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2014年6月

ゴルフ優勝で嵐の学校間に合わず

Mondamin_cup_logo女子プロゴルフの『モンダミンカップ』で酒井美紀選手が韓国のアンソンジュ選手とのプレーオフを制して優勝したね。
プロ5年目だけど、念願の初優勝だって。
おめでとう。

ところが優勝して困ったことがあったらしい。
なんでもアイドルグループ・嵐の大ファンである酒井選手は、最終日の29日、午後5時から東京ドームで始まる『 嵐 ワクワク学校 2014』に行く予定を立てて楽しみにしていたそうだ。
ところが(想定外の)優勝しちゃったので出発が遅れ『学校』に間に合わなくなっちゃったんだってさ。
可哀想。

でも、優勝賞金2,520万円獲得したし、副賞にポルシェももらえたんだからいーじゃん。
それにしても嵐はモテルなあ。
羨ましいったら、嵐ない。

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またケーサツの面子(メンツ)だね

Patcar緊急走行中のパトカーが、なんとスピード違反で検挙されちゃったそうだ。
それによれば制限100キロの中国自動車道を145キロで走っていたとか。
もしかしてこのパトカーの人、パートかー?

と言いたいが、緊急走行なら145キロくらい、当然だろうに。
高速で後から赤色灯点けたパトカーが来たらもちろん譲るけれど、それが100キロなんかだったら迷惑この上ない。
まさか緊急走行のパトカーを逆に追い越したりはできないものな。

どうやら、これには裏があるようだ。
というのも、捕まったのが京都府警のパトカーで、捕まえたのが兵庫県警だったということ。
つまり、県警お得意の縄張り争いというやつ。
「ウチのシマで勝手なことをしやがって……」
というのが正直なところなんだろう。
あいかわらずケーサツというのは低レベルだこと。

責任者、出て来い!
そうさ、大将は、捜査対象さ。

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「紙面サッカー」のアジアチーム

Afc_logoアジア最後の砦だった韓国もベルギーの前に玉砕。
これでW杯アジア代表の4チーム(日本、韓国、イラン、オーストラリア)はすべて予選敗退。
ただの1チームも決勝トーナメントに進むことはできなかった。
なにしろいずれの国も1勝すらできなかったんだから話にならない。

世界に追い付くどころか絶望的な力の差をみせつけられた。
これじゃいま4.5あるアジア枠を削られても文句言えないよね。
4年間、毎日練習しなくちゃダメだぞ。
蹴球二日なんて言うな。

まさにいまアジア・サッカーは四面楚歌。
いや、紙面サッカーになったお話しでした。

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「次世代の党」より「狂った果実」

日本維新の会から分党し、新党を結成する石原グループの党名が「次世代の党」に決まったそうだ。

Tachigare最初の「立ち枯れ」……じゃなかった「たちあがれ日本」は結構インパクトあったね。
なんでも平沼赳夫さんらが「日本保守党」を提案したところ、石原氏が「ださい」と拒否、自ら「たちあがれ日本」を命名したんだそうだ。
さすが、言葉が命の芥川賞作家。(訂正しました)

それに比べると次の「太陽の党」は、「太陽の季節」から取ったのか、案外つまらなかったな。
で、今回は「次世代の党」だって。
僕なら新党「狂った果実」がいいと思うけどな。
「次世代」と言うからには、これはもう石原さんや平沼さんなどの長老は表に出ないということなんだろう。
老兵は消え去るのみか。

しかし党名というのも難しい。
新党ブームとかでやたら名前を使ってしまうものだから、いいのがどんどんなくなる。
そのうち全部使い切ってしまうんじゃないの。
トウトウ終わりですなんて。

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空からビー玉が降ってきちゃあね

Hyou上空に寒気が流れ込んだとかで、今週関東では雷や雹(ひょう)を伴う局地的な大雨に見舞われた。
なんたって、大きさがパチンコ玉大とか、ビーダマ大とかいうんだからすごい。
そのせいで屋根が凹んだクルマもあったというんだもの。

そもそも霰(あられ)と雹(ひょう)とはどう違うんだ?
調べたら、直径が5ミリ以下のものがアラレ、5ミリ以上の氷の粒をヒョウと言うんだそうだ。
それじゃ、この大きさも納得がいく。
空からビー玉なんかが降ってきちゃあね。

しかし、この大都会に何10センチも積もったヒョウは迫力だ。
だって、もう初夏だよ。
あなたは心配しないの?
僕なんか、このまま「氷河期になる」んじゃないかと、「ヒョウが気になる」……

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社長にするなら全部任せて

Suntory_whiskyサントリーHDの社長に、ローソンの新浪剛史氏が就任するんだそうだ。
抜擢したのは創業家一族の佐治信忠社長。
なんでも新浪氏の「国際的人脈と、やってみなはれエネルギーはサントリーにぴったり」とのこと。
そして佐治信忠社長は代表権のある会長に就くんだとか。

