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2013年1月

支那囲壁砲台(習志野)

ここは千葉県習志野市。

Shinaiheki_01
その昔、『一望千里』と呼ばれた習志野原は、陸軍にとって重要な演習地だった。
今はすっかり住宅が増えたが、それでもまだ農地があちこちに散在している。
ここもその一つ、よくある普通の農家のように見える。


Shinaiheki_02
農機具が収めてあるらしい小屋と、隣接した二階建てほどの頑丈な造りの建物。
しかし、この窓……
何か、変わってないか。


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内側が小さくてそこから外部に向かって広がった形状。
この形、見覚えがあるね。
豊橋諸磯崎で見たのと同じ、そう狙撃口だ。


Shinaiheki_04
実はここ『支那囲壁砲台(しないへきほうだい)』といって、太平洋戦争の際、演習用に中国の家屋を模して作られた砲台が現存しているものなのだ。
砲台といっても、中から銃を撃つのが目的のものなのではなく、中国軍が作った壁で囲まれた軍事施設を外から攻略するための訓練場だった。


Shinaiheki_05
習志野市のホームページには当時の絵葉書写真が掲載されている。
本来は高い塀に囲まれていて、現存するのはその一角であることがわかる。

戦後、この土地を囲壁砲台跡ごと農地として払い下げた受けた方が、改築して現在も使用しているのだそうだ。
2002年、国の登録有形文化財に指定された。

【戦争遺構】
・富津岬・軍事施設跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
・柏の燃料庫跡はこちら
・大月の監聴音壕はこちら
・サイパン帰りの戦車はこちら
・焼夷弾と戦った墓石はこちら
・野島公園の掩体壕はこちら
・横須賀の砲台山はこちら
・砲弾を抱えた狛犬の神社はこちら
・かもめ団地の試射場はこちら
・剣崎の探照灯庫跡はこちら
・剣崎の砲台跡はこちら
・披露山の砲台跡はこちら
・三浦半島・諸磯崎洞窟陣地はこちら
・追浜の海軍格納庫はこちら
・二川のトーチカ跡はこちら
・渥美半島福江観測所跡はこちら
・渥美半島陸軍気象観測塔跡はこちら

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スカイツリーが東京タワーになった

東京北部を流れる荒川の河川敷。

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目の前に広がるのは「荒川西新井橋緑地」という運動公園だ。
中央奥、遙か先にスカイツリーが立っているのが見えるね。


Skytree_tower_02
場所を移動して西新井橋の途中に立った。
うん?
スカイツリーが赤白鉄塔になった?
これじゃまるで東京タワーみたい。

実はこれ、手前にある別の赤白鉄塔がちょうど重なって見えるため。
テレビでも珍スポツトして紹介されていたそうな。
地図で確認すると、この鉄塔は東京電力足立支社のアンテナのようだ。

「昔々、あるところにアンテナがあってな」
なあんてな

・逆さスカイツリーこちら
スカイツリーに登った記はこちら
スカイツリー、小っちゃいのんはこちら

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暖かいよ~

 「なんだよ
  マフラーの下は暖かいんだって

Neko_25

 「なに、危ないって?
  これ禁止されたら
  お先、マっフラーだっつうの……

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ジュラシック寺? 證願寺

證願寺(しょうがんじ)は、葛飾区にある真宗大谷派のお寺さん。

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門から境内を覗いてみると、「変わった狛犬?」が目に付いた。


Shoganji_02
隣に鎮座するディズニーの小人は愛嬌だけど、これって、狛犬ならぬ狛ライオン?
もっとも狛犬の起源はライオン(スフィンクスのように)だったというけどね。
それなら、阿吽の相棒は?
最初の写真の赤丸印


