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2013年11月

ちりになっちゃった『アイソン彗星』

Suisei太陽最接近の直後にはマイナス5~6等という桁違いの明るさになると期待されていた『アイソン彗星』だけど、はかなく消滅してしまったね。
なんでもNASA(米航空宇宙局)によれば、太陽に接近した時に彗星本体の核がバラバラになり、大部分が蒸発してしまったらしい。

それでも取り巻くガスやちりの集まりは消滅せず残っていると考えられるので、肉眼はともかく望遠鏡なら残ったちりが見られる可能性があるとか。

でも『彗星』が見たかったのに『ちり』じゃあね。
ま、当の彗星にとっても今回の件はとんだトバッちりだったんだろうけど。
せめて写真に撮って納めるか。

「これが網走で撮った彗星写真です」
「あ、ばっちりだね」

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(7)最終回

夢と消えた佐久間線遺構の旅(6)より続く。

わざわざ記事の続編発表を遅らせていたのには理由があった。
最後の記事をまとめている際中、たまたま国土交通省が公開する古い航空写真をみたところさらに佐久間川の対岸まで工事が行われていた可能性が確認できたからだ。

 (C)Google 2013
Yayama_map_new

 (C) 国交省 1974
Yayama_map_old
上は現在の谷山トンネル先、佐久間川が急カーブする辺りの航空写真。
そして下は当時の建設省が1974年に同じ地域を撮影した写真になる。
当時の写真をみると、対岸に渡る横山橋(右の太い橋)の左手に細長いもう一本の橋が架けられていたのがはっきりわかるではないか。
位置的に、まさに佐久間線の予定路そのもの。
当時、すでに谷山トンネルのさらに先まで工事は進められていたのか。
これは行ってみなければならぬ。
ということで、再度の探索。


Sakumasen3_01
いったん谷山トンネルの出口まで戻る。
写真ではわかりにくいが、道路の奥にトンネル出口は隠されている。
そこから真っ直ぐ予定路が背後へと続いている。


Sakumasen3_02
振り返って進行方向(北側)を向くと、かなり高い位置で国道を跨ぎ、その向こうには行き止まりになった道路のような跡がみられる。
ちなみにこの「道路」、右の家も左の家も他の道路に面しているのでそもそも道として存在する必然性がない。
つまりこの角度と位置からして、おそらく佐久間線のためのものだったと推測できそうだ。


Sakumasen3_03
ちなみに足元のヤブの中には例の「工」マークのついた境界標。
前述のように、「工」のマークは明治初期に工部省が官営鉄道を管轄したためのものなので、ここまでは確実に国鉄用地だったことを証明している。


Sakumasen3_04
国道を渡ってその「道路」のような部分にやってきた。
しかし「道路」は佐久間川を前にして唐突に終わる。
終端はコの字の形をしたガードレールで囲まれていて、その先はない。
川を渡るしか意味のない行き止まりだ。


Sakumasen3_05
その先はこの佐久間川の流れ。
当然のことながら、いまそこにはもう航空写真のような橋はおろか、橋脚も残されていない。


Sakumasen3_06
川を渡った先は横山町という、この辺一帯ではかなり大きな町になる。
ここには待避線を持った横山駅が予定されていたという。
写真のままの通りが残っている。
いかにも鉄道の雰囲気が感じられそうな穏やかなカーブ。
しかし結論からいえば、ここが国鉄用地だった痕跡はもう何も見い出すことはできなかった。
そのためわざわざまた探索に出掛けたのに……。
無念じゃ。

これから先はさらに山また山。
佐久間線が全線開通すれば全部で14か所だったというトンネルはここまでまだたったの5つ。
ここから先、さらなる難工事が待ち受けていたことがわかる。
(お終い)

・東海道線・石部トンネル跡はこちら
・秘境尾盛駅探訪はこちら
・トヨタの引込線跡はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・中央線遺構・放置車両はこちら
・小海線大曲と駒頭石はこちら
・中央線遺構・日野春駅給水塔はこちら
・中央線遺構・須玉九差路交差点はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・東京山手急行の遺構はこちら
・晴海線旧橋梁はこちら
・中央線遺構・旧深沢トンネルはこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル西口はこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル東口はこちら
・中央線遺構・旧笹子トンネルはこちら
・中央線遺構・旧天神山トンネルはこちら
・遠州鉄道奥山線・橋台はこちら
・旧武豊港駅・転車台はこちら
・夢破れた知多半島の未成駅はこちら
・軽便鉄道「オットのみち」はこちら
・小海線「川俣川鉄橋」はこちら
・谷峨駅の構内踏切はこちら
・鹿島鉄道廃線跡はこちら
・佐久間線遺構跡はこちら
・近鉄・東青山駅跡はこちら
・旧田口線跡はこちら
・秩父・滝川森林鉄道跡はこちら
・小海・渋森林鉄道跡はこちら

