桂川・水路の旅(26)最終回
【松留発電所】
桂川・水路の旅(25)から続く。
桂川・水路の旅もいよいよラスト。
最初に記したように、桂川というのは山梨県の間の名前。
相模湖の上流部にある、その名も境川橋を潜って神奈川県に入るとそこから相模川へと名前を変えるからだ。
八ツ沢発電所から放水部まではもうほとんど標高差がないが、それでも東電(当時の東京電燈)はまだ水を解放しなかった。
最後の松留発電所だ。
全8か所ある桂川水系発電所で最も新しい昭和3年の完成。
左に見える2連のアーチ下が発電のための水の流れ。
右側は余水路になっている。
すでに水管もなく水の流れだけでしかも有効落差たったの4m。
発電量もわずか1,440KWと、直前の八ツ沢発電所に比べ30分の1の規模でしかない。
(日本土木学会図書館蔵)
まだ新しいので建物も、石で組まれた水路の様子も建設当時とほとんど変化がないように見えるが、しかし細部をみれば建物は建て替えられているのがわかるだろうか。
ここの標高約160m。
最初の山中湖から、実に820m下った。
そしてこの松留発電所で最後の役目を終えた水路の水はやっと生まれ故郷の桂川へと戻る。
水面に水煙が見えるのは、川の水と発電所からの水とに温度差があるからだ。
川はすぐに相模川へと名前を変え、そしてはるか太平洋を目指す。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
長い旅、ご苦労さまでした。
そして26回にも渡る連載、最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
--桂川・水路の旅 終わり--
桂川・水路の旅(0)【プロローグ】はこちら
桂川・水路の旅(1)【駒橋発電所・落合水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(2)【山中湖】はこちら
桂川・水路の旅(3)【忍野発電所】はこちら
桂川・水路の旅(4)【鐘ヶ淵発電所】はこちら
桂川・水路の旅(5)【河口湖】はこちら
桂川・水路の旅(6)【嘯(うそぶき)水路】はこちら
桂川・水路の旅(7)【天久保水路・落合平】はこちら
桂川・水路の旅(8)【鹿留(ししどめ)発電所】はこちら
桂川・水路の旅(9)【鹿留川水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(10)【小谷沢水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(11)【元坂水路橋、鍛冶屋坂水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(12)【家中川小水力市民発電所・谷村発電所】はこちら
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桂川・水路の旅(14)【駒橋発電所・沢井1号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(15)【駒橋発電所・沢井2号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(16)【駒橋発電所・上部水槽】はこちら
桂川・水路の旅(17)【駒橋発電所】はこちら
桂川・水路の旅(18)【八ツ沢発電所取水口】はこちら
桂川・水路の旅(19)【猿橋公園、そして桂川】はこちら
桂川・水路の旅(20)【八ツ沢発電所・1号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(21)【八ツ沢発電所・2号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(22)【八ツ沢発電所・3号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(23)【八ツ沢発電所・4号水路橋】はこちら
桂川・水路の旅(24)【八ツ沢発電所・大野調整池】はこちら
桂川・水路の旅(25)【八ツ沢発電所】はこちら
桂川・水路の旅(26)【松留発電所】はこちら
【桂川水系 発電所 一覧】
No. | 発電所 | 完成年 | 最大出力 |
1 | 忍野発電所 | 大正11年 | 800KW |
2 | 鐘ヶ淵発電所 | 大正11年 | 2,600KW |
3 | 鹿留発電所 | 大正 3年 | 18,400KW |
4 | 谷村発電所 | 大正 9年 | 14,700KW |
5 | 川茂発電所 | 大正13年 | 2,500KW |
6 | 駒橋発電所 | 明治40年 | 21,200KW |
7 | 八ツ沢発電所 | 明治45年 | 42,000KW |
8 | 松留発電所 | 昭和 3年 | 1,440KW |
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コメント
長期の連載、ごくろうさまでした。
一回目から興味深く読ませていただきました。調べるだけでも、かなりな手間が投入されているのが判ります。
居候脱出を企てていますが、やはり先立つものが決定的に不足。アルバイトを増やそうかと悩んでいます。
投稿: chiponeko | 2012.07.11 12:27
chiponeko さん
ありがとうございます。
自分の中でもこれまでにない「力作」だったので、終わってちょっぴり腑抜け状態であります。
でも、楽しかったです。(^_^)v
「家計簿」、拝見しましたが、タイヘンそうですね。
身体を壊さぬよう、頑張ってください。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.07.11 13:23
たなぼたさん、おはようございます
お疲れ様でした。失礼ながら、テーマは地味なものであるのに、これだけ丁寧なリポートに仕上がっている記事を今まで見たことがありません。関係機関や企業は「記録」として永く残しておくべき、と思います。資料的にも相当な価値があるもの、と思います。
本当に、お疲れ様でした。そして、有り難うございました。
投稿: poohpapa | 2012.07.12 07:03
poohpapa さん
過分なお言葉、ありがとうございます。
そんな大それたものではありません。
ただ、事前に調べたところではすべてを探訪してまとめたものが見つからなかったので調査に意欲が増しました。
それと、東電がいまこんな状況になってしまったことで後押しをされたのは事実です。
今回は川でしたが、山の中でも東電の札(送電線の管理)をみつけるとほっとします。
東電(そして昔の東京電燈ら)は、いい仕事をしてきましたね。
今までもしっかりと管理してきたのに(今回の経営危機で)それが失われたら悲しいと思いました。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.07.12 07:19
ピーちゃんさん、長い調査ご苦労様でした。
最後の動画は、靄の立つ川面が美しかったです。
時々、地図と照らし合わせたりして、高速道路とこういう古いものが共存している姿が不思議な感じがしました。
今、どうやっても原発を残そうと画策している東電と、こつこつと長い年月をかけて電力を供給してきた東電と、二つが同じ会社なんだなぁって思いながらレポ拝見しましたよ。
投稿: hicha | 2012.07.14 06:27
hicha さん
ありがとうございます。
こんなの、自己満足でしかないとおもいながら掲載していたんですが、ちゃんと読んでいただけて感激です。
最後の
>どうやっても原発を残そうと画策している東電と、こつこつと長い年月をかけて電力を供給してきた東電と、二つが同じ会社なんだなぁ
という部分にまったく同感であります。
たしかに原発事故以降の東電は非難されるべきでしょうが、その陰にはこうして長い年月を掛けていい仕事をした東電もある訳で、そうした昔の職員のかたの気概に思いを馳せると心が痛みます。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.07.14 07:21
いやいや、大長編ごくろうさまでした。プロローグが5月23日、最終回(26)は7月10日。約一月半、足掛け3か月。「桂川水路」とgoogleすればいまや たなぼた記事がずらずらと・・。
ところで探索10回以上、足掛け2年かけた取材。リアルタイムではなく今まとめての発表には、記事には書かれていない(書けなかった?)何かがあったのではと、どうにも気になるのです。
良い季節になってからの最新の山歩きネタがないのも単なる偶然なのか、記事には書けない探索が新規で発生しているのか・・ (笑)
投稿: 惑 | 2012.07.16 00:49
惑さん
またまた、得意のプロファイリングでありますな。
発表まで時間が掛かったのは、行く度にまた新たな発見があって、なかなかケリを付けられなかったからです。
最新の山歩きネタがないのは、残念ながら三つ峠に行った時に足を痛めてしまったからです。
一時は歩くことさえままならず。
もう歳なのか、回復に時間が掛かって……
情けなや。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.07.16 05:12