桂川・水路の旅(11)
【元坂水路橋、鍛冶屋坂水路橋】
桂川・水路の旅(10)から続く。
辿る東電水路は小谷沢水路橋から再び都留市街を見降ろす山の間を抜け、都留-道志道の近くで地表に姿を現す。
この辺りは市の誘致計画もあって、大きな工場が集まったところ。
その一つであるコニカミノルタの近代工場の裏から山に分け入った。
雪でぬかった細い山道を歩き、やがて左に曲がると突然目の前にみごとな橋が現れた。
シングル・アーチ石造りの『谷村発電所・元坂水路橋』だ。
訪ねたのは雪の季節だったが、そうでないとしても、下に水の流れはない。
なぜならここは川だから橋が架けられたのではなく、下にあるのは道だからだ。
今は新しい道路が出来たのでもう通る人はないが、この小径は元々都留市内と道志みちとを繋ぐ山越えの生活道路だった。
そのさらに上を越えるため、この立派な水路橋を造ったんだね。
アーチを潜って裏側に抜けると脇に上に登る階段が見つかった。
もちろん登ってみる。
残念ながら、ここも小谷沢水路橋と同様、上部まで石造りの蓋で覆われていた。
それにしてこんな山の中に、お金掛けてるなあ。
とはいえ、建設したのはいまの東京電力ではない。
1917年(大正6年)に「桂川電力」という会社が建設した。
その後1922年(大正11年)に「東京電燈」所有となり、さらに現在の東京電力になったのは昭和になってからのことだ。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
いったん元坂水路橋から県道24号線へ下り、更に桂川と並行して大月方面へと向かう。
新しく出来た都留バイパスとが交差する鍛冶屋坂という所にやって来た。
(上の元坂水路橋と探訪の季節は異なります)
県道はそのままトンネルで尾根を貫くが、その脇から急な坂を登っていく。
左に立つ先の赤いポールが、ここが東京電力の敷地であることを主張しているね。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
登り詰めるとみごとな石造りの橋が見えてくる。
『谷村発電所・鍛冶屋坂水路橋』だ。
同じく石造りだが、こちらは2連アーチになっている。
やはり大正6年の完成とみられる。
レンガ造りでないのは惜しいけど、これはこれでなかなか貫禄のある水路橋ではないか。
水路橋の上部まで登って撮影。
残念ながらここも上部は石積みで覆われていて、水の流れを見ることはできない。
それでも風雪を経て草に覆われ、これはこれでなかなかの趣をみせている。
なお鍛冶屋坂というのは『1193年(建久4年)、源頼朝が富士へ巻狩りに訪れた際に地元の鍛冶屋・某が鏃(矢尻)を献上したところ、たいそう褒め与えられこの姓を賜ったところから名付けられたもの』と伝えられている。
鍛冶屋だから、鍛冶屋の姓?
なんか、そのまんまだけど。
ここの標高、約530m。
山中湖から450m下ってきた。
--桂川・水路の旅(12)に続く--
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