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2014年1月

リケジョが見つけた若返り細胞

Nobel_shoすごいね、万能細胞を新しい手法で発見した小保方晴子さん。
ノーベル賞ものらしいよ。
こうした理系の才女を「リケジョ」、中でも美人は「リケジョ小町」と言うんだってさ。

彼女、正式な肩書きを「理化学研究所発生・再生科学総合研究センター細胞リプログラミング研究ユニットリーダー」と言うそうだ。
舌、噛みそう。

この「STAP細胞」、研究の進歩によっては人類永遠の願望である「若返り」だって不可能じゃないらしい。
ふーん、できるんなら早くして。
こっちにはもうあまり時間がないんだから。

昔の「飲み仲間」はいま「クスリの飲み仲間」
昔、「ロカビリー」やってたヤツは今もっぱら「リハビリー」だもの。

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今さら「三角縁神獣鏡が魔鏡」ですか

(C)Miho's House
Mounting created Bloggif
「邪馬台国の女王・卑弥呼の鏡として知られる『三角縁神獣鏡』が鏡面に光を反射させると背面の文様が壁に映し出される『魔鏡』だったことがわかった」って、京都国立博物館が発表したというニュースが29日流れた。

でもそんな説、前から言われていたよね。
もう数十年前、邪馬台国に関心を持って本を読みあさった昔すでにそういう分析は読んだことがあるもの。
その時自分なりに理解したのは、そもそも日本にあったのは邪馬台国(やまたいこく)ではなく、邪馬壱国(やまいこく)であること。
『台』の古い文字である『臺』を、書写の際に『壱』に間違えてしまったんだね。
そもそも御台というような尊い文字である台を、蔑んだ属国である日本になんか使う訳がない。
だから、「やまと」と読んで近畿地方だと断定するのも意味がないこと。
だいたい、卑弥呼は女王というよりも占い師だったし。

同じように、東夷伝に記載がある「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」という邪馬台国までの日数にこだわるのも意味がない。
記載に忠実だった松本清張先生には申し訳ないけれど、何回も書写されるうちに数字が変化してしまったんだろう。
そもそもいくら狭い日本だって、ひと月も陸行したら、たいてい海に落っこっちまうよ。

「邪馬台国だっ」
「いや、また異国だ」

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雲海

冬の朝。
雲海に出会った。

Unkai_m
 拡大します

こんな素晴らしい雲海が見られたのも、運かい?

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美人に注意!

地方を走っていると面白い看板に出会えて楽しい。
これもその一つ。
正確には看板というよりも、道路標示の一種かな。

Bijin_01
場所は伊豆の天城街道、名勝「浄蓮の滝」から少し下った辺り、道路脇の文字が気になったので思わずクルマを停めた。
富士山の絵はわかるけど、文字は何て書いてあったんだ?


Bijin_02
美人多し 気をつけよう 天城越え」だって。
え、美人になんて出会ったっけ……。
ま、おおかた美人はみんな家の中にいたんだろう。

特筆したいのはこの絵や文字がペイントされたものではないということ。
キャンパスはもともとコンクリート製の法面全体に苔が生えたところ。
その苔を巧みに削り取って絵や文字を浮かび上がらせているのだ。
これだけ目立つのに、まさかの省エネ看板。
シンプルなのに、みごとだよね。
やるじゃん、伊豆市。
まさに「シンプル伊豆ベスト」だ!!

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普通免許ノーヘルでハーレー?

Trike大型バイクといえば「ハーレーダビッドソン」
まさにアメリカンバイクの代名詞だけど、そのハーレーが来月からその3輪版『トライク』というのを日本で売り出すらしい。

写真を見てのとおり、ハーレーらしいど迫力バイクだけど、排気量がナナハンより大きいのに2輪免許が日本では不要。
これがなんと普通免許で乗れちゃうんだって。
それどころかヘルメットすら必要ないというから驚きだ。
ピザ屋の宅配と同じなんて、なにそれ?

2輪の経験もないのにみんなが普通免許でこんなのに乗ったら危なくてしようがない。
その原因は道路運送車両法では「側車付軽二輪」、道路交通法では「自動車」に分類されるなどまさに日本側の制度不備らしいけれど、大丈夫か心配になる。
とはいえ、ハーレーはやっぱり自慢なんでしょ。

みんな、乗ると 『 晴-れ-の舞台 』だって言うものな。

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ロウバイだって雪は冷たい

神奈川県松田町寄(やどりき)にある『ロウバイの里』

Roubai_01
今が花の盛りだというのに、ロウバイの上に雪が降った。
膨らみかけた蕾が寒そう。

Roubai_02
頑張れ、もうすぐ春になるよ。

老婆い~の里
Obaachan2

い~っ

4年前のロウバイはこちら

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東電病院、売却で22億円損失

Toden_hospitalあまり大きく報道されていないけれど、あの東電病院が売却されちゃったね。
猪瀬前知事が東京電力の株主総会で、「東電自体がこの非常時にあるのに、社員や家族、OBしか利用できない病院は不要」と言って、売却を迫っていたやつだ。

