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2013年8月

成田空港で成人式だい!!

成人式といえば、毎年東京ディズニーリゾートでやる浦安市が有名だね。
ミッキーやミニーの歓迎を受け、式典が終わった後は自由にアトラクションで遊べるというのは羨ましい。
いいな。
自分の時なんか、満員の体育館で祝辞を受け、そのあとマラソン大会したことしか覚えてないぞ。



ところで今度は成田市が、来年から成田空港を舞台に成人式をやるらしい。
こちら、いくら国際空港でもまさか飛行機に乗り放題という訳にはいかないよね。
それとも豪華な機内食でも出るのかな。
空港で「食うこ」とばかり考える……。

「あれ、この飛行機、ちっとも動きませんよー」
「じっとエンジン搭載ですから」

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「誤審でも、ご心配なく」って言えるか

Ani_judo3リオデジャネイロで連日やっている柔道の世界選手権。
残念ながら4日目にして男子の連続金メダル記録は途絶えてしまったね。

初戦敗退というとメチャクチャ弱いような気がするけれど別に長島選手は相手に投げられた訳じゃない。
勝敗を分けたのはたった一つの警告の差だった。
この警告なんて主審(一人だけど)のさじ加減一つで出されるんだから、選手にとってはたまらないよね。

国際柔道のルールというのはよく変更されるけど、今度のもなんだかなあ。
「誤審でもご心配なく」なんて言ってられるか。
武道だもの、そんないい加減なルールでやるんなら今度は命懸けの真剣勝負だ。
柔道の代わりに、銃どう?

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比志のエゾエノキ

今日僕は巨木を見た。

Ezonoki_01
根古屋神社からさらに小尾街道を登る。
比志という小さな集落の傾斜地。
穏やかな段々畑の中に堂々とした形の良い一本の巨樹がそびえている。
樹木はエゾノキで、「比志のエゾノキ」と呼ばれている。


Ezonoki_02
近づくと、小さな祠と説明版があった。
推定樹齢300年以上。
樹高は13mだが、幹周は5m近くに達し、これほどのものは全国でも数えるほどしかないそうだ。
1990年(平成2年)、山梨県の天然記念物に指定された。


Ezonoki_03
途中、空洞になったそのさらに上方。
二つのコブが並んでいるのがわかるだろうか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
これが「乳房」に見えるというが、どうなんだろう。
保育所のKubohira_04s_2おっぱいの木のほうがそれらしいな。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・上沢寺のさかさイチョウこちら
・実相寺の神代桜こちら
・笹子峠の矢立の杉こちら
・追原廃村の大カエデこちら
・牧丘廃校の大トチノキこちら
・倉沢廃村の大ヒノキこちら
・笛吹市の大ケヤキこちら
・根古屋神社の大ケヤキこちら

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「アイス用冷凍庫」の次は「パトカー荒し」だ

近頃、コンビニのアイス用冷凍庫に入ったり、ピザ生地を顔に被って写真を撮り、それをツイッターに載せて自慢するなんていうのが相次いでいるね。
中には犯人がそのコンビニ経営者の息子だったなんていうケースまである。
こんなのがいまの若者の流行というんだから情けない。

Patocarそしたら今度は北海道警釧路署の交番で、外に駐めたミニパトカーの屋根で記念写真撮った少年が逮捕されたとか。
当時、交番の中には5人もの警察官がいたというのに、それでいて誰もパトカーの損傷に気が付かないなんて、それも問題だ。
あんたら、パートかー?
五人とも逮捕じゃ。
誤認逮捕とは言わせん。

ところで上記コンビニの時は商品ばかりでなく冷蔵庫まですべて廃棄処分。
お店はフランチャイズを解約され、閉店に追い込まれてしまったそうだ。
それは行き過ぎだと思うけど、同じなら今回のパトカーも当然廃車。
この交番も警察のネットワーク外れるから、これから先の経営が難しそう。
自前で犯人見つけないとならん。

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根古屋神社の大ケヤキ

北杜市江草小学校と、塩川をはさんだ対岸の集落に国の天然記念物がある。

Negoya_01
それがこの根古屋神社。
前の細道は、しかしかつて甲州と信州とを結ぶ重要な「小尾街道」(穂坂路)だったそうだ。
「根古屋」とか「根小屋」とは、山城の麓の集落によく付けられる名前。
ここの場合も例外ではなく、武田信玄時代の山城である「獅子吼城」(ししくじょう)跡がすぐ東の山の上にある。


