako_04

やがて桂川が道路から離れる手前、送電線の鉄塔が川の真上に立っている。
ピッタリ川の上に跨がる鉄塔って、珍しくない?
すでにこの段階で水路と送電線が共にあるなんて、なんかこの先の水たちの行き末を暗示しているようだ。

水は忍野八海で知られる富士北麓の忍野村を抜ける。


Oshino_01

さらに桂川の水は二つの取水地からそれぞれ鐘ヶ淵発電所、忍野発電所へと地下水路になって送られる。
なお取水口は鐘ヶ淵、忍野の順だが、桂川は取水の後で大きく180度向きを変えているので下の発電所のほうは逆の順番になる。
つまり、桂川の最初は忍野発電所。
行ってみよう。

--桂川・水路の旅(3)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(1)

【駒橋発電所・落合水路橋】

桂川・水路の旅(0)から続く。

きっかけはここからだった。
前にも紹介した、山梨県都留市にあるこの水路橋。

Ochiai_01

中央道・都留インターの近くにあり、国道139号線(通称:ふじみち)からもよく見える。
正式名『東京電力・駒橋発電所落合水路橋
東京で増大した電力を賄うためここ桂川水系に発電所が作られ、そこで使う水を供給するための水路として架けられたもの。
(電力は現在地元の山梨県に供給)


Ochiai_05

下を流れているのは桂川の支流、朝日川。
橋はその朝日川を3連アーチで跨ぎ、さらにその東(左)側で用水や道路などに4連を持つ全部で7連のアーチ。
朝日川はこのあとすぐに桂川へ合流する。


Ochiai_02

これは橋を潜った反対側から。
橋本体は煉瓦とコンクリート製。
当時の東京電燈(現東京電力)が1907年(明治40年)に建設したもので、国の登録有形文化財に指定されている。


Ochiai_03

本流の脇、一段高くなった端には他とは形状の異なるもう一つのアーチ。
こちらを流れる水は灌漑用水だ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Ochiai_04

橋の上に流れているのも実はで、つまりここは3系統の水が立体交差になっている訳だ。


Ochiai_06

ちなみにこれは100m上から見たところ。
橋の上を直角にが渡っていくのがわかる。


Ochiai_07

さらに500m上から見下ろした。
やはり上を流れているのはだった。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

調べると、標高約980mの源流地点から標高約170mの相模湖まで、山梨県内の桂川には明治から大正に掛けて全部で8つもの水力発電所が作られていた。
そしてそれらは今も全て稼働している。

原発事故のせいでいま肩身の狭い東電だけど、桂川の水は今もこうして変わらず東電を支え続けているんだね。
その働き者の健気な水路を最初から辿っていこう。

--桂川・水路の旅(2)に続く--

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桂川・水路の旅(0)

【プロローグ】

連載「桂川・水路の旅」を始めます。

相模川の上流部分である桂川(山梨県)。
そこには現東電による100年以上の歴史を持つ水力発電の施設が今も現役稼働中。
取水口、水路、貯水池、ダム、水槽、水管、発電所、そして吐出口……
一瞬たりとて途切れることのない水の流れ、それら歴史的建造物の息吹を追いました。

探索は延べ10回以上に渡るうえ、最初の探索から優に足掛け2年以上の歳月を掛けたものなので、季節感(若葉だったり降雪だったり)は前後入り乱れています。
ご了承のほどを。

ま、誰も期待してないし、無駄に長いので適当に読み飛ばしてください。
それでは始まり、始まりぃ……

Miyatanibashi2

--桂川・水路の旅(1)に続く--

【橋リスト】
・その名も粋なり『恋路橋』はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・須坂の渡れない橋はこちら
・長電の警笛が響く村山橋はこちら
・世にも怖~い冠着橋はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・未成の天津ループ橋はこちら
・明治・土木の誇り、汐止橋はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・モダンなアーチ・新矢柄橋はこちら
・自殺防止の鏡渡橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

無念の「金環日食」狂想曲

小学生の登校風景。

Sun_01

いつもと同じ朝の登校風景。
違うのは、まだ始業時刻の2時間も前(6時半)ということ。
早めに登校して、学校で日食観測を行うんだね。


Sun_02

ところがこれはそのわずか30分後。
こちらは部活に向かう中学生だ。
中学は逆方向にあるので上の写真とは反対方向になるけれど、なんと傘を差している。

   雨!!