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ソニーはスマートウィグで勝負だって

Sony_smart_wig次世代・通信機器の進歩は留まるところを知らず。
すでに腕時計だのメガネだのに搭載されているけれど、ソニーが今回発表したのはなんとウィグだって。

「スマートウィグ」なんていうと格好いいけれど、要するにカツラだ。
頭に被ったカツラの中にデータ入力用センサーや他端末との通信機能、全地球測位システム(GPS)機能まで入っているなんて、なんか怖い。
もう、シュワルツェネッガーの世界だね。
そうか、次世代はカツラか。
とはいえ、こうした科学の進歩を見通してあらかじめ髪を薄くしてきた訳じゃないのだが。

「そんな長髪じゃ、スマートウィグ被れんぞ!!」
と、長髪のひと挑発。

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JRマンのトレーニングセンター

ここは中央線の笹子駅。
笹子というとトンネルの話題になるけれど、笹子駅にも興味深いものがあった。

Sasago_00
それが笹子駅の隣にあるこれ。
『ササトレ』こと、「JR東日本笹子設備トレーニングセンター」だ。
要するに、ここで様々な作業を修得し、JR保守マンを養成するシステムになっているらしい。

実は笹子駅は単線時代、スイッチバック式の駅になっていた。
それが1966年(昭和41年)に複線化された際スイッチバックは廃止になり、2009年(平成21年)、その旧駅跡にこのトレーニングセンターが作られたんだそうだ。


Sasago_01
ホームが狭いって?
だってこれはトレーニング用のものだもの。
電車が走らないからレールが錆びてしまっているね。


Sasago_02
ブルーシートが掛けられているのは「レールスター」という軌道モーターカーだそうだ。
後のE233系電車は絵だからね。
わかるか。


Sasago_03
こっちの復旧作業車両は本物だけど、トンネルはやはりトレーニング用のダミー。


Sasago_04
保守で一番重要なレールや枕木はさまざまな種類のものが敷設されている。
もちろん切り換えポイントや信号機も。
他にも、作業練習用の電柱とか、いろいろなものがある。


Sasago_05
そしてこれは鉄橋だ。
こういうところの作業や検査も大事だものね。
でも終わったら、撤去~

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

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日本のコメは、再び増産に?

Senmaida_01sコメの価格維持のために生産量を絞る生産調整(減反)、5年後の2018年度に廃止される方針が決まったらしい。
来年度からはさっそく半額にまで減額される農林水産省の案が了承されたそうだ。

これまで続けてきた減反政策だけど米作農業はまったく好転の兆しをみせないし、呆れた日本の食糧自給率を考えれば何か考え直す必要はあるんだろう。
一方で良質の米は香港とかの富裕層に輸出されて好評だというからそういう方向の転換も考えなくっちゃね。

実際、日本一のコメどころ新潟でも、「朱鷺踏んじゃった米」とか、効率が悪いと非難された棚田のコメですら「岩首昇竜棚田米」なんてブランド化に成功しているそうだ。

そう、これからはもう奨励金による減反なんかではなく、「増産」だい !!

でも僕は「ゾウさん」より Ani_kirin 「キリンさん」のほうが好きです。 (=^^=)

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「江戸っ子」の実力見たかー

Edokko_1go東京下町の町工場などが共同開発した無人海底探査機『江戸っ子1号』が無事探査を成功させ、横須賀の港に帰還を果たしたね。
今回の探査では水深約7800メートルという世界でも例のない海底での撮影に成功したそうだ。
1号でこれなら、2号はもっと期待できそうだ。
だいたい2号さんのほうが若くてピチピチしていて……
違うか。

数年前には大阪のやはり中小企業が開発した小型衛星『まいど1号』が宇宙に打ち上げられたし、日本の町工場の力はたいしたものだな。
ただこの『江戸っ子1号』、コストの関係で肝心の「深度計」がついてないため記録が公認されるかどうかわからないんだって。
ひえー

「記録のためにやってるんじゃない」ってか。
おうおう、江戸っ子らしいじゃねーか。
これこそ、江戸っ子だ!

「えっ、どっこー?」

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(6)

夢と消えた佐久間線遺構の旅(5)より続く。

根津トンネル」は前編で書いたように結局未貫通のまま。
しかし地形図をみると、出る筈だった北側坑口の位置はほぼ推測がつく。
そしてそこには佐久間線最後となるトンネルの南側坑口もある筈だ。

Sakumasen2_61
国道152号線から沢渡林道へと分け入った。
といってもたかだか100mほどで林道は終点。
そもそもこの林道自体、トンネル工事のため拓かれたものなのかも知れない。
それまで続いていた路肩のガードレールが突然コンクリートのものになった。
なぜならこれは林道のためなのではなく、もうトンネルそのものなのだ。


