衝撃の崩壊橋梁「祭畤大橋」
ここは一関の先、名勝・厳美渓のほど近くになる。
拡大します
【左】国道342号線に「展望の丘」というのがあるので上がってみた。
すると濃い緑の穏やかな山並みが続く中、中央の辺りに何か異様な光景が目に入る。
これは「祭畤(まつるべ)大橋」という、国道342号の旧道に掛かる橋。
2008年に起きたM7.2の岩手・宮城内陸地震で橋が破損・崩壊してしまったのだ。
【右】橋が崩壊して川に落下している!!
まるであの伊豆の廃ループ橋のような衝撃ではないか。
よし、あのテッペンに行ってみよう。
【左】場所を移動し、新道に掛かる現在の「新祭畤大橋」から撮影した。
奥で落下しているのが「旧祭畤大橋」
接続する道はもうないが、足元に見える旧い鉄製のトラス橋はさらなる旧道で、名前は「大」が消えた「祭畤橋」になる。
【右】今度は崩落部を正面から見渡せる対岸・一関側の落下部分にやって来た。
橋の舗装部分が垂直になってしまい、まるでこれが橋脚のようになっているのが窺える。
手前の破壊したコンクリートや引きちぎられた鉄筋も損傷の凄さを物語っている。
【左】反対の栗駒山側に場所を移動した。
脇から見ると、その壮絶さにさらに圧倒される。
災害の教訓を残すため、河床部分は補強した上で保存されているのだ。
【右】いよいよ崩落の先端部分までやって来た。
左奥、わずかに見えるのが現在の「新祭畤大橋」だ。
旧祭畤大橋の路面は突然視界から消え、脇の鉄柵も手掛かりを失い宙を彷徨っている。
なんとも異様な風景だ。
【左】恐る恐る、足元を覗いてみた。
路面はひび割れて内部の鉄筋が顔を出し、その先は垂直に近い急角度で河床まで落下している。
【右】下に潜ってみると、分厚い鉄のガーダー(桁)がまるで飴のように押しつぶされていた。
いったいどれだけの力が掛かったというんだ。
【補足】
耐震設計がなされていた筈の橋梁がここまで崩壊。
誰もが「設計ミスや施工中の手抜き工事」を疑ったと思う。
だから「国道342号祭畤大橋被災状況調査検討委員会」が設けられ事故の解明にあたったのは至極当然のことだったろう。
しかしその結論は驚くべきものだった。
「祭畤大橋の落橋は、地震により栗駒山側の地盤が約11mも地滑りして移動したことが主因」と判明。
祭畤大橋のすぐ北側・高手山の中腹が震源地だったのだ。
橋の両側で11mも地盤が移動したら、どんな頑強な橋だって押しつぶされてしまうだろう。
【九州工業大学の研究室が解明した崩落のメカニズムはこちらで読むことができます。】
一関側から撮影したよくわかる動画はこちら
↓
栗駒山側から撮影したよくわかる動画はこちら
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【橋リスト】
・その名も粋なり『恋路橋』はこちら。
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