Negoya_04
本殿奥には由緒ありそうな彫り物を凝らしたお堂。


Negoya_02 Negoya_03
本殿と舞台を挟む形で2本の巨木が立っている。
樹齢、推定800~1000年。
いずれも20mを超える大欅(ケヤキ)で、左が「田木」で右が「畑木」という。
「田木」の芽吹きが早ければその年は水田が豊作となり、逆に「畑木」のほうが早ければ畑作が豊作になるんだとか。
いずれにせよ、豊作になるという有り難い占い。
1958年(昭和33年)、2本一対で国の天然記念物に指定された。

残念ながら左の「田木」は昭和43年火災に遭い、いまも治療痕が痛々しい。
なにぶんお年寄りの樹ゆえ、地元北杜市では「根古屋神社のケヤキ樹勢回復検討委員会」を設置して毎年対策を施している。

その根古屋神社で視線を感じた。
Neko_izumi_s「なんだ、ネコや


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・上沢寺のさかさイチョウこちら
・実相寺の神代桜こちら
・笹子峠の矢立の杉こちら
・追原廃村の大カエデこちら
・牧丘廃校の大トチノキこちら
・倉沢廃村の大ヒノキこちら
・笛吹市の大ケヤキこちら

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ツガとケヤキと大石と(石宮神社)

ここは北杜市小淵沢の岩窪というところ。
すぐ近くに小海線のあの大カーブがある。

Ishimiya_01
そんな静かな一角に佇む「諏訪神社」
建立は1429年(永亭元年)というから室町時代?
最初は茅葺きだったそうだ。
二つ並んだのは門柱ではなく、鳥居のなれの果て。
なんか、痛々しいね。


Ishimiya_02
その奥には社殿を守るように大欅(ケヤキ:目通り4.2m)と大栂(ツガ:同4.5m)、二つの巨木。
ちなみに社殿はかつての側面が現在は正面という不思議な造り。
巨木はいずれも樹齢300年以上とかで北杜市の天然記念物らしいが、目的はそのさらに奥にある。


Ishimiya_04
裏手には3mほどはあるだろう、大石。
境内にはこんな大石がゴロゴロ散在している。
別に開拓などで石をここに集めた訳ではなく、最初からここに集中していたそうだ。
こんな大きいの、簡単に動かせないしね、
大石がいくつも鎮座することから「石宮神社」とも呼ばれているそうだ。


Ishimiya_03
ほら、社殿にも食い込むほどの石の迫力。(順序が逆か)
「岩窪」というこの地域の名前もこうした岩石の存在から付けられた?
なんかイワ感があるな。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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中国の米輸入量、世界一だって

Ine3日本はこのところずっと米余りが叫ばれているけれど、お隣の中国が凄いことになっているらしい。
なんでも去年は240万トンのお米を輸入していたのが、今年は320万トンにまでなる見通しで、これまでトップだったナイジェリアを抜いて堂々世界一になるんだって。

それなら余っている日本からどんどん輸出すればいいと思うけれど、日本から中国への輸出実績はわずか34トンとか。
大枚はたいてタイ米買うか。

しかしそもそもこういうのは世界的視野に立ってなんとかならんのか。
片や余っているというのに、片や足りないというんじゃ笑っちゃう。
まさに「コメでぃ」じゃん。

ここはやっぱり世界の番人アメリカが率先して事に当たるべきだろう。
なんたって「米国」というくらいだものね >ライス長官
じゃないと、飲み込まれちゃうよ。
「チュー ゴク」って。

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緑の郷に水車の響き(武川町)

山梨県北杜市武川町ののどかな水田地帯。
これまで黒戸噴水滝篠沢大滝に行く時、何回も通ったところだ。

Suisha_01
そこに『水車の里公園』というのが出来たというので寄ってみた。
きれいな水田の向こうに、茅葺きの屋根。
いいねえ、日本の農村風景だ。


Suisha_02
大武川の舞鶴橋の近くで、 借景には甲斐駒ヶ岳ら雄大な南アルプスを望む豪華さ。
こことかここなど、よく見た目だけの水車があるけれど、ここのは実際に冷たい山の水をはぐくみ、勢いよく廻り続けている。


Suisha_03
流れた水の行き先を辿ると、小さな池につながる。
そこにはこれまた大きな鯉たちが所狭しと泳ぎ回っていた。

いいねえ。
鯉たちを見ていると、サザンの唄を思い出すじゃないか。
海岸で若い二人が~ 鯉を釣る物語~♪

鯉は海にいねーよ、池にコイっ。

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「味噌なめ地蔵」をなめんなよ

北杜市の「正覚寺」は甲斐源氏の始祖とされる源義光の菩提寺。

Shokakuji_01
1430年(永享2年)に源氏の館跡であったこの地に移転したと伝えられる。
それはいいが、左の小さな石塔が気に入らない。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
不許葷酒入山門」だと。
つまり、ネギやニラなど臭いのきつい野菜を食べたり酒を飲んで寺に来てはならないということ。