Shoganji_03
ひえ~☆
こちらは獅子どころか、でっかい恐竜だった。
さすがにエジプトでもこれはないだろう。


Shoganji_03b
トリケラトプスの親戚『スティラコサウルス』というヤツだね。
なぜ「恐竜」かは、「今日理由」言わない。

【追記】
このお寺はプラネタリウムでも有名。
また読経の際には電光掲示板でお経を同時通訳するんだとか。
先進的というか、変わった住職さんなんだね。

変わっテラ~☆

【恐竜リスト】
・袋井の恐竜墓場はこちら
・静岡のジュラシック・ビルはこちら

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これじゃ、まるで遣唐使じゃん

M_sugawara
中国訪問中だった与党の党首である公明党の山口代表、やっと最終日に習近平総書記との面会が実現したね。
しかし安倍総理の親書を携えているというのに、韓国の特使との待遇差は歴然だ。
それでも百歩譲って面会できたことは由としよう。

と思ったら……
テレビの画面を見てガッカリ。
握手の際、山口代表が頭を下げているのに、習総書記ときたら横柄な態度で完全に無視。
外交上、こんな非礼が許されるのか。
これじゃ、まるで中国皇帝に貢物を捧げた遣唐使だ。
日本は中国の属国なんかじゃないぞ。
独立国の誇りをもって建議した、菅原道真のような気骨のある政治家はいないのか。

Ken
遣唐使は剣どうし

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なくなってわかる、髪は長~い友達

Kamiなくなってわかる、髪は長~い友達

これはいわずと知れた、髪という漢字を覚えるための符帳だね。
昔から、髪は人間にとって大事な存在だったんだな。

ところで京都大&慶応大の研究チームが、例のiPS細胞を使って毛髪を作る皮膚の組織をマウスの体内で形成させることに成功したそうだ。
よくわからんが、きっと凄いんだろう。
せっかく山中教授がノーベル賞もらったiPSだもの、日本でこの技術を花咲かせて欲しいよね。

ところが安倍総理が言っていたけれど、このiPSから医薬品などの商品化に係る特許の数がお隣りの韓国がすでに38もあるのに、本家の日本はたった9つしかないんだそうだ。
なんで~?
そりゃないだろう、本家なのに。
頑張れ! ニッポン

若者よ、髪、伸ばしている場合じゃないぞ!
と、長髪の人を挑発

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撮らないで~

 「いや
  撮らないで~

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 って、足かい。
   あしからず。

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シャラポワ(テニス)の奇声と卓球の「サー!」

昔、スポーツでの「シングル」と「シングルス」の違いがわからなかった。
今ならわかる。
テニスや卓球は一人対一人で行う試合だから「シングルス」なんだね。

で、そのテニス。
まだ16歳の頃からここで応援してたマリア・シャラポワ選手が、昨日全豪オープでベスト4入りを果たしたね。
ところが彼女が打球の際に発する奇声が、ライバルから問題視されているそうな。
確かに凄いけど。

Takkyuでもそれを言うなら卓球の奇声もいかがなものか。
有名なのは福原愛選手の「サー!」
卓球で発するのは別に彼女だけでなく、例えばこの間の全日本女子ダブルスで平野美宇&伊藤美誠の小学生コンビを破った大学生組「Wサー!」の奇声もすごかった。
なにしろ二人で同時に嬌声を発するんだから。

卓球の「サー!」に疑問を感じるのは、相手がミスした時にも声を出すことだ。
いかも2回言ったりして。
なんか、納得いかない。
テニスでは相手のミスに喜びを表明するのなんてマナー違反だものな。
卓球は英語で「テーブル・テニス」というらしいけれど、どこで違っちゃったのかな。
さー? ?(゚_。)?(。_゚)?

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初白星の雅山、男泣き

Sumo初日から8連敗していた雅山が初白星。
相撲を終えて帰る花道で観客から大きな声援をもらい、思わず涙ぐむところが放映された。

考えてみればまだ22歳の若さで大関になった大型力士。
しかきし度重なる怪我で大関から陥落。
今場所は平幕のしかも16枚目だ。
つまり幕内のどん尻という厳しいポジション。
ここで負け越せば、再び十両転落は間違いないところ。

加えてこの日は侑加夫人と2人の男の子が観戦していたそうだ。
もしかしたら最後になるかも知れない晴れ姿を子供の目に焼き付かせておきたかったのかも。
うれしかったんだろうね。
相撲にもドラマがある。


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お父さん、起きて!

 お父さん
       起きて~

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 ほら
  睡眠薬 飲む時間でしょ!