会長になっても、でも代表権は手放さない……
これってほんとに新社長に経営を任せる気があるのかな。

これを聞いてユニクロ(ファーストリテイリング)の玉塚元一社長を思い出した。
玉塚氏の抜擢の時も創業者である柳井正社長は代表権を持ったまま会長に就任。
で、業績不振を理由にわずか3年でクビになり、再び柳井社長に逆戻り。
クビになった玉塚元一氏がいまローソンの社長というのも何かの因縁だ。

ちなみにユニクロはコスト高を理由に値上げするらしいけれど、それなら柳井一族の報酬を削ればいいのにね。
日刊ゲンダイによれば、「配当長者リスト」で柳井氏はソフトバンクの孫社長に続く2位だって。
柳井氏本人だけで66億円、柳井一族では109億円もファーストリテイリングからもらうんだって。
すごいけどさ。
そうか。
僕がこのあいだ、ユニクロでチノパン買ったから儲かってんだな ?(゚_。)?(。_゚)?

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寝耳にミミズ

東京都議会本会議でのセクハラ野次は、やっとのこと都議会自民党の鈴木章浩議員が犯人として名乗り出たそうだ。

Mimizu当初から疑惑の中心に挙げられていたこの議員、直後に報道陣からヤジを発言していないかを問われて「寝耳に水」とトボけて関与を否定、「犯人は議員辞職に値する」とまで言ってたくせに、もちろん議員なんか辞めないってさ。
呆れたね、こっちは「寝耳に水」どころか「寝耳にミミズ」だいっ。

またこの件では国会で自民党の石破幹事長が「党を預かる責任者としてお詫びする」って、謝罪したけれど、別に都議会自民党は下部組織じゃないので石破幹事長に監督責任も権限もないんだそうだ。

じゃあ、誰が責任者かって?
自民党東京都連の会長。
つまり「石原伸晃」氏なんであります。
石原大臣、「口を慎むよう」言って。
ダメか、こりゃあ。

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旧陸軍・遠江射場跡(掛川市)

静岡県の掛川市の海岸線には旧陸軍が戦前に設置した広大な「遠江射場」の跡が残っている。
「射場」とは「試射場」のことで、主に陸軍の砲や砲弾の発射試験が行われていたという。

Hamana_01
何もないのにトンネルになった不思議なコンクリート製のものは高さ4m以上、銃撃に耐えられるよう厚さが40センチもあり、トーチカや弾薬庫、そして防空壕も兼ねていたもの。
今は上部が剥き出しだが、かつては上部を砂防林が覆うように被さっていて目立たないようになっていたという。
すぐ脇には高射砲電源供給室だったという建物もある。
トンネル内部をみると戦中のものらしく資材不足だったのだろうかなりの部分ではげ落ちてしまっている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Hamana_03
傍らの畑に点在するコンクリートのかたまりは九九式高射砲が設置されていたという砲座の跡だ。
四角い土台の上にボルト穴も残る八角形の基部が乗っていて、全部で3基残っている。


Hamana_04
近くの林の中には「発射指令所兼着弾観測所」だったという建物が見られるが、こちらはヤブがひどくて詳細に観測できなかった。


Hamana_05
畑の中に淋しく残されているのは「信管検査観的壕」だったという建物。
銃口のようなスリットもあるが、内部では電気を流したりして信管検査をしていたそうだ。
畑のど真ん中にこんなのが残っていて農作業には邪魔なんだろうな。


Hamana_06
赤い屋根の建物は「火薬溶触炉室」だっというが、現在は払い下げられて個人宅の一部になっている。
そのため近くまで行って確認することは叶わなかった。


Hamana_07
最後は機材を積み込むために使ったという軍用軽便軌道の駅(プラットフォーム)の跡。
奥の倉庫のような建物も当時のものらしい。
残念ながら、レールなど軌道の痕跡はもう残されていない。

現場で撮影した一部分の動画はこちら

【戦争遺構】
・富津岬・軍事施設跡はこちら
・茂原の掩体壕はこちら
・州ノ崎の試射場跡はこちら
・府中の米軍通信基地跡はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・三芳村の桜花カタパルト跡はこちら
・柏の燃料庫跡はこちら
・大月の監聴音壕はこちら
・サイパン帰りの戦車はこちら
・焼夷弾と戦った墓石はこちら
・野島公園の掩体壕はこちら
・横須賀の砲台山はこちら
・砲弾を抱えた狛犬の神社はこちら
・かもめ団地の試射場はこちら
・剣崎の探照灯庫跡はこちら
・剣崎の砲台跡はこちら
・披露山の砲台跡はこちら
・三浦半島・諸磯崎洞窟陣地はこちら
・追浜の海軍格納庫はこちら
・二川のトーチカ跡はこちら
・渥美半島福江観測所跡はこちら
・渥美半島陸軍気象観測塔跡はこちら
・習志野の支那囲壁砲台はこちら
・笠寺公園高射砲陣地跡こちら
・浜松剥き出しの防空壕はこちら
・沼津の砲台公園はこちら

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ユネスコ世界遺産登録、反対だってあったんだぞ

ユネスコのこと、言うね少し。

Unesco_logoユネスコの世界文化遺産に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の登録が決まったそうだ。
この裏には、民間による熱心な保存活動もあったらしい。
良かったね。