「てやんでえ、餃子喰って酒呑んで寺に来て、何が悪い。
大きなお世話だ。
寺なら、誰だって受け入れやがれ~。
だって、仏教だもの」


Shokakuji_02
それはさておき、天保年間建立の山門(奥)や貞享年間建立という鐘楼(手前)はさすがに立派だ。
(300年以上前)
でも鐘楼の1階部分が軽トラの駐車場というのは笑える。
これだけ境内広いのに、ここが専用ガレージ?
ちなみに当時の鐘は戦時中の金属供給令により提出し、現在のものは1974年(昭和49年)に再鋳造されたものだそうだ。


Shokakuji_03
その正覚寺から参道を逆に辿ってしばらく。
田圃の一角に「放光地蔵」がある。
その昔、16歳の初陣で武田信玄が信州で戦っていたとき、大門峠にあったお地蔵様を甲州まで移そうと縄をかけて引いてきたものの途中でどうしても動かなくなったため、止むなくこの地に安置されたという。


Shokakuji_04
まるでミイラのように見えるお地蔵さまだが、これは身体中に味噌が塗られているため。
身体の具合が悪い時、お地蔵さまの同じところに味噌を塗ってお祈りをすれば病気が治るという言い伝えから、別名「味噌なめ地蔵」と言われるようになったとか。
塩の取れない甲州では味噌も貴重だったんだよね。

依頼は一年で大晦日が一番多いそうだ。
「味噌なめ地蔵」さんが言ってた。
「おー、味噌かー」

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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新羅三郎が雨宿りした宿借石

北杜市の諏訪神社を訪ねた。
この辺り、諏訪神社というのは数多くあるが、ここは山梨県韮崎市から長野県上田市に行く国道141号線沿いにある、別名「大石神社」。

Yadokariishi_01
鳥居奥、山門の向こう側にはこの地方らしく、御柱(おんばしら)が左右に立っている。
御柱は7年ごとに立て替え。
本殿は1688年(元禄元年)の建立だそうだ。

Yadokariishi_02
さらに歩を進めると、本堂。
左には舞台もあるのだが、目的のものが見当たらない。


Yadokariishi_03
社後山上に巨石宿借石あり、大石神社とも云ふ
実は新羅三郎義光が雨宿りしたという「宿借石」(やどかりいし)というのを探している。
雨宿りしたくらいだから、かなりの大きさの石の筈なのだが。
背後の山の上のほうになにか岩のようなものが見えるが、そこに至る道がない。


Yadokariishi_04
結局取り付く場所を変え、須玉町の「ふるさと公園」という道から山を登ってみた。
この山は『若神子城』という山城跡になっている。
するとまもなく……
下から見上げた大岩が現れた。
傍らには「宿借石」と彫られた石柱が立っていた。
間違いない。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

なるほどちょっとした雨宿りくらいなら出来そうだが、宿を借りるほどではないような。


Yadokariishi_06
しかし不安定そうなこの巨石。
大丈夫なのか、と思って裏に回ってみると……
上部を切られた一本の樹が懸命に支えていた。
なるほどね。
カゴに乗る人、担ぐ人。
 そのまたワラジを作る人

世の中にはやっぱりこういう陰の存在が大事なんだね。

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北杜市江草の謎のほら穴

江草小学校から次の探索に向かうべく再び県道まで降りてきた。

Egusa_hole_02
山の手前に流れているのは釜無川の支流・塩川。
その手前には良く手入れされた田圃が広がっている。

うん?
向こうの山あいに、何か穴のようなものが見えないか。

Egusa_hole_03
緑の中、この茶色く見える岩肌のところ。
え 見えない?
じゃ、もっとアップしてみよう。


Egusa_hole_01

ほら なっ!

やっぱり洞穴(ほらあな)だ。

この上を向いた開口ぶりは防空壕とかじゃないよね。
かなり大きそうだし、いかにも怪しい。
何だ? この穴は。
ネットで調べてみたけれど、わからない。
行けるのかな。
待ってろ、いつか探検してやるぞ。

・再訪の記事はこちら

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ダイエットというなら痩せたら>国会

Kokkai国と東京都は、国会議事堂周辺で道路標識をローマ字から英語表記に変えることを決めたそうだ。
例えばこれまで「国会前」の交差点に「国会」という漢字に加え「Kokkai」の文字を表記していたものの、外国人には意味が通じなかったためという。
それで今後は英語の「国会」にあたる「The National Diet」を使用することにしたんだって。
へ 議会って、英語でナショナル・ダイエットだったの?