今になれば、どうやらその本音はあの「徳洲会」に便宜を図ろうとした背景があったんじゃないか、と思われるけれど、今回の献金騒動もあって徳洲会の話はすべてご破算に。
結局買収したのは不動産業の「東京建物」だって。

まだ具体的な計画はないというけれど、病院はすべて解体してしまうというんだからどうせ再開発してマンションか巨大商業施設を作るのに決まってる。
なんせ、新宿・信濃町という好立地だからね。
徳洲会じゃないにしても、都民としては病院のまま活かしてもらったほうが良かったんじゃないの。

しかも都議会で議論された時には評価額が122億円と報告されていたのに今回の売却額はたった100億円だって。
あわてて売って、もうこれだけで22億円も損したじゃないか、
まったく聞いただけで具合が悪くなる。

「具合悪いなら、病院へ危篤んなはれ」
(一部修正しました)

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稲取の「はさみ石」(後編)

稲取の「はさみ石」(前編)から続く。

Hasamiishi_11
やっとたどり着いた、これが「はさみ石」全景。
今から約20万年前頃まで活動していた天城火山の溶岩流と波による浸食地形がこんな奇岩を造り出したんだそうだ。
比べるものがないのでわかりにくいけれど、石の高さ10m、周囲20mとかなりの大きさ。
クルージングもいいけれど、注連縄(しめなわ)がこちら側に向いているのだから、やっぱり陸側から見ないと、ねえ。


Hasamiishi_12
挟まれている石だけで2mもの長さがある。
稲取で語り継がれる昔話によれば、この辺りの海岸はサザエやアワビの宝庫であったため、稲取と白田とで漁場をめぐる争いが絶えなかったんだそうだ。
その争いを見かねた天城山・万二郎岳の天狗と万三郎岳の天狗とが一計を思いつき、大岩を運んでその間に石を挟んで境界として争いをおさめたという伝承が残っている。
なんか、岩殿山鬼の石杖みたい。


Hasamiishi_13
岩の上部にはみごとな枝振りの松の木が2本。
その名伝える石神に 鳥が運んだ松の実一つ
と唄にも詠まれた松の木だけれど、実は樅(もみ)か栂(つが)じゃないか、という説も。
誰か、登って確かめてみて。


Hasamiishi_14
振り返ると背後には高い崖。
水路の上部には先ほど見たのと同様、旧国道のガードレールが見える。
こちら側から見ればちゃんとした道路があるように感じるけどね。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Hasamiishi_16
ちなみにこれは稲取にある「蓮行寺」の住職・自宅の裏庭にある「はさみ石」
なんでも出入りの庭師の人が酒落で作ったものだとか。
挟まれた石の感じがちょっと違うけど、雰囲気はよく出ているよね。
(特別に見せていただきました m(_._)m)

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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用意しました、60名分

いよいよ東京都知事選が告示された。
都内全部で1万4,000か所ものポスター掲示板が設置されているというんだけど、わが町田市では市議選、さらに市長選も重なってタイヘンなことになっている。

Keijiban
近所のこのポスター掲示板を見よ。
いったい何人分あると思う?
全部で60名分だって。
投票日が違うので市議選用の24名分は都知事選のも兼ねて54名分、そして市長選用が6名分の会わせて60だ。
まったく、端から端まで見るのもタイヘン。
市議選・市長選の投票日は2月23日だから、終わるのはまだ1か月以上も先。
場所だってバカにならないんだぞ。
選挙だからって、そんなに占拠していい訳がない。

こっそりクルマのポスターも貼っちゃおかな。
「掲示板」で「軽自慢」するんだ。

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稲取の「はさみ石」(前編)

ちょっぴり怖かった廃病院を出て、急傾斜の道を海へと下る。

Hasamiishi_01
すぐに相模湾を見下ろす断崖へと突き当たった。
草むらの中に、赤茶に錆びたガードレールが顔を見せている。
この状況からは信じられないが、ここはかつて国道だったのだ。
しかし1978年(昭和53年)、伊豆一帯を襲った「伊豆大島近海地震」が国道を粉砕した。
修復が断念された国道は放棄され、より山側に新しい今の国道135号線が拓かれている。


Hasamiishi_02
国道跡からは急な傾斜を海岸へと降りていくのだが、そこには先人による太い「お助けロープ」が設置されていた。
ラッキー! これでひと安心……
と、思うな。


Hasamiishi_03
よく見れば、ロープを絡げた鉄製のカラビナは潮風ですっかり腐食しているではないか。
こんなことなら自前のを持ってくれば良かったが、今日もクルマははるか上で留守番役を務めている。
カラビナよ、なんとか今日一日はもってくれ~。


Hasamiishi_04
途中で振り返れば、波打ち際に目的の「はさみ石」が遠望された。
右に続く断崖が「トモロ岬」(黒根岬)で、突端の岩は「神楽岩」という。
ここらはメジナとブダイの宝庫で、釣り人の人気ポイントだそうだ。