Neko_23
 
  そうだった

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大欠伸(おおあくび)

  ふわ~い
    昼寝でもするか

Neko_03

 だって、ネコだもの

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『国賊』呼ばわりされる元総理

安倍内閣で防衛大臣の要職を務める小野寺五典議員。
宮城出身なのでこれまで復興関連の番組でよくテレビで見掛け、とても控え目なおとなしい人物だと思ってた。
ところがその小野寺防衛相がなんと元総理を『国賊』呼ばわり!
すごいね。

これは、あの鳩山さんが中国に行って、わざわざ「尖閣諸島は係争地だ」なんて言っちゃったからなんだね。
元総理の言葉がどれだけ重いのか、相変わらずこの人は全然自覚してないようだ。
そんな人に日本という国を任せてしまった9か月が悔やまれる。

そういえば鳩山さん、以前「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」なんて言って物議を醸したこともあったし、いったいこの人はどこの国の人間なんだ?
本人自ら「私の場合、人の嫁さんに恋をして、その人と結婚しちゃったといういきさつもあって……」なんて言ってるくらいだから、われわれとはそもそもモラルの感覚も違うのかも知れん。
不思議だ。
Magic
鳩のハットトリック?

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オヤジがトム・クルーズだったら

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「平日の昼間からゴロゴロ~、ゴロゴロ~
あ~あ オヤジがトム・クルーズだったらなあ」


Neko_12
「なんだよ、見てたのか。
ビックリのけぞり180度!」

ちなみに、この記事に出て来るラーメン屋さんのにゃんこである。

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喜多方・三津谷の紅いレンガ蔵

Kura
喜多方といえば、「蔵とラーメンの町」がキャッチフレーズ。
ならば、とそれとおぼしきラーメン屋さんに突入。
なるほど店の中には、著名女子アナの色紙なんかが飾ってあった。
味は……。

目的は蔵のほう。
しかし、観光写真によくある白壁の蔵じゃない。
ほら

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ここは喜多方の中心から北に6キロほど来た三津谷という集落。
わずか5軒しかない小さな集落だ。
しかしここはまるで日本ではないような異国情緒漂うレンガ造りの蔵が建ち並ぶ。

明治末期、周辺では磐越西線が建設されたが、そのトンネルや鉄橋の橋脚部分に大量のレンガが必要なことから地元にレンガ工場が造られたのだそうだ。
蔵は国が招いたドイツ人鉱山技師が設計し、日本人の職人らが集落に作られた登り窯で地元の赤土を使って焼いたレンガで建てられたものという。


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レンガ蔵はアーチ型のデザインで組まれた窓や入口などが特徴的。
全体の積み方は典型的なイギリス積みだね。
蔵自体の骨組みは通常の木造建築で作られていて、その周りに益子焼の釉薬をかけた赤褐色のレンガが並べられている。
外観はお洒落だが、これらの蔵はわら加工、脱穀、精米、穀物貯蔵、家畜の食料(干し草)貯蔵などに使われていたというから勿体ない?
なんでも市内のような漆喰の蔵を作るより工期が短く費用も掛からないことから、地元で手に入るレンガが使われたんだそうだ。

蔵は2007年(平成19年)、経済産業省認定の産業遺産に指定された。

あなたも喜多かった?
じゃ、また行って蔵~☆

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「雪だねえ」 by 幸助&福助

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あれ
なんか白いものが降ってるよ


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これは雪だねえ
そうだねえ

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それより早く、メシ作れ~☆

【猫リスト】
・千曲市の猫神さまこちら
・猫町青梅の招き猫地蔵こちら
・猫町青梅の猫恵比寿こちら
・猫町青梅のにゃにゃまがりこちら
アメショーのお散歩はこちら
・木更津のこちら
・「暖かいよ~」のこちら
・「撮らないで~」のこちら
・「お父さん、起きて!」のこちら
・大欠伸(おおあくび)のこちら
・オヤジがトム・クルーズだったらのこちら
・カラスと戦ったニャンコこちら
・香貫山のニャンコたちはこちら
・御前崎の猫塚たちはこちら

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踏切あれど渡れない(大多喜)