Sun_03

そしてお約束の7時半。
ホンのちょっとだけ雲の間から見えたのがこれ。
雲に霞んでボケてるし、金環じゃないし、全然眩しくもない。
せっかく用意した日食グラスなんて、真っ黒で何も見えなかったぞ。
これで8月の金星食も曇りだったら、返品じゃ~☆


【追記】
日食が終わったら晴れた。(~_~;;

| | コメント (8) | トラックバック (0)

三つ峠に人面岩を見た

三つ峠もいよいよ頂上が見え始めた。

Jinmen_01

諸説あるが、三つ峠はその名の通り開運山、御巣鷹山、そして木無山の三つの頂の総称というのが有力だ。
一番高いのが開運山の1785m。


Jinmen_02

頂上直下の岩壁「屏風岩」は、ロッククライミングの聖地としても知られていて、休日ともなればカラフルなクライマーがへばりついているのが見える所。
今日はまだ朝早いので誰もいないか。
あれ
その岩肌に、人の顔が見える……


Jinmen_03

ほら、赤く囲った部分。
人の顔に見えるでしょ。
実は光線の加減で、こう見えるのは朝のうちだけ。

Jinmen_04
秋葉湖の人面岩みたいにきれいにお化粧してみようか。
そうすればもっと不気味になる筈。
そしてもちろん『ナニコレ珍百景』に応募するのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

富士のお山につっかえ棒

石の山・三つ峠ではさまざまな「名岩」が見られる。

これはその一つ、「不二石」
八十八大師のすぐ下にある。

Fujiishi_01

不二は「二つとない」という意味だけど、ここではもちろん富士の当て字になっている訳ね。
え 富士山に見えないって。
そりゃそうだ。
これは裏側だもの。
そもそも、富士山につっかえ棒したって追っつかないよ。


Fujiishi_02

こちらが正面。
背景が邪魔だけど、ほら、ちゃんと富士山に見えたでしょ。


Fujiishi_03

もっとも、富士山なら振り返ればちゃんと本物が見えるんだけど、ね。

もしもこの笠雲が赤く見えたら……
病院で検査受けてください。
くも膜下かも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本一縁起のいい駅

ここは富士吉田市にある富士急行線の「寿駅」
駅には表通りからコンビニの横の路地を入っていく。
そして駅前にあるのは電話ボックスと自動販売機だけ。
もちろん無人駅だ。

Kotobuki_01

ここの住所が上暮地(かみくれち)だったので、昭和4年に当時の富士山麓電気鉄道の「暮地駅」としてスタートしたが、暮地を墓地と取り違える人があったため、昭和56年に現在の「寿駅」に改称されたそうだ。

そしたら今度は縁起がいいというので大好評。
駅名の入った『寿入場券』が大人気になった。
でもここは無人駅だし、自動券売機もないので入場券は他所の駅で買わなければならない。
皮肉なものだね。


Kotobuki_02

でもちゃんとベンチはあるぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

お山の中の八十八大師

三つ峠は、古来信仰の山。

88_03

登山口にある「達磨石」には梵語のアークという字で何か彫られている。
「大日如来」という意味なんだそうだ。


88_01

達磨石からさらに登り頂上近くになると、道の脇に古ぼけた石碑が現れる。
石碑には「遍照金剛八十八躰供養 施主現当二世安全」と彫られている。
実はこれ江戸時代に作られたもので、弘法大師石仏と言われるものなんだね。

弘法大師が四国の八十八か所の霊地を定めたところ、江戸時代になって全国各地に八十八体の弘法大師石仏を建ててこれに代えお参りしたものという。


88_02

実際、山の斜面には赤い装束が掛けられた石仏がずらりと並んでいる。
ただし現存するのは全部で81体とか。
それらは一つ一つすべて違った顔をしているというが、すでに欠けてしまったものも多い。
ホットケんな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富士の股のぞき(三つ峠)