Hasamiishi_05
やっと海岸まで降りるとこの丸い岩が並び、歩きにくいことこの上ない。
この丸い岩は「ゴロタ石」と呼ばれるもので、普通はもっと小さいのだがここのはでかい。
こんな所で捻挫でもしようものなら、崖の上まで戻れないよ。
(だから単独行はやめろい)


Hasamiishi_06
降りてきた崖を振り返る。
下から見ると易しそうなルートに見えるんだけど、実際はかなり険しい。
なお「はさみ石探訪」について、「陸ルート」は危険なので地元の東伊豆観光協会では観光船による「海ルート」がお薦めとしている。
お一人さま1,575円とすこぶるリーズナブルですのでどうぞ。

稲取の「はさみ石」(後編)に続く。

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竹ヤブに埋もれた伊豆・廃病院

ここは東伊豆稲取にある断崖トモロ岬のたもと。

Byousha_01
ずいぶんなヤブだけど、すぐ後は国道135号線で、ひっきりなしにクルマが爆走している。
いま、国道の脇から下に降りようとしているところ。
なんせ今回の目的の建物に通じる自動車道等はなく、このヤブを抜けて降りていくしかないのだ。
前回は6月に来てエライ目に遭ったので、これでもヤブが少ない真冬の時期を選んで来たつもりだが、竹に季節はあまり関係ないようだ。


Byousha_02
やがて見えてきた、これが目的の建物である「旧稲取町隔離病舎」。(現東伊豆町)
東伊豆町はその名の通り伊豆東部に位置、1959年(昭和34年)に稲取町と城東村とが合併して発足してできた。
この病院はその前年に当時の稲取町がトモロ岬の南端に開設したものだが、翌年の合併に伴い東伊豆町の運営となった。


Byousha_03
建物は大きく分けて3棟になっていて、いずれも竹林の斜面に建築されている。
隔離病舎というとなんか怖い感じがするが、ここは結核患者を主要とした初期の感染症患者療養のためのもので、重篤な患者については他に収容されたという。


Byousha_04
しかし1978年(昭和53年)伊豆大島近海地震がこの一帯を襲い、病舎に接続していた国道135号線の道路がズタズタに分断。
そうしたこともあって震災からほどなくの1982年(昭和57年)に運営を終了、建物は放棄された。
現在クルマが通れるような接続道路はなく、解体作業も行われていない。
屋根こそまだ残るが建物はこのようにひどく損傷、朽ちるまま文字通りの廃墟となって不気味なオーラを放ち続けている。


Byousha_05
傾斜地にある3つの建物はそれぞれを2本の渡り廊下で繋いでいたが、現状はこの有り様。この状態ではもう内部を通ることもままならない。


Byousha_06
一番大きな病棟の廊下を見通したところ。
黒く見える柱は高価な黒檀……
なんかである筈はもちろんなく、知らずに顔を出したまま大きく成長してしまった竹の柱の成れの果てだ。
ちなみに6月の訪問時、竹の子たちはこのようにあちこちで顔を出していた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Byousha_07
診察室だったと思しき部屋には机や文書棚が散らばる。
床には病院らしく消毒用の洗面器が顔をみせている。
ここにも竹が我が物顔で君臨していた。


Byousha_08
いくつもある病室の一つ。
鉄製のベッドは藁(わら)が剥き出しになったまま。
昔はベッドばかりかソファーや椅子などにも藁が使われていたんだね。
最近はあまり見ないけれど、国会議事堂で使われている椅子なんかは今でも中身が藁なんだってね。
ふむ。政治家なんて、みんな病人みたいなものということか。


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これはレンガ造りの釜戸がちょっぴり素敵な北側の炊事部屋。
照明を当てているので明るく見えるけれど、実際は部屋はとても薄暗い。
陽が当たる南向きの部屋へは患者を優先させようという、病院らしいせめてもの配慮だったのだろうか。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

次は断崖を降り、奇勝「はさみ石」を見に行く。

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コイン精米機の『ブレンド米』

Seimaiki福岡の大手業者が、コイン精米機の『ブレンド米』を擬装して検挙されたそうだ。
なんでも農家などが自分で食べるためコイン精米機に玄米を入れて白米にする際、機械の構造上、わずかな玄米が中に残るんだそうだ。
11もの営業所に設置した業者はこれを自ら回収。
それを他のコメと混ぜてはブレンド米と称して売っていたんだって。
そりゃ、「ブレンド」米には違いないけれど。

「どうせ混ぜたら素人にはわかりゃしない」
なんて、うそぶいていたんだろう。

コシヒカリとブレンド米。
 おまじないしたら、おなじ米(マイ)
」なんて。

でももう何年も続けてきたんだ。
そのスタイルはこれからも決して ぶれんど~

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人気力士・遠藤の「下手投げ」

大相撲で将来を嘱望される若手「遠藤」が人気だね。
今場所も好調でここまで6勝1敗の好成績。
幕の内土俵入りでは毎回段トツの声援が館内を風靡している。
ただ出世が早すぎてまだ大銀杏(おおいちょう)も結えないし、四股名だって本名のままなのに早くもお馴染み「永谷園」のCMが決まったとか。

