夢と消えた佐久間線遺構の旅(7)最終回
夢と消えた佐久間線遺構の旅(6)より続く。
わざわざ記事の続編発表を遅らせていたのには理由があった。
最後の記事をまとめている際中、たまたま国土交通省が公開する古い航空写真をみたところさらに佐久間川の対岸まで工事が行われていた可能性が確認できたからだ。
(C)Google 2013
(C) 国交省 1974
上は現在の谷山トンネル先、佐久間川が急カーブする辺りの航空写真。
そして下は当時の建設省が1974年に同じ地域を撮影した写真になる。
当時の写真をみると、対岸に渡る横山橋(右の太い橋)の左手に細長いもう一本の橋が架けられていたのがはっきりわかるではないか。
位置的に、まさに佐久間線の予定路そのもの。
当時、すでに谷山トンネルのさらに先まで工事は進められていたのか。
これは行ってみなければならぬ。
ということで、再度の探索。
いったん谷山トンネルの出口まで戻る。
写真ではわかりにくいが、道路の奥にトンネル出口は隠されている。
そこから真っ直ぐ予定路が背後へと続いている。
振り返って進行方向(北側)を向くと、かなり高い位置で国道を跨ぎ、その向こうには行き止まりになった道路のような跡がみられる。
ちなみにこの「道路」、右の家も左の家も他の道路に面しているのでそもそも道として存在する必然性がない。
つまりこの角度と位置からして、おそらく佐久間線のためのものだったと推測できそうだ。
ちなみに足元のヤブの中には例の「工」マークのついた境界標。
前述のように、「工」のマークは明治初期に工部省が官営鉄道を管轄したためのものなので、ここまでは確実に国鉄用地だったことを証明している。
国道を渡ってその「道路」のような部分にやってきた。
しかし「道路」は佐久間川を前にして唐突に終わる。
終端はコの字の形をしたガードレールで囲まれていて、その先はない。
川を渡るしか意味のない行き止まりだ。
その先はこの佐久間川の流れ。
当然のことながら、いまそこにはもう航空写真のような橋はおろか、橋脚も残されていない。
川を渡った先は横山町という、この辺一帯ではかなり大きな町になる。
ここには待避線を持った横山駅が予定されていたという。
写真のままの通りが残っている。
いかにも鉄道の雰囲気が感じられそうな穏やかなカーブ。
しかし結論からいえば、ここが国鉄用地だった痕跡はもう何も見い出すことはできなかった。
そのためわざわざまた探索に出掛けたのに……。
無念じゃ。
これから先はさらに山また山。
佐久間線が全線開通すれば全部で14か所だったというトンネルはここまでまだたったの5つ。
ここから先、さらなる難工事が待ち受けていたことがわかる。
(お終い)
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コメント
19741年にあった鉄道橋は完全に撤去されてしまったのですね。
佐久間川を前にデットエンドの道路は子どもたちの
遊び場としては最高ですが。
最後の写真は停車場として栄える予定だった街並みが
見えるようでもあります。
投稿: いはち | 2013.11.29 16:43
いはちさん
残念です。
なんとか対岸で佐久間線の痕跡を見つけたかったんですが。
境界標なんか探してウロウロしているといかにも怪しい。
犬に吠えられるのには閉口します。(~_~;;
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2013.11.29 17:34
この狭い橋は旧横山橋です。1955年の地図には道路として記載、1967年の空中写真でもこの橋のみ写っています。現在の横山橋は1975年完成ですので、ちょうど現横山橋を架橋中の写真です。旧橋は吊橋だったそうで、その構造上鉄道への流用は難しいので旧橋を撤去、そのまま工事凍結になってしまったのではと思われます。
投稿: | 2021.08.16 17:52
名無しさん
コメントありがとうございます。
旧横山橋というんですか。
悲しい結末の橋だったんですね。
期待が大きかっただろう、往時が偲ばれます。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2021.08.17 07:37
大変興味深く読ませて頂きました。
最後の旧横山橋は、トラス構造の国道の橋で、天竜川横山橋で画像検索すると御覧いただけます。
投稿: 名無し | 2021.08.22 22:06
名無しさん
コメントありがとうございます。
旧横山橋の画像、確認しました。
あの暴れ天竜川に、なんとも心許ない細さですね。
橋脚もあの川幅に1本だけとは。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2021.08.23 08:45