桂川・水路の旅(17)
【駒橋発電所】
桂川・水路の旅(16)から続く。
山の上の水槽から、下の駒橋発電所まで降りてきた。
中央線を走る電車の中からも見えるこの大月市の発電所は1907年(明治40年)に運用開始という、桂川水系でも最も古い発電所。
電力需要が急速に高まった東京まで長距離送電を開始した、まさに草分け的存在だ。
最大出力21,200KWは次の八ツ沢発電所に次ぐ、全体で2番目の規模になる。
発電所の本屋は水管真下にある白い建物。
左手に見える4階建てマンションは東電の『新駒橋社員寮』だ。
(ちなみに前に書いたキリンの病院はこの奥にある)
(日本土木学会図書館蔵)
建設当時の写真と比べると激減した水管の淋しさが、歴史の流れを目に訴える。
竣工当時は8本の水管があったというが、老朽化に伴い次第に廃止。
現在はわずかにスイス製フランシス水車&発電機による2本が使われているだけ。
右側にはその廃止された水圧鉄管のアンカーブロック跡が残り、不思議な景観を醸し出している。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
急降下した水管は一度水平になってまず国道20号線(甲州街道)の下を抜け、さらに中央本線の上を跨いだあと再び発電所へと降りて行く。
水槽から下の駒橋発電所までは80mほどの高度差がある。
アンカーブロックの部分をアップにしてみた。(撮影時期が異なります)
大きい2つの穴は廃止された水管の名残りだが、興味深いのはさらにその右横にある小さな穴のほうだ。
水力発電機にはその仕組み上電磁石が使われているのだが、通常はコイル式なのでそのための電力はよそから持ってくる。
ところが駒橋発電所は周辺で一番最初の発電所だったため、そもそも最初に使う電気そのものがなかった。
そこでここではコイルではなく、まず永久磁石を使った小規模水力発電により電力を起こし、それをさらに本体の起動用電力に使ったんだそうだ。
その小規模水力発電用の鉄管の跡が右側の小さな穴という訳。
ふむ、なんでも歴史を作る先駆者というのは苦労するんだな。
なお発電所の一角には旧・桂川電力が鹿留発電所で使っていたという1912年ドイツ・フォイト社製のフランシス水車が展示されている。
実物を見ると、超デカイ。
残念ながら構内には入れないので望遠レンズで『盗撮』した。
(マウスを置くと拡大します)
--桂川・水路の旅(18)に続く--
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