Ani_sumo2ま実際、土俵際の身のこなしなど小技がうまいだけでなく、身体も柔らかい。
脚を高く上げる四股や深い股割りなんて、現役の千代の富士や貴乃花を彷彿とさせる格好良さだ。

それでも部屋の親方である年寄「追手風」(元大翔山)はいつもこう言うんだそうだ。
「俺のは「下手投げ」(したてなげ)
 お前のは「下手投げ」(へたなげ)だ」って。

そんな下手投げ自慢の親方の現役最高位は前頭2枚目、弟子の遠藤がこれを抜き去るのもまもなくのことだろう。
ちなみに僕は写真が下手で、フォトフォト困ってます

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「華麗なる一族」の廃洋館

箱根の一角に有名な廃洋館があるというので訪ねてみた。

Youkan_01
別荘地が並ぶ箱根でも、かなり静かな奥地になる。
道路から林を抜けていくと目的の建物はは現れた。


Youkan_02
こちら側から見る外観はまだちゃんとした、素敵な洋館に見える。
しかし、裏に回ってみると……


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陽差しのせいもあるのか、西側、北側はこの傷みようだ。
なんでも家主のかたが亡くなってもう20年以上になり、ずっと放置されたままという。


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内部も荒れ放題で、割れた窓からカメラを入れてみるとこの惨状。
内部には入らなかったが、先人の報告によれば皇族や政界の大物などの写真や所縁のものがたくさんある(二階?)んだとか。


Youkan_06
家主はかなりハイソな家系(公家?)だったんだそうだ。
そういう訳で、この洋館、ネットでは「華麗なる一族」で通っている。

バブル期にご婦人はこの別荘だけを残して自宅を売却。
跡継ぎはなく、その資金でホテルオークラのスイートに常住。
事実上の「ホテル介護」状態だったのだという。
残念ながらそういう下世話なことにはあまり興味がないので、建物の探索だけに留めた。

・龍ヶ崎・赤いレンガの西洋館こちら
・鹿島の丘の龍宮城こちら

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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芥川賞・直木賞も、女性の時代

Book芥川賞・直木賞が発表されたけれど、なんと受賞者全員が女性なのには驚いた。
今や、文学賞もすっかり「女性の時代」なんだね。
しかも今回の直木賞受賞者、「まかてさん」と「カオルコさん」だって。
会見もユニークだけど名前もユニーク。

そもそも新人対象の賞にもかかわらず、相変わらずの権威だ。
「日本文学振興会」の選考とは言うものの、所詮文藝春秋社といういち出版社のイベントの筈なんだけれどね。
ま、受賞者には次はぜひノーベル文学賞を目指して欲しいぞ。

ところで今回が150回目なんだって。
ふーん、そんなにやってるんだ。
それでも 「なお希少だよね 直木賞

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落書きだって凄いぞ 「ブロックアート」

神奈川県の景勝地・真鶴半島に来ている。

Blockart_01
遊歩道から海に向かってヤブに覆われた小径を抜けると相模湾を望む高台に出る。
はるかに見えるのは熱海の初島。
全体に険しい真鶴半島だが足元はほどよく整地され、落ち葉を積み重ねた広場のようになっている。
しかしその両脇に、自然林には不似合いな鉄骨が数本、垂直に立つのが見える。
信じにくいことだが、今自分はある建物の上に立っているのだ。


Blockart_02
広場の脇から廻って建物が見える位置までやって来た。
ほーら、ここからは枠組み丸出しの建物外観が見える。
一見、マンションのよう?
いや実はここ、海を望むバーベキューハウスとして計画されたものという。
だから部屋のようになっているのはそれぞれが独立したバーベキューコーナーという訳。
その頑丈な印象から、別名「焼肉要塞」との異名も。
最初の写真はこの屋上に立って撮ったことになる。


Blockart_03
いま建物への通路はなく、一番近い部屋にも牢獄のような鉄柵が嵌められているが、その一部はすでに先人によって解放され出入り自由になっている。
しかしこの大量に積まれたものはなんだ。
これみんな塗料のスプレー缶。
そう、これらがこの建物の特徴を暗示している。
それにしても逆に内部から見た鉄格子の光景はまるで牢獄のようじゃないか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
(実物に入ったことはないが)


Blockart_05
入ると建物内部のすべての部屋や通路の壁がくまなくカラフルな絵で埋め尽くされている。
そして足元にはローラーや刷毛も残されていた。
これらがすべてここでのペイントの道具。
スプレーばかりじゃなかったんだね。


Blockart_06
外から見えたように内部は三階(層)になっていて、コンクリート打ちっ放しのちょっと危なげな階段を使えばすべての階に行き来ができる。
建物はしかし建築途中で強度不足が発覚、当局から建築許可が降りずに中断を余儀なくされたそうだ。
そのまま放置されてからすでに40年も経つという。
その間に壁という壁はこのように若き「芸術家」らにより落書きで埋め尽くされた。
壁がみなブロックで積まれていることから、「廃業界」では「ブロックアート」という名称が定着している。

