« 踏切あれど渡れない(麻績村) | トップページ | 日本の定時運航率は世界一 »

飯盛女の石灯籠(千曲市)

重要文化財の本殿を持つ「水上布奈山(みずかみふなやま)神社」は、旧戸倉町、今の千曲市にある。

Funayama_01
江戸時代初期に諏訪大社から祭神を勧請して創建されたと伝えられる。
その広い境内には貴重な物が多い。


Funayama_06
空を貫く2本の柱は有名な『御柱』だ。
諏訪大社の系列ということで、本社と同じく7年毎に近隣でも最大規模の御柱祭(おんばしらさい)Onbashira_sが行われる。
この柱は2010年(平成22年)に立て替えられたものになる。


Funayama_02
さらに進むと1789年(寛政元年:江戸11代将軍・徳川家斉の頃)に大隈流の柴宮長左衛門矩重が建築したと言われる本殿がある。
残念ながら全体が保護のため覆われていてすべてを見ることはできないが、この本殿の特色は彫刻の数が多く、またたいへん優れているということだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
1988年(昭和63年)、国の重要文化財に指定された。


Funayama_04
しかしここを訪ねた目的は、御柱でもなければ重文のみごとな本殿でもなく、傍らにあるこの二つの石灯籠。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
この石灯籠は「飯盛女の献燈籠」と言われ、1839年(天保10年)、ここ戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋の主人が奉納したものという。


Funayama_05
飯盛女(めしもりおんな)とは、江戸時代の宿場にいた仲居のような奉公人。
しかし貧乏な家の出が多く、宿場によっては私娼として幕府から黙認されていたケースも多い。
灯籠の台座を見れば、献上した飯盛女たちの名前がすべて彫り込まれている。
「りよ」、「こと」、「うや」、「のぶ」、「ます」、「さく」、「とみ」……
おそらくはみな10代の女性たちだったのだろう。
読み上げていくと、なんだか悲しい気持ちになって来る。

|

« 踏切あれど渡れない(麻績村) | トップページ | 日本の定時運航率は世界一 »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

おはようございます

台座の文字、人名だとは思わず(左から)横に読んでました。

「りこうのまさと・・・」ナニこれ??、って^_^;

ほんと、悲しい歴史ですね。

投稿: poohpapa | 2013.07.14 07:39

poohpapa さん
おはようございます。

横に読んでしまいましたか。
さすが、海外生活が長いから、しかたないですよね。
で、次は何泊で?

これ、一応旅籠の主人がとりまとめたことになっていますが、実情はどうだったんでしょう。
彼女たちにそんな余裕があったとも思えませんし。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.07.14 08:17

こんにちは。

幕府から承認されえていた・・・と言うのも。
何故か名前を見ていて切なくなりました。
この名前も自分の名前なのか?後から付けられた
ものなのか,判りませんね。

投稿: いはち | 2013.07.15 15:27

いはちさん

公けには遊女は禁止といいながら、幕府は黙認。
厳しい環境と生活の中で、病死や自ら命を絶つ人が多かったそうです。
どういう心境でこういう寄進をしたんでしょうね。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.07.15 16:49

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12265/57786764

この記事へのトラックバック一覧です: 飯盛女の石灯籠(千曲市):

« 踏切あれど渡れない(麻績村) | トップページ | 日本の定時運航率は世界一 »