 渡れないよ
   待っていても永遠に列車は来ない。

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 大多喜町にて

千葉県大多喜町の県道沿いにある踏切。
なぜか、普通の民家の入口にある。
なんか、羨ましい……

・踏切あれど渡れない(笹子)はこちら
・踏切あれど渡れない(富津)はこちら

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踏切あれど渡れない(富津)

 渡れないよ
   待っていても永遠に列車は来ない。

Fumikiri_01
 富津市にて

千葉県富津市にある鶴峰八幡宮の門前。
酒屋さんの入口にある。

・踏切あれど渡れない(笹子)はこちら
・踏切あれど渡れない(大多喜)はこちら

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足どり軽く

  今日も元気だ。
    スタコラサッサ~

Neko_02

 木更津にて
 (マウスを置くとアップします)

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税務署倒れても困らんね~☆

Zeimusho河野太郎議員の追求によれば、あれだけ非難された「復興予算の流用」について、財務省は13年度でまた目的外の税務署改修工事なんかを請求しているらしい。

予算名は「被災地での大型エックス線検査装置の復旧

この「等」という一文字で、24億円の予算額の半分以上にあたる13億円を「震災時の業務継続のため」として、全国の税務署の改修などにあてることにしているんだそうだ。
そんなバカなあ。
国民は震災復興に充てられる、というから臨時の増税にも同意したのに、それが税務署の建物改修工事に使われるなんてインチキだ。
わかっているのか。
税務署の建物が壊れたら、国民はみんな喜ぶんだぞ!!

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日原・倉沢廃村と大ヒノキ(後編)

日原・倉沢廃村と大ヒノキ(前編)から続く。

大ヒノキを後にし、村までほぼ水平な径を辿っていく。
公式にはすでに使われていない径なので、路肩がくずれるなどかなり傷んでしまっている。
はるか右下は倉沢の深い谷の筈だが、かすかな渓流の音だけでここから見通すことはできない。


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やがて山側を見上げると、樹々の向こうに人工的な石垣の基礎が現れた。
ここが倉沢廃村の入口だ。


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気持ちの良い朝日を浴びながら、すっかり苔むした石段を踏みしめ登っていく。
(マウスを置くと別方向の画像になります)


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建物はすべて解体されたと聞いていたが、わずかに角材で組まれた土台の木組みが残っていた。
この村はこの奥で石灰石を採掘する奥多摩工業が建てたもので、最盛期には200人以上の鉱山従事者が住んでいたという。
建物は全部で25棟。
住居だけでなく共同浴場や売店、床屋、診療所まであったらしい。


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生活道具がまだ取り残されている。
これは洗濯機だが、わかるだろうか、右手にあるWローラーの絞り。
そう、今ではまったく見られなくなった、手動の脱水装置だね。
全自動しか知らない今の若者には想像もつくまい。


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そしてこれは理容用、つまり床屋さんの椅子。
座席部分などはすっかり朽ちているが、足元のペダルや大ぶりの肘掛けなんかが往時を思い起こさせる。


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これまたすっかり苔に覆われているが、炊事場に並んだ竃(かまど)。
ここで作り出された食事が200人もの鉱夫の全3食を賄った。
(マウスを置くと別方向の画像になります)


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コンクリートで囲まれた四角い部分は共同浴場のお風呂。
だから奥側にはカランが並んでいるのが見える。
(マウスを置くとアップします)
残念ながら押してももうお湯が出ることはない。
なおカランとは、オランダ語で『鶴』を意味するクラーン(KRAAN)から。
ほら鶴の首に…… 見えないか。
ちなみに一軒家になった管理職用の住宅にはそれぞれ専用の小さな湯船が設置されている。


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急傾斜の村落を一番上まで登ると、まだ唯一解体されずにいたコンクリート製の小屋のようなものがあった。
配管が取り付けられていたし、最上部という位置からいってもこれは村落全体に給水する浄水槽の設備に違いない。