壁画の中にはなかなかのセンスのある秀作も混じっていて感動させられる。
とてもそのすべてをここには載せられないが、その一部を下に紹介しよう。
一番最後の写真のみ、わかりにくいので拡大できます。(窓があって借景になっている)

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現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

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スポーツだってやっぱり人格だよね

Ani_yakyu5昨年シーズン60本のホームランを打って日本のプロ野球記録を更新したヤクルトのバレンティン選手が、なんと自宅のある米フロリダ州マイアミ近郊で逮捕だって。
容疑は妻に対する監禁暴行容疑だとか。
本人は「手をつかんだだけ」とか釈明しているらしいけれど、そもそもDV容疑で接近禁止になっていたのに無理矢理妻の家に不法侵入しているんじゃあね。

米プロ野球ではあのスーパースターともてはやされたアレックス・ロドリゲス選手も禁止薬物規定の違反で今季全試合の出場停止処分。
あの最多本塁打記録は何だったんだ。
メジャーの選手なんてそんなものだから、ドーピングが厳しいオリンピックになんて出られる訳がない。

こうした不届き者に、潔癖な王さんの記録が破られたのかと思うとあらためて悲しいね。
スポーツの感動って、ただ記録だけじゃない。
その裏側に秘められた人間の存在があってのこと。
スポーツ選手が讃えられるのは人格あってのことだろう。
日本選手は負けることも多いけれど、決してそういう汚い手を使わないという点では誇らしい。

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峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口

峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見より続く。

山中を脱し、鉱山跡地の最上部と目される辺りまで登ってきた。

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さらなる上部に目をやると、こんな山の上にまるでリゾートマンションのような建物が聳えている。
この二棟はこの鉱山でもっとも有名な鉱員住宅の廃墟。
だから峰之沢鉱山といえばたいていここの写真が掲載されている。


Minenosawa_14
一時は700人もの人が働いていたというのだから、住宅だって大規模だったろう。
古いネットの記事には住宅内部に立ち入った写真もみられるが、残念ながら今や建物に達する道路はいずれも完全封鎖。
たとえたどり着けたとしても、この密集したツタの状態では足の踏み場もなかったことだろう。

これより上部の斜面には大規模な茶畑が開発されていて、もうめぼしい鉱山の痕跡は見つからない。
最後は坑口の探索だ。


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それは道路からすぐ近くに残っていた。
しかし人目にはつかない所にあり、折良く通りかかった地元の人に尋ねなければ自分で見つけることはできなかっただろう。


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当然のことだが、すでに坑口は完全に封鎖されている。
パイプで周囲を補強した上、トロッコ用レール(?)を曲げて枠を造り内側をコンクリートで塗り固めるという徹底ぶり。
それでも一部の国道トンネルのように完全に埋め戻されたりしていなかっただけラッキーだ。


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上部からは絶え間なく水が滴り落ちている。
さきほどのかたの話では、銅を産出していたため鉱毒を含む排水がいまも坑口からは流れ出ているので飲んでは駄目と念を押された。
さすがに飲んだりはしないけど。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

古くは戦国時代から発掘されていたという峰之沢鉱山は1907年(明治40年)に久原鉱業(後の日本鉱業)が買収後に本格的な開発が行われた。
最盛時は鉱山施設の他、鉱員住宅、診療所、映画館、共同浴場、ビリヤードなどがここだけでなく西渡の辺りまでの龍山全域に建ち並んで活気を極めていたそうだ。
しかし次第に外国産のものにシェアを奪われ、1969年(昭和44年)ついに全山が閉鎖となった。
その後緑に埋まり、人々から忘れられつつある。

(お終い)

・玄倉鉱山跡はこちら
・渋沢鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡はこちら
・坂口鉱山跡パート2はこちら
・東沢鉱山跡はこちら
・日影沢鉱山跡はこちら
・麓金山跡はこちら
・玄倉鉱山跡パート2はこちら
・山田鉱山跡はこちら
・奥沢鉱山跡はこちら
・富栖鉱山跡はこちら
・須玉(増富)鉱山跡はこちら
・川尻鉱山跡はこちら
・梓山鉱山跡はこちら
・オイ沢鉱山跡はこちら
・大仁鉱山跡はこちら
・明神鉱山跡はこちら
・持倉鉱山跡はこちら
・湯ヶ島鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら
・伊豆天城鉱山跡はこちら
・寝姿山鉱山跡はこちら
・矢筈山鉱山跡はこちら
・縄地鉱山跡はこちら
・茂倉鉱山跡はこちら

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峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見

峰之沢鉱山探索(3)山中の遺構より続く。

あることに気がついた。
これまで対岸から見えた森の中の線がインクラインの跡であるとの前提でずっと探索してきた。

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しかしこれはこの写真のようにU字型に掘られた水路なのではないか。
実際、水路の上にはこのように大きな樹木は植えられていないし育ってもいない。
だからこれが線となって対岸からは見えたのではないか。

