上山田温泉の遺構3(城山史跡公園)
再び戸倉上山田温泉・城山の写真。
赤い矢印部分、「戸倉上山田」の看板の「戸」の部分上に砦のようなものが復元されているのがわかる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
クルマで行けるのは途中まで。
あとは九十九折りの細道を歩いて登っていく。
「荒砥城」の石碑が見えた。
荒砥城は戦国時代の1524年(大永4年)、村上氏の支族である山田氏によって築かれた連郭式山城。
しかし1983年(天正11年)、当時の領主・屋代秀正が城に火を放ち放棄、徳川の下へ出奔して廃城となった。
そしてこれがいま、再現された「千曲市城山史跡公園」の入口になっている。
さらに歩を進めると最初の写真で見えた砦(見張り台)にたどり着く。
ここからの眺めはまさに絶景だ。
しかしその分、足元に敵が攻め寄せてくるのをみたら、震え上がったことだろう。
本郭から二の郭、三の郭、四の郭まであったという山城だが、好況時この辺り一帯はロープウェイと共に温泉客を目当てにした一大レジャーランドが信州観光ホテルグループによって建設された。
しかしお決まりの不況倒産で、荒れ放題に。
1990年(平成2年)、本郭跡にあった動植物園、遊園地、観覧車が撤去され、二の郭以上の土地は上山田町が取得し城跡公園としてこのように整備したんだそうだ。
本郭と二の郭にあった館や見張り台、兵舎、門、板塀、矢倉等が1995年(平成7年)に復元されている。
そこにはもう温泉街の廃墟というイメージはどこにもない。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
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