Sakumasen2_62
急傾斜を迂回しながら沢へ降りて行くと、ほらトンネルの坑口が見えた。
これが現存する佐久間線最後となる「谷山トンネル」の南側坑口になる。
しかし坑口がフェンスで完全封鎖されているのはもう見えているうえに、上の道から不法投棄されたゴミが激しく散乱していて近づく気が起こらなかった。
ちゃんとしようよ>日本人


Sakumasen2_63
そして沢を挟んだ反対側を振り返る。
この山肌には「根津トンネル」の北側出口が口を開ける筈だったが、残念ながら何もその痕跡を見つけることはできなかった。
なんて、もちろん未貫通なのがわかって書いているんだけどね。
手前のトンネルが未貫通で先のトンネル工事が進んでいるというのは奇妙だが、前に書いたようにこの佐久間線は順番に工事が進められたのではなく、あちこちでバラバラに工事されたからだ。


Sakumasen2_64
再び国道に戻ってさらに北上。
谷山という集落でトンネルは顔を出す。
その名も、「谷山トンネル」だ。
国道からすぐ上の部分にあるのだが道路から直接見通せないので、実は案外知られていない。
下部に古いコンクリートの法面があるので、「谷山トンネルは閉塞されている」などと書いたサイトもあるくらいだ。


Sakumasen2_65
例によってフェンスから覗いてみたが、内部には何もなし。
それでもここはちゃんと貫通している筈なので、わずかに吹き抜ける風が感じられた。
……ような気がした。


Sakumasen2_68
トンネルを出た先は国道とはかなりの高低差を持っていた。
(左下に国道が見える)
予定線は国道を陸橋で越えて対岸に向かったのだろう。
しかし見渡したところ、トンネルの先には特に鉄道関連らしい構造物はみられない。
実際、多くのサイトではここまでで佐久間線の工事は打ち切られたと書いてある。
果たして佐久間線はこの川を再び対岸へと渡ることはなかったのだろうか。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(7)に続く。

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いやな都政だな~

Tokyo2020_s「433万票獲得はギネスもの」なんて豪語していた猪瀬東京都知事だけれど、なんだかトンでもないことになっちゃったね。
いくら本人が弁明しても、選挙時にあの徳洲会から内緒で5000万円もの資金提供なんて、公明正大なお金である筈がない。

せっかく2020年東京オリンピック誘致に成功したのに、その責任者がこのスキャンダルじゃなあ……
海外からのイメージダウンは必至だろう。

なにしろ東京都の年間予算12兆円といったら、フィンランドやアルゼンチンなんかをはるかに凌いでインドクラスの国家に匹敵する金額だ。
お隣・韓国だって21兆円程度だもの。
(日本は172兆円)

あ~あ、それなのに……
いやなトセイだな~

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(5)

夢と消えた佐久間線遺構の旅(4)より続く。

夢のかけ橋」に生まれ変わった佐久間線の「第二天竜川橋梁」は、天竜川沿いにある道の駅「天竜相津花桃の里」に続いている。

Sakumasen_04
橋の下を覗いてみると、やけに橋脚が幅広く頑丈そうに感じられる。
それに比べて上の部分は華奢だし幅も狭い。
要するに、たかが歩道を渡すためには橋脚のほうが「オーバークォリティ」ということか。
元々鉄道用だったのだから当然ではあるが。


Sakumasen_11
さらに奥へと進むとそこには運河のように穏やかな河内川。
その両岸にもすでにコンクリート製の橋脚がヤブの中に建ち並んでいる。
観光地なんだね、奥には屋形船のようなものが浮かんでいた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Sakumasen2_51
河内川を渡るとそこは広場になっていた。
かつて根津駅が作られるその予定地だったからだそうだ。
部分的に完成している橋梁には「河内川橋梁 昭和49年」のプレートが埋め込まれていた。


Sakumasen2_52
上に上がると、そこは現在ワインが飲めるお洒落なテラスに改装されていた。
お客さんはかつてここが線路になる筈だったところとは知るまい。
端にはワイン木樽を思わせる小粋な建物があったがこれは何だろう。
もしかして…… トイレだったりして?


Sakumasen2_53
そして、すでに丘の上から見たように完全封鎖された「根津トンネル」の南側坑口。
壁面には「1976-2」の刻印があるのでここが現存する佐久間線の遺構の中でも最も遅い工事か所だったことがわかる。
そして全長1,100mにおよぶここは唯一未貫通のままで取り残されたトンネル。
こちらの坑口から約400m部分が現在ワインセラーとして再利用されているという。


Sakumasen2_54
ゴミなのか、はたまたディスプレーのつもりなのか、それを象徴するように通路脇に並べられたワイン瓶。
トンネル掘削に汗した人は、将来こんなことになるとは夢にも思わなかったことだろう。

未貫通のトンネルの先はどうなっているのか。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(6)に続く。