山梨県の三つ峠の中腹。

Matanozoki_01

その名も『股のぞき』という名所だ。
でも、天橋立(あまのはしだて)と違って、自分の股からじゃないよ。
ほら、木の階段が組んであるでしょ。


Matanozoki_02

階段に上がり、木の股からのぞく……
これが三つ峠流の『股のぞき』なのだ。
木の股の間から、富士山が絶妙な角度で見えるでしょ。


Matanozoki_03

これぞ富士の絶景。
富士山にはやっぱり雪が似合う。
(クリックすると拡大します)

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春なのに~☆

春なのに……
まるで秋の紅葉みたい。

 山梨県西桂町 2012/05
Green_center

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いま山梨で最も熱いところ

山梨県大月市の外れ。
ひな鶴峠という山の中にやってきている。

Linear_11

ここはリニアモーターカー実験線の終着地で、この建物は車両基地。
禾生(かせい)にある実験センターとは異なり、ここは元々一般にはまったく公開されておらず、普段なら閉ざされてとても静かな筈の所だ。
でも今は大変な数の工事車と作業員が慌ただしく動いている。
リニア中央新幹線開業が決定したため猛烈な勢いで延伸工事が進められているんだね。


Linear_12

奥に見えるように、周囲もすべて厳重なフェンスに覆われているのでなかなか中を窺うチャンスはない。
関係車両出入りのためたまたま開いたゲートから、内部にメガネの形をしたコンクリート製の穴が見えた。
あれはもしや新しいトンネル?


Linear_15

反対側の山に廻り、草むらに入って上部から観察してみた。
今これだけ見える所はなかなかないのだ。
間違いない、新しいトンネルの坑口だ。
これまでは行き止まりだった車両基地だけど、今は延伸のため後方(東京側)の山肌にも新たな穴が穿たれている訳ね。
これまでの実験線のトンネルは複線部もシングルだったけれど、ここでは基地だからなのかダブルになっている。(奥側が本線用とみられる)


Linear_14

既存線のほうも、拡幅のためなのか大掛かりな工事が並行して行われている。
道だってここは本来主要県道なんだけど、今はほとんど工事車両の寡占状態で一般車は肩身を狭くして通して頂いている状況。
もちろん周辺は工事関係者ばかりで、拒否こそされなかったもののカメラ片手の怪しいオヤジに向けられる視線はいぶかしげだった。
すみません、お邪魔しました。
工事頑張ってください。

・上からリニアはこちら
・横からリニアはこちら
・リニア車両基地2はこちら


| | コメント (2) | トラックバック (0)

迷いネコ、知りませんか

Ani_neko6ネコが行方不明になって探しています。
小柄で、足の速いのが特徴。
口癖は、「ネコ、まっしぐら。ニャア~☆」というもの。

元々、日本猫だったんですが、ちょっと前にカンボジア国籍に変更しています。
ロンドン五輪を目指していました。
失意の出来事があって、落ち込んでいると思われます。
見掛けたかたは、ご連絡を。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

体操・田中「3兄妹弟」の快挙

Tanaka「兄妹弟」
これで「きょうだい」とは読めないんだろうけれど、意味はわかるね。
昨日ロンドン五輪出場を決めた、体操の田中佑典、理恵、和仁の兄・妹・弟だ。
いや、兄・姉・弟か。
ややこしいな。

いずれにせよ男兄弟のほうには興味はないから注目しているのは理恵選手。
最近の女子体操って、なんか小柄な少女のアクロバットのようになっていたからね。
日本を引っ張ってきた鶴見虹子さんらの功績を否定する気はさらさらないけれど、理恵選手のような大人の演技がやはり女子体操の真の魅力だろう。
つまり、コマネチよりもチャスラフスカなのだ。
ふる……

先に出場を決めた理恵さんは、午後行われた兄弟の演技を心配で見ていられなかったそうだ。
兄弟でさえ、これ。
3倍心配した親御さんの心中は察するにあまりある。
ウチの子が五輪選手でなくて良かった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

