身延町・山肌の廃村(御弟子)
山梨の御弟子(みでし)集落は標高1000m近く。
本栖湖の北側、身延の山々を見下ろすように建っている。
今でこそ林道が通っているが、かつては反木川沿いの下の集落から標高差250メートルの山腹を足で登らなければ辿り着くことができなかったという。
これがその集落の入口。
御弟子とは変わった名前だが、かつて近くに移住してきた刀鍛冶の職人が住民にその技術を伝えたのだとか。
そのお弟子さんたちが住んでいたので部落名もそのまま「御弟子」になったそうな。
この小さな径の両側、8軒だけの小さな集落だった。
「だった」というのは、ここがすでに廃村となってしまっているから。
2009年(平成21年)、最後の住民も下に降り集落は無人の地となった。
かつては分校もあったそうだが、それもすでに取り壊され石標が残されるだけだ。
それでもまだ時折り住民は訪れているようで、表札もあるし、背負子など山の生活道具も残されていた。
赤い郵便受けに貼られた転居先を記した紙片が山を吹き抜ける風にそよいでいた。
・君津市の追原廃村はこちら。
・設楽町の宇連分校はこちら。
・奥多摩町の倉沢廃村はこちら。
・丹波山の高畑廃村はこちら。
・奥多摩町の峰廃村はこちら。
・甲州市の焼山廃村はこちら。
・千曲市の末地廃村はこちら。
・山梨の登尾廃村はこちら。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 稲又川橋が消えた(2021.12.12)
- 「波の伊八」の飯縄寺(2021.06.08)
- 巨大鳥、千葉に飛来(2021.06.04)
- 南極で地震(2021.02.05)
- 移住したい国(2021.01.25)
「山」カテゴリの記事
- 山ウド、敬うど(2022.10.19)
- 木曽駒ケ岳で50年ふり雷鳥のひな(2021.07.09)
- やっぱり、歳には……(2019.01.21)
- また貴重な人材が……(2018.08.11)
- 富士山の体積って(2018.01.26)
「歴史」カテゴリの記事
- 鳴かぬなら、どうしましょ、ほととぎす(2023.04.23)
- 怪我の功名だったかも(2019.12.26)
- ツタンカーメン王の頭像、6億円也(2019.07.05)
- 『インカ神殿』再び(2017.12.28)
- 清水沢の百庚申(2017.12.22)
コメント