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イオンはスマホでお買い物

Aeonイオンが2016年までに全店舗の売り場とインターネットを連動させたサービスを始めるそうだ。
なんでもお客が店頭でスマホを使って撮影すると、その商品を即日宅配してくれるんだとか。

便利だけど、これじゃヘタに撮影もできんな。
突然自宅に女子高生の下着が届いたら、ご主人がスーパーで盗撮したからだったりして。
「間違って、シャッター押シャッター」なんて。

先進的だけど、こういうのも日本ならではの『おもてなしOmotenashi_s なのか?
いや、何か企んでいるに違いない。
『表なし』ということは『裏がある』ということだものな。

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☆歓迎☆ キャロライン・ケネディ大使

Basha新駐日米大使の キャロライン・ケネディ さんが、皇居で行われた信任状捧呈式に馬車でパレードしたね。

宮内庁によれば、同行事に馬車を使用している国は世界的にもイギリスやスペインなど数か国しかないとのことで、やはり馬車を希望する大使が多いそうだ。
それでも当日の天候によっては止むなく馬車列から自動車列に変更になることもあるそうだから昨日はお天気に恵まれて良かった。

それにしてもすごい数。全部でどれだけいたんだろう。
たくさんの馬で驚いた。
あ 野次の数ね。

本物の馬のほうはさすがに良く訓練されているらしく、「そそう」への対策もしてなかったようだ。
でも、馬が驚くから拍手は禁止なんだって。
それなら馬の耳を塞いでおけばいいのにね。
今度見てみよう。
馬の耳を見物」だ。Uma_s3

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(4)

夢と消えた佐久間線遺構の旅(3)より続く。

再び湖を渡り、「船明トンネル」の北側出口真上の国道にやって来た。

Sakumasen2_42
上から大きくカメラを差し出して撮影したところ。
何回も覗いてみるが、草が伸びていて開口しているのかどうか上からではよくわからない。
国道から身を乗り出しているため、行き交うクルマから身投げ志望者ととられて110番通報されても困るので断念。


Sakumasen2_43
で、降りた。
なに、こういう時のためにいつもロープを携行しているのだから当然だ。
降りてみるとひどいヤブだが、対岸から想像していたよりは湖面まで余裕があった。


Sakumasen2_44
しかし残念。
ご覧の通り、佐久間線の遺構はこんな所の坑口まで厳重に封鎖されていた。
完璧だ。
いい仕事してるね>国鉄清算事業団


Sakumasen2_45
わずかな隙間にレンズを差し入れて撮影してみたが、内部は何にも使われている様子は感じられなかった。
こんなところ、そもそも出入り自体に難儀するのだから当然か。

トンネルを出た佐久間線は「第一天竜川橋梁」で船明湖(ふなぎらこ)を渡り、いったんさきほどの天竜川右岸(上流から見て右手)に移る。
残念ながらその橋脚はない。
建設されなかったのか、撤去したのかは不明。


Sakumasen2_46
右岸をしばらく進むと真っ直ぐな道が続いていた。
もちろんこれがかつての軌道跡に違いない。
正面のカラフルな橋は歩行者専用で、「夢のかけ橋」という。


Sakumasen2_47
近くの丘の上に登って俯瞰してみた。
この橋は本来佐久間線が再び左岸に渡るための「第二天竜川橋梁」として建設されたもので、長い間残されていたその橋脚部分を再利用したもの。
湖を渡ったり戻ったり、ずいぶん曲がっているようだけど線路自体は真っ直ぐ。
曲がっているのは川のほう、それと筆者の根性だ。


Sakumasen2_48
左岸に渡ったその先をアップにしてみたら、再び山にぶち当たり、トンネルになっているのがここからも見えた。
しかも坑口が完全封鎖されているのがわかってしまった。
つまらんな。
一応、行くけど。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(5)に続く。

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(3)

夢と消えた佐久間線遺構の旅(2)より続く。

Sakumasen_25
堰堤カルバートの先、県道沿いには二俣川が流れていて、そこにもすでに橋脚だけが先行建設されている。
本来なら地元の夢を乗せて走る鉄道を支える筈だった橋脚。
今となってはもう河床に残された洪水時の障害物でしかない。


Sakumasen_24
二俣川を渡った路線跡は県道362号線を越える。
そしてここからまた緑の堰堤が姿を現した。


Sakumasen_23
浜松市が土地区画整理事業を展開する造成地の中をさらに進むと、途中に古びたコンクリート製のカルバート(径の短い溝渠)が一つ。
大池暗渠」と言うそうだ。
プレートをみると、1970年(昭和45年)製。
設計者は「日本鉄道建設公団」になっている。
これでこの堰堤も鉄道由来のものであることが確認できる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

「日本鉄道建設公団」いわゆる「鉄建」は、国鉄時代に鉄道建設事業を行っていた特殊法人だが、JRとなったいまもう存在しない。
こうした国鉄時代の「負の遺産」はその後、清算事業団(日本国有鉄道清算事業団)が管理するところとなっている。
ここと同じだね。


Sakumasen_21
やがてまたトンネル。
ここには「船明(ふなぎら)トンネル」の銘板がある。1971年(昭和46年)竣工。

「船明」とはまた変わった地名だ。
なんでも天竜川が材木等運搬の流通路として使われていた時代、まだ夜が明けやらぬ頃に前出のを出ると、朝日が昇り始めて船に日が射す頃にこの辺りに到着。
それで「船明」と言ったんだそうだ。
ちなみに船明湖の対岸は「日明」(ひやり)と言い、張り合っている。(?)


