持越鉱山(3)【旧坑口】
中伊豆・鉱山の旅(2)【インクライン】から続く。
たくさんの鉱山遺構を見ることができた持越鉱山だが、まだかつての坑口にはお目に掛かっていない。
鉱山となれば、やはり坑口だ。
坑口はどこにあったんだろう。
調べると、旧坑口は遺構を探索した山ではなく、持越川を挟んだ対岸にあったとの記録。
そこで山を下り、持越川沿いに歩いてくまなくそれらしき痕跡を探ってみた。
すると西伊豆へと抜ける県道59号線沿い、基本的に狭峻な地形なのに場違いな平地がある。
みれば、何やら怪しいものがあるではないか。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
コンクリート台座の上に枕木のような頑丈な材木が固定されているようだ。
何か鉱石か資材等を積み込むための施設の匂いがする。
これは怪しい。
苔むしたコンクリート擁壁の一画には、上部へと続く古びた階段が見つかった。
もちろん上ってみる。
歩行者用にしてはかなり幅が広く感じられる。
これは山の作業用なんかではないだろう。
いくつかの小さな広場が連なっている。
それを越え、歩き詰めると持越川へと繋がる支流へと突き当たった。
何か鉱山の痕跡はないか、一帯を見渡してみる。
すると対岸にみごとな坑口があるではないか。
しかも坑門上部には隧道のように扁額が嵌められていた跡がある立派な造り。
残念ながら、坑道の名称を窺わせるような痕跡は残っていなかった。
坑門の入口は頑丈な鉄製のフェンスで完全に塞がれていて、内部に入ることは叶わない。
鉄棒の隙間からカメラを入れてみると、数メートル入った所で天井近くまで石が積まれているのが見えた。
またその手前、左手上部には不思議な四角い穴がみられる。
これは何?
入ることができないので覗くことも叶わない。
さて、あらためて持越鉱山の記録をみると、1937年(昭和12年)に
「坑内のガス爆発事故により48人もの死者を出す事故」
また1978年(昭和52年)には
「伊豆大島近海地震で鉱滓ダムが決壊、シアン化合物が川に流出する事故」
に見舞われたことがわかる。
とりわけ鉱滓ダムが決壊した事故はこの鉱山生命に留めを刺す深刻なものだったようだ。
その鉱滓ダムが決壊した堆積場跡はまだ残されているのだろうか。
最後はその堆積場跡を探索だ。
持越鉱山(4)【堆積場跡】に続く。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
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