ところでこれを審査した「第38回世界遺産委員会」
なんかめでたく満場一致で決まったように報じられているけど、実は反対した国だってあったんだぞ。
今回、委員会のメンバーだったのは、カタールを議長国として日本、インド、カザフスタン、マレーシア、フィリピン、韓国、ベトナム、アルジェリア、レバノン、セネガル、ドイツ、セルビア、クロアチア、フィンランド、ポーランド、ポルトガル、トルコ、コロンビア、ジャマイカ、ペルーの21か国。

国名は明らかにされていないが、採決で賛成したのは18か国だったという。
議長国は外れる筈だから、そうすると20か国のうち2か国は反対したことになる。
ま、その一つがあのお国であることは明白だけど、もう一つはどこなんだろね。
悲しいが、現実にはこうした文化を巡る世界の活動にも政治が絡んでいるということだ。
残念じゃ。

そんな文化遺産、たぶん解散

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旧・東青山駅の滝

 拡大します
H_aoyama_taki
(三重県津市、旧・東青山駅にて)

素晴らしい滝だけど、上部は人工の水流。
その水流の処理に近鉄が苦労したことが窺える。
それにしても駅の隣にこんな滝があるなんて。

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祝! スペイン新国王即位

相手が10人でも1点も取れない日本代表チーム、それでもまだ予選突破の可能性はあるらしい。
すでに予選敗退が決まった前回王者のスペインよりはましということか。

Felipeそのスペインでは新国王フェリペ6世が即位したそうだ。
事情はあったらしいけれど、国民の多くは「王が若返るのはいいこと」と歓迎しているという。
カルロス前国王の76歳から一気に30歳も若くなったものね。
それに比べ、80歳になってもまだ激務に追い回される天皇陛下が可哀想だ。
ほんとに日本は死ぬまで働かせるつもりなんだろうか。

別に憲法で決まっている訳じゃあるまいし、皇室典範が障害というなら変えてあげればいい。
そして日本でも天皇の若返りを図ろう。
次は一気に悠仁さまだ。

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W杯日本人サポーターの行為は迷惑だって

「海外から称賛される日本人サポーター」という記事を書いたけれど、どうやら褒められるばかりじゃないらしい。
というのも、世界から感嘆されたこの行為、実は「迷惑行為」だという指摘もされているからだ。

日本とブラジルの経済活動の促進を目的として設立された在日ブラジル商業会議所によれば、ブラジルのスタジアムにはゴミを拾う専門の業者が入っているのだという。
彼らは観客が観客席に置いて行ったゴミを片づけるのが仕事だから、ゴミがなければ仕事にならないことになる。
この団体が日本人サポーターの行為を否定している訳ではないけれど、一部ネットでは「親切心からでも他人の領域に手を出してはならない」という書き込みがされているとか。

見方が変われば、世の中さまざま。
難しいんだな。

Seiso
人混みの中で、火とゴミの清掃

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海外から称賛される日本人サポーター

W杯日本最初の「コートジボワール戦」は残念ながら負けちゃったけれど、その後の日本人サポーターのマナーが世界中から称賛されているんだそうだ。

Gomi海外では負けたサッカーの試合というと、怒りを露わにイスを蹴ったり、モノを投げつけたりするサポーターが少なくない中、日本のサポーターは負け試合に取り乱すことなく、黙々と会場内のゴミ拾いをしていたという。
日本人サポーターは以前のW杯でもやっていたよね。
今回もゴミ箱が近くになかったので、応援に使った青いビニール袋にみんなでゴミを収集したらしい。

なんか、日本ではもう当然のことになっているけれど、海外からは驚きの目で受け止められるんだな。
なんにしても、日本が褒められるのはうれしいこと。
サポーターよ、ありがとう。
日本は選手より先にサポーターのほうのレベルがいち早く世界一に達したのかもね。

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「白鷺城」? いえ「白過ぎ城」

 Image
Shiro_old Shiro_new

世界遺産・姫路城が平成の大修理を終え、真っ白になったその偉容をみせてくれた。

うん?
何か以前と比べ、異様に白くないか?
なんでも瓦の汚れを落としたり、目地に白い漆喰を塗り直したから、らしい。
姫路市では「これがほんとの白鷺城」って言ってるけど。

まさか、サギじゃあ……

Ani_usagi2

う、サギだ~☆

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トヨタ社長の愛するモノ

Toyota_logo_s今夜行われるルマン24時間レースのポールポジションをみごと中嶋一貴組/トヨタが獲得した。(^.^)v

それとは関係ないけれど、トヨタの豊田章男/社長の特集をテレビでやっていたね。
(こちらは「とよだ」だよ)
大メーカーのトップらしく、豊田社長は「自社の製品を愛することが大切」と説いていた。
ただ司会者の「愛車とはいうけど愛冷蔵庫とは言いませんものね」なんて、言葉。下手なお追従だ。
それじゃ電機メーカーに失礼だろう。