Sakumasen2_31
ここの坑口は鉄製フェンスで封鎖された上に、半透明の波板でくまなく負われていた。
そして傍らには「気象庁気象研究所 浜松市天竜総合事務所」の看板。
よく鉱山の坑道跡に行くと地震観測に使われていることが多いが、ここの地中では何をしているんだろう。
ネットで調べてもわからなかった。

今は天竜川沿いに国道が走っているが、明治・大正の頃はトンネル脇からこの山を街道が越えていた。

次は大きく迂回して、この「船明トンネル」北側出口に向かう。
驚くな。
そこには衝撃の出口が待っている!!


Sakumasen2_32
ほら。
この写真に「船明トンネル」の北側出口が映ってる。
対岸に渡って撮影したものだが、これではよくわからないよね。
なのでアップにしてみる。


Sakumasen2_41
望遠レンズで拡大すると、なんと国道(152号線)の直下にトンネルが口を開けているではないか。
見たところ、国道の路面からトンネルの天井までせいぜい数十センチ?
上の道路を走るクルマは真下がトンネルで空洞になっているなんて、まさか思いも及ばないことだろう。
こんな遠くからではあるけれど、この坑口は塞がれていないように感じられる。
行ってみよう。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(4)に続く。

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お台場で屋形船が難波


16日午後7時頃、東京都港区のお台場海浜公園の海上バス乗り場付近を航行中だった屋形船「第一ふじ岡丸」(16トン)から第3管区海上保安本部(横浜)に「何かに乗り上げて船内に浸水している」と通報があった。

第一ふじ岡丸は浅瀬に乗り上げ、乗客ら22人は他の屋形船に避難、けが人はいなかった。

警視庁東京湾岸署などが事故原因を調べている。

波の荒い外洋に出た訳じゃあるまいし、観光用の屋形船が難破するなんてねえ。
もしかして、女の子乗せてナンパしてたんじゃないの。

        屋形船に乗った親方

  Yakatabune


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「逃走」するなら「通そう」

Police_sなんと警察署の取調室から傷害事件の容疑者が逃亡しちゃったそうだ。
信じられない大失態だね、宮城県警は。

幸い、26時間後には逃亡した本人が交番に出頭して騒動は無事終了とのこと。
容疑者はドイツ人ということだけど、シューツ・ペトロ・ウラジミロビッチなんていう名前は東欧やロシア系列のものなんだろう。

それにしてもこの逃亡劇。
駅までクルマで送ったり、衣類や履き物までみんな一般市民が用意してあげてる。
「手を合わせてお辞儀をしていた。いい人のように見えた」だって。
まさに東北の人の、人の良さがあってのことだね。
警察の失態には呆れたけれど、仙台市民の優しさには感動だ。
なんか、ほっとするニュース。

「月桂冠」飲んでたら、「ゲッ 警官!」

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(2)

夢と消えた佐久間線遺構の旅(1)より続く。

阿蔵川橋梁」を渡った佐久間線の路線跡は再び高い堰堤となり、北に向かっていた。

Sakumasen2_11
これが天竜二俣のスタートから2番目となる「山王トンネル」の入口。
ここではフェンスではなく、黒いビニールシートで坑口が覆われていた。


Sakumasen2_13
でもそうなると中を覗きたくなるのが人情というもの。
しかし隙間から窺ってみたところ、少なくとも入口付近は何か再利用されている様子はない。
このトンネルは直線なので北側出口の隙間が彼方に小さく見えた。


Sakumasen2_12
傍らには立派な銘板が埋め込まれていて、このトンネルが1969年(昭和44年)竣工であることがわかる。
最初の白山トンネルが1974年(昭和49年)だったから、こちらのほうが3年も工事が早い。
(その差が「トンネルと「」ずい道」の違いになっている訳だ)
つまり、この佐久間線は南の方から順番に工事したのではなく、幾つものか所でバラバラに進められていたことがわかる。


Sakumasen_37
山王トンネル」の北側出口にやってきた。
こちら側はビニールではなく、鶯色のボードのようなもので塞がれている。
閉ざされた扉の下からは大量の水が流れ出ていて、ここに立つととても涼しい。
シイタケ栽培に使われているという噂も聞くが、残念ながらこちらから内部を窺い知ることはできなかった。
また何なんだろう、意味ありげに「赤」「白」「青」「緑」の四角いプレートが不規則に貼り付けられているのが印象に残った。