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傾斜の上部から下部にある道路方向を見下ろしたところ。

今の日原街道が出来たのは昭和26年のこと。
それまでは牛車も通れない急峻な道しかなかったのでこんな山奥に社宅が作られた。
採掘した鉱石は背負子で背中に背負い、氷川(いまの奥多摩駅)まで一日何往復もして運ぶしかなかったそうだ。
しかし昭和40年代になって自動車道が整備されると、この村の存在価値が失われ、こうして廃村になったのだ。

探索を終え、同じように巨木が象徴の廃村でありながらここが追原とでは大きく異なることが感じられた。
それは、この村にはただ一つの墓もないということ。
それは、この村が仕事のためのもので、真の生活の場ではなかったということを意味するものだろう。
お疲れさまでした。

・君津市の追原廃村こちら
・設楽町の宇連分校こちら
・身延町の御弟子廃村こちら
・丹波山の高畑廃村こちら
・奥多摩町の峰廃村こちら
・甲州市の焼山廃村こちら
・千曲市の末地廃村こちら
・山梨の登尾廃村こちら

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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日原・倉沢廃村と大ヒノキ(前編)

いまはもう廃村となった日原・倉沢部落を訪ねた。
その入口には名物の大きなヒノキがあるそうだ。
奥多摩の日原街道から分かれ、北側の尾根を登っていく。
急なつづら折りで120mほど高度を上げるが、都の管理とあって径はよく整えられている。
尾根の先端にたどり着くと、村の象徴であるみごとな大ヒノキが周囲を睥睨していた。

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カエデやナラなど落葉樹に囲まれて、何本もの大ヒノキが天に向かって伸びている。
真ん中の太いのが『倉沢の大ヒノキ』で、推定樹齢、実に1000年とか。
ちなみに檜(ひのき)は日本と台湾にしかないが、その台湾には樹齢2000年なんていう長寿のものがあるらしい。
古来、ヒノキは火起こしの際、錐もみの火切り板に使われたことから「火の木」と呼ばれたんだってね。


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主幹は上部まで一本の幹にはならず、5mほどのところで9本もの巨枝に分岐している。
それでも樹高34メートル、幹周り6.3メートルというこの巨木は、都内に現存する最大級のヒノキ。
1987年(昭和62年)、都の天然記念物に指定された。
新日本名木百選にも選ばれている。

なお、ここからさらに奥へと歩みを進めると、目的の「倉沢廃村」がある筈。
次はいよいよそこを探索だ。

日原・倉沢廃村と大ヒノキ(後編)へ続く。

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可哀想だよ、江ノ島にゃんこ

Enoshima_cat
捜査機関に挑戦状を叩きつけたパソコン遠隔操作犯人。
雲取山に埋めたというUSBメモリーが不発だったので、今度は江ノ島のネコの首輪にマイクロSDカードを貼り付けたそうだ。

警察とのバトルは面白いかもしれないけれど、でも無関係のにゃんこを巻き込むなよな。
テレビのニュースでは、捜査員が無理矢理首輪を引きはがすところがバッチリ。
そんなことしたら、痛いだろうが。
にゃんこが犯人なんじゃないんだぞ。

この首輪、見るとウチの幸助&福助のとおんなじで、ワンタッチで外れるタイプのもの。
だから簡単に、もちろんにゃんこに痛い思いなんかさせずに外せるものなのに……
捜査員は知らないんだろう。
あ~あ
にゃんこ、可哀想。

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おかげさまで9周年

   Neko_01

2004年1月5日にスタートしたこの『たなぼた』は、今日9回目の誕生日を迎えました。
こうして続けて来られたのも、すべて飽きずに読んでくださるみなさんのお陰。
ご愛顧に深く感謝します。

これからもどうぞよろしくお願いしますニャー

Ani_neko_run2

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日原部落のトロッコ電車(後編)

日原部落のトロッコ電車(前編)から続く。

日原小学校跡に保存されていた奥多摩工業のトロッコ電車。
これが実際に活躍していた現場を見ることができる。

Truck_11
都道204号線(日原街道)を少し東京寄りに戻って来た。
ぐにゃぐにゃ曲がる日原トンネルの手前から日原川の渓谷を見下ろしたところ。
左上に見えるのが都道で、正面に白くザレているのが有名な大崩れになる。
かつての旧道はこれに飲み込まれてしまっている。


