湯ヶ島鉱山(前編)【インクライン】
天城・湯ヶ島鉱山は伊豆の著名観光地・修善寺の南に位置する。
その名の通り、名湯・湯ヶ島温泉から県道を進んで突き当たった山の中にある。
左上の落ち掛かった看板にある「中外鉱業」という会社の経営になる。
「中外鉱業」は終戦後、土肥鉱業からここ湯ヶ島坑の経営を引き継いだが次第に鉱量が枯渇、1974年に閉山となった。
同社は他にも近くの持越鉱山等を所有していて、現在はスクラップから貴金属を精製するリサイクル事業を主力としているという。
看板はその現在も稼働する持越工場への案内だ。
ちなみに「伊豆湯ヶ島倶楽部」というゴルフ場もここの経営。
ただし肝心の「湯ヶ島鉱山」の看板はここには何もなく、知る人でなければただ通り過ぎてしまうことだろう。
鉱山は正面の山の上だ。
急坂を登るとそこそこの広場があり、ゲートボールの競技場になっている。
今は跡形もないが、かつてこの広場には鉱山会社の社屋が建てられていた。
そしてその広場奥には、コンクリートでほぼ塞がれた古い坑口が目に留まる。
坑口内部からは、絶えず水が流れ出している。
上部に掲げられた鉄製プレートには「湯ヶ島坑」の文字が辛うじて読み取れる。
鉄板は甚だしく腐食していて長い年月を感じさせるが、文字は右書き。
戦後のものと推測される。
広場の周囲を見渡しても、他に何も見つからない。
実際、多くの湯ヶ島鉱山リポートはたいていこれで終わっているのだが、そんな筈はない。
さらに周囲を深く探索してみた。
すると脇の山肌に何やらU字型に窪んだ所が……。
さらに上れば両側には古い石積みが残されている。
怪しい。
ほら、あの大仁鉱山の時と同じ匂いがする。
さらに急傾斜を登ってみれば大型のプーリーが現れた。
ワイヤーの巻き上げ機だ。
そう、やはりこの直線の傾斜はインクラインの跡地だったのだ。
そして竹に侵食されたこの小屋はその動力装置小屋だったことになる。
もっと何か残されてないか、さらに周辺を探索してみよう。
湯ヶ島鉱山(後編)【天空のレール】に続く。
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