Sakumasen_35
その先は一転して深い掘り割りになる。
横の壁には「1969-2」の文字。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
向こう側にあった銘板と同じく、竣工年月を表しているものだね。


Sakumasen_32
再び今度は緑の堰堤になった。
堰堤だ、切り通しだ、と実に目まぐるしい。
この辺り、いかに起伏の多い地帯なのかがわかる。


Sakumasen_33
その一画に、石の標柱が立っていた。
見ると「工引照標」と彫ってある。
「工」のマークは漢字の『工』で、明治初期に官営鉄道が開業した際、工部省が管轄したことから。
「引照標」というのは、地形の関係などで用地界標を定位置に設置できないときに設置される杭だとか。
事前の準備もそこそこにこの工事は始められたようだ。


Sakumasen_31
さらに進むと堰堤は唐突に尽きた。
このコンクリート製の構造物はカルバート(径の短い溝渠)だが、手前の出っ張った形状は明らかに橋桁を載せる目的があったんだろう。
そう、この先(背後)は二俣川になる。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(3)に続く。

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夢と消えた佐久間線遺構の旅(1)


佐久間線はかつて静岡県の旧国鉄二俣線・遠江二俣駅から長野県の飯田線・中部天竜駅とを結ぶ路線として計画された鉄道。

約35kmの路線を橋梁20か所、トンネル14か所で結ぶ計画だった。
しかし国鉄からJRへの移行に伴い、路盤が約50%完成したところで工事は打ち切りとなった。

 (C)天竜浜名湖鉄道
Tenryu_2mata_tank_s Tenshadai
静岡県浜松市にある「天竜二俣駅」は天竜浜名湖鉄道の中心で、1940年(昭和15年)に開業されたという由緒ある駅。
構内にあるこの給水塔は国の登録有形文化遺産に指定されている。
他にも扇形庫や転車台などの遺産があるが、構内にあるので手続を取らないと見ることはできない。
上記のように、その天竜二俣からかつて北に延びる路線計画があった。
その中にはトンネルや橋梁など現存している遺構も数あるという。

そんな工事半ばで夢と消えた「佐久間線」の遺構をいま見られる限り探ってみよう。

Sakumasen2_01
かつての路線は駅からまず北東部へ大きくカーブしていた。
天竜二俣駅から500mほど。
今では住宅が並ぶそんな一角の駐車場奥に、何やら穴が開いている。


Sakumasen2_02
これが佐久間線最初のトンネル「白山トンネル」の入口だ。
市街地だし、もちろん危険防止のためネットで完全封鎖されている。


Sakumasen2_03
今度は山の反対側(北側)に廻ってきた。
こちらはまだ山林のままになっているので坑口は自然の中に埋もれている。


Sakumasen2_04
当然のごとく、こちらもフェンスで封鎖。
脇には「1974-3」(昭和49年)の文字が刻印されていた。
竣工年月を現しているのだろう。
ちなみにこのトンネルは唯一内部で大きくカーブしているので奥は真っ暗だ。


Sakumasen2_05
白山トンネル」を出るとその先は明らかに鉄道由来の盛り土による堰堤が続き、阿蔵川という小さな川を渡る「阿蔵川橋梁」に続く。
橋梁には「昭和47年竣工」(1972年)の工事銘板が貼られていた。

夢と消えた佐久間線遺構の旅(2)に続く。

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やっぱり迫田さおりだ、火の鳥ニッポン

S_sakodaバレーボールのグラチャン第1戦、われらの「火の鳥ニッポン」がヨーロッパ・チャンピオンの強豪ロシアを撃破してみせたね。
もちろんその立役者は迫田さおり選手だ。
新戦術に応え、存分の活躍。

前回は代表から外されて……
お陰で全日本の試合が全然楽しくなかったぞ>真鍋カントク
やっぱり彼女がいなくちゃね。

ただ僕より5センチも身長が高いというから、ちょっとバランスが悪いな。(何の?)
体重はこっちのほうが上だけど。
なに、ヘルシーなもの食べてれば、体重減るしー

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富士川に掛かる10連の水管橋

富士川の難所釜口峡で右岸に渡った日本軽金属の発電用水 Kanbara_suikan_s は、蒲原の工場でその役目を終えたあと河口に近い最下流部で再び左岸へと移る。

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東海道新幹線が富士川を渡る時に車窓からも見えるのがこの「富士川水管橋」だ。
全長1,040mにも及ぶみごとな10連のアーチ橋は素晴らしいの一語。
釜口峡で渡った時の水管橋は100m足らずだったからずいぶんと「出世」(?)したものだ。


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直径2.2mという巨大水管が2本並列になっていて最大送水能力は日量231万トン。
これは世界最高クラスの規模だそうだ。