でも豊田社長、「人を愛せよ」とは言わなかったな。
そこがわれわれ凡人とは違うところか。
だってふつう好きでしょ、みんな>「愛人」

Ipad_sもっとも調べたらトヨタよりもっと徹底している会社があることがわかった。
だって、製品の名前にまで「愛」を込めているんだぜ。
たしか「愛フォン」とか、「愛パッド」とか……
なるほど、成功する訳だ。

皇太子ご夫妻は「i-Ko」を大切にされている。

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初瀬街道の旅(14)旧・青山変電所の廃墟

【旧・青山変電所の廃墟】(最終回)

初瀬街道の旅(13)旧・東青山駅の廃墟から続く。

旧・東青山駅跡地をあとに、さらなる奥へと荒れた道をたどる。

Hendensho_01
すると上方に送電線の鉄塔が見えた。
鉄塔の一部が鮮やかな緑と赤に塗られているのがいかにも人工的で不自然に感じられる。


Hendensho_02
コンクリート製の橋で対岸に渡ると、そこにはすっかり廃墟となった大型の建物が2棟。
その壁には大きな碍子がずらりと並んでいた。
そう、これはかつて変電所だった建物の廃墟。
正式名を「東青山変電所」といい、近鉄大阪線に電力を供給する役目を担っていたもの。


Hendensho_03
ガラスを失った窓からは、間近に迫った岩肌。
この建物の置かれた厳しい環境が窺われる。
東青山変電所は1930年(昭和5年)開業の近鉄大阪線に先駈け、前年の1929年(昭和4年)に稼働したと伝えられる。
建設当時は東洋最大の水銀変圧器が設置されたということで話題になったらしい。

Hendensho_04
建物内部はすべての設備が取り外され、すっかりがらんどうになってしまった大きな部屋。
ただし油断していると足元には深い穴が獲物を待ち受けているので油断できない。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Hendensho_06
2階部分に上がるハシゴがあったので、もちろん上ってみる。


Hendensho_07
何に使われたのだろう、2階の床には直径5mほどもある大きなまん丸の穴が開いていた。
高いので覗き込むのもスリルが感じられる。


Hendensho_08
逆に上から見下ろしたハシゴ部分はこんな感じ。
怖っ。
実は足をすくませながら撮影している。


現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

Hendensho_09
おまけ。これが現在の「新・東青山変電所」
旧・変電所とは直線距離でも1キロ以上離れた全然別のところに建設された。
ちょうど青山トンネルと垣内トンネルとのわずかな明かり区間、滝谷川沿いになる。

鉄道事故の犠牲者に黙祷しながら今回の探索を終える。

初瀬街道の旅(お終い)

・君津・廃橋跡はこちら
・鹿島の竜宮城跡はこちら
・龍ヶ崎の赤い西洋館はこちら
・伊豆・韮山のマリア観音像はこちら
・天空に消えた夢のロープウェイはこちら
・地下に眠る旧証券会社の大金庫はこちら
・丹沢に墜落した戦闘機のエンジンはこちら
・南房総の桜花カタパルト跡はこちら
・追原廃村の跡はこちら
・持倉鉱山の跡はこちら
・峰之沢鉱山跡はこちら
・湯ヶ島鉱山跡はこちら
・持越鉱山跡はこちら

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W杯開幕戦は日本人審判団だって

Whistleいよいよ始まるサッカーW杯。
注目されるその開幕戦「クロアチア対ブラジル戦」の審判に、なんと日本人審判団が指名されたそうだ。

開幕戦の審判という栄誉を日本人主審が務めるのはこれが史上初のこと。
日本が自分で言うのもなんだけれど、日本人のフェアなジャッジが国際的に信頼されたんだろうね。
光栄なこと。
頑張ってね。

どっかの国の海洋侵犯も、審判しちゃうぞ。

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W杯における中国・韓国、それでれのお国柄

Ani_soccer_pengin Ani_soccer_penginいよいよサッカーW杯の開幕が間近だ。
今回も中国は出場していないけれど、それでもW杯人気は高いらしい。
中国も日本と同じくブラジルとは時差があって、勤務時間が観戦には差し支える。
そこでやっているのが「欠勤してでも観戦したい人のための偽造欠勤届販売」なんだそうだ。
なんでもパクリのお国らしいね。
もっとも企業側では「偽造とわかれば解雇する」と脅しているらしい。

一方の韓国。
こちらは日本と同様、本戦を前に他の強豪国との親善試合を繰り返した。
結果はチュニジアに0-1、ガーナに0-4で敗れたとか。
別にこれらの親善試合が目的じゃないから、いま負けたっていい。
日本が連勝とはいえ、それが逆に本戦では裏目に出るかもしれないからね。

いけないのは「背番号シャッフル」とかいう珍妙な作戦。
この2試合、いずれもメチャクチャな背番号をつけて戦ったんだってさ。
確かに外国人からみるとわれわれアジア人の顔なんてみんな同じに見えるから、背番号を変えられたら相手チームはやりにくいだろう。

でも、いまそんな目くらましをやっている時期?
これもやっぱりお国柄なのかしら。
今回はあの鄭夢準さんも国際サッカー連盟の要職にはないし、FIFAも目を光らせているから日韓W杯のときのようにベスト4なんて無理だからね。

