【近鉄大阪線鉄道事故】
初瀬街道の旅(11)新旧・西青山駅から続く。
今回の探索最大の目的である旧・東青山駅の廃墟を訪ねる前に、現在の新・東青山駅を見ておこう。
青山というブランド名とは裏腹に、これまた駅の周囲に家などはなく駅前にも人っ子一人いない。
加えて至るところ駐車禁止の看板だらけなので、一瞬をついて車中からの「盗撮」を試みる。
折良く入った電車は近鉄自慢の「伊勢志摩ライナー」という特急だ。
「三重県統計書」によれば2012年の1日の平均乗車人員は54人。
無人駅だが自動券売機だってあるし、西青山駅とは比べものにならない。
だからめでたく291駅中、「下から第2位」だ。
無人の一帯なのに、駅前には「東青山四季のさと」というこぎれいな花のパークが広がっている。
近鉄がことさらここで明るい雰囲気を強調するにも理由があると推察した。
近鉄にとって、ここには悲しい歴史が隠されているからだ。
ただしこの日「東青山四季のさと」は休園。
やっていたとしても、料金収受はユニークだ。
それは自主的に料金を封筒に入れて箱に投入するというもの。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
無人の登山口駐車場ではしばしば見掛ける方式だが、こんな駅の真ん前に、ね。
記録上、近鉄・東青山駅が開業したのは1930年(昭和5年)のこと。
ただし現在のこの東青山駅が出来たのは1975年(昭和50年)だ。
かつての東青山駅はずっと山の中にあった。
そう、前出の西青山駅は移転でより西へ。
一方こちら東青山駅のほうは移転でより東へ。
そのため両駅の駅間距離は広がり、いま近鉄の鉄道路線の中では最長の7.7キロ。
今度新駅を作るという山手線最長の品川-田町間が2.2キロであるのと比べれば、いかにこの両駅が離れているかがわかるというものだ。
それではなぜ両駅は移転を余儀なくされたのか。
それには現在通行止めとなっている隣の「旧総谷トンネル」にカギがある。
近鉄でも難所のため最後まで単線で残っていたこの区間。
その複線化の際中の1971年(昭和46年)、ATSの故障と人為的ミスとが重なり総谷トンネル内で列車が脱線、正面衝突して特急電車が2編成丸々廃車になるほどの大事故を起こし、死者25名、負傷者255名を出すという大惨事を起こしたのだ。
これがきっかけとなり、別の部分に複線の新青山トンネルがあらたに建設され、旧線は廃線、旧西青山駅と旧東青山駅は共に廃止・移設となった。
その山中の廃墟となった旧・東青山駅を訪ねる。
現在の東青山駅とは名前こそ同じだがまったく異なる山中にあって、たどる道も全然別だ。
辛うじてクルマが入れる林道もこの橋で終点。
ここから先、道が落石で荒れていることもあるが、最初の部分が急坂過ぎ、スリップして登れないからだ。
だから、FF車は……
ということでここからは自らの足で坂を登る。
先ほど橋の下を流れていた川にこの滝が見えれば駅はもうすぐだ。
というか、駅に行くのにこんな所を通るのか。
次はいよいよ大詰め「旧・東青山駅の廃墟」探索になります。
初瀬街道の旅(13)旧・東青山駅の廃墟に続く。
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