探索していた位置が水路だとすれば、インクラインはこのラインとは異なる位置にあったことになる。
そう考えを変え、場所を移して探索を再開した。

Minenosawa_22
するとどうだ、樹々の間に現れたこの橋のような人工物。
これはもしかして求めるインクライン?……


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すぐさま脇から廻って降りてみると、この迫力。
やった! これこそインクラインに間違いない。
ついに発見した。
驚くほどの高度感。
素晴らしい。


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コンクリートアーチのデザインもみごと。
傾斜角度も斜面に合致した納得のいくもの。
これぞ求めていたインクラインに間違いない。

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全体を入れるため、できるだけ森の中を下がって撮影。
しかし残念ながら残されていたのはこの部分だけ。
したがってこれがここの遺構のほぼ全体像ということになる。


Minenosawa_36
雨風が凌がれるためか裏側はとてもきれいで、つい最近建設されたもののようにすら感じられる。


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最前部から下方向を撮影したのがこの写真。
ほら、前方には成長した樹木が覆い茂っている。
これじゃ空からはわからない。
つまり、対岸から見えたラインはやはり水路のものであって、インクライン跡ではなかったんだね。
そもそもインクラインは2本あったのだから、痕跡が残るならそれも2本あっていい筈なのだし。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

 NPO法人「天竜川・杣人の会」提供
Minenosawa_00
さてもう一度当時のインクラインの絵葉書。
住人の生活の大切な移動手段だったことがこれでわかるが、風の強い時などさぞ怖かったことだろう。
しかしよく見ると、コンクリート製アーチのデザインが発見したものとは微妙に異なることに気付いた。
単なる場所による意匠の違いなのか疑問は深まるが、現地はもう雪に覆われていることだろう。

最後は坑口の探索だ。

峰之沢鉱山探索(5)塞がれた坑口に続く。

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峰之沢鉱山探索(3)山中の遺構

峰之沢鉱山探索(2)山のホッパーより続く。


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ホッパー遺構近くの道路下を覗くとこんな遺構も。
かなり大きめなこれは、インクラインの基礎だったのだろうか。
次は道路反対側の山中に分け入り、さらに探索を進めてみる。


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すると、手応えのある大きなコンクリート施設に巡り会った。
規模が大きいのも素晴らしいが、この形状はもしかしてインクライン?


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しかし残念ながらこの角度は急傾斜過ぎてインクラインの角度とは合致しない。
その基礎だったかは知れないが。


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更に傾斜を登ると、再び歴史を感じさせる大きなコンクリート遺構が現れた。


Minenosawa_37
しかし幅は優に10m以上もあって、これまた目的のインクラインとは合致しそうもない。


Minenosawa_38
その一部は窓のように見えたので窺ってみた。
左上部に並んでいる白いものは電工用の碍子だ。
何らかの電力装置が通じていたことを窺わせるが、内部にはもう何も残されていなかった。

もうインクラインの痕跡はないのか。
さらに山林上部の探索を続けよう。

峰之沢鉱山探索(4)インクライン発見に続く。

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峰之沢鉱山探索(2)山のホッパー

峰之沢鉱山探索(1)天竜川より続く。

対岸に渡る。
全体的な位置としては上平山小学校の近く、同じ天竜川左岸の山の上ということになる。

Minenosawa_10
これがさきほど対岸から見えた、積み込みのためというコンクリート製施設。
しかしここに直接インクラインが接続されていた形跡は窺われない。
鉱石はケーブルにより対岸まで運ばれていたとの記述もあるが、さりとてこの形状は単なる桟橋とも思えない。


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施設に降りる鉄製の階段は残されているが、肝心の踏み板がすべて腐食・脱落しているので降りることもできない。
わざわざロープで降りるには人目が憚れる。
ま、降りたとしてもたいした収穫は得られなかっただろうが。
と、負け惜しみ。


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山側の岩肌にはインクラインを支えたのだろう、歴史を感じさせる古い頑強なコンクリート製の法面が残されている。


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傾斜を登って探れば、明らかに人工的なこうしたコンクリート製のブロック状のものがいくつも枯れ草の間から顔を覗かせるが、しかし明確な鉱山遺構はまだ見つからない。


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山肌の九十九折りをさらに登っていくと、途中の集落の一角にある木工工場にたどり着く。
この古びたコンクリート製の構造物は、鉱山が活動していた当時、鉱石の選鉱場として使われてものだそうだ。
今は材木置き場として再利用されている。


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コンクリート骨組みだけになっているが、大きなホッパー(鉱石の積込等を行う設備)を兼ねていたことが窺える。
いったん山から下ろした鉱石は、ここである程度分類してからさらに積み出し港に下ろしたのだろう。
(マウスを置くと画像が切り替わります)

