「味噌なめ地蔵」をなめんなよ
北杜市の「正覚寺」は甲斐源氏の始祖とされる源義光の菩提寺。
1430年(永享2年)に源氏の館跡であったこの地に移転したと伝えられる。
それはいいが、左の小さな石塔が気に入らない。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
「不許葷酒入山門」だと。
つまり、ネギやニラなど臭いのきつい野菜を食べたり酒を飲んで寺に来てはならないということ。
「てやんでえ、餃子喰って酒呑んで寺に来て、何が悪い。
大きなお世話だ。
寺なら、誰だって受け入れやがれ~。
だって、仏教だもの」
それはさておき、天保年間建立の山門(奥)や貞享年間建立という鐘楼(手前)はさすがに立派だ。
(300年以上前)
でも鐘楼の1階部分が軽トラの駐車場というのは笑える。
これだけ境内広いのに、ここが専用ガレージ?
ちなみに当時の鐘は戦時中の金属供給令により提出し、現在のものは1974年(昭和49年)に再鋳造されたものだそうだ。
その正覚寺から参道を逆に辿ってしばらく。
田圃の一角に「放光地蔵」がある。
その昔、16歳の初陣で武田信玄が信州で戦っていたとき、大門峠にあったお地蔵様を甲州まで移そうと縄をかけて引いてきたものの途中でどうしても動かなくなったため、止むなくこの地に安置されたという。
まるでミイラのように見えるお地蔵さまだが、これは身体中に味噌が塗られているため。
身体の具合が悪い時、お地蔵さまの同じところに味噌を塗ってお祈りをすれば病気が治るという言い伝えから、別名「味噌なめ地蔵」と言われるようになったとか。
塩の取れない甲州では味噌も貴重だったんだよね。
依頼は一年で大晦日が一番多いそうだ。
「味噌なめ地蔵」さんが言ってた。
「おー、味噌かー」
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
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コメント
今回の落ちにも感服いたしました。
さすがに300年まえの鐘楼は圧巻ですね。
土台部分は雨ざらしで傷まないのでしょうか?
+軽トラってのがミスマッチで良いです。
住職はこの軽トラに乗って檀家を回られるのでしょうね。
塩を塗るお地蔵様は知っていますが、味噌を塗る
お地蔵様は知らなかったです。
投稿: いはち | 2013.08.23 09:12
いはちさん
塩を塗るお地蔵さまがあるんですか。
それは知りませんでした。
良い塩の使い方ですね。
さすが、いはちさんはご見識。
(と、よい塩しとく)
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.08.23 10:38
ピーちゃんの身元引受人さん こんにちは。
あら。また一本とられてしまいましたね。
塩地蔵様は西新井大師にあります。
蛇足になってしまいそうですが。
投稿: いはち | 2013.08.23 18:25