調べると、明治時代に日本で国会が設立された時、北欧の王国の議会と同じように「一日の仕事・会議の日」という原義を持つDiet(ダイエット)という英語が選ばれたんだそうだ。
これに対し、イギリスの議会Parliament(パーラメント)は、古期フランス語のparler(パルレ)に由来し、「話す」という意味。
アメリカ議会のCongress(コングレス)は、ラテン語に由来し、「一緒に歩いて行く」が原義なんだそうだ。
日本だけ特別なんじゃん。

でも国会周辺で外国人から「フェア・イズ・コッカイ?」と聞かれたら教えようもあるけれど、「フェア・イズ・ナショナル・ダイエット?」なんて聞かれたら、日本自慢のダイエット専門店教えちゃうぞ。

そもそも、「ダイエット」なんて名前付けてるなら、国会はもっと定数削減なり経費削減して身軽になったらどうなん?

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北杜市の廃校(旧江草小学校)

諏訪の山を下り、北杜市の小学校へ。
増富の武田金山跡へ行く途中の県道23号線・江草というところ。

Egusa_01
集落を見下ろす丘に登り、この苔むした石段を登り詰めると、ここにも廃校が静かに佇んでいる。
1872年(明治5年)に当時の江草村が設立した旧須玉町立江草小学校だ。


Egusa_04
後山分校とは違いこちらは校庭の遊具まですでに「廃」だ。
雑草に覆われた滑り台、鉄のくさりも朽ち果てたブランコ……。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Egusa_07
そんな小さな校庭を抜け、さらに高台の石段を上るといよいよ本校舎。
雨樋は落ち掛かっているが、玄関もなんか威厳が感じられる。
ここは2005年(平成17年)、国仲涼子さんが出演したテレビドラマ『みんな昔は子供だった』のロケ地にもなったそうだ。


Egusa_02

Egusa_06
かなり痛みが感じられる建物の表裏。
この校舎は1957年(昭和32年)に建て替えられた新しいものというが、しかしそんな学校にも過疎化の波が。
1985年(昭和60年)ついに廃校。
113年にも及ぶ長いその歴史に終止符を打った。


Egusa_03
割れたガラスの隙間からカメラを入れてみる。
天井の三角補強がいかにも学校の廊下らしいね。
「コラ! 廊下走るんじゃない!」
いまにも先生の叱り声が聞こえて来るような気がした。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
       

・足柄上郡 高松分校はこちら
・明治の香り 曾呂尋常小学校はこちら
・天国に一番近い小学校はこちら
・佐倉の志津小学校青菅分校はこちら
・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
・諏訪市の湖南小学校後山分校はこちら
・身延の五箇小中学校はこちら
・廃校になった高松分校はこちら
・学童像のある川合尋常小学校はこちら
・金次郎だけが残った上平山小学校はこちら
・春野町の川上小学校はこちら
・早川町の硯島小中学校室畑分校はこちら
・上州・譲原小学校はこちら
・白井市の平塚分校はこちら
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・設楽町の清水分校はこちら
・北杜市の和田分校はこちら

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諏訪市の廃校(旧湖南小学校後山分校)

諏訪市湖南町の廃校を訪ねた。

Ushiroyama_03
湖南町というだけあって諏訪湖の南方に位置するのは事実だが、この後山地区はかなり山深いところ。
諏訪市内からいくつか峠を越えてくると、のどかな山あいに静かな村落が佇んでいた。


Ushiroyama_01
その小さな村落の一角。
傾斜地を上ると白い(白かった?)変則3階建て木造校舎が目の前に現れた。
ガラスも割れ、うらぶれているがこれが旧湖南小学校後山分校。
手前、煙突のある部屋は釜戸を備えた給食室だ。

学校の歴史は長く、旧くは江戸時代の1803年(享和3年)諏訪藩主により設立された「長善館」まで遡るというから本格派だ。
ただ現在の校舎は1948年(昭和23年)に建てられたもの。
しかし1968年(昭和43年)、長かった学校としての役目を終え閉校となった。


Ushiroyama_02
この校舎はむしろ、こうして裏山から見たほうが趣が感じられる。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
         

実際、映画『ひぐらしのなく頃に』や、ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』の撮影に使われたそうだ。

ちなみに左手が本校舎で、右のは体育館。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
木造の体育館なんて、いーよね。


Ushiroyama_04
緑に覆われた校庭の一角にはまだブランコや滑り台が残されているが、こちらは地域の子供たちのため今も管理されているらしい。
廃校後、いま生徒は諏訪市内の豊田小学校まで通うが、クルマでも30分は掛かりそうな距離。
しかも峠越えの狭い九十九折りの道だから学校に通うのもタイヘン。
朝錬なんか、どうするんだろう。
疑問が解けないと…… ああ去れん!

