桂川・水路の旅(21)
【八ツ沢発電所・2号水路橋】
桂川・水路の旅(20)から続く。
猿橋で「1号水路橋」により桂川を渡った水は、再び地中へと吸い込まれていった。
調べてみると、トンネルとなった水路はしばらく地下を潜り、甲州街道を抜けて再び地上に現れることになっている。
しかし資料では存在が確認できるものの、なかなか実際の水路橋を発見することができない。
国道から外れ、民家の軒を抜け、崖の上から見渡したところやっとヤブの向こうにそれらしきものを目にすることができた。
緑色に見える金網のカバーは例により水路を覆うものだ。
その下の茶色の部分が目指す水路橋。
(マウスを置くと拡大します)
しかし、そこに行く道が見つからない。
関係ないけどこの探索の途中、廃トンネルを見つけてしまった。
旧中央本線の大原隧道というものだ。
別の日に探索した時の動画がこちら。
止むを得ずいったん橋を渡って反対岸に渡り、再び水路に沿ってごく狭い道を登って近づいてみた。
しかし児童遊園になってしまい行き止まり。
断念か……
うん?
『おねがい』の看板設置者が東京電力になっている!!
見れば、脇に「2号水路橋・巡視路」とあるではないか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
道はこれだ。
とうとう尻尾をつかんだぞ。
児童遊園の脇から廻って急な土手を降りて行くと、再び上部が覆われた水路の脇に出た。
そしてその先にはもう目指す2号水路橋が見えている。
降りてみよう。
1号はコンクリート製だったが、2号はレンガ造りになっている。
背後が崖になってこれ以上下がれないので全貌が写真に収まっていないが、全部で3連のアーチ橋。
そのうち実際に川が流れているのは真ん中の部分だけ。
もったいないね
ただ状態は悪く、壁面の一部はすでに崩れかかっているのが気掛かりだ。
それでもよく見れば、上部はなかなか凝った意匠になっている。
外部の支えはイギリス積みのレンガ造り。
この橋も1号橋と同様、明治45年の竣工とみられている。
明治の人は、いい仕事したね。
よし、次は3号水路橋を探してみよう。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら。
--桂川・水路の旅(22)に続く--
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コメント
おはようございます
いつもながら丁寧な取材に基づいた記事で、たなぼたさんを尊敬します。
これらの施設は重文とかに指定してちゃんと管理保存していたなら、今も美しさを保っていたでしょうに、勿体ないですね。
人が手をかけないと、せっかくいい仕事をしていても、風化してしまうものなんですね。この建設工事に携わった人たちが見たなら悲しいでしょうね・・・(しみじみ)
投稿: poohpapa | 2012.07.03 07:19
poohpapa さん
ありがとうございます。
うれしいことは、建設から100年経った今もこれらすべてが現役で働いていることです。
原子力発電所には及びもしませんが、八ツ沢発電所の42,000KWなんて、CO2を出すこともなくいい仕事しているんですけどね。
ただご承知のように東電はいま大変な苦境に追いやられていますから、今後こうした施設の管理・手入れがおろそかになってしまうのでは、と心配になります。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.07.03 08:11