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初瀬街道の旅(13)旧・東青山駅の廃墟

【旧・東青山駅の廃墟】

初瀬街道の旅(12)近鉄大阪線鉄道事故から続く。

垣内という旧宿場から初瀬街道は国道165号線を離れてさらなる山中へと分け入っていく。
そしていよいよ今回の探索ツアーの主目的である「旧・東青山駅」跡に来た。

H_aoyama_st_11
滝を尻目に急坂を登り詰めると、いきなり目の前にプラットホームが現れた。
周囲は緑、また緑の山の中。
建設当初、ここは本来信号所とする予定だったというが、地元のたっての希望で駅を造ったとされる。
しかし最初からほとんど秘境駅の運命。
線路は、大阪側も松阪側もいずれもすぐトンネルになって山中へと消えていく。


H_aoyama_st_12
駅跡地へ降りる階段にも古びた枕木が使われていた。
苔むした味のある枕木は廃止されてからの長い歴史を感じさせる。
(振り返って撮影)


H_aoyama_st_13
いったん構内を奥まで抜け、振り返って伊勢方面を見通している。
何か利用でもしようとしたのかその目的は不明だが、手前のコンクリートは廃線後に築かれたものだ。
単線ではあるものの行き違い用にホームは2つあり、左手のホームが上り(松阪方面)、右手が下り(大阪方面)になる。


H_aoyama_st_14
上りホームは本来堅牢な石造り(右手斜めのところまで)だが、後から延長された部分は土堤を枕木で補強する構造になっている。


H_aoyama_st_15
一方、下りホームのほうは中身が空洞の完全な木製。
枕木と鉄骨とを組み合わせて構成、上面だけをモルタルで仕上げている。
最初の画像のように、埋められた白いタイルがいかにもプラットホームらしさを醸し出している。


H_aoyama_st_16
山側には小さな売店が廃墟となり辛うじてその姿を保っている。
これ以外に駅周辺には何一つ、家も小屋すらも見つからない。
まさに秘境駅だった。
足元には森永の飲み物用冷蔵庫がシダに覆われている。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


H_aoyama_st_18
松阪側にあるのがこの滝谷トンネル。
ここから旧・大阪線はその先の総谷トンネルに向け急な角度で下っていく。
ブレーキ故障で停める術を失った列車の運転士は、どんな思いでトンネルに突っ込んでいったんだろう。
(当然のことながら、運転士は25名の死者の一人となった)


H_aoyama_st_19
一方、こちら大阪側は青山トンネル。
事故後、難所だった青山峠には新たな長大トンネルが掘られ、1975年(昭和50年)複線化された新線への移行を果たした。

次回はついに最終回、山中の変電所廃墟を探る。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                

初瀬街道の旅(14)旧・東青山変電所の廃墟に続く。

・東海道線・石部トンネル跡はこちら
・秘境尾盛駅探訪はこちら
・トヨタの引込線跡はこちら
・中央線遺構・立場川橋はこちら
・中央線遺構・放置車両はこちら
・小海線大曲と駒頭石はこちら
・中央線遺構・日野春駅給水塔はこちら
・中央線遺構・須玉九差路交差点はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・東京山手急行の遺構はこちら
・晴海線旧橋梁はこちら
・中央線遺構・旧深沢トンネルはこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル西口はこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル東口はこちら
・中央線遺構・旧笹子トンネルはこちら
・中央線遺構・旧天神山トンネルはこちら
・遠州鉄道奥山線・橋台はこちら
・旧武豊港駅・転車台はこちら
・夢破れた知多半島の未成駅はこちら
・軽便鉄道「オットのみち」はこちら
・小海線「川俣川鉄橋」はこちら
・谷峨駅の構内踏切はこちら
・未成の国鉄佐久間線はこちら
・三重の中勢鉄道はこちら
・中央線遺構・旧笹子川橋台はこちら

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初瀬街道の旅(12)近鉄大阪線鉄道事故

【近鉄大阪線鉄道事故】

初瀬街道の旅(11)新旧・西青山駅から続く。

今回の探索最大の目的である旧・東青山駅の廃墟を訪ねる前に、現在の新・東青山駅を見ておこう。

H_aoyama_st_01
青山というブランド名とは裏腹に、これまた駅の周囲に家などはなく駅前にも人っ子一人いない。
加えて至るところ駐車禁止の看板だらけなので、一瞬をついて車中からの「盗撮」を試みる。
折良く入った電車は近鉄自慢の「伊勢志摩ライナー」という特急だ。

「三重県統計書」によれば2012年の1日の平均乗車人員は54人。
無人駅だが自動券売機だってあるし、西青山駅とは比べものにならない。
だからめでたく291駅中、「下から第2位」だ。


H_aoyama_st_02
無人の一帯なのに、駅前には「東青山四季のさと」というこぎれいな花のパークが広がっている。
近鉄がことさらここで明るい雰囲気を強調するにも理由があると推察した。
近鉄にとって、ここには悲しい歴史が隠されているからだ。