・足柄上郡 高松分校はこちら
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・杉木立に眠る、神田小学校宇連分校はこちら
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諏訪の浮城「高島城」

廃校探索のため長野県へ。
諏訪市内で思いがけず目の前の交差点にみごとな櫓(やぐら)が現れた。

Takashimajyo_01
「高島城」……
ふむ、聞いたことがあるな。


Takashimajyo_02
交差点を渡りながら右手を見ると、さらにみごとな天守閣まで聳えているではないか。
お堀も橋も風情があって素晴らしい。
さっそくUターンして舞い戻る。


Takashimajyo_03
あとで調べたところでは……
高島城は約400年前に豊臣秀吉の臣下、日根野織部正高吉が築城した難攻不落の連郭式平城。
当時、壕の役割を果たす諏訪湖の水が城際まで迫り、別名「諏訪の浮城」と呼ばれたそうな。


Takashimajyo_04
本丸跡はいま諏訪市により高島公園として整備されているそうだが、今回入場はパス。
入らなかったのはまだ開館時間(9時)になっていなかったから。
300円の入館料が惜しかった訳ではない。

せっかくの天守閣。
僕なら、名古屋みたいに Shachi_s金のシャチ付ける。
そして歩かせ 金のシャチ歩行 で売り出すんだ。(^.^)v

・大分の中津城はこちら
・宍粟市の波賀城はこちら
・塩原の要害山城はこちら
・首都高脇の城はこちら
・佐久の龍岡城はこちら
・稲敷の天守之櫓はこちら
・都留の勝山城はこちら
・知多半島の大草城はこちら
・いすみの川のお城橋はこちら

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理不尽な、「母さん助けて詐欺」


 静岡市の女性(68)が「振り込め詐欺で現金800万円をだまし取られた」と清水署に届けた。
同署は詐欺事件として調べている。

 同署によると9日午後、女性宅に息子を名乗る男から「株で失敗して会社の金に手を付けてしまった。800万円を用立ててほしい」と電話があった。

 女性は800万円を用意し、同日、指定された東京の上野駅周辺で息子に受け取りを頼まれたという男に現金を手渡した。

 13日に息子と連絡を取り、被害に気付いた。
息子を名乗った男は「変な電話が掛かってくるので携帯電話の番号を変えた」と説明していたという。


(C)Tsuchiura-City Furikome

近頃の「母さん助けて詐欺」は「銀行振込」ではなく、こうした「現金手渡し」が主流なんだそうだ。
それにしても理不尽な話じゃないか。

振り込め詐欺の時だって、振込料がこっち持ちなのはおかしいと思ってた。
今度は静岡からわざわざ上野駅まで届けてるんだぞ。
こうした場合、交通費は犯人側が負担すべきだ。

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長野の道で~ キツネに出会った~

諏訪湖からほど近く、国道20号で「天然記念物・傘松」という看板を見つけ坂道を登っていた。
そしたら突然、何やら動物が目の前を横切った。
前触れがなかったので望遠レンズもつけておらず、これが精一杯の撮影。


犬じゃないよ、猫でもない。
このシッポは…… キツネ…… だよね。
(マウスを置くとアップします)

おたくのほうにもキツネ来る?

コンコン

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北杜市の廃橋(旧国界橋)

長野県諏訪郡の富士見町という所にやって来た。

Kokkaibashi_01
雑草に覆われた、古い鋼鉄製の橋は「旧国界橋」
「旧」というのは、この下流にすでに新しい橋が架けられているからだ。
しかし目の前にはネット。
このネット、只者じゃない。
実は7000ボルトもの電流が流れているというのだ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
その目的は僕のような廃橋探索者の侵入を阻止するため……
ではなくて、お猿さんが畑を荒らすのを阻むための電気牧柵なのである。


Kokkaibashi_03
死にはしないだろうが、さすがに触れたら7000ボルトはしびれそうだ。
しかたないので国道20号の「新国界橋」を渡って反対側からアプローチする。
この廃道はかつての甲州街道。
味わいのある道路脇の苔むした石垣は、当時からのものだろうか。
それほど歴史の重みを感じさせる風合いだった。


Kokkaibashi_04

Kokkaibashi_05
全長48mほど、特異な形のコンクリート製橋脚と、鋼鉄製プレートガーダーの橋。
隣にはさらに昔の橋の橋台のようなものも残っていたから、正確には「旧旧橋」かも。


Kokkaibashi_06
覆い隠していた夏草を取り除くと、古びた銘板が現れた。
右から「國界橋」
下を流れる釜無川(富士川)が「甲斐の国」と「信濃の国」との国境だったので、「国界」の名前が付けられたのだろう。
1929年(昭和4年)に完成、1966年(昭和41年)新国界橋に引き継ぎ、38年間に渡ったその役目を終えた。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

