« 「反脱凍」 | トップページ | 豊川信用金庫は「とよしん」じゃない? »

渥美半島に眠る「旧陸軍福江観測所」

明治38年(1905年)、半農半漁の平和な生活を送っていた伊良湖の集落は国から突然半年以内に立ち退くよう強制買収を指示された。
陸軍の伊良湖試射場拡大のためだったという。
そのわずかな期限内に114全戸が移転を完了したというから、軍の力は強かった。
そして今もなお伊良湖半島にはその関連施設が数多く残されている。

田原市の渥美郷土資料館がある丘、そこからさらに登った尾根の林の中に分け入ると、妙なコンクリート製の塔が目に入る。

Fukue_01
でも目的はこれじゃない。
さらに右、奥のほうに何か茶色いものが緑の陰に見えるだろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Fukue_02
近づいてみた。
きれいなイギリス積みレンガ造りの建物になっている。
出入り口のアーチもお洒落だね。
でもこれが建てられた目的はお洒落なものなんかじゃない。
この建物は「福江観測所」といい、れっきとした軍事施設。
伊良湖射場で行われた遠距離射撃の際に砲弾を観測するための施設だったそうだ。
この渥美半島には同様の観測所が他にも残されている。


Fukue_03
平屋造りだが、備えられた階段で屋上に登れるようになっている。
残念ながら今は雑木が伸びてしまって展望が効かないが、かつてはこの上から双眼鏡で観測したのだろう。


Fukue_04
中に入ると南側には長方形の大きな窓。
反対の北側には小さめの四角い窓が二つ開けられていた。
いずれにせよ、この大きさでは狙撃口ではないね。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

【戦争遺構】
・富津岬・軍事施設跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
・柏の燃料庫跡はこちら
・大月の監聴音壕はこちら
・サイパン帰りの戦車はこちら
・焼夷弾と戦った墓石はこちら
・野島公園の掩体壕はこちら
・横須賀の砲台山はこちら
・砲弾を抱えた狛犬の神社はこちら
・かもめ団地の試射場はこちら
・剣崎の探照灯庫跡はこちら
・剣崎の砲台跡はこちら
・披露山の砲台跡はこちら
・三浦半島・諸磯崎洞窟陣地はこちら
・追浜の海軍格納庫はこちら
・二川のトーチカ跡はこちら
・渥美半島陸軍気象観測塔跡はこちら
・習志野の支那囲壁砲台はこちら

|

« 「反脱凍」 | トップページ | 豊川信用金庫は「とよしん」じゃない? »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

遺構」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
まだまだ残っているんですね~...以前、住んでいた街にも戦争遺跡が有りましたよ。大本営だったそうで。
大本営と言えば松代ですが、同時期に七里ヶ岩を掘って作られたそうです。現在は崩落の危険が有るので中には入れないと言われていますが、何故か年に一度、見学会が催されています。

投稿: chiponeko | 2012.11.22 00:56

chiponeko さん
おはようございます。

七里ヶ岩……
あそこにもあるんですか。
まさに天然の要害という感じですものね。
防空壕を掘るにはうってつけかも。
そういえば、韮崎という地名も七里ヶ岩から来ているとか。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.11.22 05:26

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 渥美半島に眠る「旧陸軍福江観測所」:

« 「反脱凍」 | トップページ | 豊川信用金庫は「とよしん」じゃない? »