H_aoyama_st_03
ただしこの日「東青山四季のさと」は休園。
やっていたとしても、料金収受はユニークだ。
それは自主的に料金を封筒に入れて箱に投入するというもの。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
無人の登山口駐車場ではしばしば見掛ける方式だが、こんな駅の真ん前に、ね。

記録上、近鉄・東青山駅が開業したのは1930年(昭和5年)のこと。
ただし現在のこの東青山駅が出来たのは1975年(昭和50年)だ。
かつての東青山駅はずっと山の中にあった。

そう、前出の西青山駅は移転でより西へ。
一方こちら東青山駅のほうは移転でより東へ。
そのため両駅の駅間距離は広がり、いま近鉄の鉄道路線の中では最長の7.7キロ。
今度新駅を作るという山手線最長の品川-田町間が2.2キロであるのと比べれば、いかにこの両駅が離れているかがわかるというものだ。


H_aoyama_st_00それではなぜ両駅は移転を余儀なくされたのか。
それには現在通行止めとなっている隣の「旧総谷トンネル」にカギがある。

近鉄でも難所のため最後まで単線で残っていたこの区間。
その複線化の際中の1971年(昭和46年)、ATSの故障と人為的ミスとが重なり総谷トンネル内で列車が脱線、正面衝突して特急電車が2編成丸々廃車になるほどの大事故を起こし、死者25名、負傷者255名を出すという大惨事を起こしたのだ。
これがきっかけとなり、別の部分に複線の新青山トンネルがあらたに建設され、旧線は廃線、旧西青山駅と旧東青山駅は共に廃止・移設となった。


H_aoyama_st_05
その山中の廃墟となった旧・東青山駅を訪ねる。
現在の東青山駅とは名前こそ同じだがまったく異なる山中にあって、たどる道も全然別だ。
辛うじてクルマが入れる林道もこの橋で終点。
ここから先、道が落石で荒れていることもあるが、最初の部分が急坂過ぎ、スリップして登れないからだ。
だから、FF車は……


H_aoyama_st_06
ということでここからは自らの足で坂を登る。
先ほど橋の下を流れていた川にこの滝が見えれば駅はもうすぐだ。
というか、駅に行くのにこんな所を通るのか。

次はいよいよ大詰め「旧・東青山駅の廃墟」探索になります。

初瀬街道の旅(13)旧・東青山駅の廃墟に続く。

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初瀬街道の旅(11)新旧・西青山駅

【三軒家橋梁と新旧・西青山駅】

初瀬街道の旅(10)安楽寺の石垣から続く。

多くのページを費やしてきたが、やっと今回の探索のメインテーマに近づいてきた。
さて初瀬街道はまた一方で近鉄大阪線ともほぼ経路を同じくしている。

Nishiaoyama_01
見える道路は国道165号線(初瀬街道)で、これを跨ぐ緑の大きな構造物は近鉄大阪線の三軒家橋梁という鉄橋。
(道路に出たら危ないよ)
上路式トラス橋という形式でスパンが70mもある巨大なものだ。
三軒家というから、昔はこの辺りに3軒の家があったのかな。
今はまったく面影はない。


Nishiaoyama_02
鉄橋を潜ってから振り返ると、これに寄り添うように大きなコンクリート製の橋脚がいくつも聳えている。
これは近鉄大阪線が路線変更される前の旧線に使われていたもの。
鉄橋は外されたが、橋脚だけは残されたまま。
高いので、下から見上げるとすごい迫力だ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Nishiaoyama_04
その旧線跡をさらにたどっていくと、現行の西青山駅が姿をみせる。
無人駅なのは言うまでもないが自動券売機すらない。
ましてや、近くに一軒の家もない。
西青山駅なんていうと都心のお洒落な地下鉄駅みたいだけれど、場所が青山高原という所だからこの名前が付いているのであって、別に都会に憧れた訳ではない。

「三重県統計書」によれば2012年の1日の平均乗車人員はたったの11人。
全291駅ある近鉄の中でも最低の数字だそうだ。

そんな小駅なのにその構造はとても複雑なもの。
おそらくこれは結局立ち消えになった当初の複線計画によるものとみられる。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


Nishiaoyama_06
さらに伊勢方向に場所を移すと大きな乗馬クラブが現れる。
実はここがかつての西青山駅だったところ。
路線変更により全然違う場所になってしまった。
なお奥に見える茶色の鉄塔は、当時の大阪線に電力を供給するために立てられたものだ。


Nishiaoyama_07
だから乗馬クラブの裏側にまわると、今でもこのようなのどかな線路跡が続いている。

次はこれまた大変革のあった「東青山駅」を訪ねる。

初瀬街道の旅(12)近鉄大阪線鉄道事故に続く。

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初瀬街道の旅(10)安楽寺の石垣

【安楽寺の石垣】

初瀬街道の旅(9)延命寺の石棺から続く。

一志町ではもう一つぜひ見たいものがあった。
それは安楽寺というお寺さん。

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919年の建立というから平安時代になる。
曹洞宗永平寺派の寺院で、禅寺であることから全体として質素な雰囲気が窺われる。
二階建ての立派な鐘楼は江戸時代1726年のもので、町指定の文化財とか。