・その名も粋なり『恋路橋』はこちら
・伊豆・廃ループ橋跡はこちら
・旧稲又川橋跡はこちら
・君津・廃橋跡はこちら
・君津の変な橋はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・ねずみの歩道橋はこちら
・須坂の渡れない橋はこちら
・長電の警笛が響く村山橋はこちら
・世にも怖~い冠着橋はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・未成の天津ループ橋はこちら
・明治・土木の誇り、汐止橋はこちら
・桂川・水路の旅はこちら
・崩壊橋梁・祭畤大橋はこちら
・モダンなアーチ・新矢柄橋はこちら
・自殺防止の鏡渡橋はこちら
・破壊橋梁・旧柴崎橋はこちら
・崩落橋梁・旧鹿行大橋はこちら
・レールの旧春木川橋はこちら
・第二東名・新富士川橋はこちら
・柿田川の眼鏡橋はこちら
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・初瀬街道・沈下橋はこちら
・工事再開・天津ループ橋はこちら
・飯田街道の廃橋・旧真弓橋はこちら
・白浜のめがね橋はこちら
・秩父のループ橋はこちら
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・早川町の保2号桟道橋はこちら
・東名の皆瀬川橋はこちら
・小山の森村橋はこちら

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教来石村の教来石(北杜市)

北杜市の白州町、かつての教来石村は戦国武将である教来石氏が治めたところ。

Kyouraishi_01
その部落外れ、お墓がきれたあたりの畑の中には実際に「教来石」という大きな石が安置されていた。
大昔、大和武尊(やまとたけるのみこと)が座ったという石だが、高すぎて簡単に上がれるようなレベルではない。


Kyouraishi_02

Kyouraishi_03
石の上にはこれまた石造りの祠が安置されている。
何か文字が彫り込まれているようだが、近づけないので何て書いてあるかはわからなかった。

ちなみに教来石は(きょうらいし)と読む。
先に石があって、そこに土岐氏の一族が転封となり、地名の教来石を名乗ったんだそうだ。
実は本来、「教来石」は「経来石」と書き、(へてこいし)というのが正しい読み。
ところがいつか、きょうの字を「経」から「教」に書き誤ったため、読みも(きょうらいし)になってしまったんだとか。
でも、教来石氏(きょうらいしし)なら強そうだけど、経来石氏(へてこいしし)じゃあ、なんか弱そうだものな。
「さあ、へてこいし、掛かってこい!!」なんて。
案外、意図して間違えたことにしたのかも。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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踏切あれど渡れない(筑北村)

 渡れないよ
   待っていても永遠に列車は来ない。

Fumikiri_21
 長野県麻績村にて

長野県筑北(ちくほく)村の県道沿いにある踏切。
今度はドライブイン(?)の入口にあった。
真ん中の奥、見えるかな。

Fumikiri_22
せっかく移設してもらったのに、
ヤブに埋もれて、なんか可哀想。

・踏切あれど渡れない(笹子)はこちら
・踏切あれど渡れない(富津)はこちら
・踏切あれど渡れない(大多喜)はこちら
・踏切あれど渡れない(麻績村)はこちら

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高福寺の幸福の鐘は108つ

北杜市小淵沢にある高福寺は曹洞宗の寺院。

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500年以上前に開かれた武田氏のお寺だそうだが、火災に遭って建物はすべて明治以降のものになるそうだ。


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ここの特徴は鐘撞き堂の大鐘(右奥)とは別に、108つの小ぶりの釣鐘が並んでいること。
「高福寺」だけに、「幸福の108つの鐘」だって。
お寺に言えば誰でも鐘を叩かせてくれる、ということだが、その際貸し出す木槌が500円。
結局、無料ではないということだな。


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しかしここで108つも鐘を叩くのは面倒臭い。
釣鐘ごと全部大人買いしようとしたけど、残念ながらつりがねーそうだ。

ま、いーや。
どうせいくら考えても煩悩なんて3つくらいしか思いつかないし。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

カンムリヅルの長福寺(長南町)はこちら

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今日は何の日、「駐車場の日」

朝から家の前が大渋滞。
毎年繰り返される、「お盆前渋滞」というやつだ。
ご苦労さまです。

Parkingところで今日は何の日?
届いた業者のメールによれば、今日8月9日は「駐車場の日」なんだそうだ。
この場合、「8」は「ハチ」ではなく「パー」と読むらしい。
だから8と9で「パーク」
ちと苦しい…… _| ̄|〇

ちなみに駐車場(Car Park)とは集団でクルマを収納する所だそうで、個別のものならガレージ(Garage)だし、屋根だけのものはカーポート(Car Port)になるというから、英語でも区別は難しいんだな。
そういえば、社長がチューする所は「チュー車場」で、チューする議員は「チュー議員」
だよね>ホソノさん

ちなみに今日は市内の図書館に行く日なんだけれど、駅前なのでクルマを駐めるのがいつも難。
たいてい「9番」は空いているんだけど、クルマは9に止れないしな。

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これぞ、「ダイヤモンドパワー」!!