さらに山道を登って鉱山遺構を探してみる。

峰之沢鉱山探索(3)山中の遺構に続く。

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峰之沢鉱山探索(1)天竜川

峰之沢鉱山は静岡県磐田郡龍山村(現在の浜松市天竜区)にあった日本鉱業の鉱山。
例によって武田金山の名残りともされるが、銅を多く産出していたという。

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天竜川を望むこんな険しい産地の鉱山に、一時は最大700人もの人が働いていたというのだから驚きだ。
一帯には鉱山施設だけでなく診療所や娯楽施設まであったというが、1969年(昭和44年)に鉱山自体が閉山となった。
これはその峰之沢鉱山があった斜面を対岸から見たところ。


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直下の川岸には今でも船に積み込むためのコンクリート製施設のあるのが見える。
山から削りだした鉱石は天竜川の水面まで下ろされた後、ここから鉱石船により河口まで運ばれたらしい。
最盛期には数十艘もの鉱石船が水面を行き交ったという。
もちろん秋葉ダムや船明ダムが出来る前の話になる。


 NPO法人「天竜川・杣人の会」提供
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また鉱山は山の上だったので、斜面には巨大なインクライン(斜面用ケーブルカー)が設けられた。
これはインクラインの様子を伝える当時の絵葉書の写真。
そのスケールの大きさに驚かされるし、奥にもう一本あるのもわかる。


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緑の中にうっすらとライン(赤線部分)が見えるが、これがかつてのインクライン軌道の名残なのだという。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


今でもまだその痕跡があるだろうか。
対岸に渡ってみる。

Sejiribashi
目の前の吊り橋はクルマが通れないので上流の「瀬尻橋」を渡って行く。
その際目に入るのが、半ば水没したこの吊り橋の主塔。
初代「瀬尻橋」のものだそうだ。
これは鉱山と直接関係はないが、こうした「廃物件」を見つけるとイヤでも気分は盛り上がるぞ。

峰之沢鉱山探索(2)山のホッパーに続く。

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火星移住の片道切符

Kaseijinオランダの「マーズワン」という財団が、火星移住を目指す希望者の中から千人余りの候補者を絞り込んだそうだ。
日本人も男女5人ずつその中には含まれているとか。
2025年には最初の4人が火星に住み始める予定だって。
そんなこと勝手に計画しちゃっていいの。
ちゃんと火星当局の許可もらっているのか ?(゚_。)?(。_゚)?

注目すべきはこれが「片道切符」であるということ。
つまり、もう移住者は地球には戻らないんだそうだ。
ほんとだな、二度と帰って来んなよ。
火星人に取って喰われても知らないからね。
「おめーに住まわせる地球はねえっ」
将来は、火星で稼いでね。

僕はやっぱりちゃんと戻ってくる探検がいいな。
「惑星探検にいくぞ。 マーズは火星だ」

「地球に戻るのはいつですか?」
「アースです」

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今戸神社の招き猫(浅草)

あのスカイツリーからほど近く。
浅草からも人が流れてくるらしく、今戸神社は賑わっていた。

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脇の看板にあるように、ここ今戸は近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげた。
「沖田総司終焉の地」でもある、というのは知らなかったが。
ゴホッ ゴホッ
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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謂われはいろいろあるけれど、「江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ『自分の姿を人形にしたら福徳を授かる』と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社で売ったところたちまち評判になった」ということらしい。
元々今戸焼きというのが土地の名物でそれと組み合わせたこと、また観光地・浅草のすぐ近くだったこと等でうまく時流に乗ったようだ。
今戸焼招き猫 三千円也。
高っ


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境内には裏にネコが描かれた丸い絵馬がぎっしり。
さすが、賑わいぶりを誇っているようだ。


Imado_05
しかしネコの木彫り像でもあるのかと思ったら、こんな置物がたくさん。
しかも「WELCOME」って。
神社というよりは、なんかハーブガーデンとかいう感じ。

・千曲市の猫神さまこちら
・猫町青梅のにゃにゃまがりこちら
・カラスと戦ったニャンコこちら
・香貫山のニャンコたちはこちら
・御前崎の猫塚たちはこちら
・キティちゃんのいる禅寺こちら
・豪徳寺の招き猫こちら
・軍艦島のニャンコこちら
・猫実町のニャンコこちら
・美喜井稲荷のお猫さまこちら
・西芳寺の招き猫こちら

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ソチ冬季五輪開会式ボイコット

Sochi_logo西側各国の首脳が、揃ってソチ冬季オリンピック開会式への出席を見合わせるんだそうだ。
見合わせる、とは優しい言い方だけど、実態はボイコット。
なんか、昔のモスクワ五輪を思い起こさせる。

ホワイトハウスによれば、理由は『「非伝統的な性的関係」を未成年に広めることを禁じたロシアの「同性愛プロパガンダ禁止法」を批判するため』なんだとか。
要は、同性愛を禁じるな、ということだ。
それを理由にオバマ大統領夫妻ばかりか、バイデン副大統領も欠席だって。
でも世界中のみんなが同性愛に走ったら、人類なんか途絶えてしまうじゃないか。
こればかりはプーチン大統領のほうが正しいと思うぞ。