Ishigaki_02
お寺は見晴らしの良い高台にあり、そのため周囲にはぐるりと石垣が積まれている。


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しかしその石垣は場所によってその表情を一変させる。
この写真、右側の素朴な丸積みと、左側の緻密な石組みとはまるで別物じゃないか。
これは明らかに造られた時期が異なるんだろう。


Ishigaki_04
緻密な部分では、四角い石だけでなく複雑な多角形の石もみごとな手際で組み上げられている。
まるでクスコのインカ帝国ばりの高度な技術。


Ishigaki_05
ただ不思議なのは、いくつかの丸石をおっぱいのように飛び出させていること。
これはどういう意味?
少なくともこれが城の石垣だったら、手掛かり・足掛かりになって防衛上不利極まりない筈だ。
誰か教えて。

さて、いよいよこの「初瀬街道の旅」も、次編から今回の大本命である近鉄大阪線遺構に近づく。

初瀬街道の旅(11)新旧・西青山駅に続く。

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初瀬街道の旅(9)延命寺の石棺

【延命寺の石棺、平楽寺の石棺】

初瀬街道の旅(8)沈下橋から続く。

一志町(いちしまち)は雲出川沿いにある古くからの街。
ちなみに霊長類最強という吉田沙保里選手の出身地だ。
ここに約200年も前に発見された古い石棺があるというので寄ってみた。

Sekkan_01
地図でいうとこの辺りだが、道は狭いしクルマを停める場所もない。
レンズのせいで広く見えるが、実際はとても狭い路地を入った奥になる。


Sekkan_02
あった、「延命寺」
天台真盛宗の寺院ということだ。


Sekkan_03
中をお邪魔して石棺を探す。
一番奥の目立たない一角にそれはあった。
6世紀頃と推定されているが、6世紀といえば仏教自体が大陸から伝わった頃だから日本独自のものか。
残念ながら蓋に割れ目が入ってはいるが、全体の形は良好。
頭部に縄掛け突起が一つ確認できる。


Sekkan_04
刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)というらしい。
「刳抜式」というのは一つの石を刳り抜いて棺にしたもの。
「家形」は蓋の形が家の屋根みたいというものだね。
1955年(昭和30年)、三重県の文化財に指定された。


Sekkan_05
一志にはもう一つ、平楽寺というところにも石棺があるという。
こちらは街中で、幼稚園を兼ねた賑やかな場所。


Sekkan_06
こちらの石棺には何の案内板もなく、見つけるのに苦労した。
結局、立派な門柱に隠れるようにそれはあった。
石棺は全体がほとんど雑草に隠れていて、大切に保存されているようには感じられない。
こちらも形式は家形石棺とのことだが、蓋も平らに近く、家型というよりは舟形石棺のようだった。
いずれにせよ、Khufu_sekkan_sエジプトのクフ王の石棺よりはずっと立派だが。

初瀬街道の旅(10)安楽寺の石垣に続く。

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初瀬街道の旅(8)沈下橋

【沈下せずに沈下橋渡る】

初瀬街道の旅(7)中勢鉄道跡から続く。

大仰駅の先、石橋沈下橋を渡ってみた。
沈下橋というのは洪水になっても橋が流されないように考えた先人の知恵。
(潜水橋・潜没橋とも)

大水の時には水面に没しても良いよう欄干がなく、両岸より中央部が低くなっているものが多く、四万十川など西日本によく見られる。
童仙房探索の帰りに寄った恋路橋もその一つだ。

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下を流れるのは1級河川の雲出川(くもずがわ)
左の鉄橋はほぼ初瀬街道に沿って走る近鉄大阪線のもので、ちょうど新鋭車両「ACE」(22000系)型の特急電車が通過しているところ。
さすがにあちらの橋は水没する度胸はないようなので高いこと。


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水没はしても流されてはいけないので橋自体は頑丈な造りになっている。
しかも橋脚は抵抗を少なくすべく船の舳先のように鋭くなっているのがわかる。
それにしても、水面からこれだけ高さがあるのに、増水時にはここまで水が来るというのだから驚きだ。


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実際に渡ってみた。
この画像は車載動画からの切り抜きだけど、車内からではどうもそのスリリングさが伝わらない。


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で、こちらは他のクルマが渡っている写真を拝借したもの。
それなりに幅に余裕はあるとはいえ、ガードレールがないのは結構プレッシャーが掛かるのだ。
物見遊山の癖して、もしも落ちちゃったら助けを呼ぶの恥ずかしいものね。

初瀬街道の旅(9)石棺に続く。

現場で撮影したよくわかる動画はこちら
                
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祝 松山英樹 米ゴルフツアー初優勝! でも失態だったね

H_matsuyamaブロゴルフの松山英樹選手がPGAツアー「メモリアル・トーナメント」でみごと初優勝。
22歳での優勝は日本人最年少とかで、これまで様々な記録を塗り替えてきたライバル・石川遼選手を完全にかわしてしまったね。

ところでゴルフは「紳士のスポーツ」と言われるけれど、決して「武道」ではないことが今回わかった。
というのも松山選手、1打追いかける最終ホールのティーショットを右に打ち出してしまい、カッとなって地面にクラブヘッドを叩きつけてクラブを真っ二つにへし折ってしまったんだね。

