おせんころがし(後編)
おせんころがし(前編)から続く。
今では新道からトンネルを潜り簡単に難所を避けて向こう側に抜けることができるので、今度は逆の東側から房総の難所「おせんころがし」を望む。
小さな案内板を頼りに整備された小径を登り詰めると深い切り通しの先に碧い海が見えてきた。
海の向こうはアメリカだ。
海っ縁まで行くと、先ほど旧道から見えた石塔(供養塔)の前にたどり着く。
石碑には(孝女お仙之碑)と彫られている。
塔からさらに進むとたちまち深い緑に囲まれた。
正面に見えている柱が通行止めを示すものだが、そこまでたどり着けないほどのヤブがそれを阻む。
わかってますよ、行きませんてば。
崖沿いに仕切られた柵のところからは、きれいに護岸された海岸線が望まれる。
四角く囲まれたのが内浦の港。
さきほど遠望したところはこの赤い矢印のところ。
(マウスを置くと画像が切り替わります)
こんなに遠かったんだね。
お仙さんが命を落とした江戸時代、房総半島東側の集落は放射状に結ばれていたので、海岸沿いに進む道は間道程度に過ぎなかったのだという。
お仙さんが転がされたという断崖を上から覗き込んでみる。
せっかく身を乗り出して撮影したのに、海岸がきれいに整備されてしまったせいか迫力が伝わらないなあ。
結構怖いのに。
ちなみに言い伝えには諸説あって、中には「お仙が自ら身を投げた」というものや、「お仙とわかっていて投げ落とした」というものもある。
でも、前者なら「おせんころがり」だろうし、後者なら「おせんおとし」のほうがふさわしい。
つまり、お仙さんは布団にくるまれて正体がわからないまま転がされて落ちたから、「おせんころがし」になったんだろう。(個人的な解釈です)
孝女おせんさんの冥福を祈ります。
現場で撮影したよくわかる動画はこちら
↓
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コメント
おはようございます
昔は全国各地でこのような悲しい言い伝えがありましたね。それが実話であっても創作であっても、石碑まで建てて祀り、思いを馳せる心は尊いですね。
心が洗われる思いです。ま、私のことなので半日程度しかもちませんが・・・^_^;
投稿: poohpapa | 2014.10.03 07:50
poohpapa さん
ありがとうございます。
確かに、後々まで供養するという心構えは美しいですね。
>ま、私のことなので半日程度しかもちませんが・・・^_^;
『そんなことない』(某歯科医師)
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2014.10.03 07:55
オセンコロガシ・・ですか。
子供の頃はまだ歩いて行けた記憶があります。
と、言っても、まだトンネルは無くて
九十九折の細い道だけが有った頃の話ですが。
私が教えられた範疇では、お仙さんは転がされた
と言う記憶があります。
ここの入口はラブホテルが有るので、入りづらい
のですが、今度行ってみますね。
投稿: いはち | 2014.10.03 13:44
いはちさん
こんにちは。
この道を通ったことがあるんですか。
羨ましい……
>入りづらいのですが、今度行ってみますね。
って、ラブホテルのことですか?
どうぞ。
投稿: ピーちゃんの身元引受人 | 2014.10.03 14:45