夢と消えた佐久間線遺構の旅(5)
夢と消えた佐久間線遺構の旅(4)より続く。
「夢のかけ橋」に生まれ変わった佐久間線の「第二天竜川橋梁」は、天竜川沿いにある道の駅「天竜相津花桃の里」に続いている。
橋の下を覗いてみると、やけに橋脚が幅広く頑丈そうに感じられる。
それに比べて上の部分は華奢だし幅も狭い。
要するに、たかが歩道を渡すためには橋脚のほうが「オーバークォリティ」ということか。
元々鉄道用だったのだから当然ではあるが。
さらに奥へと進むとそこには運河のように穏やかな河内川。
その両岸にもすでにコンクリート製の橋脚がヤブの中に建ち並んでいる。
観光地なんだね、奥には屋形船のようなものが浮かんでいた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
河内川を渡るとそこは広場になっていた。
かつて根津駅が作られるその予定地だったからだそうだ。
部分的に完成している橋梁には「河内川橋梁 昭和49年」のプレートが埋め込まれていた。
上に上がると、そこは現在ワインが飲めるお洒落なテラスに改装されていた。
お客さんはかつてここが線路になる筈だったところとは知るまい。
端にはワイン木樽を思わせる小粋な建物があったがこれは何だろう。
もしかして…… トイレだったりして?
そして、すでに丘の上から見たように完全封鎖された「根津トンネル」の南側坑口。
壁面には「1976-2」の刻印があるのでここが現存する佐久間線の遺構の中でも最も遅い工事か所だったことがわかる。
そして全長1,100mにおよぶここは唯一未貫通のままで取り残されたトンネル。
こちらの坑口から約400m部分が現在ワインセラーとして再利用されているという。
ゴミなのか、はたまたディスプレーのつもりなのか、それを象徴するように通路脇に並べられたワイン瓶。
トンネル掘削に汗した人は、将来こんなことになるとは夢にも思わなかったことだろう。
未貫通のトンネルの先はどうなっているのか。
夢と消えた佐久間線遺構の旅(6)に続く。
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コメント
確かに橋脚の部分は頑丈そうですね。
不確かな時代に確かな物を見つけた気がします。
ワイン屋さんは週末だけの営業でしょうか。
ここに来るには車で来る人が多いと思うのですが。
本当なら線路になっていた場所で飲めるのですね。
投稿: いはち | 2013.11.22 15:01
いはちさん
そういえば営業しているところに出会ったことがありません。
平日にしか行ったことがないからかしら。?(゚_。)?(。_゚)?
すみません、どうもそういう情報にはヨワインで。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.11.22 15:27