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新潟の山奥にインカ神殿を見た(後編)

(前編)から続く。

とうとう目の前にした持倉鉱山跡。
でも対岸に渡る前に、まず自分のいる側(左岸)を探索。
実はこちら側にも林の中にいくつかの遺構が隠れているのだ。

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ただかなり崩壊が進んでいるうえに、足元のヤブがひどくて移動もままならない。
しつこいツルに足を取られるし、濡れた葉っぱは身体にまとわりつき、顔には蜘蛛の巣が。
まだ上方にも大きな遺構がみられるのだが……
退散。
それより対岸の「神殿」が気になるんだもんね。


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見よ! この偉容。
こんなのに山奥で遭遇したら、誰だって感動すること間違いなし。
「インカ神殿」と形容してしまうのにも納得してもらえるだろう。

さあ、いよいよそのインカ神殿、いや持倉鉱山跡に向かおう。
ただそのためには再びこの冷たい川を徒渉しなければならない。
川幅は広いのに思いの外、流れが速い。
Nagagutsu長靴は…… 再び浸水。
なに、二度目ともなればもう気にもならん。


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建物の前にある、柱のように積み上げられた石。

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昔の写真をみると、かつてこれはアーチ形状をしていてまるで神殿を護るジャンダルム(前衛)のようだった。
しかし自分が訪ねた時にはすでに崩れ落ち、この有り様。
残念、もっと早く来たかった。

でも、その崩れた残骸はいったいどこに行ったんだろう。
すべて持ち去られたとは考えにくい。
なぜならこの石は自然のものではなく通称「カラミン煉瓦」と呼ばれるもので、鉱山から出た亜鉛を主とした精錬滓(からみ)から作られたもの。
見た目とは異なり、一つだけでもとほうもなく重いものなのだ。


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ここが『世界遺産』といっても通用するだろう、この迫力。
持倉鉱山の歴史は古く、1700年(元禄時代)頃に発見され、当初は会津藩が主に銅を掘り出していたと伝えられる。
その後、銀や、蛍石、鉄鉱石などを産出したとされ、明治末から大正に掛けてが最盛期で大正7年には年間10万トン近くも産出したとの記録が残されている。


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いまここに残る建物は1913年(大正2年)に建てられたもので精錬所の事務所として建てられたものだったそうだ。
切り妻になっていた屋根部分はすでにないが、1階部分がすべてアーチ型窓なのに2階部分は対照的な四角形にデザインされるなどお洒落。
当時としてはさぞエレガントな建物だったろうけれど、しかしこんな山奥で粉塵にまみれた鉱夫以外の誰が見てくれたというのだろう……。


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こちらから見た先ほどの左岸(1・2枚目の写真)上部には、まるで要塞のような建物も確認できた。
記述によれば、こちらが精錬所だったらしい。
一番高い部分は大煙突の基部とのこと。
なお、実際の坑口はここよりさらに上流に位置するという。
また機会があれば、ぜひ坑口まで探索してみたいものだが。
(追記:前編で危惧した通り、1週間後一帯は降雪に見舞われた)

いくつかの小さな鉱山会社の手を経たあと最後の所有者は大手の三井金属鉱業になったが、1963年(昭和38年)、持倉鉱山は静かに長かったその役目を終えた。
かつて強大だった東洋の国の産業を牽引した鉱山の象徴的な建物は、いまほとんど人目につくことなく新潟の山奥で滅びようとしている。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

【鉱山跡リスト】
・玄倉鉱山跡はこちら
・渋沢鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡パート2はこちら
・東沢鉱山跡はこちら
・日影沢鉱山跡はこちら
・麓金山跡はこちら
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コメント

おはようございます

これ、不思議ですねえ。レンガ造りの建物は200年や300年で風化するようなものではありませんし、一見して非常にしっかりした構造になっているのが解かります。それがどうしてこうなってしまうのか・・・。

度重なる地震なんかの影響もあるんでしょうが、どんなに立派な建物でも人の手が掛からなくなると急速に朽ちてしまう、ということなんでしょうか。

凄く勿体ないですね。

投稿: poohpapa | 2012.12.12 05:09

poohpapa さん
おはようございます。

そうですね、度重なる地震に加え、豪雪地帯というのも厳しいのかも。
しかし、昔の建物には素晴らしいのが多いです。
ここなんて、ほとんど一般の人の目にはつかないのにね。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2012.12.12 05:23

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