崩壊橋梁「西会津・旧柴崎橋」右岸編
「西会津・旧柴崎橋」序幕編から続く。
堰堤から東側の右岸に沿って道を上流方向へと遡る。
ここも昨年の洪水の際には土手部分が崩壊して長く通行止めになっていた所。
心配していたのだが、きれいに修復されていた。
福島県土木部に感謝。m(_._)m
橋の接続部まで容易にたどり着いた。
現道からも見通せるし、橋のたもとまで苦労することなく達することができた。
ここから下流の現行・柴崎橋があるダム堰堤方向を見渡すとこんな感じ。
橋右手の土手を降りて対岸まで橋を見通してみる。
こちら側からは、橋にさほど違和感は感じられない……。
ま、よく目を凝らさなければ、ね。
再び土手を上り、橋の正面に立った。
コンクリート製の橋柱は左右とも健在だが銘板等は見当たらない。
(事前の調べで「柴崎橋」であることは確認済)
橋の真正面には大きな杉の樹が通せんぼをしていた。
昭和33年に廃止だから、もう今年で最大54年が経過。
大きく育ったその歳月が、橋がその役目を失ってから積み重ねた風雪の重みを物語っているかのようだ。
さあその橋へ、歩を進めよう。
道路橋だったから、おそらく頑健な鉄板が渡されていたのだろうが、今はすべて取り払われてまさに鉄骨の骨組みしか残されていない。
下路式プラットトラスの構造は良くわかるが、まるで列車のための鉄橋のようだ。
足下を見れば、水位が下がったとはいえ深そうなエメラルド色の湖面が怪しく獲物に誘いをかける。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
おっと、誘いには乗らない。
朝がたは気温氷点下だったから、湖水もかなり冷たかろう。
橋の前方をアップにしてみると、去年の大水害の時の巨大な流木が数多く鉄骨に乗ったままなのが見受けられた。
これまでネットに掲載された以前の写真には見られなかった図だ。
かつてこれを先端まで渡った強者がいたようだが、そんなことはしない。
なぜなら水害で流木や水の衝撃を受けただけでなく、経年変化で鉄骨自体にも腐食した穴ができるほど橋には痛みが確認できるからだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
賢者は愚かなことはしないのだ。
さて次はいよいよ崩落の場、橋の左岸(上流から見て左手)に行ってみよう。
(おそらく)ネット初公開。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
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コメント
う〜ん。。。
いつも思うんですけどたなぼたさんの記事って、
見る人からお金をとりたいくらいの内容ですよね!
投稿: ドキンちゃん | 2012.12.03 11:15
ドキンちゃんさん
あ・ありがとうございます。
そんなあ……
照れますよ。
じゃ、振込口座の番号連絡しますね。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.12.03 11:43
ううん。
集金は私が代わりにさせていただきますよ。
だっていつもたなぼたさん出かけてるからお忙しいでしょう?
投稿: ドキンちゃん | 2012.12.04 14:54
ドキンちゃんさん
ご親切にありがとうございます。
でも、集金手数料が高そうなので辞退させていただきます。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.12.04 15:18