首都の電力を賄う東電の事故で、地方に迷惑を掛けたのは申し訳ないこと。
原発を廃止するにしても、まだその目途すらついていないとか。
それでも着実に東京の電気料金は上がっている。
9月の値上げもすでに決まっていて、これで5か月連続。
この先どこまで上がるやら……

そんな中、中部電力が東京電力管内での電力販売に乗り出すというニュース。
いまどき石炭発電というのは時代遅れだけど、少しでも選択肢が増えるならその方向性としてはよし。
でも良く考えたら、これって中部電力が三菱商事の子会社である「新電力」の一つを買収・子会社化したからのことじゃないか。
中部電力だって東電と同じ、法律に守られた独占企業「電力10社」の一つだろう。
そんなところが他の企業を買収するだけの資金をどこから集めた?
これってすなわち、いままで中部電力の顧客が必要以上の電気料金を取られてきた結果ということなんじゃないの。

Diamondo
おまけにその会社の名前が「ダイヤモンドパワー」だって。
ま、三菱系だったからの名前なんだろうけれど、かつて石炭は「黒いダイヤ」と言われたことを思い出す。
それじゃ、曜日によって料金が変わったりして。
「すみません、今日は休日ダイヤなんです」

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イシが固い『ゴジラ』

戸倉の大天狗からの下り路、緑の中に怪獣 Godzilla_03s がいるのを「発見」した。

Godzilla_01
ほら『ゴジラ』
でも、しばらく見ていたものの、まるで石のように身動き一つしない。
きっとゴジラはイシが固いんだろう。


Godzilla_02
ゴジラの脇には小さなおじさん。
じゃない、小さな恐竜。
そして、なぜか情けない表情で訴えかけるサッカーボールも。

え 「Godzilla」というスペルなんだから、「ゴズィーラが正しい」って?

ふん、これは単なる 誤字ら

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大正・医師の誇り「菅谷医院」

屋代小学校から国道403号を西進。
かつて北国西街道と呼ばれた道で、市内から沿道には歴史を感じさせる建物が目に付いた。

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稲荷山という地区で見掛けたこの灰色の建物。
看板には『菅谷(すげのや)医院』とあり、診療時間も書かれていることから現役の医院であることがわかる。


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関東大震災以降、松本市などに多く見られた「看板建築」と呼ばれるものだそうだ。
建物の全面をモルタル等で造り、その表面に看板を付けているようなフォルムなので、そう名付けられたとか。
残念ながらこの建物は大正末期の建設というだけで細かい完成日や資料はわかっていない。


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これがかつての正面入口だが、現在医院の入口は隣に別棟のほうに移動されたとのこと。
蒲原の歯科医院が連想されるが、昔の町医者ってすごかったんだな。

なおこの建物はいま現在、国からも、長野県からも、また千曲市からも何も指定を受けていない。

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明治の香り・屋代小学校旧本館

千曲市北部の屋代町というところにやって来た。
鉄道なら「長野新幹線」や「しなの鉄道」、道路なら「長野自動車道」や「上信越自動車道」が集まる交通の要所でもある。

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そんな昔からの街中の一角に、ひときわ人目を惹く空色の建物。
1888年(明治21年)に建てられたという擬洋風学校建築だ。
木造2階建て、入母屋、桟瓦葺き、下見板張りの建物で縦長の上げ下げ窓の採用など当時としては最高にモダンな造りだった。


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ちょうど日中に訪れたので、子供たちの嬌声が喧しい。
それもその筈、この校舎はいまも屋代小学校の敷地内に保存され、旧本館として大切に使われているのだ。


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正面車寄せもこの風格。
網代天井と呼ばれる天井周囲の軒下にはバージボードと呼ばれる歯型の飾りが並べられている。
細工が施された観音開きの扉にも小学校らしからぬ重々しい風格が感じられる。


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4本の円柱が支える車寄せの三角屋根には彩色した花と唐草で飾られた破風(はふ)。
こうした細やかな仕上げには、和菓子にも通じる日本人の心意気が感じられるね。
仰げば 尊し~ 和菓子の 恩~♪

