芹沢鴨(新撰組)が生まれた家
芹沢鴨は新撰組の初代筆頭局長だった幕末の武士。
その生家が茨城県行方市にある。
この時代劇にでも出て来そうな長い塀の立派な屋敷がそれ。
芹沢氏は常陸大掾氏の一族で、かつてこの裏山には城館があったという。
残念ながら内部には入れない。
正面の塀を通り屋敷の脇に廻ると町が設置した「芹沢鴨生家跡」の看板があり、奥には当時の門を窺うことができる。
芹沢家は後に医者になりご子孫も健在とのことだが、現在ここには住んでおらず石岡で医院をやっているそうだ。
柱に掲げられた表札には、「芹澤」の墨字がかすかに浮かんでいた。
(ような気がした)
男児なら誰もが憧れた幕末の英雄・新撰組。
新撰組前身の「壬生浪士組」では、芹沢が筆頭局長、近藤らが局長となった。
多摩の百姓あがりだった近藤や土方と違い、上席郷士(苗字帯刀を許された武士階級)だった芹沢鴨は、資金調達もままならなかった新撰組が力を付けていく上でいなくてはならない必須の存在だった。
ところが知られているように歴史上、芹沢鴨は近藤勇や土方歳三らに粛正された悪人ということで定着している。
汚名と共に逝った芹沢の遺骨は故郷に帰ることすら許されず、京都壬生寺に埋葬されたままだ。
歴史なんていつだって勝者のもの。
新撰組派閥争いのすえに非業の最期を遂げた芹沢鴨から、真実の声を聞いてみたい。
現場で撮影したたいして意味のない動画はこちら
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コメント
へえ。。。
なんども再生してみちゃいました(._.)
三鷹や多摩には行けるけれどなかなかここには足運びにくいですもんねぇ。
投稿: ドキンちゃん | 2013.04.23 11:47
ドキンちゃん さん
おはようございます。
三鷹は近藤勇の生家跡があるところですね。
当時のままではないにせよ、芹沢鴨のところはなかなか趣が感じられて良かったです。
(通りの反対側は「現代」ですが)
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.04.24 05:37