例えばこれが剣道の試合だとして、カッとなって竹刀をへし折ったりしたら、その場で失格だろう。
だって、武道だもの。

おそらくこれでもう優勝争いから脱落したと思ってそんなことしたんだろうけれど、実際にはプレーオフに進出。
規則ではプレーオフは新しいラウンドとなるので、折ったクラブを取り替えることができたんだそうだ。
ただし松山選手、予備のクラブの用意もしてなかったから3番ウッドで凌いだそうだけど、今度はバンカー。
二重のミス。

結果オーライとはいえ、この若者がまだまだ成長しなければならないということがわかった一戦だったね。
ま、それよりまず導入すべきは「スピードラーニング」か。

「何打差なんだ?さぁ……」

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初瀬街道の旅(7)中勢鉄道の息吹き

【中勢鉄道の息吹き】

初瀬街道の旅(6)笠着地蔵から続く。

中勢鉄道(ちゅうせいてつどう)は、かつてほぼ初瀬街道に沿って施設された軽便鉄道のこと。
最初に久居-中川間で開通したのは1929年(昭和4年)のこと。
しかしわずか14年後の1943年(昭和18年)には廃止されている。
廃止理由は明確でないが、当時の時代背景を考えるとあの鉄道と同じ匂いが感じられる。


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雲出川に沿って探索すると、緑の中にかなりの高さを持った橋脚跡が見えた。
上記・中勢鉄道のものだ。
川幅があり、中央部にも台座の跡がみられるので小さな軽便鉄道としては珍しい2径間の鉄橋だったようだ。


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こちらはその支流に掛かる別の橋台。
ここでふと振り返れば、もうレールこそないがかつての線路跡が樹々の間にどこまでも続いていた。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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その線路跡を伊勢方向にたどっていくと、「誕生寺駅」の駅標に着いた。
近くに今もある誕生寺は前出の真盛上人が誕生したお寺さんだ。
もっともらしい駅標が立てられているが、しかしこれはもちろん後世のもの。
道路脇にあるこの質の悪いコンクリートウォールがかつてのプラットホームの名残りなんだという。
(マウスを置くと画像が切り替わります)


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さらに歩を進め、さきほどの駅標にあったお隣りの「おおのき駅」跡にやって来た。このみごとなエノキの巨木をみて「大木」と書くのかとと思ったが、調べると「大仰」という古くからの地名らしい。


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駅跡といっても土堤くらいしか当時を思わせるものはなかったが、そこに据えられたベンチは明らかに鉄道の枕木を流用したものではないか。
次は本編とは関係ないが、せっかくなので画面の奥に見える雲出川を沈下橋で渡ってみる。

初瀬街道の旅(8)沈下橋に続く。

・中央線遺構・須玉九差路交差点はこちら
・善光寺白馬電鉄跡はこちら
・東京山手急行の遺構はこちら
・晴海線旧橋梁はこちら
・中央線遺構・旧深沢トンネルはこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル西口はこちら
・中央線遺構・旧横吹第2トンネル東口はこちら
・中央線遺構・旧笹子トンネルはこちら
・中央線遺構・旧天神山トンネルはこちら
・遠州鉄道奥山線・橋台はこちら
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・夢破れた知多半島の未成駅はこちら
・軽便鉄道「オットのみち」はこちら
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・谷峨駅の構内踏切はこちら
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・中央線遺構・旧笹子川橋台はこちら

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初瀬街道の旅(6)笠着地蔵

【笠着地蔵と逆さ地蔵】

初瀬街道の旅(5)味噌の丁子屋から続く。

街道が雲出川に沿った辺りには真盛上人ゆかりの史跡が多い。

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この急な崖の巨岩に刻まれた磨崖仏もそんな一つだ。

説明版によれば……
真盛上人が幼児の頃、出家されるにあたり両親との別れを悲しんでむずかったので、父からの命で笠に入れて雲出川に捨てられた。
ところが不思議にも笠は流れを遡ってこの渕に流れ着き、上人は助け上げられたという。


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その奇跡にちなんで大岩に地蔵さまを彫り、「笠着地蔵」と名付けられたものとか。
岩肌のお地蔵さまがわかるだろうか。
ところがここにはさらにまた興味深いものがある。


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それは街道を挟んで笠着地蔵とは反対側の川の淵。
ここに大きな岩が倒れ込むようにして転がっている。
この岩は安政の大地震の際、地蔵が刻まれた岩が割れ、雲出川へ転げ落ちたものなんだそうだ。


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実際、岩の左下のほうにその名残りが残っていた。
一つは空洞になってしまっているが、もう一つには逆さになったままの地蔵像が見える。
そのためこの岩は「逆さ地蔵」と呼ばれているのだ。


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しかし川が増水すると逆さお地蔵さんは水没してしまうので、これを可哀想と思ったか、後年別な上の部分にあらためて地蔵像が彫った人がいる。
こちらには「無縁法要」と記されていた。
大切にされているんだね。

初瀬街道の旅(7)中勢鉄道跡に続く。

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