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ちなみにこの管の施工者は日本軽金属ではなく静岡県。
なぜならすでに役目を終えた日軽金の発電余水を、静岡県富士市にある製紙企業地区での地下水保全を目的として使うものだからだ。
それまでこの地区では地下水の大量汲み上げによる影響が問題になっていたそうだからまさに一石二鳥か。

こうして身延で取水され、その後人間の都合で右に左に富士川の上を越えさせられたアルプスの水は、最終的に駿河湾の一滴となってその生涯を終えていくのだった。
お疲れ様でした。

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富士川最大の難所・釜口峡「水管橋」

富士川は「日本三大急流」とされた暴れ川。
その富士川の中でも最大の難所として恐れられたのが「釜口峡」(かまのぐちきょう)だ。

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これがその「釜口峡」
それまで広かった富士川の川幅が一気に狭まり、川水が渦を巻き、あたかも釜の湯が煮えたぎっているかのように見えたことから「釜」といって恐れられたのだとか。
幸い、今日は穏やかだ。
右手は静岡・山梨県道10号の「富士川身延線」で、写真を撮っているこの緑色の橋は富士川に架かる静岡県道75号「清水富士宮線」の「釜口橋」になる。


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家康の防衛政策により恒橋を架けさせず吊り橋だけだったため、釜口峡では多くの人命や物資が呑み込まれたという。
そのため1618年『水神山・本立寺』を建てて供養したが、後に廃寺となり、今は水難供養塔だけが残されている。

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歌川広重が釜口峡を描いたとされる『富士川上流雪中の図』


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探索の目的はこの橋。
ご覧のように巨大な水管橋で、日本軽金属(株)が富士市の工場まで水を運んでいるもの。
アルミ精錬は大量の水を必要とするため、驚くことにこの会社は天子湖雨畑湖など、自前のダムや湖まで持っているんだね。


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水管橋の前後に水管や水路はみられない。
なぜなら水路はずっと地中にあり、ここは釜口峡を越えるため例によりサイフォンになっているからだ。
そのためまるでミサイルのように地中から突然巨大なコンクリート管が現れる。


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その険しい峡谷ぶりがわかる一枚。
橋は1942年(昭和17年)に完成、形式は下路平行弦ワーレントラス1連というものになる。
橋の上こそ立ち入り禁止になっているが、ここまで間近に見られるのは水路ファン(?)としてもうれしい。
この中を大量の水が日本工業発展のため、昼も夜も流れ続けているんだな。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

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ちゃんとガードしてね2

ここは第二東名の浜北インター近く。

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インター取付道路(右側)に沿って新しい整備された道。
だからずっとカーブしている。
でも良く見ると、なんか変?


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ほら
ガードレールが木製。
秋葉湖のと同じようだけど、こちらにはパイプすらない。
大丈夫なのかなあ。?(゚_。)?(。_゚)?
何より、こちらは一般道路なんだし。

ちなみにこれを突き破ると歩道の外は深い側溝になっている。
それなのに、ガードレールが木。
ま、キにしないほうがいいか。

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月までもう少し

若田さんは4度目となる国際宇宙ステーション到着を果たしたそうだ。
ロクなことのない地球に愛想を尽かせちゃったんだろうね。
そうだ、僕も月に行こう。

Tsuki2

あと3キロか。
もう少しだ。

『うそツキ』って言うな。

Gets ゲッツ!!

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安全安心? 「コンビニ防犯ボックス」

Bouhan_box_s森田健作千葉県知事の肝煎り政策 「コンビニ防犯ボックス」がいよいよスタートしたそうだ。
要するに、コンビニの駐車場にプレハブを置いて警察官OBが交代で詰め、地域住民の安全安心に寄与するというもの
つまり、ミニ交番のようなものらしい。

3人の要員で午後2時から午後10時まで。
うん? 交番と違ってフルタイムじゃないのか。
なんか午後10時に閉まったあとのほうが危ない気がするけど。
これで住民は安心になるのかなあ?

しかし便利なことは間違いない。
なんたって24時間営業のコンビニがすぐ隣なんだからいつも人がいるしなんでも買える、トイレの心配もない。
なるほどこれは、安全安心だ (^.^;)

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峰之沢鉱山インクライン遺構発見

これまで全て解体、めぼしい遺構はないとみられていた峰之沢鉱山(浜松市天竜区)のインクライン。
再度の調査でついに発見してしまった。
森の中を彷徨いながら、こんな素晴らしい遺構に巡り会ったその感動がわかるだろうか。
わからないよね。

なおこれにより以前書いた「対岸からインクライン跡が見える」など記した前回の記述も誤りであることが判明。
お詫びします。
したがって既掲載の「緑に埋もれた峰之沢鉱山」(前後編)はいったん削除。
全面的に改訂した上で近く再掲載します。

 拡大します
Incline_yokoku
乞うご期待
誰も期待してないか。

・峰之沢鉱山探索記事はこちら

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『海の駅』、知ってる?