Truck_12
都道から急な斜面を降りていくと、谷合にひしゃげたレールや半ば埋もれたトロッコの残骸を散見することができる。


Truck_13
おっ、エンジンだ。
大きなプーリーが付いているのでベルトを廻すためのものなんだろう。
山中にエンジンの残骸は悲しい。
なんか、丹沢の戦闘機エンジンが思い起こされる。


Truck_14
さらに崖を回り込むと小さな坑道口が突然現れた。
残念ながら会社(奥多摩工業)により入口は厳重に柵で塞がれていて入ることはできない。
これはその隙間からカメラを差し入れて撮影したもの。
石灰石を採掘している筈だ。


Truck_15
再び振り返った急な渓谷沿いには、これまた危うげなトロッコのレールが張り巡らされている。
さらにそれを辿っていくと……
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Truck_17
ほぼ完全な姿のトロッコの残骸を発見。
可愛いが、しっかりと重量を支え続けた小さな車輪も万全。
一生懸命、働いたんだろうね。


Truck_18
傍らにはなぜか放置されたままの白いフルフェイスのヘルメットがひとつ。
カーブの多い奥多摩は走り屋のメッカだったから、その名残り?
もしかして上の都道から転落してしまったんだりして……。
Gasshou_ss
合掌。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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日原部落のトロッコ電車(前編)

ここは東京の奥地・日原にある、診療所の敷地。
かつては奥多摩町立日原小学校だった所だが、人口わずかに約60人まで減少。
小学生がゼロになったことにより平成6年に閉校となった。
いま一番近い氷川小学校まではバスを使って約30分。
小学生がいる場合にはその氷川小学校まで通学することになる。


Truck_01
日原小学校の教室だった建物はいま住民の集会所に。
また保健室はそのまま日原診療所になっている。
その校庭だった片隅に、ここ日原で石灰石を運び続けたトロッコ電車がこうしてレールと共に保存されている。
狭い校庭だけど、日原ではここが一番広い平地なんだそうだ。


Truck_02
トロッコの正面をみると、菱形に文字をあしらったこの会社のマーク。
ここで石灰石を採掘している『奥多摩工業』という会社の『奥』の字をアレンジしたマークなんだね。
なるほど。


Truck_03
不快なきしみ音がする重い扉を開け、運転席を覗いてみた。
操作レバーが正面に見えるけれど、窓があることでわかるように電車の実際の正面は右手側。
つまりこれは横向きに撮影したもの。
それにしても横に操作レバーがあるなんて、電車の運転席としても珍しいレイアウトなんじゃない。
一方、正面のこの丸ハンドルは何のためなんだろう。
尾崎豊じゃないけれど、決められたレールの上を走るだけなんだから電車に丸ハンドルは要らないよね。
あるいはバケットを操作するためのもの?


Truck_04
製造プレートをみると、トロッコは三菱製であることが判明。
500両以上も作ったんだね。
ただ同じ三菱でも、三菱重工じゃなく家電でお馴染みの三菱電機のほうなのが興味深い。
三菱電機は三菱重工から分離した会社だし、なんか三菱重工のほうが重厚、三菱電機のほうは家電というイメージがあるから。
(エアコンは三菱電機が霧ヶ峰、三菱重工業はビーバーだ)
調べたら、電車部門でも両社は競合しているんだね。
三菱電機は東京・大阪の地下鉄や阪神電車、一方の三菱重工は湘南・千葉モノレールや台湾新幹線なんか作ってる。

ちなみにトロッコのスペルが「truck」なの知ってた?
同じスペルなのに、電車のほうは「トロッコ」、クルマのほうは「トラック」になっちゃったんだね。
あのヘボン宣教師vsキャサリン・ヘップバーンみたいなものか。

次はこのトロッコ電車が実際に活躍していた厳しい現場を見に行こう。

日原部落のトロッコ電車(後編)に続く。

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おめでとうございます

    Kadomatsu2s Neko_2013_ss Kadomatsu2s

  今年も『たなぼた』をどうぞよろしくお願いいたします。
                          m(_._)m

                       平成25年元旦

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