浜名海兵団 剥き出しの防空壕
ここは静岡県新居町、浜名湖の西岸になる。
見通すことはできないが、すぐ近くには遠州灘が広がっている。
広がる畑といくつかの新しい住宅が混在するごく普通の農地。
そんな畑の一角に、周囲とは不釣り合いな蒲鉾のような形をした無骨なコンクリート製の物体が目を惹く。
なんだ、これは。
失礼して近づいてみる。
長さ11m、幅1.3m、高さ3.6mとか。
実は太平洋戦争当時に作られた防空壕なんだという。
防空壕といえば普通、地下か半地下に掘られるのが普通だが、一帯は海岸近くの砂地なので地下に掘ることができなかったため、このようなコンクリート製のものになったということだ。
古びた木製の扉は閉じられていて中を見ることはできなかったが、今は土地ごと払い下げられ農機具倉庫として使われているらしい。
1944年(昭和19年)、この一帯には日本海軍の陸上部隊である『浜名海兵団』が置かれていた。
最大時は一万名を越える隊員数を擁していたという大部隊。
この防空壕は本部庁舎用のものだったということだ。
そういえば浜松には同じようなシチュエーションでドーム型の掩体壕があったっけ。
同じ海兵団だった横須賀海兵団は戦後米軍基地に、武山海兵団は陸上自衛隊の基地にそれぞれ引き継がれたが、ここだけは一般農地に転用されている。
【戦争遺構】
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コメント
流石軍ともなると防空壕も頑丈そう。
私の子供の頃、大連でしたが、手作りのが豪雨で壊され、やっと復旧したとたん終戦でした。
投稿: せいざん | 2013.03.26 16:29
せいざんさん
そうですね。
大きいし分厚いのでどこもその処分に困惑しているようです。
でもいまの感覚でみるとずいぶん粗悪なコンクリートのように思えます。
あの時代、資材の確保に苦労したんでしょうね。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.03.26 16:48