1978年(昭和53年)まで使われたこの貴重な校舎は、1973年(昭和48年)、千曲市の有形文化財に指定された。

・都留の旧尾県学校校舎こちら
・勝沼の旧山梨田中銀行こちら
・土浦の土浦中学校こちら
・山梨の旧室伏学校こちら
・都留の種徳館こちら

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落人の里と言われた廃村(末地集落)

ここは長野県筑北村。
近くには差切峡という温泉があるが、そこからでさえかなり山深く入った山中だ。
目指すのはかつて「落人の里」と言われた末地という集落。

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道は軽トラ・クラスの幅だがなんとか通じている。
しかしまだ集落手前の筈なのに、早くも廃屋が現れた。
何か強い力で押しつぶされたようなのは、冬の雪の重みによるものだろう。


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今度は林道にまではみ出すように崩れ落ちた家屋。
想像以上の荒れようだ。


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最悪!
ついに障害は唯一の林道にまで及びだした。
倒れた柱が道の上にかぶさってしまっている。


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諦めて引き返そうとしてふと対岸に目をやれば、こちらにも廃屋が樹々の向こうに佇んでいた。

「落人の里」末地には逸話がある。
ここでは代々ニワトリを飼うことを禁じたそうだ。
それは、こんな山奥に人が住んでいるのが洩れぬよう、鳴き声を警戒して……

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・君津市の追原廃村こちら
・設楽町の宇連分校こちら
・奥多摩町の倉沢廃村こちら
・身延町の御弟子廃村こちら
・丹波山の高畑廃村こちら
・奥多摩町の峰廃村こちら
・甲州市の焼山廃村こちら
・山梨の登尾廃村こちら

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スパイのおはなし

Snowdenアメリカの国家機密を漏洩したとされる元FBI職員スノーデン容疑者の亡命をロシア政府が認めたそうだ。
最近あまり良いニュースがないプーチン大統領、ここで存在感をみせたかったのかな。
そもそもスパイといえば、ロシアなんかまさに本場だものな。
そのスパイの手口はとても高度化していて、昆虫なんかに擬装した通信機器もあるらしい。
「あのクモはスパイだー」なんて。

そういえば河村たかし市長んとこの名古屋市。
あそこのスパイ問題はどうなったんだろう。
なんでも名古屋市の象徴である名古屋城の隣に中国の総領事館が移設を希望、これにより中国による日本へのスパイ活動が強化されてしまう心配があるんだとか。

でも大丈夫。
名古屋にはエフ・ビー・アイにも負けない凄い秘密組織があるじゃん。
その名も『エビ・フー・ライEbifry


呆れた?
お願いです。
僕のことは嫌いになっても『たなぼた』のことは嫌いにならないでくださいっ

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北国西街道の古い街並み

403号は新潟市と長野県松本市を結ぶ国道で、別名「北国西街道」と呼ばれていた街道。
その名の通り、沿道の建物にも歴史を感じさせるものが多い。

今回たまたま龍洞院石堰堤に行くために通りかかったものだが、一部でもその風情を伝えたい。

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どれも割りと近年建て替えられたもののようで、それぞれ指定文化財というようなレベルではないとみられるが、いずれも雰囲気がある建物ばかり。
往時の街道って、こんな感じだったんだろう。
思わずクルマを止めて撮影したくなるものばかりだった。

こんな民家、い~な。
こら、ちゃんと 見んか!!

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明治の治水「荏沢川石堰堤」(千曲市)

龍洞院架道橋からほど近く。
といってもそれは地図上の話で、山際のことゆえ実際にはかなり大廻りを強いられるが、荏沢川という小さいが急な流れの川端に来た。
長野自動車道を潜ってさらに坂を登った山中になるが、ここにも国指定の貴重な登録有形文化財があるのだ。

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それがこれ、『荏沢川石堰堤』(えざわがわせきえんてい)という。
その名の通り、治水のため石組みで造られた堰堤なのだが、これが明治の名もない仕事だというから素晴らしい。
2009年(平成21年)、国の登録有形文化財に指定された。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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この建造に関して、1882年(明治15年)起工の内務省直轄砂防事業であることはわかったものの、満足な史料がなく、長い間その価値が知られずに埋もれていたという。
だから例えば石堰堤の設置数は一応1号から3号までとなっているがこれも最終的なものではない。
また建設時の人員、工費も不明、苗木植え付けの詳細等についてもよくわかっていないのだという。


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一番下の3号堰堤。
ここはさらに傾斜が急なので堰堤仕組みの特徴が顕著だ。
普段水が流れる河道は自然石を積み上げた流路工が、また万一増水して川幅が増大したときにも護岸が崩れることにないよう両岸も自然石で補強されている。
どこか、松本市の牛伏川フランス式階段工を思わせる風景だね。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

・桂川・水路の旅はこちら

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