« 峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見 | トップページ | スポーツだってやっぱり人格だよね »

峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口

峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見より続く。

山中を脱し、鉱山跡地の最上部と目される辺りまで登ってきた。

Minenosawa_13
さらなる上部に目をやると、こんな山の上にまるでリゾートマンションのような建物が聳えている。
この二棟はこの鉱山でもっとも有名な鉱員住宅の廃墟。
だから峰之沢鉱山といえばたいていここの写真が掲載されている。


Minenosawa_14
一時は700人もの人が働いていたというのだから、住宅だって大規模だったろう。
古いネットの記事には住宅内部に立ち入った写真もみられるが、残念ながら今や建物に達する道路はいずれも完全封鎖。
たとえたどり着けたとしても、この密集したツタの状態では足の踏み場もなかったことだろう。

これより上部の斜面には大規模な茶畑が開発されていて、もうめぼしい鉱山の痕跡は見つからない。
最後は坑口の探索だ。


Minenosawa_41
それは道路からすぐ近くに残っていた。
しかし人目にはつかない所にあり、折良く通りかかった地元の人に尋ねなければ自分で見つけることはできなかっただろう。


Minenosawa_42
当然のことだが、すでに坑口は完全に封鎖されている。
パイプで周囲を補強した上、トロッコ用レール(?)を曲げて枠を造り内側をコンクリートで塗り固めるという徹底ぶり。
それでも一部の国道トンネルのように完全に埋め戻されたりしていなかっただけラッキーだ。


Minenosawa_43
上部からは絶え間なく水が滴り落ちている。
さきほどのかたの話では、銅を産出していたため鉱毒を含む排水がいまも坑口からは流れ出ているので飲んでは駄目と念を押された。
さすがに飲んだりはしないけど。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

古くは戦国時代から発掘されていたという峰之沢鉱山は1907年(明治40年)に久原鉱業(後の日本鉱業)が買収後に本格的な開発が行われた。
最盛時は鉱山施設の他、鉱員住宅、診療所、映画館、共同浴場、ビリヤードなどがここだけでなく西渡の辺りまでの龍山全域に建ち並んで活気を極めていたそうだ。
しかし次第に外国産のものにシェアを奪われ、1969年(昭和44年)ついに全山が閉鎖となった。
その後緑に埋まり、人々から忘れられつつある。

(お終い)

・玄倉鉱山跡はこちら
・渋沢鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡パート2はこちら
・東沢鉱山跡はこちら
・日影沢鉱山跡はこちら
・麓金山跡はこちら
・玄倉鉱山跡パート2はこちら
・山田鉱山跡はこちら
・奥沢鉱山跡はこちら
・富栖鉱山跡はこちら
・須玉(増富)鉱山跡はこちら
・川尻鉱山跡はこちら
・梓山鉱山跡はこちら
・オイ沢鉱山跡はこちら
・大仁鉱山跡はこちら
・明神鉱山跡はこちら
・持倉鉱山跡はこちら
・湯ヶ島鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら
・伊豆天城鉱山跡はこちら
・寝姿山鉱山跡はこちら
・矢筈山鉱山跡はこちら
・縄地鉱山跡はこちら
・茂倉鉱山跡はこちら

|

« 峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見 | トップページ | スポーツだってやっぱり人格だよね »

旅行・地域」カテゴリの記事

鉱山」カテゴリの記事

遺構」カテゴリの記事

コメント

山の上の軍艦島と言った感じでしょうか。
映画館や共同浴場、ビリヤード場まであったんですか~
かつての日本には働く場所がたくさん有ったのですね。

最後の段にある「さきほどのかたの話・・」ですが
私の読み込みが甘いのか?
探せません。

投稿: いはち | 2014.01.14 13:34

いはちさん

その「さきほどのかた」は、この記事のもう少し上にある「折良く通りかかった地元の人」のことであります。
そのかたに坑口の場所を教えていただきました。

すみません、わかりにくくて。
自分でも、何回も書き直しているうちに訳がわからなくなること、しばしばです。

投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2014.01.14 17:44

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口:

« 峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見 | トップページ | スポーツだってやっぱり人格だよね »