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新潟の山奥にインカ神殿を見た(前編)

西会津からさらに新潟県までやって来た。
越後山脈の懐深く、阿賀野川の支流・五十母川(いそもがわ)の渓流に沿って遡っている。
というのも、この川の上流にまるでインカ神殿のような鉱山廃墟があるというのだ。

探索したのは11月末だが、実はこのスケジュール、かなりピンポイント。
なんせこの一帯、春から秋に掛けヤマビルの群生地であるうえに、森には熊も出没するという。
夜は好きだがヒルは大嫌いだ。
クマさんとの遭遇もできれば避けたい。
それですっかり寒くなった初冬まで遅らせた訳だが、そうすると逆に今度は山は銀世界になってしまう心配もあってなかなか難しいのだ。
新潟の冬はヤバイ。
実際今から98年前の1914年(大正3年)、この鉱山一帯を雪崩が襲い、建物が倒壊6名もの死者を出したとの記録があるくらいだ。


Mochikura_01
前日の雨で轍はぬかるみ、ガレた落石がもう何回もフロアに体当たり攻撃を挑んできている。
中央奥に見えているのは最初の砂防堰堤。
荒れた林道はあの先まで続いている筈だが、オフロード車でもない自分のクルマではここら辺りが限度。
装備を固め、ここからはいよいよ歩きだ。


Mochikura_02
辿る林道跡は年月を経てすでに半ば崩れ落ちてしまっている。
氾濫した川に蹂躙され、道はかなりヤバイ状態の所が多い。
ここには橋脚の残骸らしきものがあるが下を覗けば半ば中に浮いてしまっている状態だ。

『日本鉱物誌』には、「磐越西線五十島駅の南方、約10kmの距離。
阿賀野川の支流五十母川の渓谷に沿ふて約8km、通称一本杉の貯鉱場に達する。
一本杉から山元に至る間は険阻な山道で登坂難渋である
」との記述がある。
まあね。


Mochikura_03
と、途中に「足元注意」の札が枝に掛けてあるのを見つけた。
裏返してみれば、地元の持倉鉱山保存会が吊したものらしい。
GPSがあるとはいえ、不案内の地の探索でこうした案内を見つけるととても心強い。
しかし、この札には重大な(?)インチキが隠されていることに気が付いた。


Mochikura_04b
なぜなら探索した日はほら、まだ11月の28日なんだもの。赤丸
なのに、札にはすでに「平成24年12月」と書いてある。
いかんいかん、これっていわゆる「先付け」というやつじゃん。
先付けなんて、小切手だったら振出日が来なくても金融機関は支払いを拒否出来ないんだぞ。


Mochikura_05
さらに登っていくと、目標になる2番目の巨大堰堤が現れた。
これを越えればまもなく目的地が見える筈。
左手の巻道から堰を越えると一転、水の流れは広くなった。
しかしここでわずかな踏み跡すら消滅した。
水流で道がえぐられてしまったのだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
(流れを渡ってから撮影)


Mochikura_06b
行き場をなくし、ついに最初の徒渉を余儀なくされる。
水は澄んでいるが、前日の雨で水量は多い。
もちろんこれは予想されたので長靴を用意してきているが、ただの水溜まりと違って川には流れの圧力があるので歩行が難しい。
そして長靴は…… 浸水。
水が入ってしまった長靴というのはこんなに気分悪いものなんだな。

しかし見よ。
対岸に目的の「神殿」がついにその荘厳な姿を現したではないか。
ほら、赤い丸の中。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

持倉鉱山跡(後編)に続く。

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コメント

わくわく、どきどき...冒険譚、楽しみです。

投稿: chiponeko | 2012.12.09 22:36

chiponeko さん
ありがとうございます。

次回、いよいよ主人公は大変な危機に追い込まれ、壮絶な死を……

そんな訳はないです。
こうしてまだ書いていますから。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.12.10 05:21

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