ここはニャンコがたくさんいた妙見島の一角。

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「えどがわ海の駅」だって。
「道の駅」ならたくさん知っているけれど、「海の駅」というのもあるんだね
知ってた?
不覚にも自分は初めて。
実はこの「海の駅」、全国の港々にたくさんあるんだそうだ。


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一見、ラブホのように見えるけど、これが「えどがわ海の駅」。
あのヤマハが運営しているらしい。
地中海料理のレストランなんかも完備しているよ。

え、江戸川?
カワなのにウミの駅はおかしいだろっていうツッコミはカワいくない。
これだってウミの苦しみがあったんだ。


Umino_eki_03
裏にはたくさんのプレジャーボート等が係留、いや地上に保管されていた。
立体駐車場(駐船場)になっていて、オーナーが連絡するとちゃんと船を出艇しておいてくれるそうだ。
レンタルすることもできるらしいけれど、まず会員になるだけで高級乗馬クラブ級のお金は覚悟。


Umino_eki_04
さて、それじゃ僕も自慢のクルーザーでひと巡りしてくるか。
いや、その前に船舶の免許が必要か。
うん、さらにその前に預金残高がもっと必要だった。

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迫力のインクライン

インクライン(斜面用ケーブルカー)路面を最上部から見下ろしてみた。

 (拡大します)
Incline_doushi
場所は道志第一発電所、神奈川県企業庁が稼働させているものだ。
高さは50m弱くらい?
まるでジェットコースター。
迫力の急傾斜ぶりが伝わるだろうか。
(緑色のぼやけはフェンスの網)

【インクライン】
 急傾斜をレールを使って資材を上げ下ろしするシステム。
 傾斜鉄道と訳される。
 語源はラテン語で、線路だけど言葉としては「インク+ライン」ではなく「イン+クライン」

大仁金山のインクラインはこちら
峰之沢鉱山のインクラインはこちら
湯ヶ島鉱山のインクラインはこちら
持越鉱山のインクラインはこちら

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「日本製紙クリネックススタジアム宮城」のこと

Kleenex_stadiumプロ野球日本シリーズは東北の期待通り、楽天イーグルスが初の栄冠を獲得したね。
タイトルを決めた舞台は宮城県が所有する「Kスタ」
東京もんには馴染みがないけれど、「Kスタ」というのは「日本製紙クリネックススタジアム宮城」のことなんだそうだ。

なんでもこの球場、施設名称は「宮城球場」
施設命名権は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」で、公式略称が「Kスタ宮城」なんだって。
「クリネックススタジアム」なら略称は「クリスタ」かと思うけど、これはすでに複数の商品で商標登録されているからダメなんだとか。
命名権のため年間2億円も出しているというのに「K」だけになっちゃうなんて、日本製紙も可哀想だね。
加えて「宮城スタジアム」というのはちゃんと別にあるので、素朴な「宮スタ」というのもダメなんだって。

なんとも難しいんだな。
どうも失礼しまスタ。

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半沢ニャオキ

も、申し訳 御座いません

Nyaoki
  土下座@ニャンコ

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明治天皇 行在所跡(上野原)

ここは上野原市(山梨)の大通り(旧甲州街道)から路地を入ったところ。

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大通りからは見通すことはできないが、そこにはこんな立派な門構えがある。
ちょっと見、お寺さんの楼門のようだけれど、今ここは一般の民家。


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かつてここは、甲州街道上野原宿の本陣だったところなのだ。
さらに1880年(明治13年)、明治天皇による山梨、三重、京都御巡幸において、御泊行在所になったところなのだ。
「上野原行在所」という。
残念ながら上野原行在所、今はこの門と塀しか残されていない。


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1933年(昭和8年)、「明治天皇上野原行在所」として国の史跡に指定され、翌年には管理者として当時の上野原町(現上野原市)が指定されている。
しかし現実はこの塀、こんなに傷んだまま。
大丈夫なのかなあ。

塀の傾き角度は10度。
ビートルズ かっつうの。

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誰が胴上げ投手だって?

Douage_sプロ野球のメジャーリーグでレッドソックスが優勝したね。
ところでニュースの見出しに「上原、涙の胴上げ投手」なんて書いている。

アメリカで胴上げ投手?
こんなに日本のメディアが嘘つきだとは思わなかった。
上原投手がほんとうに胴上されたのなら、その写真を見せてみろい。

メジャーリーグに限らずもともとアメリカでは胴上げする習慣なんてないものな。
胴上げをやるのは、日本や韓国、そしてスペインくらいでしょ。

日本では昔はよく送別会とか新婚旅行に出発する新郎を駅で胴上げしていたんだね。
でも失敗して死亡事故になったこともあるんだから気をつけたほうがいい。
いかんよ。
新幹線でやるのはカンシンセン。

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