持越鉱山(3)【旧坑口】から続く。
持越鉱山に留めを刺すきっかけとなった1978年(昭和52年)の「シアン化合物が川に流出した事故」は、伊豆大島近海地震により堆積場の鉱滓ダムが決壊したためとある。
その場所が果たしてどこなのか、航空写真で推測してみる。
(C)Yahoo Japan
これはこの一帯の位置関係を示す、現在の航空写真。
(A)が現在も稼働する中外鉱業の工場。
(B)はこの記事の(2)で探索した山中の遺構群。
(C)は(3)で見つけた坑口のあった場所。
そして上記堆積場があった場所を地図から(D)と判断した。
まずほとんど四方を山に囲まれ、唯一持越川の方向に川状の線がみられること。
それにこんな山上にこれだけ広い平らな場所があるということ自体いかにも人工的で不自然だ。
ちなみに右下に見えるゴルフ場は「湯ヶ島ゴルフ倶楽部」で、これまた中外鉱業の経営。
つまりもともとこの辺りの一帯を広く鉱山会社が所有していたことがわかる。
カーナビでは途中で道が消滅してしまうので、携帯GPSでアタリを付けて進んでいく。
こんな立派な道だがクルマは入れないので、実はトボトボ歩いている。
一帯を覆っていた杉林が終わり、辺り一面草原になった。
一見自然のままのようだが、道の傍らにこんなゴツイ鉄骨を組んだものや、束ねたワイヤーなどが放置されている。
やはり、ここはタダの原っぱなんかではないことがわかる。
道路は原っぱをほぼ周回するように円形を描いているのだが、その中央部分にこんなコンクリート製の塔のようなものが見つかった。
これは何だ?
高さは5、6mほどだろうか。
長方形で窓もなく不気味。
残念ながら、内部を窺い知ることはできなかった。
そのすぐ近く。
今度は逆に地下に向かって四角いコンクリート製の穴が深く続いている。
左手は周辺からの水路が繋がる穴。
さらにそれより下方に深く深く続いていた。おそらくは汚染水処理のための導入口なんだろう。
これがその穴に続く水路。
この変わった形をしたものが原っぱ内部にいくつも設けられているばかりか、周囲に盛り上げられた土手にもぐるりと巡らされている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
そのナスカの地上絵のような模様は空の上からもこうして確認することができる。
(上部が決壊したという堰の位置になるんだろう)
右下の白い線がここに唯一到達する道路だが、実はここに来るまでも結構タイヘンなのだ。
穏やかな冬の陽差しを浴びた、のどかな風景。
しかしここから流出したシアン化合物を含む堆積物は持越川を汚染。
さらに狩野川を経て北上、最終的に沼津からはるか駿河湾にまで被害は達したという。
いま周囲に植えられた桜の若樹たち。
春には里と同じくあでやかな花を咲かせるのだろうか。
しかし花は咲いてもこの隔離された山の上。
おそらくそれを目にする人はほとんどいまい。
(お終い)
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
・玄倉鉱山跡はこちら。
・渋沢鉱山跡はこちら。
・坂口鉱山跡はこちら。
・坂口鉱山跡パート2はこちら。
・東沢鉱山跡はこちら。
・日影沢鉱山跡はこちら。
・麓金山跡はこちら。
・玄倉鉱山跡パート2はこちら。
・山田鉱山跡はこちら。
・奥沢鉱山跡はこちら。
・富栖鉱山跡はこちら。
・須玉(増富)鉱山跡はこちら。
・川尻鉱山跡はこちら。
・梓山鉱山跡はこちら。
・オイ沢鉱山跡はこちら。
・大仁鉱山跡はこちら。
・明神鉱山跡はこちら。
・持倉鉱山跡はこちら。
・倉沢鉱山跡はこちら。
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