だから、僕は断然プーチン大統領を応援する。
頑張れ~ 大統領。

やられたら、やり返せ…… おもてなし だっ」

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マグロに違いがあるじゃなし……

Maguro5日(日)朝、築地の中央卸売市場で恒例の『初競り』が行われた。
今年も最高値を付けたのは青森・大間産の本マグロで、230キロのものが736万円で昨年に続き「すしざんまい」に落札されたそうだ。


去年の最高値は1億5千万円もしたんだぞ。
今年はそのマグロ(222キロ)よりも大きいのに、たったの736万円 ?(゚_。)?(。_゚)?
マグロに違いがあるじゃなし、振り回されるマグロ漁師さんが可哀想。

その理由は去年まで「すしざんまい」と最後まで競っていた香港資本の業者が手を退いたことによるんだそうだ。
ヤフオクと同じ形態だな。
去年、ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」だけれど、これってなんか未来の日本食の姿を暗示しているようじゃないか。
幸い今回は免れたけれど、でもそのうち世界中のマグロが中国の富裕層によって買い占められてしまかも。
危ない、危ない。
こんなの、まさに『 まぐろの ツナ 渡り 』だ。

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おかげさまで10周年

2004年1月5日にスタートしたこの『たなぼた』は、今日10回目の誕生日を迎えました。
こうして続けて来られたのも、飽きずに読んでくださるみなさんのおかげであります。
ご愛顧に深く感謝します。

これからもどうぞよろしくお願いしますニャー

Ani_neko_run2

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西方寺の招き猫(巣鴨)

今度は巣鴨の招き猫だ。

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大通りから一歩入ったこともあるが、境内は静寂に積まれている。
ネコの看板の類はここにはいっさいない。

ここに伝えられるのは、 江戸時代は元禄の頃、ある遊女が大蛇に襲われた際、可愛がっていた猫が遊女を守ってくれたというもの。
そしてその猫の像をまねて作られ、売り出したのがここの招き猫。
ここ西芳寺にはその遊女と猫のお墓があるというのでやって来た。


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しかし広い境内を探しても見つからないので、折良く庭に出て来られたお坊さんに尋ねてみた。
わかった。
目的のお墓は広大な墓地のそのさらに奥のほうにあった。


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この「万治高尾」というのがその吉原の代表的遊女。
そして恩返しのネコちゃんはその傍らに佇んでいた。
この西芳寺を開いた僧道哲が、引き取り手のない吉原の遊女の遺体も引き取って供養していたということだ。


Saihouji_04
300年という年月に加え、難度も移設を繰り返したということで挙げた手の先が欠けるなどかなり痛みが見受けられる。
しかし可愛らしい表情。
名前もわからないけれど、ネコちゃん、君はえらかったんだね。

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「美安温閣」のお猫さま

ここは赤坂の一等地。

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1984年(昭和59年)竣工のこの大きなオフィスビルは「美安温閣」。
東京芸大の建築家・北川原温教授が設計したものとか。
え、「みゃおんかく」って……
ほら、ビル名からしてなんかニャンコの鳴き声が聞こえてこないか。


Mikii_02
ビルに近づいてみると、「美喜井稲荷」と書かれた看板が。
「みきいいなり」って、今度はネズミ?
ますます怪しい。


Mikii_03
誰でもお詣りできるよう解放されているので上がってみた。
正面には立派な朱塗りの門がある。
普通は龍かなんかの彫り物なんだろうけれど、そこにはやはりニャンコ。


Mikii_04
左手のニャンコ、いやお猫さまは小鳥を腕に載せてウィンク。
一方、右手のお猫さまは人間を押さえつけて人魂を咥えているような。
きっと何か、人間社会を戒めているんだろう。


Mikii_05
まさに「猫のひたい」ほどの狭い境内にはもう一匹のお猫さま。
赤い前掛けを掛けたこちらの石像は歴史がありそうだ。
ちなみにこうして掛ける赤い布も人間の煩悩だと言われている。

掲げられた「御由緒」は以下の通り。


美喜井稲荷の御守護神は京都の比叡山から御降りになりました霊の高い神様です。
この神様にお願いする方は蛸を召上らぬこと。

この神様を信仰される方は何事も心配ありません。

だそうだ。
またタコかい。
もう耳にタコが出来たぞい。
イヤーね。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら

・千曲市の猫神さまこちら
・猫町青梅の招き猫地蔵こちら
・猫町青梅の猫恵比寿こちら
・猫町青梅のにゃにゃまがりこちら
・木更津のこちら
・「暖かいよ~」のこちら
・オヤジがトム・クルーズだったらのこちら
・「雪だねえ」 の幸助&福助こちら
・カラスと戦ったニャンコこちら
・香貫山のニャンコたちはこちら
・御前崎の猫塚たちはこちら
・キティちゃんのいる禅寺こちら
・豪徳寺の招き猫こちら
・軍艦島のニャンコこちら
・猫実町のニャンコこちら

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おめでとうございます

Kadomatsu2s Neko_2013_ssNeko_2013_ss Kadomatsu2s

 明けましておめでとうございます。

  今年も『たなぼた』をどうぞよろしくお願いいたします。

                         平成26年元旦

                          幸助&福助 m(_._)m

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