山は逃げないから

今年もゴールデンウィークの山の事故が続いているね。
長野県の白馬岳(しろうまだけ)では、北九州のグループ6人が全員遭難だとか。
なんでも吹雪に見舞われたらしい。

Shiroumadake5月の北アルプスは、まだほとんど雪の世界だからね。
これは十数年前に僕が白馬岳に行った時の写真。
足元こそわずかだけど、背後の山は真っ白だ。
(家人に雪山登山禁止を言い渡されていた自分が言うのも何だけど、行ってみたら雪だったんだからしかたない)

仕事があると限られた休みにしか山に行けないから、みんなどうしてもGW登山は日程を強行してしまう。
無理をしないでね。
山は逃げないから。
(女は逃げるよ)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

鉄子さんと空美ちゃんと


空港近くで長玉と言われる望遠レンズを構える女性が目立っているそうだ。
それが最近流行りの空美(そらみ)ちゃん。
飛行機好きの女性のことなんだね。
面白いネーミング。

最近、女性による各分野への進出が目立っていて、こうした面白いネーミングが相次いでいる。
他にも、歴女、山ガール、マイラー、鉄子などなど。
歴史ものが好きなのが歴女、登山愛好家は山ガール。
有名人のお墓参りをするのがマイラー。
乗り物でも鉄道ファンは鉄子で、飛行機に萌える女子が上記のように空美なんだって。
まったく、上手な名前を思いつくもんだけど……
あれ
それなら、クルマが好きな女性の名前は?
?(゚_。)?(。_゚)?

わかった。

カーさん だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

インコの住所申告

Inko逃げ出して行方不明になったものの、住所を正確に「自己申告」した相模原市のセキセイインコが無事飼い主の元に戻って明るいニュースになっている。
記者会見までやって、まるでヒーローのよう。
一見、微笑ましい美談のようだけれど、でも住所教えるより最初からちゃんと識別の足環を付けておけば良かったんじゃないの。
遺失物届けだって出してなかったというし。
ニュースの中には、なんか変なのあるよね。

こちらではいよいよあの東電が値上げ申請をしたというニュースが伝えられている。
平均10.3%だって。
これから経産省と消費者庁が審査するということだけど、結論はミエミエだ。
審査した結果、値上げ幅を削って9.8%辺りまで縮小。
それで「2桁から1桁のアップにまで縮めた」と、得意気に言い張るんだろ。
役人のやりそうなこと。
見た目の数字で納得させようたって、そうはイカのIka_2○○タマだい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本語話せない観光バスはやだ

Ani_bus1驚いた。
関越自動車道で起きた7人死亡事故の高速ツアーバスの運転士、日本語が万全じゃないんだって。
乗客が「アナウンスがよく聞き取れなかった」と証言していたけれど、このせいだったのね。
最初は薬物の影響でもあったのかと心配してしまった。

毎日新聞によれば、運転士は94年に日本国籍を取得した元中国人。
通常の日常会話はできるものの、難しい日本語は理解できないため、警察は中国語通訳を通じて取り調べをしているんだそうだ。

ちゃんと日本国籍を取得してバス運転の免許も持っているんだから文句はないけれど、トラックならともかく、乗客を乗せる観光バスの運転士が日本語万全でないというのはなんかやだ。
いまの日本、そこまで人材不足なの?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ワイルドじゃねえぜ~☆

お笑い芸人『スギちゃん』がブレークしているね。
「○○○だぜい」というのが口癖で、最後に「ワイルドだろう」と締めくくる。

ところが周囲からは「ワイルドだぜい」というのが誇張されていて今年の流行語大賞だなんておだてられているけれど、本人は「そこは違う」とこだわりをみせている。
つまり、「だぜい」とは言うが、これを「ワイルド」には使わないというもの。
聞いていれば、なるほど「ワイルドだろう」とは言うが、決して「ワイルドだぜい」とは言っていないんだな。

小なりとはいえど、芸人のこだわりや由し。
「どうせ夏まで」とは言わず、せめて年末までは頑張れ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »