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小異は「捨てちゃった」のかな

第三局の結集を図る、という橋下徹大阪市長は、石原新党との連携について「小異を捨てて大同につくには与することできない」ってコメントしてた。
これ聞いて、なんか違和感があったんだけど、わかった。

正しいのは「小異を捨てて大同につく」んじゃなくて、「小異を残して大同につく」なんだ。
だってこれはもともと中国の『求大同、存小異』という格言から来ているんだから。
『存』という言葉に「残す」という意味はあるけれど、決して「捨てる」とはならないもの。

近頃の日中両国の政治軋轢をみると、案外こうした先人の知恵を今の双方の政治家が理解してないような気がする。
田中角栄、周恩来両首相が日中国交樹立をした時にはこの「求大同、存小異」という精神だった筈。
残しておかなくちゃいけないものをいつしか捨てちゃったのかな。

たまには真面目なことも書く。
空から「豹」が降るかも。
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